石川真生さんのこと・8

watanatsu

2009年08月27日 08:53

 夜明け前の涼しい時間に、シマサバ(島ぞうり)・ウォーキング。空の色、濃いブルーとオレンジのグラデーションが美しかった。きょうも天気がよさそうだが、つまりはまた、めちゃくちゃ暑ーくなるんだろうなぁ。。。

 で、朝食後、パソコン開いて、ブログにきのうの出来事を書こうと思ってふと気になって、写真家・石川真生さんのブログ(→http://blog.livedoor.jp/ishikawamao/)を覗いてみた。あー、やっぱり! 真生さんは、きのうのことを夜中のうちにアップしておられた。さすがブログ界の大先輩、行動が早い(笑)。

 じつはきのう、石川真生さんと「ランチデート」をさせてもらったのだ。

 順を追って経緯をご説明しよう。
 まずは、当ブログを開設して間もない、6月半ばごろの昼時に、わたしの散歩コースの一角、牧志・公設市場界隈をうろついていると、タルケンおじぃこと、南方写真師・垂水健吾さんと遭遇。タルケンさんが食事していた場所は、南の島のフランス食堂こと「プチットリュ」(この店名は、だいぶあとになって覚えました。すーじぐぁー、という意味のようです)の店先のテーブル。
 そのときタルケンさんに「この店、美味しいですか」と訊ねると、「上等よー、このセットで1000円なら、価値あるよ」とのこと。後日、食べに行って、「美味い!」と実感。素材も、ソースの味もよい。沖縄県産吟味素材の豚、地鶏、魚の中からメインディッシュを選べて、スープ、有機野菜のサラダ、ライスまたはパン、食後の飲み物が付いて1000円。150円プラスすると、これまた素敵なデザートも食せる。はっきり言ってお勧めである。もちろん、いつも繁盛している店だ。

 6月下旬、名護博物館で行われた石川真生さんの写真展「フェンス OKINAWA」へ、ご本人を訪ねたとき、真生さんにそのことを告げつつ、「いつかランチをご一緒しませんか」とお誘いしてみたのであった。
 それからあっという間に2ヵ月ほども時が過ぎ、昨日、ようやくランチデートが実現した次第。

 真生さんのブログでは、わたしが「おごった」みたいに書いてくれていたけど、とんでもないですよー。
 そもそも現在のわたしは、自慢じゃないが、格差社会の最底辺に位置する、由緒正しき貧乏ライターという立場である。人生のどん底に落ちたこときも、物心両面で人様にたっぷり甘えて生き延びてきたナラズ者だ。とても人様に「おごる」資格も余裕もない。あれ? でも、もしかしたら、真生さんには、「ランチぐらいなら、おごらせてもらいますよー」って、言ってしまったかな? 失礼(大苦笑)。
 いやはや、何が言いたいかと申しますと、今回は、このところずっと、こちらのわがままを受け入れて、丁寧に対応してくださっている真生さんに、ささやかな謝意を表明したい、ということと、それから、「石川真生ファン」であると公言してはばからないわたくしめといたしましては、単純にたまにはお会いしたい、という気持ちが重なってのことなのでありましたということでございます。

 であるからして、とても高級フランス料理の店なんかへお連れできません。
 1000円のセットでお得感バッチリの、いわばフレンチ定食屋さんを選ばせていただいたわけである。
 真生さんはメインディッシュに「やんばる地鶏」を選んで(わたしは魚=メダイ)、「美味しいよ」「美味しかった」と言ってくださって、ホッとした。見え透いたお世辞を言うような人ではないから、やっぱり嬉しかった。

 このお店での食事タイムと桜坂劇場1Fカフェに移動してのゆんたく(おしゃべり)とで、2時間あまり、充実したデートの時間を過ごさせていただいた。

 真面目な言い方をすれば、フリーランスの表現者として大先輩の真生さんの話、大変勉強になった。刺激を受けた。人間としての生き方に、共感できるところが多々あり(決して真似はできないが)、パワーをいただいた。勇気づけられた。

 少しくだけた言い方をすれば、パワフルでチャーミングな「おねーさま」とのゆんたくデート、とっても楽しかった。

 しかし、ご存じない方のために、念のため説明しておきますと、わたしに元気を与えてくれた真生さんは、毎日何種類もの薬を飲まなくてはいけないような、正真正銘の病人です。

 2000年に腎臓がん、2001年に直腸がん、と2度も手術をして、そして人工肛門の使用者にもなった。ところが「5年生存率」うんぬんの壁もなんのその、たくましく乗り越えて、そして今なお表現意欲・取材意欲満点の写真家なのである。

 桜坂劇場とフランス食堂の間のわずかな距離の往復も(とくに急坂のあたりでは)、歩くこと自体が辛そうに見える。しかし、こちらが大丈夫ですか、と問うと、「(足が痛いのも)持病みたいなもんだから、付き合うしかないわ。歩いて筋力つけたほうがいいのよ」と、強気の発言。当方、くれぐれもお大事に、と内心でひそかに呟くのみ。。。

 さて恐縮なことに、真生さんは、当ブログもちょくちょく見てくれているようだった。
 つい先日の「コメント欄閉鎖」のこともご存知だった。
「わたしのブログは、最初からコメント欄なんかないわよ。ずっと一方通行。だって、わたしの場合は、政治的な発言も、スケベな話も両方するからね(笑)」
 その通りである。コメント欄がなくて、大正解だと思う(大納得)。本当にきちんと意見や批判を伝えたい人は、メールで真生さんに連絡するはずだ。だがわたしの場合、政治的発言でもエロティックな話題でもなんでもなく、高校球児へのお気楽な応援気分の記述がいわゆる「炎上」を招きそうになったわけで、あんまり笑えず誇れずトホホだが、逆に考えさせられもした。。。2ちゃんねる掲示板を経由して、一気に押し寄せてきて、挨拶抜きで、当たり前のことを鬼の首とったようにわめき散らす、礼儀知らずの面々の寂しき日常について。。。

「でも、ブログをしっかり毎日読んでくれるような人も必ずいるから、これからもブログは大切したほうがいいわよ。そういう人は、いつかどこかで、目の前に現れてくれたりするからね。ブログは休んでも、せいぜい3日ぐらいにしたほうがいいわね。わたしもよく落ち込んでブログもサボるけど、4日目ぐらいには、少しでもいいから書く。読者を離れさせちゃだめよ。ブログも仕事だと思えばいいのよ」
 と、ありがたーいアドバイスまでいただいた。そもそも、わたしがブログを始めたのも、真生さんの影響が、少なからずある。
 名著『沖縄ソウル』(太田出版)同様の、真生さんの「バラしバラし赤裸々人生」ブログにふれるうち、おいらも、もう少し「心を裸にする作業」をしてみよう、と思えるようになったのだ。そう思ったら、気持ちがずいぶん楽になった。
 こう見えて(どう見えて?)日々悩み多きわたくしめ、石川真生さんは、そんなわたくしめに刺激やパワーを与えつづけてくれているわけなのである。

 ところで、ありがたついでの訂正をひとつ。
 真生さんはブログで、わたしの単行本が一段落したかのように書いてくださっているが、これはわたしの説明が下手だったのだと思う。要するに、まだ、終わってはいません。
 このたびの束の間のランチデートも、わたしの住まいの「庭先」まで、真生さんに足を運んでいただいたからこそ、可能だったわけであります。遠出できないぐらい、尻に点いた火が、頭のてっぺんまできて燃え盛ってます。ですから、まだきょうからも、がんばります(冷や汗、大汗。。。)。

 真生さんもこの秋は、写真集を出す予定があるとのこと(きっとわたしの本より、先に出ますね! 皆さん、真生さんのブログを時々チェックしてくださいね)。
 さらなる写真展の計画や、今抱えている未発表のテーマについても、きちんとお話を聞けたのだけれど、これもやはり、ご本人のブログでの発表を待ちたいと思う。

 わたしはこの日、今抱えている単行本が仕上がったら、いよいよ真生さんの取材現場にも「追っかけ取材」しますよ、と申し込んだ。ゆっくりお話できて、ますますそう思ったのだ。
 これは、真生さんに対して、この貧乏ライターの取材に、ボランティア的に協力しろ、と迫っているようなものである。すると真生さんは、
「その場合、2つ条件があるわよ。運転手、荷物持ち。取材のとき、この二つをやってくれること!」
 と笑顔で返してくれた。こういうギブ・アンド・テイクの精神は、大変ありがたい。

 真生さん、きのうはわざわざ出向いていただき、本当にありがとうございました。
 そして、今後ともよろしくお願いします。

 本日も良き一日になりますように。

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