2010年04月15日
『Standard』復刊おめでとう!! そして、大切なご挨拶。
わがことのように嬉しい出来事である。
沖縄から遠く離れた岩手県で、素晴らしいプロジェクトが復活した。

岩手スポーツマガジン『Standard』(スタンダード)が、このたびリ「ニューアル復刊」を果たしたのだ。
そのVol.1[4・5月]号がつい先ほど、宅配便で届いたのである。
送ってくれたのは編集長。かれこれ四半世紀の付き合いになる友人・林裕(はやし・ゆたか)君である。
東京時代の雑誌記者仲間であるが、21世紀に突入したばかりのころは東京で某雑誌の編集長を務めていた。しかし、その後突然、岩手県は岩手山の麓、小岩井農場近くの空気のおいしい田舎に引っ越した。子育てのために、素晴らしい環境を選んだんだなぁと感心していた。新しい職場は県都・盛岡市の印刷会社と聞いていたのだが、いわゆる企画・編集の仕事を精力的に続けていることも、風の便りで伝わってきていた。
そして2007年、彼は、志ある地元のスポンサーと組んで、ローカル・スポーツマガジン『Standard』(月刊ないし隔月刊)をスタートさせるのだ。岩手には、例えば琉球キングスのような目だったプロチームはないが、高校野球や高校サッカーから、マイナースポーツ、さらにはみちのくプロレスまで、ローカルな話題を取り上げ、主に岩手県内で販売するだけで、立派にスポーツ・マガジンが成り立つことを証明してみせた。
↓↓↓

しかし、08年秋のリーマン・ショック以降、御多聞にもれず、スポンサーが下りて一時的に雑誌存続が厳しくなり、休刊に。しかし、その後も、高校野球の花巻東高校の活躍を特別編集のムックに仕立てる(地元新聞社の岩手日報社から発行)など、奮闘努力ぶりはますます伝わってきていた。
そしてさらに、このたびは、所属する印刷会社と新聞社と広告代理店の3社共同事業として、めでたくリニューアル復刊に漕ぎ着けたわけである。
その第1号の表紙をひらりとめくった2-3ページの見開きには、こうある。
↓↓↓

「岩手を一つにするのはスポーツだ。心の底から、そう思う」
これに刺激を受けるな、というほうが無理である。
ああ、岩手を沖縄に置き換えたら、どうだろう。
しっくり来すぎるほどにグッと来るフレーズではないか。
わが沖縄こそは、スポーツで一つになれる豊かな土壌がすでにある、特別な県であるはずなのに。。。
わたしも2008年の暮れから09年の夏にかけて、沖縄初のスポーツ・マガジンの「雇われ編集長」やメインライターを務めさせてもらったが、今振り返れば、収穫と同時に反省点も非常に多いマガジンだった。
第一の反省点は、わたしを雇った企画人の発行準備作業があまりにもズサンで、存続させるための戦略も物理的裏づけもないまま見切り発車しており、しかも当方の対処が決定的に遅れてしまった点。もう少しスタート段階の戦略・方法論がしっかりしていたら、今頃あのスポーツ・マガジンは、さらなる認知と評価を得つつ存続していたに違いない。
たくさんのスポーツ関係者の皆さんが快く協力してくださっただけに、申し訳ない気持ちでいっぱいである。
この場を借りての言い訳になるが、わたしがこれまで、あの雑誌の「休刊」あるいは「廃刊」についてのご挨拶をさせていただいていないのには、理由がある。
未だに、企画・発行人サイドから、編集長やメインライターを務めていたわたしに対してさえ、「休刊」あるいは「廃刊」の経緯や理由に関する詳しい事情説明は、一切ないままなのである(わたしを雇ったその人物は、昨夏、2~3行のメールでこのマガジンの存続が駄目になりそうだと通告してきたのみである)。
そんなバカな、と思われるだろうが、これが現実である。
納得のいく説明が皆無のまま、怒りを通り越してあきれ果てたまま、ずいぶん時間が経過してしまった。
そして、時間の経過とともに、当初はあきれ果てつつ同時に覚えていた少しの心の痛みの感覚も、すっかり鎮まってしまった次第(時が癒してくれた。苦笑)。
しかし、である。
遠い東北の大地で頑張っている友人の快挙を見て、わたしも大いなる刺激を受けている。
やはり、あのまま終わってはいけないのだ、という気持ちになってくる。
沖縄のためにも、沖縄が大好きでスポーツが大好きな自分のためにも、もうちょっと頑張ってみたい。改めて、そう思った今宵である。
林編集長、『Standard』復刊、おめでとう。そして、大いなる刺激をありがとう。
おいらも、頑張ります。沖縄を愛し、スポーツを愛するウチナーンチュの理解者・協力者に、改めて相談してみます。
そこで、まったく本当に「この場を借りて」で申し訳ないのですが、今までお世話になってまいりました沖縄のスポーツ関係者の皆さん、取材協力者の皆さん、支えてくれたすべての皆さんに改めて御礼を申し上げます。同時に、わたしなりの言い分があったとはいえ、昨夏「Team47 press」休刊のご挨拶さえできなかったことを、深くお詫び申し上げます。どうかお許しください。
改めて、皆さんに個別にご挨拶させていただきます。そのときはぜひ、また前向きなお話をさせてください。聞かせてください。なにとぞよろしくお願い申し上げます。
追伸:「沖縄のスポーツ界を盛り上げるために、われこそはスポンサーたらん」という志のある方、あるいは「カネは出せんが、それ以外のことなら少しは協力できるぞ」という方、ぜひお気軽に当ブログまで、左サイドの「渡瀬夏彦へメール」欄から、ご連絡ください。
沖縄から遠く離れた岩手県で、素晴らしいプロジェクトが復活した。

岩手スポーツマガジン『Standard』(スタンダード)が、このたびリ「ニューアル復刊」を果たしたのだ。
そのVol.1[4・5月]号がつい先ほど、宅配便で届いたのである。
送ってくれたのは編集長。かれこれ四半世紀の付き合いになる友人・林裕(はやし・ゆたか)君である。
東京時代の雑誌記者仲間であるが、21世紀に突入したばかりのころは東京で某雑誌の編集長を務めていた。しかし、その後突然、岩手県は岩手山の麓、小岩井農場近くの空気のおいしい田舎に引っ越した。子育てのために、素晴らしい環境を選んだんだなぁと感心していた。新しい職場は県都・盛岡市の印刷会社と聞いていたのだが、いわゆる企画・編集の仕事を精力的に続けていることも、風の便りで伝わってきていた。
そして2007年、彼は、志ある地元のスポンサーと組んで、ローカル・スポーツマガジン『Standard』(月刊ないし隔月刊)をスタートさせるのだ。岩手には、例えば琉球キングスのような目だったプロチームはないが、高校野球や高校サッカーから、マイナースポーツ、さらにはみちのくプロレスまで、ローカルな話題を取り上げ、主に岩手県内で販売するだけで、立派にスポーツ・マガジンが成り立つことを証明してみせた。
↓↓↓

しかし、08年秋のリーマン・ショック以降、御多聞にもれず、スポンサーが下りて一時的に雑誌存続が厳しくなり、休刊に。しかし、その後も、高校野球の花巻東高校の活躍を特別編集のムックに仕立てる(地元新聞社の岩手日報社から発行)など、奮闘努力ぶりはますます伝わってきていた。
そしてさらに、このたびは、所属する印刷会社と新聞社と広告代理店の3社共同事業として、めでたくリニューアル復刊に漕ぎ着けたわけである。
その第1号の表紙をひらりとめくった2-3ページの見開きには、こうある。
↓↓↓

「岩手を一つにするのはスポーツだ。心の底から、そう思う」
これに刺激を受けるな、というほうが無理である。
ああ、岩手を沖縄に置き換えたら、どうだろう。
しっくり来すぎるほどにグッと来るフレーズではないか。
わが沖縄こそは、スポーツで一つになれる豊かな土壌がすでにある、特別な県であるはずなのに。。。
わたしも2008年の暮れから09年の夏にかけて、沖縄初のスポーツ・マガジンの「雇われ編集長」やメインライターを務めさせてもらったが、今振り返れば、収穫と同時に反省点も非常に多いマガジンだった。
第一の反省点は、わたしを雇った企画人の発行準備作業があまりにもズサンで、存続させるための戦略も物理的裏づけもないまま見切り発車しており、しかも当方の対処が決定的に遅れてしまった点。もう少しスタート段階の戦略・方法論がしっかりしていたら、今頃あのスポーツ・マガジンは、さらなる認知と評価を得つつ存続していたに違いない。
たくさんのスポーツ関係者の皆さんが快く協力してくださっただけに、申し訳ない気持ちでいっぱいである。
この場を借りての言い訳になるが、わたしがこれまで、あの雑誌の「休刊」あるいは「廃刊」についてのご挨拶をさせていただいていないのには、理由がある。
未だに、企画・発行人サイドから、編集長やメインライターを務めていたわたしに対してさえ、「休刊」あるいは「廃刊」の経緯や理由に関する詳しい事情説明は、一切ないままなのである(わたしを雇ったその人物は、昨夏、2~3行のメールでこのマガジンの存続が駄目になりそうだと通告してきたのみである)。
そんなバカな、と思われるだろうが、これが現実である。
納得のいく説明が皆無のまま、怒りを通り越してあきれ果てたまま、ずいぶん時間が経過してしまった。
そして、時間の経過とともに、当初はあきれ果てつつ同時に覚えていた少しの心の痛みの感覚も、すっかり鎮まってしまった次第(時が癒してくれた。苦笑)。
しかし、である。
遠い東北の大地で頑張っている友人の快挙を見て、わたしも大いなる刺激を受けている。
やはり、あのまま終わってはいけないのだ、という気持ちになってくる。
沖縄のためにも、沖縄が大好きでスポーツが大好きな自分のためにも、もうちょっと頑張ってみたい。改めて、そう思った今宵である。
林編集長、『Standard』復刊、おめでとう。そして、大いなる刺激をありがとう。
おいらも、頑張ります。沖縄を愛し、スポーツを愛するウチナーンチュの理解者・協力者に、改めて相談してみます。
そこで、まったく本当に「この場を借りて」で申し訳ないのですが、今までお世話になってまいりました沖縄のスポーツ関係者の皆さん、取材協力者の皆さん、支えてくれたすべての皆さんに改めて御礼を申し上げます。同時に、わたしなりの言い分があったとはいえ、昨夏「Team47 press」休刊のご挨拶さえできなかったことを、深くお詫び申し上げます。どうかお許しください。
改めて、皆さんに個別にご挨拶させていただきます。そのときはぜひ、また前向きなお話をさせてください。聞かせてください。なにとぞよろしくお願い申し上げます。
追伸:「沖縄のスポーツ界を盛り上げるために、われこそはスポンサーたらん」という志のある方、あるいは「カネは出せんが、それ以外のことなら少しは協力できるぞ」という方、ぜひお気軽に当ブログまで、左サイドの「渡瀬夏彦へメール」欄から、ご連絡ください。
Posted by watanatsu at 23:59
│スポーツ