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2009年08月14日

米軍ヘリ墜落炎上から丸5年。

 きょうは一日、自室にこもっていた。
 5年前の手帳で、8月13日前後を確かめてみた。
 移住前、取材のために頻繁に(毎月のように)東京と沖縄を往復していた年。8月13日の1週間ほど前、沖縄での取材(主にボクサーたちの取材)が一段落したわたしは、東京への飛行機に乗っている。再び沖縄に向かうのは、9月下旬である。

 正直に記そう。その手帳の8月13日の欄に、「沖縄国際大学に米軍ヘリ墜落」のメモはない。
 しかし、ニュースはもちろんよく覚えている。

 普天間基地がいかに危険な飛行場か、延々と指摘されてきたわけだが、未だに閉鎖されていない。5年前、2004年8月13日、恐れていた大事故が起こった。
 基地を離陸直後の米軍海兵隊の大型ヘリコプターが、沖縄国際大の校舎に激突、そして炎上したのである。
 たまたま夏休みで、大学構内に人通りは少なく、ケガ人はなかった。
 しかし、だからよかった、などという問題ではない。

 現場を目撃した人たちが、怒りをこめて語るのは、次の点だ。
 米軍は、現場を6日間も封鎖して、日本の警察や消防の現場検証を許さなかった。それが、日米安保(日米地位協定)の実態。。。

                         *

 県外の皆さん、にわかに信じ難い話でしょう。まるで植民地じゃないか、と思うでしょう。わたしも、沖縄に頻繁に通ったり、住むことがなければ、おそらくこの実態も、未だに実感できないままだったと思います。

 みんな普段気にも留めていないのはなぜでしょう。東京発のニュースで滅多に扱われないのだから、無理もない、という気はしています。
 ちなみにあの日、手持ちのカメラを現場に向けようとした市民が、米兵から強く制された場面に遭遇して、つくづく「大きな壁」を感じたという証言も、沖縄ローカルのニュースは、本日ちゃんと伝えているんですが。。。。

 わたしは夕方から夜にかけて、テレビニュースを気にして見ていました。沖縄のローカルニュースは別として、「あれから5年」というトピックスの扱いをした東京発のニュースは、わたしの見た限り、NHKの「ニュース7」だけでした(もし、ほかに見落としていたら、ごめんなさい)。

 この沖縄には、あまりにも、米軍基地にまつわる危険やリスクが集中しすぎています。
 このことは、繰り返し、県外の皆さんに訴えてもよいことなのだと思います。

 あ、日付が変わってました。本日もまた、良き一日になりますように。



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Posted by watanatsu at 00:22 │時事問題
この記事へのコメント
はじめまして。

この事故の事はよく憶えています。
僕の当時の手帳には
“沖縄で米軍海兵隊ヘリの事故”とだけ書いてあります。

当時、組合活動をしていて、
日米地位協定について、少し勉強した事があって、
ちょうど、同時期の事故がメモさせたんだと思います。

もう5年なんですね。

衆議院議員選挙の時期で、
日米安保など、意識付けを変えるチャンスなのに、
報道の少なさは確かに残念ですね。
(僕もブログにも触れませんでしたし…。)
Posted by myaomyao at 2009年08月14日 12:32
myaoさん
はじめまして。
県外からの声(で、よかったですよね)、大歓迎です。
沖縄のメディアが、まめに伝えている「基地問題」、
ほとんど報道しない本土メディアとの温度差を、
いつもいつも感じさせられています。
一方、頻繁に基地関係の報道に接しているはずの
ウチナーンチュの友人たちからよく聞くのは、
「慣れっこになってしまっているねー」
「感覚が麻痺してしまっているさぁねー」
といった声。これも案外、大きな問題かもしれません。
いずれにしても、日米地位協定の改定に向けて、
すみやかに取り組んでくれる政権でないと困りますよね。
コメントありがとうございました。
Posted by natsuhiko watasenatsuhiko watase at 2009年08月14日 16:53
始めまして、渡瀬さん
あの事故(事件?)から、もう5年なんですね。
確かに、沖縄の人は『沖縄に外人が居る』事に慣れてしまっているんだと思います。
何年か前の少女誘拐・監禁事件にしても
彼女達、又は、沖縄の住人は、沖縄に米軍が居て当たり前の生活をしてきました。
だから彼女は外人に着いていった・・・
???不思議に思いますよね??多分・・

これは、『外人全てが悪い人では無い!』と言う事です
少なくとも、私の知っている軍人さんは、みんないい方ばかりでしたし・・・
それでも安易に着いていくのはどうかとは思いますが・・・(発言が矛盾ですね、すみません・・・)

それと同じように、沖縄の基地問題は複雑です。
なぜか??
それは、『米軍はいらない、出て行け』と言う一方で、軍用地代を収入源に生活して居る方がかなり居る・・・と言う事
それが『沖縄から基地がなくならない理由』のひとつだと思います。
もし、沖縄から本当に基地が無くなってしまったら・・・恐らく、かなりの方がたちまち生活できなくなってしまうでしょう。
確かに、危険と背中合わせなんですが、『本気でNO』と言えない
そんな沖縄の複雑な心情もあります。

もう大分前、同じように何らかの米軍の問題があり、全国放送でもかなり取り上げられていた事がありました(どんな事件だったか覚えていませんが・・・)
その時、街頭インタビューをしていたんですが・・・
やはり『外人は、出て行って欲しい』とか『基地なんてあるからこんな事件が起こるんだ!』と言ったような答えの中、未だに印象に残っている答えがひとつ・・・
『確かに事故や事件があって、基地が有るのはイヤですが、うちの両親は軍用地料で生活をしています。だから、無くなるとうちの家族は生活していけなくなります』・・・と、高校の制服を着た男の子でした。
それがもっと私の気持ちを複雑にしたのが、それが放送で流れたのが1回・・・その後、同じニュースが流れ、他の方のインタビューは流れるのにその子のインタビューは私が覚えている限りでは、その1回限りでした。
何とも複雑な『大人の世界』を感じ残念に思いました。

コメントなのに長々と書いてしまいすみませんm(__)m
言いたい放題ですね、お気を悪くされたらすみません
沖縄の夏は年々厳しくなっています、取材等、熱中症には気を付けて下さいませ・・・m(__)m
Posted by たかりんこたかりんこ at 2009年08月15日 00:54
あれから5年ですね。
15日沖国大で開かれるシンポジウムに行きたいけど
時間が取れずに歯がゆい思いをしております。

この事故が報道された時は町子の小学校時代の
恩師(宮森小ジェット機墜落事故の当事者)の話を思い出しました。
本当に戦時中、戦後、そして今と
何ら状況は変わらないという現実がありますよね。

去年はほぼ一年間福岡にいたのですが
やっぱり沖縄の情報はほとんど入ってきませんでした。
本土メディアとの温度差は非常に感じるところです。

危険はあらかじめ承知しておきながら
事件が起きないかぎり何もしないというのも
場当たり的というか対処療法的というか・・いかがなものでしょう。
Posted by なかの町子なかの町子 at 2009年08月15日 01:08
たかりんこさん
はじめまして。
わたしのブログが、たかりんこさんの琴線の何処かにふれるものがあって、
こうしてコメントを残していただけたものと理解し、感謝しております。
たかりんこさんご指摘の「本気でNOと言えない」
沖縄のジレンマというべき心情については、軽んじてはいけない
古くて新しいテーマだと、わたしも思います。
ただ、基地がなければ沖縄の経済が成り立たない、
という状況に仕向けているものはなんなのか、だれがいったい
そう思い込ますように仕向けているのか、については
冷静に見つめる目は持ちたいと思っています。
きれいごとでは済まない問題なので、
よく言われる「基地返還後のプラン」が、軍用地主の人々をも
納得させるものでなければ、事はなかなか前へ進まないですよね。
「基地返還反対」という笑えない話は、当然出てきてしまいます。

ただわたしはいろいろと希望を感じることがあります。
一例です。「親が米兵相手の商売をして儲けたから、今の俺がいるんだよ」
というコザ出身の知り合いがいます。しかし、彼は二度と戦争を起こさない
ために何ができるか、日ごろから真剣に考えて行動している人です。
「沖縄のジレンマ」をしっかり大切に胸に抱えて、
なおかつ前向きに生きていこうとしている人びとのいる島、
それがこの沖縄だ、とも言えるのではないでしょうか。

最後にやはりお伝えしたいなー、と思うのは、
沖縄をまるで植民地のようにさせてしまう「日米地位協定」について。
これが現状のままでよい、と考える人は、
政治的立場を超えて、ほとんどいないのではないか、
ということ(くだんの高校の制服を着た男の子もきっと
わかってくれるでしょう)。そこだけでも、早急に変えていかなければ
いけない。まだまだ不勉強極まりないわたしですが、
しかしそんなわたしでも、それぐらいは、自信をもって申し上げられる
ことなんですよね。

たしかに厳しい暑さがつづいてますね。お気遣いありがとうございます。
昼間、扇風機ですごしているわたしなど、
すでにちょっと夏バテ気味です(苦笑)。
たかりんこさんもお忙しい毎日と存じます。
お互いからだをいたわりつつ、暑さを乗り切ってまいりましょう。
Posted by natsuhiko watasenatsuhiko watase at 2009年08月15日 10:16
なかの町子さん
宮森小の墜落事故の当事者が、小学校時代の先生だったとは。。。
恩師の方は、きっと「体験」を風化させずに、
子供たちにしっかり伝えようと努めておられたんでしょうね。

それから、町子さんの療養生活は、じつは福岡だったのですか。
いろんな意味で、お帰りなさい、ですね。

本日のシンポジウムについては、
不勉強につき、知りませんでした。
きょうの夕方まで、沖国大で映像・写真展が行われている、
というのは知っていたのですが。
これも、今行けるかどうか、ちょっぴり悩んでます。
なにしろ、目の前に書くべき原稿を複数抱えていて、
ちょっと尻に火がついた状態なので。。。。

でも、曲がりなりにもブログでこの問題を取り上げた以上、
わたしの「終戦記念日」は、「米軍ヘリ墜落現場」の
沖国大で過ごすべきかもなー、と、今また迷ってます。

おっしゃるとおり、対処療法じゃない根本治療とはなにか、
ほんとにみーんなで考えないといけないですよね。
これってほんとに、難しいことではありますが。。。
Posted by natsuhiko watasenatsuhiko watase at 2009年08月15日 10:34