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2013年05月11日

辺野古キャンプシュワブ・ゲート前での「ピース・キャンドル」のこと。

辺野古キャンプシュワブ・ゲート前での「ピース・キャンドル」のこと。



前回、渡具知武清さんファミリーが毎週土曜日に続けている「ピース・キャンドル」http://kichi-iranai.jp/d_10kumovement/a_news/20060828/200600828.html に参加したと書いた。
2006年から続いている。正確には、渡具知さんの妻・智佳子さんとともに「ヘリ基地いらない二見以北十区の会」代表を務める浦島悦子さんも加わっての息の長い「基地建設反対運動」である。
声高な叫びをあげるわけでもなく、ロウソクの灯をかかげ、道行く人やドライバーに手を振り続ける。静かなしずかな平和運動である。

土曜日の夕方はなにかとスポーツ取材の予定が入ることが多くて、わたしとしてはしょっちゅう参加できるわけではないことが心苦しいのだが、しかし、参加できたときのいちばんの楽しみは、渡具知家の子どもたちとの会話である。

とくに現在高校1年生の武龍君との会話は、彼が中学生ぐらいになったころから、社会問題からスポーツ、学校生活まで、話題も多岐にわたるようになり、その目覚ましい成長ぶりに感激することの連続であった。

4月の終わりに会った時、彼にこう訊ねた。「参加できなくて残念だったけど、4月5日の名護市民の集会では、何を話したの?」
彼が登壇してスピーチしたことをニュースとしては知っていたからである。
すると彼は、とても緊張したことを照れつつ語り、「内容は10区の会のホームページのブログに載っていると思います」と教えてくれたのだ。
「あ、そうか。最近、ちゃんとチェックするの、サボってた!!(汗)。見ておくね!!」と返答したわたくしめである。

市民集会に関する浦島悦子さんの報告のなかに、ちゃんと載っていたので、以下に全文引用させていただきます。
↓↓↓
http://kichi-iranai.jp/d_10kumovement/a_news/20130407/20130407.html

【辺野古埋め立て申請撤回を求める緊急市民集会】での渡具知武龍君のスピーチ

会場にお集まりの皆さんこんばんは。
僕は辺野古集落と大浦湾をはさんだ対岸にある瀬嵩に住んでいる渡具知武龍といいます。今日は新基地建設に反対する思いを皆さんに聞いてもらいたくてここにたたせていただきました。

 僕は1997年、名護市民投票の年に生まれました。そしてその年、この普天間基地の辺野古移設計画は消えるはずでした。なぜなら1997年12月21日は名護市民がいろんな圧力に屈することなく、普天間基地の辺野古への移設にNOを突きつけた日だからです。しかし、比嘉元名護市長の基地受け入れ表明によりその日は日米両政府との新たな戦いの日々の始まりの日となってしまいました。

 僕は小さいときから親に連れられさまざまな集会に参加してきました。しかし幼かった僕には訳が分からず、ただつまらない話にしか聞こえませんでした。しかし、小学校高学年になり、色々考えられるようになると次第に基地の危険性がわかってきました。米兵による事件、事故、いつ落ちてくるか分からない米軍機への恐怖、そしてそれがもたらす爆音被害、環境への多大な影響。小学生だった僕にでも基地の怖さが分かったのですから基地を作ろうとしている大人の皆さんはそれこそ十二分承知のはずです。県民の思いを無視してでもなお新基地を作ろうとする日本政府に僕はただただ疑問と怒りを覚えてなりません。

 あの市民投票から16年がたちました。その間に沖国大にはヘリが落ちました。米兵が何百件と事件を起こしました。それでも政府は考えるどころか欠陥機であるオスプレイをも配備させたではではありませんか。沖縄県民にこれ程ひどいしうちをしておきながらなお、沖縄県民の理解を求めようとする日本政府のやり方にあきれてしまいます。根底から間違っているのに理解もなにもないじゃないですか。

 子どもにでも分かるんです。戦争をしないと誓った島の上を、軍用機が我が物顔で飛ぶのはおかしい事だと。美しい海を埋め立ててまで人殺しのための基地を作るのはまちがっていることだと。僕たちこどもは皆さんに比べれば微力かもしれません。でも僕たちはいつ、どんな時でも、大人たちの行動を見ています。平和を願う気持ちに大人・子どもは関係ありません。ウチナーンチュの誇り、そして美しい自然を守るために、僕はこれからも一所懸命がんばりたいと思いますので、これからもよろしくお願いします。

 どうもありがとうございました。

(引用終了)

要するにわたしも、1997年当時、「基地建設反対」の民意を明確に示した名護市民投票の長期取材で名護市東海岸に通ったり滞在したりしており、生まれたばかりの赤ん坊頃から、武龍君を知っている者のひとりなのである。

そして今年の4月28日(つまりピース・キャンドルの翌日)、宜野湾市海浜公園屋外劇場でも、渡具知ファミリーの姿を発見できたのであった。
(次回、写真絵日記へつづく)

さて、これから、bjリーグ・カンファレンス・セミファイナル「琉球ゴールデンキングスvs.京都ハンナリーズ」@宜野湾市立体育館。観戦・取材に出かけます!!


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Posted by watanatsu at 10:15 │時事問題身辺雑記