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2011年03月25日

「ボクシング王国復活」と「FC琉球の未来」について。

10代の終わりから続いていた旅人としての沖縄通いに、「仕事」(取材)で通うという行為が加わったのは、1992年のことだった。

それは沖縄の祖国復帰20周年に当たり、ボクサー平仲明信(本名・信明)が、メキシコへ飛んでWBA世界ジュニアウェルター級(現スーパーライト級)のチャンピオンベルトを、1ラウンドTKO勝ちでもぎ取ってきた年でもあった。

昨日3月24日は、彼の実弟の平仲信敏(元日本フェザー級チャンピオン)の命日だった。
彼が交通事故で亡くなってから、丸11年が過ぎたことになる。晩年の彼とは、非常に親しい付き合いをさせてもらっていた。

仏壇の前に駆けつけることはできていないが、毎年、心の中でウートートーして(祈って)いる。
おそらくは「千の風」になっているはずの彼に向かって、沖縄県民として丸5年が過ぎようとしている己の近況報告もした。

自然な成り行きというべきか、沖縄へ移住してからのわたしには『ボクシングマガジン』(ベースボールマガジン社発行の月刊誌)の沖縄地区担当記者という仕事上の立場も加わっている。

そんな夜、久々にボクシングジムの匂いを嗅ぎたくなった。

向かった先は、宜野湾市愛知の琉球ボクシングジム。
そこで、試合直前の仕上げのスパーリングをしている選手がいるはずだった。
平仲ボクシングスクールジムの宮本達矢選手(昨年の西部新人王。全日本新人王戦・西軍代表決定戦で惜しくも敗退)である。

わたしは沖縄(出身・在住)のボクサーたちのブログをまめにチェックしているのだが、宮本選手は、当方と同じてぃーだブロガーでもあり、彼の「宮本見聞録」http://miyatatsuya.ti-da.net/ は、頻繁に読ませてもらっている。真面目な人柄と聡明さの伝わってくるブログである。

そのブログによって、4月2日の試合に臨む(奥武山の県立武道館で、あの亀田兄弟の次男・亀田大毅がメインを張る大会の前座試合に登場する)彼が、この夜、最後の「出稽古」に出かけているだろうことが察せられていた。

わたしは昨年10月、熊本で行われた全日本新人王・西軍代表決定戦を生で観ている。
敗れはしたものの、全力を尽くしたすがすがしい彼の戦いぶりに、好感を抱いたものである。その折に、彼と初めて会話を交わした。人格も優れた選手であることが、瞬時にして伝わってきた。それからというもの、一層頻繁に彼のブログを訪問するようにもなったのである。

つい最近のある日のブログには、琉球ジムのホープ、知念勇樹選手(09年全日本ライトフライ級新人王)と6ラウンドのスパーリングを行ったことも書かれていた。だから、ますます気になっていた。

そして、昨夜ようやく駆けつけることができたのである。内心、知念選手とのスパーが少しは観られるかもしれないと淡い期待もしつつ。。。。

しかし、ジムに知念選手の姿はなかった。マネジャーを務める会長夫人にお訊ねすると、連日ハードな練習を重ねてきた知念選手と担当の仲井真重春トレーナーhttp://ryukyuboxinggym.ti-da.net/  は揃って、ちょうどこの日を休養日と決めていたようだ。

宮本選手のスパーの相手は、琉球ジム所属の10キロほども体重の重い相手だった。
しかし、パワーに押されることなく、多彩なパンチを繰り出していた。
減量のピークにある時期にしては、よく体が動いていた。

終了後、彼とあいさつの言葉を交わした。
ブログを見て来たのだと告げると、まっすぐこちらを見つめ、「いつも勉強させてもらってますっ」と爽やかな答えを返してくれていた。わたしは掛詞(かけことば)と理解した。

琉球ジムさんに出稽古に来るたびに、いつも勉強させてもらってます。
それから渡瀬さんのブログを読むことも、勉強になってますよ。

つまり彼も頻繁に当ブログを読んでくれていることをわたしは知っていたのである。
自慢したくてそう書くのではない。アルバイトをしながらプロボクサーとして沖縄の地で頑張っている九州男児の彼が、わたしのブログを読んで何を思うか、少し気にはなっていたのである。「普天間問題」等沖縄に住むヤマトゥンチュが真剣に考えるべき問題、東日本大震災がらみの話、いろんなスポーツ、アートについて、あるいは日常の雑感まで、あちこちに話題が飛ぶ当ブログを読みつつ、何を感じてくれているのか。とくに試合前の大切な時期に、一瞬でも余計な神経を使わせていないか、少しは気にしてもいたのである。

そのわたしに彼は「勉強させてもらってます」という返事をくれた。
いや、当ブログに対してそう言ってくれたのだと勝手に解釈して、安堵しつつ、ありがたい思いに包まれたのである。

この日の宮本選手は、疲労のピークに達しており、スパー後はフラフラだったが、人と会話するときには、シャキッとした姿勢を崩さなかった。そこにも、彼の意地が、垣間見えた。優しい顔をしているが、芯の強い男である。

琉球ジムの関係者も、宮本選手の成長ぶりには、目を細め、拍手を送っていた。
どんな試合をしてくれるか、4月2日が楽しみである。

同日のリングに上がる琉球ジム所属の屋冨祖裕信選手、小谷将寿選手らは、この日は、ジム外で別メニューのトレーニングをしているようだった。今月いっぱい、そして4月上旬までは、なぜかスケジュールが立て込んでいる。ジムへ見学に赴く機会はなかなかつくれそうにない。当然彼らの練習ぶりも眺めたいと思っていたのだが、当日の試合ぶりをひたすら期待することにしよう。


新鮮だった出来事。仲井真重次会長が、みずからミットをもって、U-15の少年ボクサーを指導していたこと。このところずっと直接の指導は、若いトレーナーに任せ、一歩距離をおいて選手たちを見守っていただけに、じつに懐かしい光景だった。先ほどは、スパーリングを見つめつつ、盛んにアドバイスの声を飛ばしていた。

頂点を目指す選手を育てたいという情熱は、少しも衰えていない、と感じられた夜。
同郷の後輩・具志堅用高をボクシングの道へ誘い、協栄ジム時代に彼を世界王座に就かせた名トレーナー。沖縄に帰ってジムを開き、平仲明信という世界王者を誕生させもした。

あれから、はや19年。
いま、「ボクシング王国復活」への狼煙が立ち上るのを感じている、といえば大げさにすぎるだろうか。

「ボクシング王国復活」と「FC琉球の未来」について。



「ボクシング王国復活」と「FC琉球の未来」について。



「ボクシング王国復活」と「FC琉球の未来」について。


写真は、上から順に、スパーリング中の宮本選手(体勢を低くしている選手)。スパーを見守る仲井真会長(右端)。ミットを持って少年のパンチを受ける仲井真会長。


見学(取材)を終えて、那覇市内へと急いだ。
昨夜は、桜坂市民大学講座「サッカーというビジネスに触れる」の最終回なのだ。
しかし、どうしてもこの夜に琉球ジムを訪ねておきたかったわたしは、遅刻を覚悟していた。

相当の時間の遅刻だったので、遠慮がちに教室に入っていったのだが、最前列の席が空いていることに気づいて、講師から数十センチの距離のその席へ座ることにした。われながら図々しいところである。

最終回ゆえ総括的講義。
「ボクシング王国復活」と「FC琉球の未来」について。




講師のFC琉球GM兼統括本部長・田部和良さんは、遅刻者のわたしに、いきなり問いをなげかけてくる。わたしは言いたいことを言う。あるいは、質問タイムには、サッカーにとびきり詳しい人ぞろいの受講生を差し置いて、素人・門外漢のわたしが、ぜひしたかった質問をさせてもらった。やっぱりおれって、図々しいよな、と少しは思いつつ。。。。。

その話の中身は、やはり受講生にのみ知ることを許された特権的部分であるから、ここに書くことは控えよう。

ただこの講座を通じて、田部和良さんが昨年1月末、FC琉球にやってきたことの意味が、この球団に対して疑問を抱き続けてきた(念のために言えば、選手・コーチ陣には罪はない。まず第一にフロントの姿勢が問題だった)わたしにもよく理解できた、とだけ述べておこう。

田部さんが沖縄に来てからというもの、県内でのFC琉球の認知度が飛躍的に上がったことは事実である。沖縄県、あるいは沖縄市といった行政レベルの理解・支援の度合い、あるいは民間のバックアップ体制も見違えるほど進展している。この球団に対して辛口の視線を投げかけつづけてきたわたしが、この講座を受講したこと自体、球団を取り巻く状況の「変化」の一端と見てもらってよいかと思う。

田部さん自身もGMとして、このチームがチームとして、躍進するための力をようやく付けつつあることを実感している様子。たとえばの話、「我那覇は、ほんとうに、うまいっ」と感心しているという。そう聞くだけで、もうわくわくしてくる。多くの沖縄県民と同じく、全盛期の川崎フロンターレでの彼の姿も日本代表チームでの彼の雄姿も、生で観たことが一度もないのだから。

深夜に始まった打ち上げの飲み会にも、途中まで参加させてもらった。断酒宣言してから、まだ10日あまり。さすがに禁を破る気にはならない。ウーロン茶とウッチン茶(うこん茶)でお付き合い。少数精鋭の受講生が田部GMを囲んでの飲み会は、じつは2度目。2度とも、サッカーフリークとして知られる桜坂劇場プロデューサー・野田隆司さん(あるときは雑誌編集者でもあったりする多彩な仕事ぶりを誇るこの人にも、以前から個人的にいろいろと世話になっている)も参加していた。

前回の飲み会の席。野田さんの、田部さんに対する突っ込みが忘れられない。
「田部さんは、いろんなチームを渡り歩いてこられましたが、またどこからか声がかかれば、そっちへ行っちゃうんですか?」
それに対する田部さんの答えをなぜか失念してしまっている(笑)。
でも、いいのである。答えは聞かなくてもいいのだ。

わたしの内部の声が言う。
「田部さん、ここまで来たらもう、FC琉球をJリーグに昇格させるのは、最低限の仕事ですよ。チームを本格的な軌道に乗せるまで、絶対に他所へは行かせませんよ」(笑)

これはおそらく、筋金入りのサポーターの声でもあるはずだ。
そしてきっと、田部さんは、その声をヒシヒシと感じ、きちんと受け止めているはずである。

大震災で、JFL開幕も延期になったわけだが、今季のFC琉球には、とにもかくにもしっかり注目し、そして応援しようと思うわたくしめなのであった。(←今回の講座を受講しての結論です)。





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Posted by watanatsu at 10:36 │スポーツ