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2010年08月22日

興南高校の快挙から、一夜明けて。

やっぱり、凄いことを淡々と、落ち着き払ってやってのけた。
やっぱり、すんごいやつら、だった。
我喜屋優監督の手腕については、いまさら言うまでもないだろうが、とにかく、すんごいのである。
そして、その教えを甲子園で体現してみせた選手たちも、やっぱりすんごいのである。

ベンチ入りできなかったすべての野球部員、選手の家族、部長、コーチ、引率教師、トレーナー、用具担当スタッフ、応援団、心から応援しつつ甲子園へ駆けつけることのできなかった人たち、、、、誰の力が欠けても、この快挙は成し得なかったのである。


では、わたしは何を書けばよいのか。
翌日の新聞に載る記事を書かねばならぬ新聞記者の皆さんと違って、考える時間のゆとりは常に少々ある。

仕事としてのいちばん早い原稿締め切りは、某沖縄地元紙学芸部からの依頼で、月曜の朝までに原稿を送ってほしい、というもの。

わたしが昨日、いちばん気になっていたのは、沖縄県民の反応がいったいどうなっているのか、ということ。ずっと甲子園にいると、じつはそこのところがまったく実感できない。沖縄のテレビも新聞もリアルタイムで目にしていないので、欲求不満はかなり募っていたのである。

そんなとき、タイムリーに携帯に電話をくれた人がいた。昔から世話になっている恩人のひとり、沖縄の「県産本」出版社・ボーダーインクの敏腕編集者・新城和博さんだった。そして地元の様子を教えてくれた。新城さん自身、きのうはわざわざ興南高校体育館へ出かけて応援したのだという。新城さんの母校は那覇高校だったはずだが、いや、そんなことはどうでもよいのである。新城さんの行動が県民の気持ちを象徴している。そして、感動で上気した顔が想像できるような、新城さんの声のトーンが、多くを雄弁に伝えてくれていた。

「沖縄は、ほんとに久しぶりに、道路からクルマが消えて、ショッピングセンターからも人が消えました。地元のNHKのニュースもそのことを伝えていましたよ」

新城さんは、興南の快挙を前にして、「渡瀬さん、甲子園に行ってるだろうな、と思って」と当ブログの内容もしっかりチェックしてから、電話をくれたようだった。

「渡瀬さんの書いているような感じを、ぼくらも感じとってますよ。さすが、いい見方をしているなー、と思いました。今年の興南高校を見て、沖縄県民の高校野球に対する感じ方、考え方も大きく変わったと思いますよ」

興南ナインが、沖縄県民に与える自信、誇り、共感、エネルギー、、、それらは、まさに目に見えない大きな力となって、今、沖縄じゅうに広がっているのだろう。

先にも書いたとおり、本日沖縄は、ウンケー(旧盆初日、すなわちご先祖をお迎えする日)。沖縄の旧盆行事は、内地でのそれと比べて、はるかに人びとが大切に思っている行事である。本日の夜の便で、興南ナインは、凱旋する。ご先祖様が帰ってくるその日に、である。

わたしは今晩の夜行バスで東京へ向かう。
そういえば、昨日アルプススタンドで言葉を交わした島袋直司さん(洋奨投手の父)は、「仕事があるので、旧盆にも沖縄へ帰れないんですよ」と嘆いていた。単身赴任先の東京へ、きょうの新幹線で戻らねばならないそうだ。

ならば、と、わたしは島袋さんと東京で再会することを約束して別れた。

昨夜は、試合終了後、内野記者席からアルプススタンドへ直行し、野球部保護者会会長の慶田城広さんはじめ、保護者、関係者の皆さんと話をさせてもらい、宿舎に戻り、我喜屋監督の音頭でジュースで乾杯してから夕飯を食う選手たちの姿を眺めさせてもらうところまで、取材を続けたのだが、じつはまだまだ、「余韻」を楽しみたいと思っているわたくしめなのである。

では皆さん、良き旧盆をお迎えください。




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Posted by watanatsu at 09:35 │高校野球