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2010年12月28日

そうだ、『母たちの神 比嘉康雄展』、また行こう。


そうだ、『母たちの神 比嘉康雄展』、また行こう。



比嘉康雄展「母たちの神」http://www.museums.pref.okinawa.jp/art/topics/detail.jsp?id=572
へ、石川真生さんhttp://blog.livedoor.jp/ishikawamao/と一緒に出かけたところまでは、前回書いた。

当初の1月5日までの開催期間が1月10日まで延長されたようなので(きっと好評につき!!)、わたしは年明けにでも、もう一度出かけたいと思っている。

じつは、沖縄に引っ越す前年の05年に、ある場とそこに集う人たちの取材が目的でわたしは久高島に頻繁に通っている。その折、島の人たちから、比嘉康雄さんの評判を聞いていた。ある人は、言った。

「あの人は特別だった。ノロ(祭祀を司るカミンチュの頂点に位置する老女)からも、康雄さんだけは、神聖な場所でのまつりごとに立ち会うことが許されていたんだよ」

全身全霊をかけて、聖なる場所で写真を撮り、そうしてその御本人が、聖なる場所へ早すぎる招きを受けて、この世とオサラバしてしまった。


「比嘉康雄」への関心が、また急速に膨らんできた。


一流の写真家には、「これ」という被写体がある。

そうだ、『母たちの神 比嘉康雄展』、また行こう。



ほんの一例を挙げれば、石川真生にとっての「日の丸を使って自己表現する人」。

あるいは、平敷兼七にとっての「娼婦」。

たとえば、、、、、。
たとえば、、、、、。

たとえば、比嘉康雄にとっての「島々の祭祀」。

視る者に思索を促す作品をこれだけ残した写真家も珍しい。
観て感ずるだけで、それたけでよい作品ももちろんあるけれど、やはりテーマがテーマだけに比嘉の作品たちはおのずとこちらに、思索せよ、と迫ってくる。
逆にいえば、「沖縄の真実」とは何か、というテーマで思索を続けるとき、比嘉康雄の写真たちが強い味方となっていくれることは、間違いないのである。

お勧めの写真展です。
おもろまちの県立美術館で、来年1月10日まで、です。


石川真生さんからやや遅れて写真展会場を出ると、ロビーにはすでに、若きビデオジャーナリスト・樋口貴之さんが真生さんと話しているところだった。予定どおりの待ち合わせである。これから3人で、やんばるへと北上することになっていた。

(この項、さらに続く)



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Posted by watanatsu at 20:13 │芸能・芸術