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2009年07月16日

キングス前主将・友利健哉、富山へ移籍!

 琉球キングスの「優勝メンバー」の進路選択に関して、大きな動きがありました。

 本日7月16日付の琉球新報(スポーツ面)は、「友利、富山移籍へ」という見出しを掲げ、友利健哉選手の顔写真付でこう報じています。全文は次のとおり。

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 プロバスケットボールのbjリーグ・琉球ゴールデンキングスに昨季まで所属した友利健哉(中部工業高-専修大)が、富山クラウジーズと選手契約で基本合意する方向であることが15日分かった。富山は「17日までに記者会見し、発表する予定」としている。
 友利はキングスがリーグに参入した2007年から09年まで所属。昨季は主将としてチームをまとめ上げ、初優勝に貢献した。

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 以下、わたしの雑感、プラス、Team47の誌面や取材ノートからの転記。

 友利選手の移籍が確実になったのであろうことは、少し前、琉球ゴールデンキングス公式サイトから彼のブログが突然削除された時点で、多くの人が気づいたはずである(そこまで1ヵ月ぐらいブログは更新されていなかった気もする)。

 結論から言えば、「移籍先が決まっておめでとうございます。キングス時代は、本当にありがとうございました」、心からそう伝えたい、という気持ちである。

 選手としてのプレータイムは昨季、決して多くはなかった。だが、公の行事の場において、あるいはマスコミの取材に対して、友利健哉は常にキャプテンとしての自覚をもって、しっかり対応していた。もちろん、わたしに対しても常に真摯に丁寧に礼儀正しく応えてくれた。その事実は、今もしかとこの胸に残っている。

 Team47が、「まるごと一冊 キングス大特集」(3月下旬発行)を組んだとき、友利選手に関するくだりで、わたしは次のように書いた。

《若きキャプテン友利健哉も、当然というべきか、絶えずチーム全体のことを考えている男だ。試合がやや膠着状態のとき、澤岻に代わって彼がコートに立った途端、ボール回しが急に速くなってゲームが動き始めた、という場面も記憶に新しい。
「ベンチスタートの選手は準備が難しい面もありますが、出番まで、自分が出たらああしようこうしよう、と考えることができます。例えば、あまり球を触っていない選手にボールを回してあげよう、とか。難しい部分を楽しさに繋げられるように努めているつもりです。みんな、年下キャプテンの言うことをきちんと聞いてくれる選手たちなので、僕はほんとに助かってます」》

 もちろん限られた誌面の中、彼との会話をすべて書けたわけではない。だが、大切なエッセンスは伝えることができたと思っている。
 いま少し補足すれば、彼はキャプテンとしての意識をこんなふうに述べてもいた。
「バスケットって、エースが5人いても勝てるスポーツではないですよね。フロントや選手の誰一人脱落することなく、最後まで(プレイオフまで)戦いきることが大切だと思っています。それに、ファンの力が僕らに力を与えてくれて、だからこそ勝てるものだ、ということも痛感しています。沖縄のブースターの盛り上がりは凄いし、審判の判断に対しても目が肥えていて、僕らの力になってくれています」
 そしてこんな率直な告白(笑)も。
「お互い人間なので、選手同士のコミュニケーションがうまくいかなかったり、フラストレーションがたまることだってありますよ。でも、結局みんな年下キャプテンを立ててくれます。じつは今、年上の選手や同級生の選手から、僕は育ててもらっているんだ、と感じているんです」

 そんな友利健哉がキングスを去り、新たなステージへ旅立っていく。
 祝福したい。富山のチーム構想がどうなっているのか、まるで疎いわたしではあるけれども、契約するからには、必ずや彼に重要なポジションを与えるのだろうと信じたい。
 違う環境に入って、これまでよりもプレータイムが増えるならば、彼の才能は、今までとは違った色と匂いの花を咲かせるはずである。

 新しいシーズン、富山クラウジーズの友利健哉が琉球キングスにどう挑んでくるのか、楽しみである。
 友利健哉よ、今までありがとう。そしてこれからもよろしく。



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Posted by watanatsu at 13:28 │スポーツ