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2009年09月25日

『ゆれる』でゆれた、わが心。

 昨夜は、桜坂劇場で映画『ゆれる』を観た。

『ディア・ドクター』公開記念・特別上映の最終日だということに昨夕気がついて、慌てて行ってきた。
 昨夜、無料招待券と書いたが、これは、桜坂市民大学の「ジュン安永のプロスポーツウラ側講座」の10回出席皆勤賞として、劇場からもらったもので、さっそく使わせていただいたわけである。

 で、この映画の持つ底力に、唸った。

 ちょいと重いテーマだが、それは、人が生きている限り感じるはずの、リアルで当たり前の重さなのだ、と映像の力によって軽々と説得されてしまった感じである。あっという間の2時間だった。
 
 まだ二作しか観ていないのに、ますます、西川美和監督ファンの度合いが進んでしまった。

 先日、「その嘘は、罪ですか。」というキャッチコピーまで気に入った映画『ディア・ドクター』の感想を書いたわけだが、『ゆれる』はその前作。二作品の共通点はすぐに見出すことができた。

 西川監督の、人間に対する関心が、いったい何処らへんにあるのか。
 それがヒシヒシ伝わってくるところが、共通点。

 この映画が直接的に描くのは、「兄弟」である。

 肉親同士であるからこそ成り立つ、奥の深ーい、駆け引き。
 しばしば二人の間に生じる、苛立ちと嫉妬。
 それでもその先に立ち現れる、無償の愛、無限の許容。

 そうして、、、兄弟に止まることなく、もっと広がり、もっと深まろうとするテーマを、この映画は内包している。そう思えた。

 わたしの場合、西川監督の長編第三作→第二作という順番で観たわけだが、ラストシーンには、またしても、やられた!
 お気に入りラストシーン・コレクションに、これも加えねばならない。

 オダギリジョー(弟)のグズグズ涙声の呼びかけに、最後の最後、香川照之(兄)が見せた表情は、絶品である。よぎるバスの使い方も憎らしいほど、うまい。

 わたしにも兄弟がある。
 これまで、世の中のいろんな兄弟の姿を見てきている。
 そして昨夜、改めて、深くふかく考えさせられたのである。

 劇場の席を立つとき、この映画の底力を、心からありがたく受け止めることができていた。

 この作品、レンタル店でも貸し出し中のようです。わたしは映画は映画館で観るべきだと思う人間ですが、この際レンタルで、テレビ画面でもよろしいでしょう。お勧めです。



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Posted by watanatsu at 21:55 │芸能・芸術