2009年06月12日
垂見健吾さんのこと
きょうの昼、そば(または、すば、といえば沖縄そばのことです、もちろん)を食べようと思って、牧志公設市場界隈まで散歩してきた(はい、歩いて行ける距離です。ちょくちょくブラついてます)。
貧乏人は安いものがどこにあるか、よーく知っている(わたしのことです、もちろん)。
この店のソーキそば(たしか店の名前は「田舎」だったと思う)、軟骨ソーキが2個のっかって350円。今どきこの値段は珍しい。ちゃんとお腹ふくれるし、味のほうまで贅沢はいいません(失礼!)。いやいや、リーズナブルな値段だと思っているから、たまに食べにくるのです。
で、店を出たところの眼の前に、懐かしい顔があった。「南方写真師」として有名な垂見健吾さんである。
正確にいうと、そば屋に入る前に、そば屋のハス向かいにあるところの「南の島のフランス食堂」(これは本で言えばサブタイトルで、店名までは覚えていません、あしからず)の路上に置いたテーブルで、食事しているタルケンさんの姿に気づいてはいたが、どなたかと熱心に話しこまれている様子だったので、声をかけなかった。
で、そばを食べ終えてから挨拶したのだ。親しい人の間では、「タルケンおじぃ」とか、場合によってはただの「おじぃ」とか呼ばれていたりする。わたしは「タルケンさん」と呼ばせていただいている。
「タルケンさん、お久しぶりです」
一瞬、誰だっけ? という顔をされてしまったので、
「ライターの渡瀬です。ごぶさたしました」
と、言い直す。
「おー、おうおう。今はこっちに住んでるんだった?」
「はいそうですよ。タルケンさんは、今も東京とこっちと行ったり来たりですか」
「うん、そう。きょうはたまたま市場の取材で来たわけさ」
「この店、おいしいですか?」
「うん、うまい!」とタルケンさんは間髪いれず答えて親指を立てつつ、続けた。
「これだけ食って、千円のセットなら、価値あるよー」
ほんとに満足そうに教えてくれた。
「ありがとうございます。今度来てみますよ」
貧乏人は、こうして役立つ情報を増やしていくのである。
タルケンさんが、私を思い出しにくかった理由は、少し思い当たるフシがあった。
ヘアスタイルが違ったのだ。ときどき飲み屋でお会いしていたころ、わたしは丸坊主だった。今はごく普通に髪が生えている。その違い・・・、ばかにならないよね。
タルケンさんとは、わたしが仕事上の取材先としての沖縄に頻繁に通うようになった十数年前、すなわち1992年ぐらいから何度も何度もお会いしている。それは、共通の知り合いの唄者、ミュージシャンのライヴ会場だったり、共通の知り合いの経営する居酒屋やBARの酒宴の席においてだったりしたから、仕事上の接点はないままだった。
その間、タルケンさんの作品には、ずーっと注目させてもらってきている。これまで、数え切れないほど秀逸な写真を発表してきた大御所だが、いつも素朴な味わいの消えない人柄が信頼できる、そういう写真家。風景を撮らせてもすばらしいけれど、やはり真骨頂は人物写真であろう。沖縄島や離島の到る所で、子供やおじぃやおばぁが、タルケンさんのカメラの前で心を開く。それが手に取るように伝わってくるのである。
それから、作家の池澤夏樹さん(わたしも面識あります!)とのコンビの一連の仕事も、わたしは結構好きだった。
しかし今、記憶をたどっていて、はたと思い出した。一度だけ、仕事をご一緒させてもらっている。
このところの出版不況で休刊になった雑誌のひとつ、スポーツ総合月刊誌の『VS(バーサス)』(光文社発行)が、沖縄特集を組んだとき、わたしにその特集の巻頭エッセイ執筆の依頼があり、タイトルページを含めて4ページ、タルケンさんの写真とわたしの文章のコラボが成立していたのである。取材旅行をともにしたわけではないけれども、立派に「仕事をご一緒」させてもらっていたわけだ。
こういう人と、ぶらぶら散歩しているだけで普通にお会いしてしまうということ、これも沖縄の良さである。今、当時の雑誌記事を読み返してみた。手前味噌ながら、結構まともなことを書いているではないか。
というわけなので(きょうは時間の余裕と心の余裕がある感じなので)、今夜、数年前のその雑誌記事をブログに再録してみたいと思います。
ちなみにエッセイのタイトルは、「沖縄、人を育てる島。」
お楽しみに。
貧乏人は安いものがどこにあるか、よーく知っている(わたしのことです、もちろん)。
この店のソーキそば(たしか店の名前は「田舎」だったと思う)、軟骨ソーキが2個のっかって350円。今どきこの値段は珍しい。ちゃんとお腹ふくれるし、味のほうまで贅沢はいいません(失礼!)。いやいや、リーズナブルな値段だと思っているから、たまに食べにくるのです。
で、店を出たところの眼の前に、懐かしい顔があった。「南方写真師」として有名な垂見健吾さんである。
正確にいうと、そば屋に入る前に、そば屋のハス向かいにあるところの「南の島のフランス食堂」(これは本で言えばサブタイトルで、店名までは覚えていません、あしからず)の路上に置いたテーブルで、食事しているタルケンさんの姿に気づいてはいたが、どなたかと熱心に話しこまれている様子だったので、声をかけなかった。
で、そばを食べ終えてから挨拶したのだ。親しい人の間では、「タルケンおじぃ」とか、場合によってはただの「おじぃ」とか呼ばれていたりする。わたしは「タルケンさん」と呼ばせていただいている。
「タルケンさん、お久しぶりです」
一瞬、誰だっけ? という顔をされてしまったので、
「ライターの渡瀬です。ごぶさたしました」
と、言い直す。
「おー、おうおう。今はこっちに住んでるんだった?」
「はいそうですよ。タルケンさんは、今も東京とこっちと行ったり来たりですか」
「うん、そう。きょうはたまたま市場の取材で来たわけさ」
「この店、おいしいですか?」
「うん、うまい!」とタルケンさんは間髪いれず答えて親指を立てつつ、続けた。
「これだけ食って、千円のセットなら、価値あるよー」
ほんとに満足そうに教えてくれた。
「ありがとうございます。今度来てみますよ」
貧乏人は、こうして役立つ情報を増やしていくのである。
タルケンさんが、私を思い出しにくかった理由は、少し思い当たるフシがあった。
ヘアスタイルが違ったのだ。ときどき飲み屋でお会いしていたころ、わたしは丸坊主だった。今はごく普通に髪が生えている。その違い・・・、ばかにならないよね。
タルケンさんとは、わたしが仕事上の取材先としての沖縄に頻繁に通うようになった十数年前、すなわち1992年ぐらいから何度も何度もお会いしている。それは、共通の知り合いの唄者、ミュージシャンのライヴ会場だったり、共通の知り合いの経営する居酒屋やBARの酒宴の席においてだったりしたから、仕事上の接点はないままだった。
その間、タルケンさんの作品には、ずーっと注目させてもらってきている。これまで、数え切れないほど秀逸な写真を発表してきた大御所だが、いつも素朴な味わいの消えない人柄が信頼できる、そういう写真家。風景を撮らせてもすばらしいけれど、やはり真骨頂は人物写真であろう。沖縄島や離島の到る所で、子供やおじぃやおばぁが、タルケンさんのカメラの前で心を開く。それが手に取るように伝わってくるのである。
それから、作家の池澤夏樹さん(わたしも面識あります!)とのコンビの一連の仕事も、わたしは結構好きだった。
しかし今、記憶をたどっていて、はたと思い出した。一度だけ、仕事をご一緒させてもらっている。
このところの出版不況で休刊になった雑誌のひとつ、スポーツ総合月刊誌の『VS(バーサス)』(光文社発行)が、沖縄特集を組んだとき、わたしにその特集の巻頭エッセイ執筆の依頼があり、タイトルページを含めて4ページ、タルケンさんの写真とわたしの文章のコラボが成立していたのである。取材旅行をともにしたわけではないけれども、立派に「仕事をご一緒」させてもらっていたわけだ。
こういう人と、ぶらぶら散歩しているだけで普通にお会いしてしまうということ、これも沖縄の良さである。今、当時の雑誌記事を読み返してみた。手前味噌ながら、結構まともなことを書いているではないか。
というわけなので(きょうは時間の余裕と心の余裕がある感じなので)、今夜、数年前のその雑誌記事をブログに再録してみたいと思います。
ちなみにエッセイのタイトルは、「沖縄、人を育てる島。」
お楽しみに。
Posted by watanatsu at 15:45
│人物論