2011年02月05日
「与那国島サトウキビ刈り援農隊」世話人・藤野雅之さん。
2月3日、旧正月の夜、「与那国島サトウキビ刈り援農隊」の世話人・藤野雅之さんhttp://homepage3.nifty.com/fujino/とお会いした。この季節、藤野さんは毎年、援農隊メンバーとともに与那国へ赴く。今年も1週間ほど滞在されたようである。(昨年の冬は、当方が東京に滞在中でお会いできなかったが)与那国からの帰り道、那覇に立ち寄るときには必ずわたしに声をかけてくださる。
共同通信文化部記者時代の藤野さんが、与那国島のサトウキビ収穫シーズンの支援をはじめて、はや36年目。わたしが18歳で参加したのは、たしか援農隊の第3回目ぐらいだったと思う。
藤野さんは、まったくのボランティア活動で、長い間与那国への支援活動を続けておられる。そのことがきちんと理解されず(例えば「労働者の手配師」扱いされたりして?)苦労された時期もあるが、京都支局長、文化部長、取締役などを経て退職後、大学講師などを務める今日に至るまで、一年たりとも休まず、続けておられる。頭が下がるとはこのことだ。
いつもわたしがお世話になっている久茂地の古酒bar&琉球DINING「カラカラとちぶぐゎ~」http://bar.ti-da.net/にお連れして、なんと開店直後から閉店まで(正確には閉店時間を超えて)、6時間もの間、途中カウンターに陣取った麗しき若き女性客たちに目もくれず(笑)、店の隅っこのテーブルで、ひたすらゆんたく(おしゃべり)。
わたしがこのところ気になっていた「自衛隊誘致の是非で揺れる与那国」「島おこしの情熱が空回りしているかもしれない与那国」「中央政府にひどい仕打ちを受け続けている与那国」に関する情報も、いろいろお聞きすることができて、ありがたかった。
「沖縄には『基地問題』と同時に『離島問題』もあるはずだ」というのが藤野さんの持論である。同感である。
藤野さんとの語らいのなかで、わたしは改めてこう思った。
「ああ、尾辻吉兼(おつじ・よしかね)さんが生きていてくれたらなぁ」
わたしは与那国の漁協組合長時代の尾辻さんと、ひょんな偶然で久部良の港で名刺交換をすることになり、長い長い立ち話をさせてもらっている。そのときに、尾辻さんに対して、とても好感を抱いた。尾辻さんも、わたしに対して少し興味をもってくださったようで、また与那国に来たときは遠慮なく声をかけてよ、と言ってくださった。たしか97年の秋だった。残念ながら、それからお会いすることのないまま。。。。
その後、尾辻さんは、与那国町長になられ、傾いた町財政の建て直しと、独自の「島おこし」計画に真剣に取り組んでおられた。助役、収入役のポジションも廃止して、すべて自分が兼務するという激務が続いていた。
その激務の最中、石垣島出張中に尾辻町長は倒れ、帰らぬ人となってしまった。そのニュースを知ったとき「戦死」という言葉が、わたしの脳裡にはすぐに浮かんだ。
尾辻さんが健在なら、「自衛隊で島おこし」などという頓珍漢な発想は出ていなかったであろうと思う。国境の島ならではの「台湾交流特区構想」など、町の自立アイディアをことごとく潰してきた中央の官僚と政治家の罪が一番大きいわけだが、後継の外間町長には、くれぐれもしっかりしていただきたいものである(これはあくまでわたしの率直な感想だが、藤野さんもこれに近い感想を抱いておられるのだと感じられた)。
そんな尾辻さんの思い出話も飛び出しつつの6時間。あっという間にすぎてしまった。
最近(昨年暮れ)「たけしのTVタックル」に「自衛隊誘致反対派」として出演した田島政之さんの話題にもなった。わたしはこの方の「与那国人」ブログhttp://nishigo.ti-da.net/は、しょっちゅう拝見している。島への愛情がよく伝わってくるブログである。
また、藤野さんが与那国土産として特産の「長命草」を使ったクッキーをくださったので、わたしは瞬時に別の方のブログ「どぅなんちまのみしや」http://yonagunishop.ti-da.net/を思い起こして、「島には、長命草を使ったロールケーキを作っている方もいますよー」と藤野さんに告げていた。そのブログの主、イソバさんとはブログがきっかけでメッセージのやりとりをしている仲でもある。イソバさんのブログは、いつもおいしそうな料理やお菓子の話題やあるいは与那国の祭の様子など満載の楽しいブログなのだが、わたしの書く「普天間問題」の情報などにも、敏感に反応してくださるありがたい読者のお一人でもある。
藤野さんはほかにも、物書きとしてのわたしに対して、執筆テーマを吟味するうえで参考になる情報も、いくつも与えてくださった。感謝感謝である。
やんばるの桜を見にいきたいとおっしゃっていた藤野さん、きのう(2月4日)はあいにくの雨天でしたね。今頃はもう東京へ向かわれているのでしょうか。
昨秋、病と闘うことになり、いまも手に痺れが残っているといわれていましたが、くれぐれもご自愛ください。
*
というわけで、旧正月元旦の桜坂市民大学講座「サッカーというビジネスに触れる」(講師は、FC琉球GM・統括本部長の田部和良氏)の第3回、残念ながら欠席してしまいました。
その代わりといってはなんですが、藤野さんをホテルにお送りしたあと、FC琉球サポーターの代表として知られるヒロさんこと池間弘章さんのお店・フットボールカフェ「カンプノウ」(牧志のニューパラダイス通り)に顔を出しました。思えば名刺交換をさせてもらったのは、ハンドボールの琉球コラソンの試合会場で、太鼓を敲いて熱心に応援されている日のことでありました。

サッカーはもちろん知り合いのハンドボール選手たちのためにも一肌脱ぐヒロさんの、ストレートな情熱に共感を覚えます。お店に寄らせてもらったのはまだ3回ぐらいですが、この間、FC琉球フロント陣への思いも丁寧に説明してくれて、当方腑に落ちるところがありました。(写真は少し前に撮ったもの)
琉球キングスは、きょうあす、アウェー仙台で、2連戦。
新規加入のディリオン・スニード選手は、さっそく本日の試合からベンチ入りするようです。ということは、たぶん出場!!
202センチ、126キロというボリュームある巨漢にして、クイックネスもある、とキングスの公式サイトでも紹介されていますよね。
要注目です。きょうはリアルタイム観戦は無理だけど、bjtvの録画映像はしっかりチェックしたいと思います。
さて、昨日2月4日の散歩においても、ポンくんの左後ろ脚は、やはり道中の98パーセントぐらいにおいてしっかりと伸びていて、バネのきいた歩き方(大げさに言うと、サラブレッドのリズミカルな歩様に近い!!)をしておりました。

きょうの散歩は、これからです。きょうも調子がよければ、「回復」も本物かもしれないな。
それから気づくのが遅れたけれど、いつの間にか当ブログへのアクセス数が、20万件をかなり超えていました。10万件に達したのが、ブログ開設から1年弱でびっくりしたものですが、現在ブログ開設1年8ヵ月余り。ありがたいことです。
では、良き週末になりますように。
共同通信文化部記者時代の藤野さんが、与那国島のサトウキビ収穫シーズンの支援をはじめて、はや36年目。わたしが18歳で参加したのは、たしか援農隊の第3回目ぐらいだったと思う。
藤野さんは、まったくのボランティア活動で、長い間与那国への支援活動を続けておられる。そのことがきちんと理解されず(例えば「労働者の手配師」扱いされたりして?)苦労された時期もあるが、京都支局長、文化部長、取締役などを経て退職後、大学講師などを務める今日に至るまで、一年たりとも休まず、続けておられる。頭が下がるとはこのことだ。
いつもわたしがお世話になっている久茂地の古酒bar&琉球DINING「カラカラとちぶぐゎ~」http://bar.ti-da.net/にお連れして、なんと開店直後から閉店まで(正確には閉店時間を超えて)、6時間もの間、途中カウンターに陣取った麗しき若き女性客たちに目もくれず(笑)、店の隅っこのテーブルで、ひたすらゆんたく(おしゃべり)。
わたしがこのところ気になっていた「自衛隊誘致の是非で揺れる与那国」「島おこしの情熱が空回りしているかもしれない与那国」「中央政府にひどい仕打ちを受け続けている与那国」に関する情報も、いろいろお聞きすることができて、ありがたかった。
「沖縄には『基地問題』と同時に『離島問題』もあるはずだ」というのが藤野さんの持論である。同感である。
藤野さんとの語らいのなかで、わたしは改めてこう思った。
「ああ、尾辻吉兼(おつじ・よしかね)さんが生きていてくれたらなぁ」
わたしは与那国の漁協組合長時代の尾辻さんと、ひょんな偶然で久部良の港で名刺交換をすることになり、長い長い立ち話をさせてもらっている。そのときに、尾辻さんに対して、とても好感を抱いた。尾辻さんも、わたしに対して少し興味をもってくださったようで、また与那国に来たときは遠慮なく声をかけてよ、と言ってくださった。たしか97年の秋だった。残念ながら、それからお会いすることのないまま。。。。
その後、尾辻さんは、与那国町長になられ、傾いた町財政の建て直しと、独自の「島おこし」計画に真剣に取り組んでおられた。助役、収入役のポジションも廃止して、すべて自分が兼務するという激務が続いていた。
その激務の最中、石垣島出張中に尾辻町長は倒れ、帰らぬ人となってしまった。そのニュースを知ったとき「戦死」という言葉が、わたしの脳裡にはすぐに浮かんだ。
尾辻さんが健在なら、「自衛隊で島おこし」などという頓珍漢な発想は出ていなかったであろうと思う。国境の島ならではの「台湾交流特区構想」など、町の自立アイディアをことごとく潰してきた中央の官僚と政治家の罪が一番大きいわけだが、後継の外間町長には、くれぐれもしっかりしていただきたいものである(これはあくまでわたしの率直な感想だが、藤野さんもこれに近い感想を抱いておられるのだと感じられた)。
そんな尾辻さんの思い出話も飛び出しつつの6時間。あっという間にすぎてしまった。
最近(昨年暮れ)「たけしのTVタックル」に「自衛隊誘致反対派」として出演した田島政之さんの話題にもなった。わたしはこの方の「与那国人」ブログhttp://nishigo.ti-da.net/は、しょっちゅう拝見している。島への愛情がよく伝わってくるブログである。
また、藤野さんが与那国土産として特産の「長命草」を使ったクッキーをくださったので、わたしは瞬時に別の方のブログ「どぅなんちまのみしや」http://yonagunishop.ti-da.net/を思い起こして、「島には、長命草を使ったロールケーキを作っている方もいますよー」と藤野さんに告げていた。そのブログの主、イソバさんとはブログがきっかけでメッセージのやりとりをしている仲でもある。イソバさんのブログは、いつもおいしそうな料理やお菓子の話題やあるいは与那国の祭の様子など満載の楽しいブログなのだが、わたしの書く「普天間問題」の情報などにも、敏感に反応してくださるありがたい読者のお一人でもある。
藤野さんはほかにも、物書きとしてのわたしに対して、執筆テーマを吟味するうえで参考になる情報も、いくつも与えてくださった。感謝感謝である。
やんばるの桜を見にいきたいとおっしゃっていた藤野さん、きのう(2月4日)はあいにくの雨天でしたね。今頃はもう東京へ向かわれているのでしょうか。
昨秋、病と闘うことになり、いまも手に痺れが残っているといわれていましたが、くれぐれもご自愛ください。
*
というわけで、旧正月元旦の桜坂市民大学講座「サッカーというビジネスに触れる」(講師は、FC琉球GM・統括本部長の田部和良氏)の第3回、残念ながら欠席してしまいました。
その代わりといってはなんですが、藤野さんをホテルにお送りしたあと、FC琉球サポーターの代表として知られるヒロさんこと池間弘章さんのお店・フットボールカフェ「カンプノウ」(牧志のニューパラダイス通り)に顔を出しました。思えば名刺交換をさせてもらったのは、ハンドボールの琉球コラソンの試合会場で、太鼓を敲いて熱心に応援されている日のことでありました。

サッカーはもちろん知り合いのハンドボール選手たちのためにも一肌脱ぐヒロさんの、ストレートな情熱に共感を覚えます。お店に寄らせてもらったのはまだ3回ぐらいですが、この間、FC琉球フロント陣への思いも丁寧に説明してくれて、当方腑に落ちるところがありました。(写真は少し前に撮ったもの)
琉球キングスは、きょうあす、アウェー仙台で、2連戦。
新規加入のディリオン・スニード選手は、さっそく本日の試合からベンチ入りするようです。ということは、たぶん出場!!
202センチ、126キロというボリュームある巨漢にして、クイックネスもある、とキングスの公式サイトでも紹介されていますよね。
要注目です。きょうはリアルタイム観戦は無理だけど、bjtvの録画映像はしっかりチェックしたいと思います。
さて、昨日2月4日の散歩においても、ポンくんの左後ろ脚は、やはり道中の98パーセントぐらいにおいてしっかりと伸びていて、バネのきいた歩き方(大げさに言うと、サラブレッドのリズミカルな歩様に近い!!)をしておりました。

きょうの散歩は、これからです。きょうも調子がよければ、「回復」も本物かもしれないな。
それから気づくのが遅れたけれど、いつの間にか当ブログへのアクセス数が、20万件をかなり超えていました。10万件に達したのが、ブログ開設から1年弱でびっくりしたものですが、現在ブログ開設1年8ヵ月余り。ありがたいことです。
では、良き週末になりますように。
Posted by watanatsu at 11:49
│身辺雑記