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2019年03月30日

「県民の声」100人委員会に関する報道について 沖縄タイムス 大野亨恭記者に問う

【沖縄タイムス 大野亨恭記者に問う】

沖縄タイムス3月24日付2面、政経部・大野亨恭記者が書いた署名記事には、わが目を疑った。

官邸記者クラブの記者たちほどではないにしても、(県政与党側の)権力に寄り添い、市井の有権者のごく普通の感覚から遠く離れた地点に立つ記者がここにいる。そう認識させられ、絶望感に苛まれ、憤りを禁じ得ないのだった。
沖縄地元紙記者よ、おまえもか、という思いさえ生じ、6日後の今も、この思いを拭い去ることができないでいる。
筆者には他にやらねばならぬことは山ほどあるのだが、「県民の声」100人委員会の超短期間の署名活動が最後の大切な土曜、日曜の2日間を迎えた今、この劣悪記事とこれを書いた記者の姿勢を看過するわけにはいかない、という思いが再度首をもたげた。こんな記事内容で事の本質を矮小化されてはたまらない。よって、あえて今、貴重な時間を割き、厳しく批判をさせてもらう次第である。
「県民の声」100人委員会に関する報道について 沖縄タイムス 大野亨恭記者に問う

初めにお断りしておくが、ここに書くのは、多様な思想信条・政治的主張立場を持つ個人の集まりである100人委の総意ではなく、渡瀬個人の見解である。
メンバーの一人ひとりがそれぞれに見解を述べるとき、やはり厳密にいえば、その見解が100人委を代表するものと定めることはできない。
ただ、このスタイルに対してのご意見も複数の方から頂戴している。一人の代表者でなくてよいから、複数の共同世話人ぐらいは定めて、対外的な責任の所在は明らかにしたほうがよい、との助言である。そしてこれを受けて100人委としても、近々共同世話人を定める方向で話し合っているところだ。

さて本題に入る。
まず第一に、この記事を書いた大野記者は「県民の声」100人委員会のまとめた「調整会議」関係各位宛ての「要望書」(3月15日発表)を読まずに書いているのではないか。筆者はそんな疑念を抱いた。
なぜなら、読んだ上で冒頭から《候補者擁立を巡り、社大党と一部市民の間で不況和音が生じている》《一部市民らはその手続きが不透明だとしての選考やり直しを求めている》と書いたのだとすれば、「県民の声」100人委員会の問題提起そのものを、最初から矮小化する意図をもった「確信犯」と断じざるを得ないからだ。

ずばり言うが、今回の100人委のアクションに対して「一部市民」が社大党に「選考のやり直し」を求めている、としか受け取ることができないのなら、それは明らかに事実誤認であり、そうして書かれた記事は「誤報」と断じざるを得ないものだ。

今回100人委が社大党への公開質問状の形を取らず、「調整会議」関係各位宛ての要望書公表へと踏み切ったのは、今夏の参院選に向けた候補者選考の「選考過程の不透明性、決定の強引さ」の問題点を、社大党ひとりの責任とせず、今後の重要選挙も視野に入れた「開かれた候補者選考方法」を見出すために、いわゆる「オール沖縄」を成り立たせている他の政党や団体の関係者の皆さんにも、わが事として受け止めてもらい、問題解決に身を乗り出していただきたい、という思いが働いているためだ。
しかし大野記者は、社大党執行部がまともな話し合いも経ずに現職の糸数慶子参議院議員に「引退勧告」を突き付けたまま、事態の改善に真剣に乗り出さままぬに時を過ごしてしまったことに対して、無批判である。いや、その姿勢を間接的に肯定する「与党関係者の思惑の追認記事」を書き続けている。

あるいは、本文冒頭で100人委メンバーの実名を一人だけさらしながら、その意見の一部をクローズアップしその人を矢面に立たせ、しかし一方では、「与党関係者」「与党幹部の一人」という匿名記述の仕方で、議員等公人の立場にあるであろう人々を守っている。
これは、じつは3月15日会見直後の16日付の琉球新報記事にも見られたおぞましい姿勢であり、大野記者のみならず沖縄地元2紙関係者の皆さんが共有すべき重大かつ深刻な問題だと筆者は考えている。

さて、大野記者の記述への具体的批判に戻る。
社大党・大城一馬委員長の今回の候補者選考が「準公募」に当たるという認識を無批判に紹介した直後、匿名の「党関係者」を登場させ、そのコメントをこう記している。
「世代交代を求める声は大きかった。本人に勇退を求めており、手続きに不備はない。不満を持っているのは糸数氏を慕う一部の市民だ」

もちろん事の発端は、今夏の参院選に向けて意欲を示していた現職の糸数慶子参議院議員が所属政党から引退勧告を受け、そして外部から高良鉄美琉大法科大学院教授(3月末で定年退職)が担ぎ出された過程があまりにもわかりにくいため、多くの市民の間に疑問や不安や不満が生じたことにある。そこには糸数氏支持層の人々も当然含まれる。
しかし、159名に上る100人委の呼びかけ人には、筆者が3月22日付沖縄タイムスに寄稿した「論壇」での指摘の通り、選挙で糸数氏に票を入れたことのない人、糸数氏ありきの活動ではないから参加した人、あるいは高良鉄美氏を応援したい人もいる。
つまりは、一党への批判というレベルを超えた、選挙のあり方自体を見つめ直すための、大きな問題提起なのである。

それから次の問題点は、大野記者のみ、沖縄タイムスのみに限定しての批判ではないのだが、当事者にバランスよく丁寧に取材することを欠いたまま、一方の言い分のみで記事を書き殴るのはいかがなものだろうか。胸に手を当て、取材者としての自らの姿勢を厳しく問うてほしい。
今回の参院選候補者報道のケースで言えば、沖縄タイムスも琉球新報も、圧倒的に社大党執行部の思惑やそれを支持する他党・団体幹部のリーク情報に頼って記事を書き続けている。

その弊害が、この3月24日付記事にも如実に表れている。
大野記者はこう書く。
《こうした不和は高良氏の立候補表明のスケジュールに影響も生じている。しこりを解消し、支援を求めたい高良氏は糸数氏へ面会を求めているがまだ実現しておらず、当初、15日に予定していた出馬受諾会見は延期となっている》

この書き方では、読者は、あたかも糸数氏が面会を拒んでいるかの印象を受ける。
しかしこれは、典型的な事実誤認に基づいた書き方である。あるいは取材不足を露呈した書き方だ。

わたしが間違いなく把握している事実をここに記そう。
状況はまったく違ったものとして見えてくるはずだ。

昨年12月に糸数慶子参議院議員が社大党執行部から引退勧告を受けた。当初は世代交代が目的と伝えられた。しかし、党内の若手にバトンタッチする気配が見えないまま、唐突に外部から高良鉄美琉大教授を招く形での擁立を発表。糸数氏は年が明けてからも出馬意欲を示していると伝えられたが、一転して1月10日には参院選不出馬会見に踏み切る。この会見の重みは否めない。党から理不尽なな引退勧告を受けて間もなく、なぜそんなに急いで会見をしなければいけないのか、と、不満を抱く支持者が多かったのも事実だ。党執行部からみれば、意外や思惑通りの展開と言えた。この会見を盾に取って、糸数氏に高良氏の選挙への全面協力を約束させることができる。
だがしかし、ここに至る経緯は単純なものではない。経緯のすべてを簡単にここに書き切ることができぬほどに、様々な状況があったのだと、いまこの時点では、そこまで記すにとどめておく。

ただ参考までに、糸数慶子後援会共同代表の池宮城紀夫弁護士が1月10日の記者会見で何を述べたか。新聞記者が伝えていないその内容を、ここに紹介しておこう。
「後援会としては、極めて不明瞭な選考過程であり、そういう社大党の今回の対応については納得できないというのが、後援会の全員の意見でした。もっときちんとした対応で段階を踏んだ上で慶子さんに引退を求めてきたというなら、まだ理解できるんですが、今回ご本人とわたくしに対して、すぐ引退してくれ、という突然の申し入れでしたから、後援会としては、それはおかしいんじゃないか、というのが、これまでの意見であります」
さらに池宮城弁護士は、そのような不明瞭な候補者選考が今後のいわゆる「オール沖縄」の選挙に与える影響についての問いには、このように答えていた。
「今後そういう形での選考がなされると、これまでオール沖縄に結集してきた大きな力が殺がれる危険性もあるんじゃないかと懸念しています」

この会見で、党に対する気持ちを問われた糸数氏は、あえて一切答えなかった。党に対する思いはいずれ語る機会も出てくるはずだから、と述べるにとどめた。いわゆる「オール沖縄」を分断して安倍政権を利するような事だけは回避しなければならない、というギリギリの「我慢」がむしろ色濃く感じられる記者会見だった。

さて、いまここに書いたのは、取材者として質問もした記者会見の内実である。
そのことと、わたしがこの度「県民の声」100人委員会の呼びかけ人メンバーの一人であることとは、しっかり区別して考えるべきだと思っている。

筆者のように、取材者であり知人でもあるという立場で糸数氏と直接語り合って心の動きを把握し続けてきた者は、そう多くないことはわかっている。一方では、年明けから3月半ばまで、同様の意味で、高良鉄美氏に繰り返しお会いし続け、同じくその揺れる思いを把握し続けてきた立場にもある。書けること書けないことを明確に峻別する責任があると思っている。

だがしかし、大野記者のように、一方の側の言い分だけを受け止めて、糸数氏が当事者間の関係修復を拒んでいるかのような誤解を生じさせる書き方は、厳しく批判したい。非常にきびしい書き方をすれば、高良氏は、これまで幾度となくチャンスがあったにもかかわらず、糸数氏の本当の気持ちを確かめることをしてこなかった。いや、高良氏がそうしようとしても、後ろでストップをかける人物さえいた。3月後半になって、高良氏は別の人物から強い助言を受けて糸数氏に頻繁に電話を入れるようにはなっているが、それだけをもって高良氏側が正しいとは言い切れない実情がある。
あるいは、社大党執行部側も、後援会でさえ納得しがたい「引退勧告」を糸数氏に突き付けたまま、平然と時を過ごしてきた。それで、選挙のときだけは協力しろ、などと言おうとしているなら、そんな理屈は常識はずれもよいところである。

大野記者の取材姿勢について総じていえば、これまで重要な当事者である糸数氏への取材が希薄であり、記事を書く裏付けは、社大執行部のリーク情報とその思惑を支持する「与党関係者」のコメントに頼っている。
だから、「県民の声」100人委員会の要望書公表と賛同署名活動についても、あらかじめ先入観を持ち、「既定路線」に抗議する「一部市民」としかとらえられないのである。

ここで強調しておきたいのは、この文章は大野記者への「個人攻撃」などでは断じてない、ということ。じつは筆者は、彼のこれまでの報道姿勢と15日の記者会見の捉え方への批判を直接伝えたくて、19日に那覇市内で1時間ほど面談している。

彼はそのとき、選挙に関する自身の取材姿勢について、従来の「政党政治」の枠組みでの動きを重んじて報道せざるを得ない立場を正直に表明していた。わたしは、彼のそのスタンスに干渉できるとは思っていないことも告げた。しかし、従来の枠組みと違う市民の動きが出てきたときには、もう少し温かい眼差しで取材してほしい、ということだけは強く伝えたつもりだ。彼は「また、書き方がおかしい、と思ったら言ってください」と言い残し、互いに笑顔で別れたものである。

筆者は3月22日付沖縄タイムス「論壇」の中で、こう指摘した。
《この100人委の主張は、「要望書」の内容がすべてだ。インターネットで《チェンジオルグ 「県民の声」100人委員会》と検索すれば、署名サイトで「要望書」と同内容の文面も、呼びかけ人リストも確認できる。多くの方にご覧いただきたい。
事の発端は、今夏の参院選に向けた社大党の候補者選考過程のわかりにくさにある。4期目に意欲を示す現職議員が出馬辞退を余儀なくされた事情の説明がないままでは、現職を支持してきた多くの一般有権者の間に不安感と不満が広がるのも無理はなかった。
本紙報道も、その不可解さを不問に付したまま候補者決定の既成事実化を手伝い、不安と不満を世間に広めた責任は否めない》
「県民の声」100人委員会に関する報道について 沖縄タイムス 大野亨恭記者に問う
その2日後の大野記者の24日付の署名記事。これはもう、名指しで批判せよ、というに等しい「確信犯」ぶりである。だから、こうして批判記事を書くことになった。
最低限のことを書くだけで、5000字を費やしてしまった。最後までお付き合いくださった読者諸賢には感謝申し上げたい。誠にありがとうございます。
もちろん大野記者からの反論も大歓迎である。
繰り返しになるが、この文章は大野記者への「個人攻撃」などであるはずもなく、一人でも多くのメディア関係者や読者・視聴者に共有してほしい筆者なりのささなやかな「問題提起」である。
それは、「県民の声」100人委員会が「社大党攻撃」をしたいのではなく、多くの有権者や「オール沖縄」関係者が、候補者選考問題を広く議論するために「問題提起」をしたという事実と、根っこのところでしっかり通じている話なのだから。



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Posted by watanatsu at 07:49 │時事問題