2009年08月05日
桜坂劇場で、胸に響くフランス映画!
この二日間、いろんなことが重なったなー、やれやれ、です。
さて、わたしにしては久々の更新です。
月曜日は、休養日と決めて丸一日のんびりした。
夜は桜坂劇場で、フランス映画「夏時間の庭」(オリヴィエ・アサイヤス監督)を観る。会員割引+月曜日割引で800円。この値段は、やはりありがたい。
内容も、新鮮だった。ああ、知らず知らず、わたしもハリウッド製のスペクタクルの快感に慣れてしまっていたのかなぁ、と考えさせられもした。つまり、人によっては退屈と感じても仕方のない映画なのである。
わたしはこう見えて(どう見えて?)、もともと若いころから、ゴダールやトリュフォーといった、ヌーベルバーグの旗手と言われた現代フランスの監督たちの作品もよく観てきたし、邦画でも、ATG(アートシアターギルド)系の文学色のつよい多くの作品に親しんできてもいる。だから、この「夏時間の庭」には、懐かしい匂いを感じた、と言えるかもしれない。
思いのほか、良かったのだ(期待せずに観たせいかなー)。
パリ郊外の森の中にある古びた大邸宅に暮らす老女(といってもまだ75歳)が、この世を去った。思い出の美術品の数々(ワケアリも含めて相当に価値のある作品たち)と邸宅とを三人の兄妹に残して。。。
生前長男には、自分が死んだあとの計画に関して、率直な思いは伝えてあった。
残された兄弟たちの思いは揺れる。
次男は、ビジネスマンとして中国・北京へ引っ越す覚悟。長女には、パートナーと婚約者と一緒にアメリカへ渡る計画あり。
フランスに住みつづけるあろう長男は、わが子(老女の孫)の世代にまで、思い出を引き継いでいきたい、という思いがつよい。
そんな家族の間の「揺れる思い」を、パリの街中の喧騒や郊外の自然を背景に、丁寧に描いている。興奮を呼ぶ大スペクタクルなど一切起こらない。淡々と、ひたすら静かに、流れていくストーリー。。。現代フランスの良質なホームドラマであった。
海と森と基地を抱えた島、わが沖縄に住んでいて、そうしてこんな映画を観てしまうと、かなりまずい。
なにがまずいか、って?
好むと好まざるとにかかわらず、「沖縄を沖縄たらしめているこの環境」の中で生きている意味を、あんたはしっかりたっぷり、ちゃんと味わいながら生きているかい? と、フランスの映画人から、おいらの胸に向かって、鋭い「問いの矢」が放たれてしまった気になってしまったのである。
つまり、わたしの胸の具合は、かなりまずいことになるわけだけど、しかしそれは、とーっても良いことなわけである(!?)。
沖縄の、この日常を大切にしたいと、改めて感じさせてくれたフランス映画、なのだ。
オルセー美術館がこの映画に全面協力しているのも、凄いことだ。
実際の映画のロケのために、絵画や家具・ガラス器と本物の貴重品が提供されている。
結局、遺産のほとんどがオルセー美術館に寄付されるというオチもちゃんとついていて、シナリオもなかなか洒落ているのである。
オルセーは、印象派画家の作品コレクションで有名な美術館で、わたしも10年ほど前、取材でパリを訪れたとき、自由時間の一部、相当な時間を、この美術館で過ごしたものだ。森や川など自然風景を好んで描いたコロー(なぜか中学生のわたしが、最初に好きになった画家である)も、映画の中の邸宅の所蔵作品という設定にもなっいて、親しみの感情がわいた次第。
ラスト、森を映しつつ終わろうとする「引き」のシーンも、なかなか粋であった(あんな森の傍に住んでみたいさぁ、と素直に思ってしまったねー)。
じつは、「さんかく山のマジルー 真夏の夜の夢」(中江裕司監督)を観ようと思って出かけて、上映時間を間違えたことに気づき、この「夏時間の庭」を観たのでありましたが、つまりは結果オーライ、なのでした。
8月14日まで桜坂劇場でやってます。皆さんも、お時間許せば、たまにはこんな映画もどうでしょうか。
でも「さんかく山のマジルー」も、出直してから観たいと思ってますよー、念のため(笑)。
さて、わたしにしては久々の更新です。
月曜日は、休養日と決めて丸一日のんびりした。
夜は桜坂劇場で、フランス映画「夏時間の庭」(オリヴィエ・アサイヤス監督)を観る。会員割引+月曜日割引で800円。この値段は、やはりありがたい。
内容も、新鮮だった。ああ、知らず知らず、わたしもハリウッド製のスペクタクルの快感に慣れてしまっていたのかなぁ、と考えさせられもした。つまり、人によっては退屈と感じても仕方のない映画なのである。
わたしはこう見えて(どう見えて?)、もともと若いころから、ゴダールやトリュフォーといった、ヌーベルバーグの旗手と言われた現代フランスの監督たちの作品もよく観てきたし、邦画でも、ATG(アートシアターギルド)系の文学色のつよい多くの作品に親しんできてもいる。だから、この「夏時間の庭」には、懐かしい匂いを感じた、と言えるかもしれない。
思いのほか、良かったのだ(期待せずに観たせいかなー)。
パリ郊外の森の中にある古びた大邸宅に暮らす老女(といってもまだ75歳)が、この世を去った。思い出の美術品の数々(ワケアリも含めて相当に価値のある作品たち)と邸宅とを三人の兄妹に残して。。。
生前長男には、自分が死んだあとの計画に関して、率直な思いは伝えてあった。
残された兄弟たちの思いは揺れる。
次男は、ビジネスマンとして中国・北京へ引っ越す覚悟。長女には、パートナーと婚約者と一緒にアメリカへ渡る計画あり。
フランスに住みつづけるあろう長男は、わが子(老女の孫)の世代にまで、思い出を引き継いでいきたい、という思いがつよい。
そんな家族の間の「揺れる思い」を、パリの街中の喧騒や郊外の自然を背景に、丁寧に描いている。興奮を呼ぶ大スペクタクルなど一切起こらない。淡々と、ひたすら静かに、流れていくストーリー。。。現代フランスの良質なホームドラマであった。
海と森と基地を抱えた島、わが沖縄に住んでいて、そうしてこんな映画を観てしまうと、かなりまずい。
なにがまずいか、って?
好むと好まざるとにかかわらず、「沖縄を沖縄たらしめているこの環境」の中で生きている意味を、あんたはしっかりたっぷり、ちゃんと味わいながら生きているかい? と、フランスの映画人から、おいらの胸に向かって、鋭い「問いの矢」が放たれてしまった気になってしまったのである。
つまり、わたしの胸の具合は、かなりまずいことになるわけだけど、しかしそれは、とーっても良いことなわけである(!?)。
沖縄の、この日常を大切にしたいと、改めて感じさせてくれたフランス映画、なのだ。
オルセー美術館がこの映画に全面協力しているのも、凄いことだ。
実際の映画のロケのために、絵画や家具・ガラス器と本物の貴重品が提供されている。
結局、遺産のほとんどがオルセー美術館に寄付されるというオチもちゃんとついていて、シナリオもなかなか洒落ているのである。
オルセーは、印象派画家の作品コレクションで有名な美術館で、わたしも10年ほど前、取材でパリを訪れたとき、自由時間の一部、相当な時間を、この美術館で過ごしたものだ。森や川など自然風景を好んで描いたコロー(なぜか中学生のわたしが、最初に好きになった画家である)も、映画の中の邸宅の所蔵作品という設定にもなっいて、親しみの感情がわいた次第。
ラスト、森を映しつつ終わろうとする「引き」のシーンも、なかなか粋であった(あんな森の傍に住んでみたいさぁ、と素直に思ってしまったねー)。
じつは、「さんかく山のマジルー 真夏の夜の夢」(中江裕司監督)を観ようと思って出かけて、上映時間を間違えたことに気づき、この「夏時間の庭」を観たのでありましたが、つまりは結果オーライ、なのでした。
8月14日まで桜坂劇場でやってます。皆さんも、お時間許せば、たまにはこんな映画もどうでしょうか。
でも「さんかく山のマジルー」も、出直してから観たいと思ってますよー、念のため(笑)。
Posted by watanatsu at 11:20
│芸能・芸術