てぃーだブログ › 渡瀬夏彦の「沖縄 チムワサワサ~ 日記」 › 哀悼 › 新月の夜に、詩穂ちゃんの死を想う。

2009年11月18日

新月の夜に、詩穂ちゃんの死を想う。

 今宵は新月。
 月の満ち欠けに敏感な生きものであるところのわたくしめ、月が欠けていく時期、内省的になる傾向がある。そのなかでも、特別な夜というべきかもしれない。

 沖永良部島(鹿児島県和泊町)で生まれ育った小学1年生の内山詩穂ちゃんが、16日の午後、東京都内の病院で亡くなった。あまりにも早すぎる死である。
 
 そのことは、その日のうちに、複数のブログ記事で知った。
 このところ、「てぃーだブログ」のトップページでも、詩穂ちゃんの命を救うために、ブログで貯まったポイントを寄付する方法があると告知されていた(確認したら、わたしのポイントは寄付できる最低ラインに達していなかった)。

「しほの生命を守る会」のブログを拝見して事情を把握したし、複数のブロガーによる募金活動やその告知協力が活発化していることも、何日も前から手に取るように伝わってきていた。
 
 詩穂ちゃんが、拡張型心筋症という重い病気にかかり、心臓移植しか助かる道のないことや、約1億円もの莫大な費用をかけてアメリカでの手術に臨むしかないことも、理解していたつもりだった。

 しかし今朝の新聞(11月17日付琉球新報29面)を読みながら「ああ、そういうことだったんだよね、詩穂ちゃん。。。」と詳しい事情を一層理解した。皮肉にも、亡くなったことを知らせる記事によって。なんと16日は、沖縄県内の支援者が、募金を呼びかける記者会見を那覇市内で開く予定だったというのである。なんとも悲しい巡り合わせである。

 かく申す一方で、今のところのわたしは、「脳死を人の死と認めるかどうか」という哲学的倫理的命題がまるで解決できていないので、自分がドナー登録(臓器提供者登録)することを、意識的に避けている状態にある。

 この先、どういう結論が出るか、自分でも未だにわからない。生涯ドナー登録せぬまま、くたばるかもしれない。

 けれど先日、詩穂ちゃんが早く渡米して心臓移植手術を受けられるように、と、ささやかながら募金には協力させていただいた。
 金融機関で振り込むほどの協力はできないなぁ、、、と思っていたところ、11月8日、県民大会当日の宜野湾海浜公園の舗道に詩穂ちゃんのための募金箱をもった人たちが、ずらりと並んでいたのである。これなら「少しですけど」と呟きつつ、「ちゃりんと音のするおカネ」を投げ入れることができる。
 協力できてよかった、と素直に思った。

 脳死そのものについて、未だ己の姿勢が明確になっていないのに、ドナーからの心臓移植を望む募金に協力したのは、なぜだろうか。

 じつは、ひと言で済む話だ。
「もしも詩穂ちゃんが、わたしの身内の子供だったら。。。」
 そう想像してみるだけで充分だったのだ。

 この事実は、このところ普天間基地移設問題に関する政治家の迷走ぶりに苛立っていたわたしが、自分でうまく理解できなかった苛立ちの正体を、くっきりと浮かび上がらせてくれた気がする。
 いわゆるヤマト(本土)に住む人の大半(すべてとは言わない)が、少しも想像力を働かせてくれていない。

 昨日テレビ番組で太田光〝総理〟と石破茂・自民党政調会長の討論を観て、心にわいた苛立ちや怒りも(もちろんそのほとんどは石破茂という人物に対してだが)、出所はそこに尽きるのかもしれない。

 沖縄の少女が米兵にレイプされたって、米兵が老人ホームの修理をしてあげればそれでいい、といわんばかりの驚異的な論理を平気で振りかざせる石破茂という男の人間性。ごく当たり前の想像力のかけらも働かすことのできない哀れさ、、、。こういう不気味な人間に、誰が政治を任せたいなどと思うものか。

 妙なタイミングで、本日火曜日、石破氏は沖縄に来た。
 自民党県連から意見を聞いた。そしてその県連が大いなるバックアップをしてきた翁長雄志・那覇市長から、「基地はもう要らないという沖縄の民意をないがしろにしたら、国の安全保障が揺らぐことだってありますよ」という意味のことを言われ、さすがにビックリして反論できずに退散したようである。
 
 わたしは自民党支持者ではないが、翁長さん、あんたは偉い、肚が据わっている、とほんとに思った。国家のために沖縄は我慢し続けろ、という考え方があきらかな自民党政調会長に対して、堂々と反対意見を述べたのだ。持論の「硫黄島移設案」も披露したという。

 その直前の2日間、沖縄訪問をして、県民の反感を買い続けた岡田克也外相は、あきれたことに「県外移設を検証してもいない」ことを記者会見であっさり認めて、東京へ帰っていった。
 これではもはや、自民党の政治家を批判する資格はないだろう。

 岡田さん。
 どこまで、アメリカの恫喝に怯えれば気が済むの?
 普天間の危険除去のためには結論を急がねばならない、という表向きは正論に見える強迫観念が、自分の首をしめていることに、なぜ気づかないの?

 爆音・事件・事故の被害に苦しんできた基地周辺の住民は、あなたが思うほどヤワじゃないんですよ。
 長い長い時間、耐えに耐えてきているんだから、むしろ今、慌ててとんでもない結論なんか出されては困る、と思っているんですよ。

 このままだと結果的にあなたは、「既定路線を進みたい官僚の言いなりなった大臣」の烙印を押されてしまいます。おーい、岡田さんの周りに誰か、まともなブレーンはいないのかー。
 沖縄県民は、ひたすら鳩山首相を励まし続けるしかないのかー。

 書いているうちに、ぜんぜん内省的でなくなってきた。
 ああ、もうとっくに日付もかわっている。

 政治にとことん疎い、しかも日々だらしなく生きている、こんなお気楽ライターが、思わずツッコミを入れたくなる政治家が多すぎる。これって、ほんとに、どういうことなんだろうね。
 
 日米同盟や、平和維持の方法についてや、そもそも平和とは何かという意識は、国民一人ひとり、それぞれ違うはず。
 世界の軍事情勢についての理解度も、千差万別に違いない。

 しかし、こう想像するぐらいは、誰にだってできるはず。
「もしも沖縄が、わたしの故郷だったら。。。」
「もしもわたしが、沖縄県民だったら。。。」
「もしわたしが、名護市辺野古周辺の住民だったら。。。」
「もしわたしが嘉手納基地周辺の住民だったら。。。」
 ちょっぴりそう想像したあとで、あなたはいったいどういう言動を選ぶだろうか。

 じつは少しの想像力が働くかどうか、たったそれだけの、簡単な話なんです。

 だからこの新月の夜は、せめて詩穂ちゃんのご冥福を静かにお祈りしたい。
 
 地元の沖永良部島に戻って友達と遊ぶ日を楽しみにしていたという詩穂ちゃん。
 わたしはあなたに何もしてあげられませんでした。
 でも、あなたは詫びてほしくはないよね。
 がんばったんだもんね。


 どうか安らかに眠ってください。

 合掌。

 ほんのほんの少しだけ詩穂ちゃんに縁のあったこのおじさんは、脳死が人の死か、慌てず考え続けます。



同じカテゴリー(哀悼)の記事
大恩人の四十九日。
大恩人の四十九日。(2010-12-29 18:07)

大恩人の訃報。
大恩人の訃報。(2010-11-10 08:57)


Posted by watanatsu at 01:35 │哀悼