2011年12月17日
琉球キングスvs仙台89ERS【志村雄彦へのオマージュ・上】
お待たせいたしました。ちょくちょくブログをチェックしてくださっている皆さん、ありがとうございます。
なんだかんだと言い訳ツイートをしたりして、1週間ぶりのブログ更新になってしまいました。きょうからは、少し更新頻度をあげていきたいと思います。
*
琉球ゴールデンキングスのジャーフロー・ラーカイが左手親指を骨折したとの知らせを受けたのは、木曜日の夕刻だった。
→http://www.okinawa-basketball.jp/2011/12/post_829.html
シーズン開幕直前に手術を受けた膝の調子も良くなってきて、さぁこれから、という時だったので、とても残念。アスリートに故障は付きものとはいえ、チームとしても痛い。2ヵ月後の復帰を目指すというのだから、かなり痛い。奇跡的な快復を祈りたい。だが一方では、これからしばらくの間、大黒柱ジェフ・ニュートンの役割はますます大きくなるだろうと睨んでいる。彼もケガに泣かされることの多い選手だが、「本当の復活」を、大いに期待したいところである。
この土日、キングスは、高松ファイブアローズとのアウェイでの戦い。今季まだ未勝利の最下位チームだが、油断は禁物。高松にとっては、今年のホームゲーム最終戦である。今年中に地元でなんとか1勝したい、という渇望に近い思いはきっとあるだろうから。
本日夕刻、わたしは名護市辺野古のキャンプ・シュワブゲート前での「ピース・キャンドル」に参加するし、明日も外出の予定があるので、リアルタイムでのbjtv観戦はできないが、録画映像はしっかり観たい。とりこぼしなく2連勝を、と願っている。
さて、本日の当ブログの主役は、タイトル通り、志村雄彦である。
仙台89ERSのキャプテンであり、3月下旬から5月まで、わったーキングスに所属した男である。
ちょうど1週間前の土曜日曜、沖縄コンベンションセンターで、琉球キングスは東地区2位の仙台と戦い、1勝1敗。
土曜日は、別件取材(沖縄対外問題研究会にて、島袋純・琉大教授の「与那国、沖縄、国境の島々の挑戦」のお話を聴いた)があったので、試合開始から30分ほど遅れて駆けつけたのだが、日曜日は、FC琉球今季最終戦(MIOびわこ草津に1対4で惨敗)観戦のあと移動しても、試合前のウォーミングアップの時間に充分間に合った。
でもって、プレス受付のある入口のドアを開けたとき、ちょうど、黄色いユニフォームの男たちがそこにいた。練習のための選手入場アナウンスを待つ仙台89ERSの選手たち。その中で、ひとりの選手とピタリ目が合った。その男は、わたしの顔を見るなり、ニコッと笑みを投げかけてくれた。
彼こそは、志村雄彦だった。
当方も笑みを返したつもりだが、ぎこちない反応を返してしまったようにも思われる。彼とわたしはすでにfacebook友達であったりはするけれども、日常親しいお付き合いをしているわけではない。今もわたしのことを覚えてくれているという自信は持てていなかった。前日の記者会見にはわたしも出ているが、会場施設の使用時間の関係で、土曜の夜の会見はいつも大急ぎ。個人的に挨拶する時間的余裕も、なかった。だから、彼と目と目を合わすのは、彼がキングスにいたころ以来。じつに半年ぶりのことなのだ。
話は3月に遡る。3.11大震災のあと、仙台89ERSは、活動休止を余儀なくされた(他に東京アパッチと埼玉ブロンコスも活動休止。東京は、そのままリーグに戻ってくることはなかった)。当然、そのままでは所属選手たちに、プレーする場はなくなる。そこで、bjリーグは、すみやかに休止チームの選手への救済措置に乗り出した。他チームへの期間限定移籍を可能としたのだ。
琉球キングスも名乗りをあげた。そうして獲得したのが、仙台のポイントガードの志村雄彦であった。
志村という選手について、その時点では、彼の輝かしい経歴を読んだことがあるという程度だったわたしだが、だから余計に、というべきか、3月29日に行われた移籍記者会見には、この選手にどうしても会って話を聞きたい、という気持ちで出席していた。
そして、会見が終わりに近づいたころに挙手をして、志村に対してひとつだけ質問をさせてもらった。
このことは、当時のブログにも書き、その後も何度か触れているので、ご記憶の方もおられるかもしれない。
→http://watanatsu.ti-da.net/e3355924.html 志村雄彦「琉球キングスへの移籍記者会見」詳報。
そのときのわたしの質問と志村の答えのみ、以下にも書き写しておく。
↓↓↓
「沖縄には、被災地の皆さんに対して、何かをしたいと思っている人がたくさんいます。志村さんから、何をしてほしいか、遠慮なく言っていただけたら、と思います」
これに対して、志村選手は反応すばやく、こう返してきた。
「忘れないでほしいです」
「被災地の宮城から東京へ入ったとき、まるで別世界でした。東京では当たり前の生活が当たり前に続いていました。そのとき、悪い夢でも見ていたのだろうか、という気持ちになりました。いまでも、夢じゃないか、と思うことがあります。被災地の復興には、これから、時間も労力も、ずっとかかると思います。ですから、沖縄の皆さんにも、いまだけではなくて、ずっと忘れないでほしいと思います」
最初にズバッと発した言葉を、最後に念を押すように繰り返していた。
「忘れないでほしい」という言葉に、志村雄彦は万感の思いをこめていた。
わたしはこのことを、志村がキングスに在籍中も、そして仙台へ戻ってからも忘れたことはなかった。
そうこうするうち、先週末、志村が「沖縄のコートに帰ってプレーする日」が、ついに訪れたのである。
土曜日は、キングスが80対67で仙台を下した。
記者会見での志村雄彦は、もちろん悔しそうだった。

わたしは彼の言葉にじっと耳を傾けた。
「とごよりも温かく迎えてくれる沖縄の皆さんに対して、とてもありがたく思いました。沖縄は一番遠くて一番身近に感じられる所です。(試合前、キングスの選手と交わした会話を問われて)それは教えられません(笑)。彼らも仲間だと僕は思っています。(その仲間たちを)コテンパンにやっつけるつもりだったんですが、今日はダメでした。でも、僕らの力はこんなもんじゃないし、沖縄へは勝ちに来てるので、明日はそういうバスケットを見せます。沖縄のみんなに、ファイナルで当たりたくない、と思わせるバスケットをします」
敗北の直後に、この言葉。志村の「気持ちの強さ」は健在だった。彼は試合の感想を求められ、こうも語っていた。
「キングスは、相変わらず強いですね。前半50点取られて最悪だったので、ハーフタイムに「ディフェンスからやり直そう」と確認し合って、後半はそれができてよかったです(注※後半はキングスを30点のロースコアに抑えこんだ)。ただ勝つためには、100パーセントの力というか、もっともっと力を出さないとダメだな、と思いました」
「今シーズン、コーチが我慢して僕をよく使ってくれていると思います。シーズンが始まるころ『ステップアップするチャンスだから、頑張りなさい』と言ってくれて、我慢して使ってくれています」
そのコーチとは、ロバート・ピアスHC。

キングスが王者となった08−09シーズンで、新規参入の滋賀レイクスターズを率い、地区セミファイナルで、キングスと戦ってもいる。ある意味で沖縄通であり、日本語も堪能な人物である(彼は、記者会見で通訳を介さず完璧に日本語の質問を聞き取り、直後に英語で答えるというスタイルを取り続けている)。そのピアスHCは、土曜日の敗北後には、志村についてこう語っていた。
「先シーズン、プレーする機会を与えてくれた沖縄に志村が帰るということで、志村のためにもチーム一丸となって勝ちたかった。それができず、志村に申し訳ない」
そして続けた。
「でも、収穫はあった試合でした。後半は、いいチームディフェンスもできました。ラシャード・シングルトンが成功した5つのブロックショットなどの成果も出ています。敗因は、ターンオーバーの多さ、フリースローが決めきれないこと、シュートの成功率の低さ。でも、沖縄に来て勝たずに帰るわけにはいきません。明日こそ40分間しっかり戦って、結果を残したい」
最後に沖縄のファンにひと言、と水を向けられて。
「沖縄のブースターの方たちは、89ERS支援のために活動してくれました(募金への協力などを指す)。『ゴーゴー、ナイナーズ!!』の声も嬉しく感じました」
この日、試合開始直前、キングスブースター有志が声をそろえて、仙台へエールを送ったのだ。
わたしも日曜日には、その声を直接耳にすることができた。プレス席ゆえ、実際に声を発することは遠慮したが、心の中ではわたしも声を重ねた。
志村について、キングス側の感想はどうだったか。
桶谷大HC「今日の志村は、ちょっと気負っていたかな、と感じます。明日は、アジャスト(調整、調節)してくる選手だと思うので、気を付けたいと思います」

与那嶺翼「志村さんは、昨シーズン、一緒にチャンピオン目指して戦った選手。相手として戦えるのは嬉しいです。マッチアップすることで、いろんな意味で考えさせられるものがありました。志村さんは、今季、いいプレーをしているので、負けたくない、という気持ちでやりました」

このあと、並里成とアンソニー・マクヘンリーが会見に登場した。勝利のあとだけに、二人とも和やかな空気をその身にまとい、無難な質疑応答が続いた。マック先生のスキンヘッドは、やはり気分転換のためだったことも判明した(笑)。


が、その間、志村雄彦は少し不機嫌そうに見える真剣な表情で、会見スペース近くの廊下を、うろうろと歩いていた。それを眺めつつわたしは、ノートにこんなメモを残している。
《あしたは、本当にわからないと思う》
志村の姿には、明日どうやって勝つかそれだけを考え始めている男の気配が、色濃く感じられたのである。
(つづく)
なんだかんだと言い訳ツイートをしたりして、1週間ぶりのブログ更新になってしまいました。きょうからは、少し更新頻度をあげていきたいと思います。
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琉球ゴールデンキングスのジャーフロー・ラーカイが左手親指を骨折したとの知らせを受けたのは、木曜日の夕刻だった。
→http://www.okinawa-basketball.jp/2011/12/post_829.html
シーズン開幕直前に手術を受けた膝の調子も良くなってきて、さぁこれから、という時だったので、とても残念。アスリートに故障は付きものとはいえ、チームとしても痛い。2ヵ月後の復帰を目指すというのだから、かなり痛い。奇跡的な快復を祈りたい。だが一方では、これからしばらくの間、大黒柱ジェフ・ニュートンの役割はますます大きくなるだろうと睨んでいる。彼もケガに泣かされることの多い選手だが、「本当の復活」を、大いに期待したいところである。
この土日、キングスは、高松ファイブアローズとのアウェイでの戦い。今季まだ未勝利の最下位チームだが、油断は禁物。高松にとっては、今年のホームゲーム最終戦である。今年中に地元でなんとか1勝したい、という渇望に近い思いはきっとあるだろうから。
本日夕刻、わたしは名護市辺野古のキャンプ・シュワブゲート前での「ピース・キャンドル」に参加するし、明日も外出の予定があるので、リアルタイムでのbjtv観戦はできないが、録画映像はしっかり観たい。とりこぼしなく2連勝を、と願っている。
さて、本日の当ブログの主役は、タイトル通り、志村雄彦である。
仙台89ERSのキャプテンであり、3月下旬から5月まで、わったーキングスに所属した男である。
ちょうど1週間前の土曜日曜、沖縄コンベンションセンターで、琉球キングスは東地区2位の仙台と戦い、1勝1敗。
土曜日は、別件取材(沖縄対外問題研究会にて、島袋純・琉大教授の「与那国、沖縄、国境の島々の挑戦」のお話を聴いた)があったので、試合開始から30分ほど遅れて駆けつけたのだが、日曜日は、FC琉球今季最終戦(MIOびわこ草津に1対4で惨敗)観戦のあと移動しても、試合前のウォーミングアップの時間に充分間に合った。
でもって、プレス受付のある入口のドアを開けたとき、ちょうど、黄色いユニフォームの男たちがそこにいた。練習のための選手入場アナウンスを待つ仙台89ERSの選手たち。その中で、ひとりの選手とピタリ目が合った。その男は、わたしの顔を見るなり、ニコッと笑みを投げかけてくれた。
彼こそは、志村雄彦だった。
当方も笑みを返したつもりだが、ぎこちない反応を返してしまったようにも思われる。彼とわたしはすでにfacebook友達であったりはするけれども、日常親しいお付き合いをしているわけではない。今もわたしのことを覚えてくれているという自信は持てていなかった。前日の記者会見にはわたしも出ているが、会場施設の使用時間の関係で、土曜の夜の会見はいつも大急ぎ。個人的に挨拶する時間的余裕も、なかった。だから、彼と目と目を合わすのは、彼がキングスにいたころ以来。じつに半年ぶりのことなのだ。
話は3月に遡る。3.11大震災のあと、仙台89ERSは、活動休止を余儀なくされた(他に東京アパッチと埼玉ブロンコスも活動休止。東京は、そのままリーグに戻ってくることはなかった)。当然、そのままでは所属選手たちに、プレーする場はなくなる。そこで、bjリーグは、すみやかに休止チームの選手への救済措置に乗り出した。他チームへの期間限定移籍を可能としたのだ。
琉球キングスも名乗りをあげた。そうして獲得したのが、仙台のポイントガードの志村雄彦であった。
志村という選手について、その時点では、彼の輝かしい経歴を読んだことがあるという程度だったわたしだが、だから余計に、というべきか、3月29日に行われた移籍記者会見には、この選手にどうしても会って話を聞きたい、という気持ちで出席していた。
そして、会見が終わりに近づいたころに挙手をして、志村に対してひとつだけ質問をさせてもらった。
このことは、当時のブログにも書き、その後も何度か触れているので、ご記憶の方もおられるかもしれない。
→http://watanatsu.ti-da.net/e3355924.html 志村雄彦「琉球キングスへの移籍記者会見」詳報。
そのときのわたしの質問と志村の答えのみ、以下にも書き写しておく。
↓↓↓
「沖縄には、被災地の皆さんに対して、何かをしたいと思っている人がたくさんいます。志村さんから、何をしてほしいか、遠慮なく言っていただけたら、と思います」
これに対して、志村選手は反応すばやく、こう返してきた。
「忘れないでほしいです」
「被災地の宮城から東京へ入ったとき、まるで別世界でした。東京では当たり前の生活が当たり前に続いていました。そのとき、悪い夢でも見ていたのだろうか、という気持ちになりました。いまでも、夢じゃないか、と思うことがあります。被災地の復興には、これから、時間も労力も、ずっとかかると思います。ですから、沖縄の皆さんにも、いまだけではなくて、ずっと忘れないでほしいと思います」
最初にズバッと発した言葉を、最後に念を押すように繰り返していた。
「忘れないでほしい」という言葉に、志村雄彦は万感の思いをこめていた。
わたしはこのことを、志村がキングスに在籍中も、そして仙台へ戻ってからも忘れたことはなかった。
そうこうするうち、先週末、志村が「沖縄のコートに帰ってプレーする日」が、ついに訪れたのである。
土曜日は、キングスが80対67で仙台を下した。
記者会見での志村雄彦は、もちろん悔しそうだった。
わたしは彼の言葉にじっと耳を傾けた。
「とごよりも温かく迎えてくれる沖縄の皆さんに対して、とてもありがたく思いました。沖縄は一番遠くて一番身近に感じられる所です。(試合前、キングスの選手と交わした会話を問われて)それは教えられません(笑)。彼らも仲間だと僕は思っています。(その仲間たちを)コテンパンにやっつけるつもりだったんですが、今日はダメでした。でも、僕らの力はこんなもんじゃないし、沖縄へは勝ちに来てるので、明日はそういうバスケットを見せます。沖縄のみんなに、ファイナルで当たりたくない、と思わせるバスケットをします」
敗北の直後に、この言葉。志村の「気持ちの強さ」は健在だった。彼は試合の感想を求められ、こうも語っていた。
「キングスは、相変わらず強いですね。前半50点取られて最悪だったので、ハーフタイムに「ディフェンスからやり直そう」と確認し合って、後半はそれができてよかったです(注※後半はキングスを30点のロースコアに抑えこんだ)。ただ勝つためには、100パーセントの力というか、もっともっと力を出さないとダメだな、と思いました」
「今シーズン、コーチが我慢して僕をよく使ってくれていると思います。シーズンが始まるころ『ステップアップするチャンスだから、頑張りなさい』と言ってくれて、我慢して使ってくれています」
そのコーチとは、ロバート・ピアスHC。
キングスが王者となった08−09シーズンで、新規参入の滋賀レイクスターズを率い、地区セミファイナルで、キングスと戦ってもいる。ある意味で沖縄通であり、日本語も堪能な人物である(彼は、記者会見で通訳を介さず完璧に日本語の質問を聞き取り、直後に英語で答えるというスタイルを取り続けている)。そのピアスHCは、土曜日の敗北後には、志村についてこう語っていた。
「先シーズン、プレーする機会を与えてくれた沖縄に志村が帰るということで、志村のためにもチーム一丸となって勝ちたかった。それができず、志村に申し訳ない」
そして続けた。
「でも、収穫はあった試合でした。後半は、いいチームディフェンスもできました。ラシャード・シングルトンが成功した5つのブロックショットなどの成果も出ています。敗因は、ターンオーバーの多さ、フリースローが決めきれないこと、シュートの成功率の低さ。でも、沖縄に来て勝たずに帰るわけにはいきません。明日こそ40分間しっかり戦って、結果を残したい」
最後に沖縄のファンにひと言、と水を向けられて。
「沖縄のブースターの方たちは、89ERS支援のために活動してくれました(募金への協力などを指す)。『ゴーゴー、ナイナーズ!!』の声も嬉しく感じました」
この日、試合開始直前、キングスブースター有志が声をそろえて、仙台へエールを送ったのだ。
わたしも日曜日には、その声を直接耳にすることができた。プレス席ゆえ、実際に声を発することは遠慮したが、心の中ではわたしも声を重ねた。
志村について、キングス側の感想はどうだったか。
桶谷大HC「今日の志村は、ちょっと気負っていたかな、と感じます。明日は、アジャスト(調整、調節)してくる選手だと思うので、気を付けたいと思います」
与那嶺翼「志村さんは、昨シーズン、一緒にチャンピオン目指して戦った選手。相手として戦えるのは嬉しいです。マッチアップすることで、いろんな意味で考えさせられるものがありました。志村さんは、今季、いいプレーをしているので、負けたくない、という気持ちでやりました」
このあと、並里成とアンソニー・マクヘンリーが会見に登場した。勝利のあとだけに、二人とも和やかな空気をその身にまとい、無難な質疑応答が続いた。マック先生のスキンヘッドは、やはり気分転換のためだったことも判明した(笑)。
が、その間、志村雄彦は少し不機嫌そうに見える真剣な表情で、会見スペース近くの廊下を、うろうろと歩いていた。それを眺めつつわたしは、ノートにこんなメモを残している。
《あしたは、本当にわからないと思う》
志村の姿には、明日どうやって勝つかそれだけを考え始めている男の気配が、色濃く感じられたのである。
(つづく)
Posted by watanatsu at 12:10
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