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2012年12月29日

新良幸人と下地勇と夕焼けと月。

きちっと書かねば、と思うことがどんどんたまっていくこの頃ですが、些細な近況報告でもいいからブログにも載せろと言ってくれる奇特な読者のために、【追記】を加えつつのFacebookからの転載です。
昨夜と本日午前中に掲載した写真と文+α。

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新良幸人と下地勇と夕焼けと月。



ワンコたちといつもの公園でなかゆくい。日も落ちて、すでに空の色は濃紺に。しかし冬至から数日しか経っていないのに、ずいぶん日が長くなった気がする。
写真は、歩きながら振り返りながら撮った西の空。

十五夜の昨夜(注・27日)は、久茂地のリウボウホールで、下地勇ライブを堪能した。旧知の新良幸人&サンデーには、「なんで前日の俺たちのライブに来ないわけ?」と言われてしまいそうだが、連れていきたい人の都合がこの夜しかつかなかったのである。
でもおかげで、ソロの下地勇を初めてじっくり聴けて、よかった。
もちろん下地勇と幸人&サンデーは仲間であって、それで彼らがゲストで登場することも察しがついていた。
期待通り、三人のセッションも最高だった。
幸人&勇のユニット、SAKISHIMA meetingの名曲に加え、来年1月公開の映画『カラカラ』(宮平貴子プロデュース、クロード・ガニオン監督。音楽は新良幸人が担当!)の主題歌も披露。幸人がユーモアたっぷりにボロクソ言いながらこの映画を称える姿が、なんともおかしかった。なんでも音楽監督を任された幸人は、下地勇をも巻き込んで、主題歌のメロディは下地の手によるものとなったらしい(この点、記憶に間違いはないと思うのだが、もし違っていたらどなたかご指摘ゆたしく)。

ライブのあとは、別件のごく内輪の忘年会へ出席(緊縮財政の折、今年参加した忘年会は、これが最初で最後だ。年末はいろいろなライブへのお誘いをいただいているのたけれど、それも昨夜が今年最後のライブ観賞となった模様。皆様、ごめんなすって!m(__)m)。

で、夜中まで人と語らい、しこたま酒を食らうことになったので、本日のわたくしめ、じつはさっきまでダウン。これで、また当分は断酒してよい気分である。少し歩いて汗かいて、いまは元気回復。風がそよと吹いて、程よく涼し。

右傾化甚だしい自民政権の今後を監視しつつ、沖縄の大問題(=日本の大問題)と向き合いつつ、来年は自分自身の抱えている宿題も必ず形にしていこう、と心に誓った昨夜の酒宴だったが、もちろん今もシラフの頭でそう思える。

久しぶりに単行本を世に出すことは、先だって、敬愛する表現者にして私生活では大恩人の石川真生さんに対しても宣言し、己にプレッシャーをかけたばかり。それをわざわざここにも書いたのは、さらなるプレッシャーを己に与えたいがためである。俺って、Mか。

そういえば、さっきワンコたちと出かけるとき、久々に顔を合わせた真生さんから、「ははは、私服刑事みたいで、おっかしい!」と笑われてしまった。紺のキャップに首にはタオル、グレー系の上下ウインドブレイカー。たしかに、高江や普天間基地のゲート前でも、こんなカッコのオッサン、よく見かけましたなぁ(笑)。あれはいわゆる公安の皆様かな。

お、スマホをいじっているうちに風がひんやりしてきた。

また歩き始めよう。



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新良幸人と下地勇と夕焼けと月。


新良幸人と下地勇と夕焼けと月。



昨夜(注・28日)は十六夜の満月でした。
裏山の森の梢ごしに、久々の天体撮影(笑)。


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【追記】「下地勇ライブを聴いての雑感」

新良幸人は、ちょうど20年前に沖縄県産本編集者の新城和博氏に紹介されて以来、聴き続けている。
最初に聴いたのは、国際通りビルの地下の沖縄ジアンジアン(あの渋谷ジアンジアンの姉妹店だったが、随分前に姿を消してしまった)であったと思う。
あの張りのある艶っぽい歌声が響き渡ったとき、その地下室のコンクリートの壁と天井には、八重山の海と天空に浮かぶ十三夜の月が、くっきりと映し出されたように思えて、鳥肌が立った。
当たり前の話だが、みんな若かった。幸人が20代前半、当方は30代の前半だった。それから数年、沖縄と言わず東京といわず、集中的に新良幸人withサンデー(太鼓奏者の仲宗根哲)のライブを聴いたはずだが、なぜか観客が数人という夜もあり、「なんでだ、もったいなさすぎる」と本気で嘆き怒ったこともある。近年の活躍ぶりは、解説の要もないだろう。ようやく実力相応に観客が増えてきてよかった、という安堵感に包まれたのは、しかし10年ぐらいは前のことだろうか。

新良幸人(八重山出身)にとっても、下地勇(宮古出身)にとっても、二人で組んだユニット「SAKISHIMA meeting」の成功は、互いのためにも非常に良きことであっただろう。われわれファンにとっても、触れることのできる世界が広がって、楽しい限りであった。

つまりわたしのような観客も、新良幸人を通じて下地勇の存在を身近に感じることができた。
一昨日(27日)の下地勇のソロライブへ始めて出かけたのも、間違いなく新城和博→新良幸人…と繋がってきた、20年がかりの御縁による。

言うまでもないことではろうが、下地勇の特徴はなんといってもミャークフツ(宮古口)の歌。
その夜の一曲目も、ミャークフツだった。
わたしは沖縄島だろうが宮古島だろうが与那国島だろうが、未だにシマクトゥバがからっきしダメである。
このオランダ人の青年を見倣って、少しは勉強したいとも思うが、いかんせん怠け者ゆえ情けない限りである。
http://www.frablo.jp/2012/03/31/okinawan-language/

ところがである。
この日ばかりは、下地勇の発するミャークフツの意味が、一曲目から、かなり理解できた。
その歌は、下地ファンにとっては百も承知だったに違いないが、わたしにとっては初耳であった。

「他人は他人、自分は自分、決して世間に流されるなよ、わが道を行けよ」という意味のことを歌っていた。
その意味が、解説抜きで理解できたのだ。
これは理屈ではない。これこそが歌の力だと思った。
なんだかありがたい気持ちになった。

さて、そういうありがたい時間の流れの延長で、昨夜の美しい夕焼け→十六夜の満月→今朝の快晴…ときたもんだから、わが心、元気で仕方がない。原発推進と戦争参加を企むおぞましい政権が誕生してしまった危機的政治状況とは裏腹に、わたしの心は穏やかで平和である。これからこの悪しき政治勢力と闘うためにも、この平和な心のエネルギーを失ってはいけないのだ、としみじみ思う。

あんまり天気がよくて暖かいのでワンコたちを連れて海へ行きたくなったが、みるみる雲が増えてきた。
今から音楽聴きつつのドライブでもしつつ、年末年始の作戦を立て直そうと思ふ。



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Posted by watanatsu at 17:15 │身辺雑記