2009年06月22日
09夏・高校野球沖縄大会・2
6月20日(土)、大会開幕日の続報。
宜野湾市立野球場の第二試合。八重山商工vs普天間。
もうご存知の方は多いと思うけれども、八重山商工が5対1で普天間を下した試合である。
八重山商工の先発は、エースナンバーをつけた花城直将。8回を投げて被安打3、四球2、犠牲フライによる1失点のみという内容で、コントロール重視の打たせて取るピッチングは見事だった。
プロ注目といわれる大嶺翔太(ロッテ・大嶺祐太の弟)は、背番号11をつけてサードを守っていたが、最終回のみ登板し、2三振とピッチャーゴロの三者凡退で締めくくってみせた。
わたしは最初冷房の利いたネット裏記者席に座っていた(Team47の仕事に携わることになってからは、県高野連の配慮をいただき、最近はもっぱら記者席の一隅に座らせてもらっている)のだが、途中なんだか「物足りない感じ」がして、3回表が始まるとき、スタンド席へと駆け上がった(もちろん、記者席に座っている人がダメだというわけではないので、念のため。あしたの新聞のため、あるいはWEB速報などのために、今この瞬間にみなさん集中しているわけです‥‥、文字通り頭を冷やしつつ観戦することも必要)。
移動途中の階段では、なんと、06年・甲子園春夏連続出場時の八重山商工の主将を務めていた「しんちゃん」こと友利真二郎君とばったり遭遇。
当時と変わらぬ笑顔が、眼前にあった。後輩の戦いぶりはやはり気になるのだろう、ちゃんと応援に来ていたわけだ。しかしあまりにも暑くて(肌が痛くなるほどの陽光が、容赦なく降り注いでいた!)、ちょっと日陰に入って涼んでいたところ‥‥。そんなときにわたしと出くわして少し照れくさかったのだろうか、友利君はいかにも照れ隠しついでの感じで、こんなことを言うのだった。
「3年前、自分もこんな暑さのなかでやってたなんて、なんか信じられないですよ。ほんと馬鹿みたいですよねぇ(笑)」
言葉とは反対に、高校時代の厳しい環境のなかの戦いの日々が、懐かしくて仕方がないという思いが伝わってくる。彼は高校卒業時、沖縄本島の大学に合格したものの、その後方向転換して不動産会社に就職し、その社会人チームの中心メンバーとして活躍している。ひとつ、その口ぶりから想像できたのは、おそらく(高校時代と違って)無理しない程度にがんばって、伸びのびと野球を楽しんでいるのであろう、彼の日常だった。
さて、きつい陽射しのなかで、ネット裏スタンドに腰掛けて、ふと横を見やると、顔見知りの某プロ球団スカウト・Nさんと目が合って、互いに会釈。仕事とはいえ、熱心な人である。大嶺翔太君だけでなくて、前の試合の運天ジョン・クレイトン君のピッチングも、見に来たのかもしれない。
不思議なもので、こちらが席を移動した途端、ゲームが動き始めた。
3回表八重山商工の攻撃。ヒットと四球でノーアウト満塁のチャンスに、3番・北倉久義が2点タイムリーをセンター前に放つ。なおもノーアウト二、三塁。ここで4番の加藤次郎がスクイズを成功させて、さらに加点。この犠打球が一塁に送球されるのを見て、二塁走者の北倉までが鋭くホームへ突っ込む。
きわどいタイミングでアウトにはなったが、わたしは、タイムリー打を放ち、走者としても果敢にホームを狙った北倉の積極性に対して、心の底から喝采を送っていた。
彼は春の沖縄県大会の3回戦、沖縄水産に破れた試合、1点を争う大事な場面で見逃し三振をしてしまった選手だった。2対2の同点で迎えた8回、2死、二、三塁のチャンスだった。
「なぜ手を出さないのか」とその積極性のなさを、監督・コーチに叱責されたのはもちろんだが、誰よりも本人がいちばん悔しがっていた、その事実をわたしはよく覚えている。
だからこそ、喝采を送りたくなったのである。
いずれにしても、このあと攻守にリズムが出てきて、八重山商工は2回戦に駒を進めることができた。よい試合だったと思う。次の試合はすでに、7月4日と発表されている(球場未発表)。相手はあす6月23日の南風原vs昭和薬大付属の勝者。
試合後わたしは、3打数2安打2打点と活躍した北倉君をつかまえて、声をかけた。
「春の悔しさを、しっかり生かしたね。ちゃんと見てたよ」
すると彼は、満面の笑みで「はいっ、ありがとうございます」とひと言、元気よく答えた。
これからもどんどん積極的なプレーを重ねてほしいものである。
内心わたしはこう思っていた。
君たちにとって監督の叱責は、それはそれは恐ろしいものだろうなぁ。
だけどね、確信をもって積極プレーをして失敗したとき、文句を言うような指導者ではないよ、伊志嶺監督は!
だから安心して、思う存分グラウンドで暴れなさい。
普天間の選手諸君にも言おう。優勝候補の一角と言える八重山商工といい試合をしてくれて、ありがとう。とくに3年生の選手たち、「最後の夏」が終わったね。お疲れさまでした。
試合後の伊志嶺監督は、いつもどおり雄弁だった。
「大嶺なんか、試合の直前に足をケガをしてるんですよ。考えられますか。まったく自覚が足りない。何も考えてない。これは初戦敗退のムードだと思っていたんだけど、それでも周りの選手がよく我慢してがんばって、そして勝ってしまうんだから、まぁ大した選手たちですよ(苦笑)」
と皮肉をこめて笑うしかないようだった。そして、こうも言った。
「春夏甲子園に行った3年前のメンバーと比べても、今年のほうが能力はあると思いますよ。レギュラーとベンチの差がなくて、17名ぐらい、いつでも試合に出せると思える選手がいます。しかしね、選手同士の絆、繋がりという面がまだまだ足りないんです。北倉だって、エンドランのサイン出したから、打てたようなもんです」
そんなふうに注文がつく。伊志嶺監督の大会展望は、およそ次のような具合である。
「今の沖縄は、ほんとにどこのチームにも(甲子園行きの)チャンスがあります。20校ぐらい、強いチームがあるでしょう。うちも今年はチャンスがあると思ってますよ。一戦ごと勢いに乗っていけたチームが優勝できる。そう思いますね」
本当に、楽しみな夏である。
(つづく)
宜野湾市立野球場の第二試合。八重山商工vs普天間。
もうご存知の方は多いと思うけれども、八重山商工が5対1で普天間を下した試合である。
八重山商工の先発は、エースナンバーをつけた花城直将。8回を投げて被安打3、四球2、犠牲フライによる1失点のみという内容で、コントロール重視の打たせて取るピッチングは見事だった。
プロ注目といわれる大嶺翔太(ロッテ・大嶺祐太の弟)は、背番号11をつけてサードを守っていたが、最終回のみ登板し、2三振とピッチャーゴロの三者凡退で締めくくってみせた。
わたしは最初冷房の利いたネット裏記者席に座っていた(Team47の仕事に携わることになってからは、県高野連の配慮をいただき、最近はもっぱら記者席の一隅に座らせてもらっている)のだが、途中なんだか「物足りない感じ」がして、3回表が始まるとき、スタンド席へと駆け上がった(もちろん、記者席に座っている人がダメだというわけではないので、念のため。あしたの新聞のため、あるいはWEB速報などのために、今この瞬間にみなさん集中しているわけです‥‥、文字通り頭を冷やしつつ観戦することも必要)。
移動途中の階段では、なんと、06年・甲子園春夏連続出場時の八重山商工の主将を務めていた「しんちゃん」こと友利真二郎君とばったり遭遇。
当時と変わらぬ笑顔が、眼前にあった。後輩の戦いぶりはやはり気になるのだろう、ちゃんと応援に来ていたわけだ。しかしあまりにも暑くて(肌が痛くなるほどの陽光が、容赦なく降り注いでいた!)、ちょっと日陰に入って涼んでいたところ‥‥。そんなときにわたしと出くわして少し照れくさかったのだろうか、友利君はいかにも照れ隠しついでの感じで、こんなことを言うのだった。
「3年前、自分もこんな暑さのなかでやってたなんて、なんか信じられないですよ。ほんと馬鹿みたいですよねぇ(笑)」
言葉とは反対に、高校時代の厳しい環境のなかの戦いの日々が、懐かしくて仕方がないという思いが伝わってくる。彼は高校卒業時、沖縄本島の大学に合格したものの、その後方向転換して不動産会社に就職し、その社会人チームの中心メンバーとして活躍している。ひとつ、その口ぶりから想像できたのは、おそらく(高校時代と違って)無理しない程度にがんばって、伸びのびと野球を楽しんでいるのであろう、彼の日常だった。
さて、きつい陽射しのなかで、ネット裏スタンドに腰掛けて、ふと横を見やると、顔見知りの某プロ球団スカウト・Nさんと目が合って、互いに会釈。仕事とはいえ、熱心な人である。大嶺翔太君だけでなくて、前の試合の運天ジョン・クレイトン君のピッチングも、見に来たのかもしれない。
不思議なもので、こちらが席を移動した途端、ゲームが動き始めた。
3回表八重山商工の攻撃。ヒットと四球でノーアウト満塁のチャンスに、3番・北倉久義が2点タイムリーをセンター前に放つ。なおもノーアウト二、三塁。ここで4番の加藤次郎がスクイズを成功させて、さらに加点。この犠打球が一塁に送球されるのを見て、二塁走者の北倉までが鋭くホームへ突っ込む。
きわどいタイミングでアウトにはなったが、わたしは、タイムリー打を放ち、走者としても果敢にホームを狙った北倉の積極性に対して、心の底から喝采を送っていた。
彼は春の沖縄県大会の3回戦、沖縄水産に破れた試合、1点を争う大事な場面で見逃し三振をしてしまった選手だった。2対2の同点で迎えた8回、2死、二、三塁のチャンスだった。
「なぜ手を出さないのか」とその積極性のなさを、監督・コーチに叱責されたのはもちろんだが、誰よりも本人がいちばん悔しがっていた、その事実をわたしはよく覚えている。
だからこそ、喝采を送りたくなったのである。
いずれにしても、このあと攻守にリズムが出てきて、八重山商工は2回戦に駒を進めることができた。よい試合だったと思う。次の試合はすでに、7月4日と発表されている(球場未発表)。相手はあす6月23日の南風原vs昭和薬大付属の勝者。
試合後わたしは、3打数2安打2打点と活躍した北倉君をつかまえて、声をかけた。
「春の悔しさを、しっかり生かしたね。ちゃんと見てたよ」
すると彼は、満面の笑みで「はいっ、ありがとうございます」とひと言、元気よく答えた。
これからもどんどん積極的なプレーを重ねてほしいものである。
内心わたしはこう思っていた。
君たちにとって監督の叱責は、それはそれは恐ろしいものだろうなぁ。
だけどね、確信をもって積極プレーをして失敗したとき、文句を言うような指導者ではないよ、伊志嶺監督は!
だから安心して、思う存分グラウンドで暴れなさい。
普天間の選手諸君にも言おう。優勝候補の一角と言える八重山商工といい試合をしてくれて、ありがとう。とくに3年生の選手たち、「最後の夏」が終わったね。お疲れさまでした。
試合後の伊志嶺監督は、いつもどおり雄弁だった。
「大嶺なんか、試合の直前に足をケガをしてるんですよ。考えられますか。まったく自覚が足りない。何も考えてない。これは初戦敗退のムードだと思っていたんだけど、それでも周りの選手がよく我慢してがんばって、そして勝ってしまうんだから、まぁ大した選手たちですよ(苦笑)」
と皮肉をこめて笑うしかないようだった。そして、こうも言った。
「春夏甲子園に行った3年前のメンバーと比べても、今年のほうが能力はあると思いますよ。レギュラーとベンチの差がなくて、17名ぐらい、いつでも試合に出せると思える選手がいます。しかしね、選手同士の絆、繋がりという面がまだまだ足りないんです。北倉だって、エンドランのサイン出したから、打てたようなもんです」
そんなふうに注文がつく。伊志嶺監督の大会展望は、およそ次のような具合である。
「今の沖縄は、ほんとにどこのチームにも(甲子園行きの)チャンスがあります。20校ぐらい、強いチームがあるでしょう。うちも今年はチャンスがあると思ってますよ。一戦ごと勢いに乗っていけたチームが優勝できる。そう思いますね」
本当に、楽しみな夏である。
(つづく)
Posted by watanatsu at 23:00
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