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2010年10月07日

沖縄高校野球・秋季大会2010・決勝戦&旧海軍司令部壕。

沖縄高校野球・秋季大会2010・決勝戦&旧海軍司令部壕。


10月5日、火曜日。沖縄セルラースタジアム那覇で、沖縄県高校野球秋季大会の決勝戦が行われた。わたしが到着したとき、すでに駐車場は満車状態で、クルマの行列ができていた。少し早めに到着したつもりが、遠く離れた駐車場に移動し、徒歩で引き返す間に、プレーボールのサイレンは鳴らされていた。もっと早めに到着すべきだったわけだが、出がけに電話がかかってきて、そうなってしまった。あるいは自転車で駆けつけたほうがよかったな、と思ったものの、時遅し。
このスタジアムの今後の課題は、駐車場問題である。
来年からジャイアンツの春季キャンプもここでやるというのだから、ちょっとは対策を考えてもらいたい。
はっきり言って、目の前にある「米軍那覇港」の有り余ったスペースをほんの一部開放するだけで、この問題は解決する。管理者の那覇市が、しっかり米軍に要求すればいい。

過去にも奥武山公園でのビッグイベントの際に、那覇軍港スペースが開放されていた記憶がある。実現は難しくないはずである。協力しない米軍ならば、市民県民の反感をますます買うだけだ。


試合開始後も、平日の午後だというのに、入場券売り場には行列ができていた。この決勝戦、「興南vs沖縄尚学」のカードの人気の高さがうかがえた。週末であれば、相当の集客が望めたことであろう(駐車場の混乱も、さらにひどくなったと思われるが)。

試合は、周知の通り、6対0で、興南高校の完勝だった。
甲子園「春夏連覇」メンバーの主力の3年生と比べると打線はまだまだ非力だが、それでも計12安打、4回のチャンスに集中打を生むなど、ここぞというときに畳み掛ける興南の攻撃力は健在であった。ひと冬越して逞しくなった姿を思わず想像して、楽しくなったのも事実である。新キャプテンの5番打者・外間正伍捕手は、4回のチャンスづくりに貢献したのみならず、8回にもダメ押しの2ランホームランを放つなど、思い切りの良さを含めて、先輩の我如古盛次主将を彷彿させる、「チームを引っ張る気概」もなかなかのものがあり、頼もしく感じられた。

さらに、新エース川満昂弥投手も、4安打完封勝利を収め、安定感を示していた。ストレートは、130キロ台後半だったが、変化球との緩急の組み合わせ、コースを衝くコントロールも及第点。これまたひと冬を越して、基礎体力がアップした日の姿が、楽しみである。
沖縄高校野球・秋季大会2010・決勝戦&旧海軍司令部壕。



我喜屋優監督は、試合後報道陣に囲まれて(わたしもまじってます)、余裕の微笑を浮かべつつ、秋季大会をこう振り返っていた。

「4季連続(甲子園出場)が途切れなくてよかったです(=次のセンバツ大会出場の参考となる九州大会に駒を進めることができてよかった、という意味)。(例年センバツ出場が確実視される)九州大会ベスト4を最低限の目標として、これから頑張っていきます」

この秋の選手たちの成長を問われたときは、こんな反応に。

「成長したかどうかもわからりませんでした(苦笑)」とややジョーク含みで返したあと、こう続けた。「監督がアメリカ(日米親善野球)に行ったり、(千葉)国体へ行ったり、どこにいるかもわからないなかで、親はなくとも子は育つ、というかたちになってくれて良かったです」

「先輩のやることを見て、成長してくれていたんだなぁ、と思いました。(エースの)川満なんかは、宮古から親元離れて、興南の厳しい環境のなかで逞しく成長したなぁ、と感じます」

ここで、川満投手を褒めた意味は、じつは奥深いものがあるという気がした。
即座にニュース原稿を書かなくてはいけない立場にないわたしとしては、後にその部分も個人的に質問させていただこうと思った。わたしが「報道」関係者として、球場で取材する意味は、じつはこういうところにもあるのである。

その理由の一端を想像すると、こうなる。
宮古島の人びとが島をあげて「宮古から甲子園へ」という機運を高めていったその最中に、川満君が沖縄本島の興南へ進学することを選んでいる、という事実。また、彼が3回戦のコザ高校との試合で延長10回裏、ノーアウト満塁という絶体絶命のピンチに立たされ、それを凌ぎ切ったという事実。

いずれにしても、「興南、センバツ絶望」の一歩手前で崖っぷちから生還した、そのことの意味は大きいに違いなかった。あのとき、西崎野球場で、我喜屋監督は、こう選手に苦言を呈しつつ、一方では選手をかばったものだ。

「ふだんの生活そのまんまの、だらしない試合ですよ。(10回裏のピンチには)学校のグラウンドに帰って練習することしか考えていませんでしたよ」
「しかし、彼らは犠牲者という面もある。(新チームは)1ヵ月半もほったらかしにされていたんだから。大仕事の裏には、落とし穴があるもんです」

九州大会へ沖縄尚学とともに臨むことになったことに水を向けられると、落ち着いた表情でこう語っていた。

「今年のセンバツに嘉手納高校と2校同時に出場できたように、(次も)2校出るために、(沖縄尚学の比嘉公也監督と)情報交換しながら(九州大会の)現場へ向かいます」

「九州4校」のセンバツ枠の2つを沖縄勢が2年連続で占めてしまうのも、我喜屋監督にとっては、少しも不思議ではないこと、なのかもしれない。興南だけが良ければそれでよし、という考え方をしないところが、この人の真の「強み」なのだと思われる。

沖縄高校野球・秋季大会2010・決勝戦&旧海軍司令部壕。


いずれにしても、10月23日から熊本で行われる九州大会が楽しみである。わたしも熊本へ飛んで、追っかけ取材をさせてもらうことに決めた。現地からのリポートを、当ブログでも、可能な限りお伝えしたいと思っている。


沖縄高校野球・秋季大会2010・決勝戦&旧海軍司令部壕。


さて、その火曜日(5日)、沖縄セルラースタジアム那覇をあとにして、わたしがクルマを向けた先は、「旧海軍司令部壕」だった。じつは、同じ豊見城市内のご近所に位置していながら、未だかつてここへ足を踏み入れたことがなかった。南部戦跡の各所(牛島満中将が自決したガマ=洞窟も含む)や、集団自決の悲惨が引き起こされた現場のひとつ、チビチリガマ(読谷村)など、これまでいくつもの「戦跡」を訪問してきたわたしとしては、身近に位置するこの「司令部壕」を訪れていないことが、妙に心に引っかかり続けていた。

で、なぜその日でなければならなかったかは、まるで説明がつかない。朝の段階で予定を決めたわけでは少しもないし、試合後、スタジアムをあとにするときでさえ、考えていなかった。気がついたら、現地に到着していた。自分でも不思議である。

沖縄高校野球・秋季大会2010・決勝戦&旧海軍司令部壕。


そのとき16時半ごろで、17時が閉館時刻。受付の女性に訊くと、30分あれば充分見学できると思うとのこと。ちょうど団体さんが一緒だった。若い自衛官たちの一行だった。たくさんの兵士たちが死んだ現場を、現代の兵士たちと歩く、というのは、なんだか変な気分だった。入館料420円を支払い、壕の階段を下りていった。

65年前の沖縄戦の末期、「沖縄県民斯く戦ヘリ、県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」と東京へ打電した大田實少将ら6名の海軍幹部がここで自決したのは、糸満・摩文仁の断崖の洞窟で牛島中将らが自決し組織戦闘が終結したとされる日より10日ほど前の、6月13日の夜のことだった。

65年経ってはいても、地下通路を歩き、壕の各部屋を覗きつつ、わたしは胸苦しさを覚えた。幕僚室の壁面には、自決の際の手榴弾の爆発痕が生々しく残っている。

現代の兵士である自衛官たちの顔を観察したが、さすがに皆、神妙な表情である。
見るからに悲しみの色を浮かべている女性自衛官もいた。

「英霊か犬死か」という言葉が、ふと胸に湧き上がってきた。
見そびれたままのQAB琉球朝日放送のドキュメンタリー番組のタイトルである。
沖縄戦で死んだ0歳児までが、戦争協力者として、靖国神社に祀られている。

わが肉親の死を、是非とも「犬死」として認めたい。戦争協力者の「英霊」なんかにされてはたまらない。だから、靖国に祀られていることそのものに異議を唱え、国と靖国神社を相手に訴訟を起こす。

沖縄には、そうして「戦争」に対する「ノー」の叫びをあげ続けている人たちがいる。その人たちの姿を追った優れたドキュメンタリーだと評判の作品だ。

最初は9月6日の「テレメンタリー」枠で全国放送されたらしい。その30分番組を1時間ものに再編集して、沖縄で9月15日放送、23日に再放送したようだ。どちらも見そびれている。しかし、石川真生さんが、録画してくれていたはずだ。近々、ダビングさせてもらって、しっかり見たいものである。

現代の兵士たちと一緒に壕のなかを歩きながら、「君たちが、もし戦争で死んだら、それは間違いなく犬死だ」と、わたしは内心の深いところで呟いていた。

そして、妙に彼らに感謝したい気分になった。わずか30分とはいえ、彼らがそこにいなければ、わたしはたった一人で、この壕を歩き回っていたことになる。そして間違いなく、胸が苦しくなってしまっていた。現代の兵士たちが、そのわたしの気分を紛らわしてくれたことは間違いないのである。

高校野球はじめ、スポーツ文化は、戦争の対極にある「戦い」だ。
どんな人でも人生のさまざまな場面で遭遇する「戦い」がある。同様に尊い「戦い」がスポーツにおけるそれである。その戦いのなかには、楽しさがあり、喜びもある。

平和を謳歌する象徴としてのスポーツ文化をこそ、わたしたちはこれからも育んでいきたい。

戦意高揚のためにスポーツが利用されるような時代にだけはしてはいけない。

じつは、きょう、ブログを書く前に、国会中継を少し眺めていた。

「普天間移設問題」に関する首相答弁は、「お粗末なり、菅直人」というほかないものだった。

野党党首らからの、沖縄の民意を考えれば辺野古への移設など不可能だろうという趣旨の質問に対して、あいもかわらず、なんとかのひとつ覚えで「日米合意を踏まえて、沖縄の負担軽減に努める」という意味のことを、気持ちのこもらぬ棒読みで繰り返すのみ。

自国の理屈で世界中で戦争を仕掛けてきたアメリカという国がある。
その国に常に追従し、沖縄の民意は切り捨てても構わないと考える官僚や政治家が、この国を牛耳っている。大手メディアの大半も、付き従っている。


だが、何度でも言おう。
「辺野古に新基地を造ることが前提」の「沖縄の負担軽減」など、断じてあり得ない。
嘉手納以南の米軍施設の返還がパッケージだからいいだろう、負担軽減になるだろう、だと???
そんな屁理屈で誤魔化される県民は、ほとんどいないのである。
そのことを、このオッサンはわかっていない。これほど、おバカ丸出しな話もないのである。

というわけで、きょうも沖縄県民としてのわたしは、考えるべきことが山ほどあるのだった。

では皆さん、明日も良き一日になりますように。
沖縄高校野球・秋季大会2010・決勝戦&旧海軍司令部壕。


(写真は、海軍司令部壕のある丘から石川真生邸のある丘を望んだショット)



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Posted by watanatsu at 18:44 │スポーツ