やはり後回しにすることなく、書いておきたい。
12月27日(月)の午後、大恩人・金城清子さん(沖縄尚学高校ボクシング部監督・金城眞吉氏夫人)の四十九日の法要が、首里石嶺の金城家で営まれた。
家族・親戚・教え子・友人の集うその場に、わたしも同席させていただいた。
若い僧侶だが、しっかりした読経だった。誠意をこめて故人を偲ぶ、ごく真っ当な法話だった。
そしてしみじみ思った。
教え子たちからも「奥さん」と呼ばれ、信頼され、慕われていた故人の愛情を、わたしもこの18年間にわたって、いかにたくさん享受してきたことか、と。
幾度となく頂いた手料理の数々。その腕前は、プロ級だった。もてなしの「心」とはこのことを言うのだ、と感じ入る料理だった。金城家にお邪魔するたびに、本物のウチナー家庭料理の数々を頂き、お世辞でも大げさな物言いでもなく、本当に繰り返し感動を覚えたものである。
また、その語りは、いつでも真っすぐで曇りがなく、聞く者を励ます力があった。
わたしの取材に対して、いつでも真摯に答えて下さったことはもちろんだが、時にはある取材対象の出来事に関して頭を抱えてこぼすわたしのグチをも、じつに大らかに、当方に共感の姿勢を示しつつ受け止めてくださったものである。それだけでこちらは安堵し、心強い思いがした。
ありがとうございます、奥さん。
ご恩は、決して忘れません。
七日ごとにお線香をあげさせていただきながら、胸のうちで最も多く、最も強く繰り返した言葉は「ありがとうございます」、だった気がする。
今、改めて申し上げたいのは、どうぞあちらで、ゆっくりと安心してお休みください、ということである。
さらに、この四十九日間、別の思いもしみじみと抱いた。
沖縄流の「別れの儀式」の丁寧さ、である。
死者と向き合う生者の、心構えの見事さ、である。
いまどきのヤマトでは、葬儀の日に初七日も済ませ、あとは四十九日へと飛んでしまうのが普通である。
しかし沖縄では、七日ごとに家族が客人を迎える準備をしっかり整え、7週間、きっちりとおつとめを果たす。わたしはありがたいことに、四十九日まで七日ごとに必ずお線香をあげさせていただくことができた。本当にお線香をあげさせていただくのみで、すぐにおいとましてしまう日も何度かあり、金城監督はじめご家族には、かえって失礼かと思いつつも、わたしはわがままを通させていただいた。そうして沖縄流の「お見送り」の仕方を体験させていただきながら、故人への感謝の思いが深まっていくのを実感できた。
わたしの身近な人には、「毎週行くというのは、よほど親しく感じている人のところだね」と言われた。わたしの気持ちとしては、ただ親しく感じる、というのとは違った。くどいようだが、大恩人なのだ。
沖縄へ取材で通い始めた18年前から、様々な意味で大きな力を与えつづけてくださった方なのである。
もっともっとたくさんお会いしていろいろとお話を伺いたかった、という思いを今も強く抱いている。
けれど、そればかり思っていても仕方がない。これからは、故人がわたしに、あるいは世の人びとに対して、本当に伝えたかったことはいったいなんなのか、振り返り、かみ締める作業をさせていただきたいと思う。
それは、わたしが今この島に住まわせてもらっている意味を本当に知る、そのことに通じる、大切な作業なのだと思う。
ありがとうございます、奥さん。
合掌。