てぃーだブログ › 渡瀬夏彦の「沖縄 チムワサワサ 日記」

2012年05月18日

bjリーグ、ファイナルズ前日記者会見前。

有明に着いた途端、稲光。雷鳴轟き、にわか雨。チムワサワサ〜。記者会見場に早く到着したら、R新報F記者が一番乗り。さすが!そして昨夜遅くまでかかって作った特集記事を読ませてくれて、チムドンドン&感謝!フェイスブックでキングス・ブースター(ファン)の呟きみたら、「吐きそう」とか言ってる人も結構いる(笑)。落ち着け、俺!の意をこめてのブログ更新なり。  

Posted by natsuhiko watase at 13:44TrackBack(0)スポーツ

2012年05月15日

田原総一朗氏、沖縄で墓穴を掘る!! その1。

大変お待たせしました。なんだかんだで、予告からずいぶんと時間が経ってしまった。
本当はわらって無視したい出来事であったが、田原総一朗氏の言動の酷さについて書かざるを得ない、という思いを消し去ることはできなかった。

昨年、沖縄総領事時代から「植民地支配者」的独善発言の目立ったケビン・メア氏(「沖縄はゆすりの名人」などの差別発言が発覚して更迭されたときの肩書は国務省日本部長)が退職後に弁解の書(某新書)を出したとき、少し迷ったけれども、無視することに決めた。その本の「仕掛け人」を自任し誇ってみせるチンピラ文化人の存在を知ったときも、こんな最低の人間は、無視すればよいと思ったに過ぎなかった。

それでも一応、もしかしたら批判する必要に迫られる場合もあるかもしれぬと思い、不本意ながら購入した。
だが実際に一読してみて、あまりのくだらなさに、批判には値しないと判断した。

けれど、これが10万部を超えるベストセラーになり、東京の官僚・国会議員も熱心に読んで影響を受けているようだと、佐藤優氏が沖縄での講演で話すのを聴いて(2011年8月)、いやーな気持ちになったことをよく覚えている。

しかし、田原総一朗氏のこのところの言動には、そのとき以上に、いやーな思いを味わわされている。
怒りを通り越してあきれ、あきれを通り越してまた怒りがぶり返す、といった感じである。

まずもって酷かったのは、4月28日の午前1時過ぎから約3時間にわたって、琉球朝日放送のスタジオから放送された「朝まで生テレビ!」。この番組における田原氏の司会ぶりが、予想した通り、最低最悪だった。

ちょうど60年前のこの日、サンフランシスコ講和条約が発効し、すでに米軍に占領されて7年も経っていた沖縄は、日米政府の合意のもと正式に、日本から切り離された。沖縄にとって「屈辱の日」と言われる所以であるが、そのタイミングに合わせて、ここまで沖縄を愚弄する番組を仕掛けた田原総一朗という人物の「確信犯的臆面のなさ」には、開いた口がふさがらなかった。

あの番組の放送から早くも半月以上の時間が経過している。
もし番組の直後にこのブログ記事をアップしていたら、怒りを抑えるのも困難で、相当激烈な口調で田原批判を展開したに違いない。ののしったに違いない。けれど今は、少しは冷静に書くことができそうだ。

琉球朝日放送は、よりによって本日5月15日にあの放送の短縮版を再放送したようだが、わたしは今日から東京に来ているので、どんなダイジェスト版になったのか確かめることはできていない。いま都内のネットカフェでこれを書いているのだけれども、琉球朝日放送の意図はどこにあったのだろうか。広く県民に対して、次のことを知らしめたかったからだと思いたい。

つまり、田原総一朗氏が「普天間問題」に関していかに不見識で、いかに沖縄のためにならない人物であるか。しかも「田原総一朗責任編集、ケビン・メア著」の駄本の宣伝のために、沖縄が利用されたとさえいえる酷い番組だったことを、自己反省の意をこめて放送したのだと理解したい。

かくいうわたしは、田原総一朗批判を急に思い立ったわけではさらさらない。
非常にささやかな営みであることは認識しているが、当ブログで複数回、田原氏を批判している。自分でいうのもなんだが、全否定ではなく、礼儀正しく、「普天間問題」に関しては、この人物は百害あって一利なし、と述べている。

以下のいくつかのブログ記事にざっと目を通してくだされば幸いである。

2009年11月8日◇県民大会直前の、テレビ番組にガッカリ。→http://watanatsu.ti-da.net/e2617799.html
2009年12月28日◇普天間基地移設問題 いちばん大切なことは何か。→http://watanatsu.ti-da.net/e2680243.html
2010年5月17日◇県外の皆さん、意識の「温度差」って何のこと???→http://watanatsu.ti-da.net/e2876851.html
2010年5月31日◇極私的ニュース解説。県民世論調査と田原総一朗氏。→http://watanatsu.ti-da.net/e2898196.html


次の二つのブログ記事では、官房機密費について上杉隆氏と対談した田原総一朗氏の姿勢を、むしろ肯定している。

2010年6月8日◇やっぱり「情報共有」は大切だ!!→http://watanatsu.ti-da.net/e2913293.html
2010年6月9日◇マスコミを駄目にした官房機密費。名護で使われませんように。→http://watanatsu.ti-da.net/e2914710.html

全否定をしていない証拠である(笑)。
しかし明らかなのは、「普天間問題」に対するときの田原氏に目立つのは、偏った考え方しか受け付けない不勉強&怠慢ぶり。いや、「思考停止」と断ずるしかないような言論人としての哀れな姿である。

田原総一朗さん、あなたは、虚心坦懐に沖縄の新聞をきちんと読んで勉強するべきである。

沖縄の地元紙には、自前の特派員や特約記者がしっかり取材した目からウロコのアメリカの真実が満載である。
ケビン・メア元国務省日本部長の主張など、単なるゴリゴリ強硬派の吹けば飛ぶような論理でしかないことに気づくだろう(それに追随する日本の官僚や政治家が相当数いることが、いかに恐ろしいかもよく見えてくる)。

まず、そのぐらいの学習は、最低限しましょうよ、普天間問題を語るならね、田原さん。という話。

沖縄の新聞をしっかり読めば、あなたの仲良しの政治家や官僚が認めたがらないような、米国側の様々な「辺野古基地建設不可能論」「在沖海兵隊撤退論」と出会うことができるだろう。あるいは米国通の識者が沖縄には何人もいて、高い分析力を有していることもわかるだろう。まさに、沖縄をなめてはいけない、という話。

あるいは、現在公開中の映画『誰も知らない基地のこと』ぐらいは鑑賞してみてはいかがだろうか、田原さん。

もっと言えば、ケビン・メアなどという、辺野古新基地建設利権を日本の防衛官僚・外務官僚とともに、つくり上げてきたどうしようもないアメリカの「強硬派」「沖縄差別主義者」と結託している時点で、言論人としてのあなたの見識は、疑われるだけ。もう、アウトなんです。

それなのに、あなたは、沖縄のスタジオからの「朝まで生テレビ!」の中で、「海兵隊の抑止力」などというものがとっくに崩れているという多くの人が理解している議論を徹底して避けて、誤魔化しに走っていた。その司会進行ぶりは、醜悪以外の何ものでもなかった(その場面で、沖縄側の論客には、話をさえぎる田原氏の口をさらに封じて一気に正当な論拠を示すぐらいの強さがほしかったが、しかし、テレビの進行に関する場数と言う点でも田原氏にはなかなかかなわない。この人が横暴な司会をし始めると手が付けられないのは周知の事実・・・、うーん難しい)。

沖縄県民はもちろん、どうか全国の皆さん、田原総一朗氏の「世論誘導」にはだまされないでください。
あのケビン・メア氏に洗脳されるような司会者なんて、まっぴらごめん、と言ってやりましょう。

(この項、続く)

沖縄から東京に飛んできて迎えた「復帰の日」、ネットカフェにて。
  

Posted by natsuhiko watase at 19:58TrackBack(0)時事問題

2012年05月06日

bjリーグいよいよ大詰め。琉球キングス、王座まであと4試合!

本日は、今季これまで失点の多かったFC琉球が、強豪V・ファーレン長崎を1対0で下すという見事な結果を出して、レギュラーシーズンの新たな展望が開けてきましたが、bjリーグはとうにレギュラーシーズンを終えて、プレイオフも佳境に入っております。

昨日と今日の試合結果によって、東西カンファレンスの準決勝進出チーム、ベスト8が出揃いました。
組み合わせ、試合日程は以下の通り。


【イースタン・カンファレンス セミファイナル】

対戦カード:浜松・東三河フェニックス(1位) vs.新潟アルビレックスBB(4位)
日程
・5月12日(土)Tip Off 18:30
・5月13日(日)Tip Off 14:30
会場:浜松アリーナ

対戦カード:横浜ビー・コルセアーズ(2位) vs. 秋田ノーザンハピネッツ(3位)
日程
・5月10日(木)Tip Off 19:30
・5月11日(金)Tip Off 19:30
会場:横浜市文化体育館

【ウェスタン・カンファレンス セミファイナル】

対戦カード:琉球ゴールデンキングス(1位) vs.滋賀レイクスターズ(4位)
日程
・5月12日(土)Tip Off 13:00
・5月13日(日)Tip Off 13:00
会場:宜野湾市立体育館

対戦カード:大阪エヴェッサ(2位) vs.京都ハンナリーズ(3位)
日程
・5月12日(土)Tip Off 18:00
・5月13日(日)Tip Off 13:00
会場:住吉スポーツセンター

われらが琉球キングスの相手は、滋賀レイクスターズ。

こんなチームです。→http://www.lakestars.net/
さて、その滋賀に勝って、いざ東京・有明コロシアムの決戦へ。

東京行きの航空券は、もちろんわたしも随分前に手配済みです。

ではでは。


※追伸※
facebook上でそれとなく予告した格好の「田原総一朗批判」は、自身の精神衛生のためにも、長らくためこむことは避けて、一両日中にも記事更新いたします。しばしお待ちください。  

Posted by natsuhiko watase at 20:08TrackBack(0)スポーツ

2012年05月01日

心からFC琉球を応援するようになった本当の理由。

一つひとつの事象に関して、ツイッターで呟いたか、フェイスブックで掲示したか、それともまだなんにも書いてないのか、時々自信が持てなくなる。いかんいかん。いよいよボケが始まったか。

心の安定のためにも、このブログを発信手段の根幹に据え直して綴っていこう、と改めて意識している5月1日である。
まぁ、しょっちゅうそんなことを言っている気もしなくもないが。
梅雨入り4日目の沖縄は、どんより曇り空。湿度高し。
まずは、ある事象について、駆け足で「気持ちを整理」。

Jリーグ加盟を目指して、現在JFL(日本フットボールリーグ)で戦っている沖縄の球団「FC琉球」について、である。

今シーズン、わたしはFC琉球の試合に、できる限り足を運ぶようにしている。かつてなかったことである。
正直なところ過去には、この球団の経営理念、フロントの体質に大いに疑問を感じていたのみならず、念のため試合を観に行っても選手たちにまるで覇気が感じられずがっかりして帰る……、といった苦い経験もある。
しかし最近は・・・、殊に今春からは、気持ちに大きな変化が生じている。

先週の土曜日(4月28日)にも時間をやりくりして、「FC琉球vs.ツエーゲン金沢」の試合の後半だけでも、と沖縄県立総合運動公園の競技場に駆けつけた。すると、その後半戦になんと、最前列の高橋駿太が見事にハットトリックを決めて、3対2の逆転勝利。
「来た甲斐があった」と、ひとまずは、喜んだ次第である。しかし、手放しで喜べる内容ではなかった。
とにかく相手のボールキープ率が高く、自陣に攻め込まれっぱなし。琉球の守護神・キーパー森本悠馬のファインセーブに何度も救われ、リーグ得点王争い独走中の高橋駿太の、数少ないチャンスで高確率でゴールを決める勝負強さに救われたゲーム。特に「中盤」の弱さが気になる。課題多きチームである。

それでもわたしは、この沖縄にJリーグチームが誕生したらどんなに楽しいかと願っている一人である。
仮にまだまだ問題の多い球団なのだったとしても、その体質改善を期待しつつ、一方ではむしろプラスの要因を発見し、Jリーグ球団の誕生に向けて、ささやかながら応援していきたい、と考えている。

2011年シーズンが始まる前には、球団の田部(たなべ)和良GMの「桜坂市民大学」での講座の受講生となったし、折に触れて、チーム事情に詳しいメディア関係者やサポーターから情報を得るように努めてもきた。

そして決定的ともいえるのは、一冊の本との出会いである。

「ドーピング冤罪事件」に立ち向かい、乗り越えた我那覇和樹と彼を支えた人たちの奮闘ぶりを描いた『争いは本意ならねど』(木村元彦著、集英社インターナショナル刊)を読んで、この事件によって我那覇やチームドクターを傷つけた人々への怒りがふつふつと腹の底から湧き上がり、我那覇を支えた人々への敬意が芽生え、苦難を乗り越えていま故郷沖縄のチームで頑張っている我那覇を応援せずにはいられない、という気持ちになったのだ。

この本が出たのは、昨年末。出たのは知っていたが、読みそびれていた。
そんな2月のある日、旧知のFC琉球サポーター「琉球グラナス」代表・池間弘章さん経営のカフェ「カンプノウ」で、著者・木村元彦氏のトークが行われ、それがustream中継されると知った。それを視聴して、すぐこの本を買いに行こうと決めた。
木村氏の「日本のサッカー界全体が、我那覇選手に感謝すべきなんです」という発言が印象に残っている。
つまり、勇気を出してJリーグ側の処分に異議を唱え、国際スポーツ仲裁裁判所の判断をあおぐ行動に出て、「真っ白な無罪」を勝ち取った行為によって、他のサッカー選手たちが再び「冤罪事件」に巻き込まれることを回避できたし、日本サッカー界全体が安心して「レベル向上」に専心できるようになった、という意味である。

そうして読み終わったころ、たまたま沖縄タイムス学芸部の旧知の記者さんから、沖縄のスポーツに関連するオススメ本を数冊挙げてほしい、という依頼があり、そのインタビューのなかで(3月3日付文化面)、この本も紹介した。

それからまた1ヵ月ほどして、今度は、週刊現代編集部から連絡があった。信頼している編集者が「渡瀬なら、きっとこの本を読んでいるに違いない」と踏んでの「書評」の依頼であった。週刊誌が刊行数ヵ月を経た本について打診してくることも極めて異例である。一説には、この本に対してJリーグや日本サッカー協会上層部が、神経をとがらせていると聞く。しかし一方では、ファンの間に評判が広がり、売れ行きは悪くないとも聞く。

ずばり、多くの人に読んでほしいと今も思っているので、ここに「書評記事」の全文を再録したい。



週刊現代の書評欄では、時々仕事をさせていただいているが、こうしてブログに再録するのは初めてかもしれない。
だからというと、恩着せがましくきこえるだろうか。でも、ぜひ、ご一読ください。

                       *

『週刊現代』2012年4月28日号 「ブックレビュー」欄 119ページ


『争うは本意ならねど』  著者・木村元彦   評者・渡瀬夏彦
  

 副題が本書の中身を適切に表していて、わかりやすい。すなわち、「ドーピング冤罪を晴らした我那覇和樹と彼を支えた人々の美らゴール」。
 本書冒頭に描かれている2006年11月のアジアカップ最終予選「日本対サウジアラビア」の試合は、評者が沖縄県民になったその年の出来事でもあり、映像として鮮明に記憶している。
 沖縄が生んだ初の日本代表Jリーガー、我那覇和樹の活躍、その得点シーンを祝福してやまなかった気持ちを、今もよく覚えている。
 ところが、我那覇の運命は翌07年、あるスポーツ紙の最悪の「誤報」によって不意に暗転した。
 たった一紙の誤報が、誤解の連鎖を生み、Jリーグという組織自体がとんでもない間違いを犯して我那覇を出場停止処分に追い込み、正当な医療行為を行った医師共々その名誉を著しく傷つけた。なぜ「冤罪」だったのか。日本サッカー協会のスポーツ医学委員長やJリーグのトップがどれほど罪作りな判断を重ねたか。その点は本書を読んで理解してほしい。
 当時のJリーグドーピングコントロール委員長やチェアマンらの間違いやその後の保身のための無反省ぶりを厳しく批判する著者だが、本当の意図は糾弾そのものにはない。
 この理不尽な騒動に巻き込まれながらも、ひたすら耐え、そして起ち上がった我那覇の勇気こそを称えている。我那覇に誠意溢れる手紙を送り、起ち上がることを促した浦和レッズのドクターをはじめ、彼を支えた人たちの奮闘ぶりをも丁寧に伝えている。Jリーグの全チームドクターが一致団結し、Jリーグ側の過ちを辛抱強く糺そうとする姿など、じつに印象的だ。
 また、故郷・沖縄のサッカー仲間たち、あるいはJリーグ選手会、さらには我那覇が所属していた川崎フロンターレのサポーターたちが、募金活動などで我那覇を全面的に支援したことも描かれ、それが読後、何よりの希望として胸に残る。
 本書を読めば、尋常ではない苦難を乗り越えた我那覇和樹の今後に注目し、しっかり応援したい、という思いが胸の深いところから湧いてくる。我那覇は今、日本フットボールリーグに属する故郷・沖縄のチームFC琉球に昨季から在籍し、今季主将を務めている。Jリーグへ参入の夢を果たすため、チームに貢献すべく、日々奮闘中である。


                       *

縁は異なもので、じつは3月のホーム開幕戦の日、ある雑誌の仕事で、元日本代表監督のフィリップ・トルシエ氏にインタビューする機会があった。このことも、わたしがFC琉球をもう一度見直すきっかけになった気がしている。

失礼ながら、わたしはFC琉球の総監督に就任して以来のトルシエ氏(今は中国の2部リーグ監督を務めつつ、琉球でのスーパーバイザーを兼任)をほとんどまともに評価していなかった。
語弊を恐れずあえていえば、高い給料をもらって客寄せパンダを演じているにすぎない人、という厳しい評価をしていた。

ところが、インタビューしてみて、イメージはがらりと変わった。沖縄の歴史や文化への理解力も相当にある。
真摯な質問には真摯に答えようとする生真面目さと情熱も伝わってきた。

トルシエ氏のインタビュー当日、球団関係者とコミュニケーションを取れたことも幸いだったかもしれない。わたしのなかの、この球団に対する「わだかまり」の部分が、ほどけていくのが自分でも感じ取れた。

どんな立派な人物が大上段に構えた「論理」より、ひょんな些細な「縁」が人を動かしていくという場面は、この世界においていくらでもある。

そんなこんなで、わたしは心からFC琉球をまじめに追っかけ、応援してみたい、という気持ちになっている。          

もちろん、そう思わせてくれた最大の功労者、我那覇和樹に感謝したい気持ちでいっぱいである。我那覇が沖縄のチームに所属するきっかけをつくった男、前監督の新里裕之氏(我那覇の高校時代からの親友)にも、心から感謝したい。開幕戦は、前半しか観ることができなかったが(トルシエ氏には、「だからあなたのせいで負けたんだ」と真顔で言われてしまったが…苦笑)、琉球に1-0で勝利したブラウブリッツ秋田のヘッドコーチは新里氏であり、我那覇は得点こそならなかったが、昨季とは違うキレのある動きを披露した試合でもあった。


 

このところベンチ入りせず調整中のようだが、得点王を狙う高橋駿太とのツートップをやはり観てみたい。我那覇の体調が万全なら、相乗効果はすさまじいものになるはずだ。




ちなみに下の写真は、4月28日、ハットトリックを決めた高橋駿太の2点目のフリーキック。少しわかりにくいかもしれないが、撮った筆者としては、ちとお気に入りの一枚である。




それでは、きょうは、こんなところで。








          

Posted by natsuhiko watase at 18:57TrackBack(0)スポーツ

2012年04月26日

岩手スポーツマガジン『Standard』5・6月号、読み応えあり!!

真夜中に大雨に見舞われた沖縄である。
もしかして、もう梅雨に突入したのではないかと思えるような、このところの降り方である。

日付が変わったから、昨日の話だが、当方まったくもって丸一日、使いものにならなかった。
夜中に始まった激しい下痢、朝の発熱、そして一日中続いた全身の関節痛。
風邪薬を昼と夕方2回飲んで、布団の中で汗をたっぷりかいた。熱は多少下がったが、それでも頭痛が全然ひかない。

困ったもんだなぁと思っていた。ところが、先ほど、地元豊見城市の瀬長島(那覇空港の隣)で海上の稲光を眺めつつ、夜風に吹かれて波の音を聴き、そうして深夜のドライブから帰ってきたら、なんとなんと、いつの間にか頭痛もすっかり吹き飛んでいる。だからこうして、ブログを更新する気になったわけである。

「霊験あらたか」とはこのことか。瀬長島の御嶽(ウタキ)や拝所(ウガンジュ)には畏敬の念をこめてしょっちゅう手を合わせてはいるが、なんだか本物の「パワー」をいただいた感じである。ありがたや。わたしは日頃から世界の先住民族にほぼ共通する「自然崇拝の心」をじつに尊いと思っている者でもあるが、今宵はわたしも、瀬長島の神様、琉球の神様に心から感謝している次第である。

ところで、昨日の午後、眠りを妨げる音がした。「ドンドンドン、○○キュービンでーす」とドアを叩きつつ何度も言うので、仕方なく玄関口へ出た。すると、配達のニーニーが差し出したのは、岩手から届いた封筒だった。

中身は、もちろん、これである。



http://www.iwatestandard.jp/saishin.html

林裕編集長は、わたしの20代からの長い付き合いの友人であり、隔月刊のこの雑誌を毎号、岩手から沖縄へと送ってくれている。

ふと気になって自分で調べてみたら、この雑誌を当ブログで最後に紹介したのは昨年11月だった。→http://watanatsu.ti-da.net/e3689081.html

つまりこれも



これも



せっかく送ってもらったのに、紹介できていなかったのだ。ごめんねー、林君。

とくに1・2月号の巻頭のWBA世界ミニマム級チャンピオン・八重樫東(岩手県出身者初の世界王者!!)のインタビュー記事などは、このボクサーの個性・人格を的確に描いて秀逸だったが、いまだ紹介できてはいなかった。

しかし皆さん、紹介は遅くなったけれども、バックナンバーもwebサイトから購入できるはずなので、ご安心を。
http://www.iwatestandard.jp/back_number.html

さて、最新号の巻頭インタビューは、WBC世界スーパーフライ級チャンピオン・佐藤洋太である。

短期間の間に、岩手県出身者の世界王者が二人誕生したわけなのである。

そのインビュー記事を読みつつ、沖縄県民の当方としては、少し複雑な感慨を覚えた。
佐藤洋太は、2010年、沖縄の期待の星である翁長吾央に日本スーパーフライ級暫定王座決定戦で勝利し、翁長にプロ生活初の黒星を与えた男なのだった。

記事を読むと、同郷の世界チャンピオンの先輩・八重樫が、佐藤のスパーリングパートナーを務め、アドバイスを送り、徹底サポートしたこともよく伝わってくる。じつは、八重樫は、翁長と同じく、横浜の大橋ジムに所属するジムメイトなのでもある。

運命の人はどこまでも絡まり合うものだ。

佐藤洋太が、震災からの復興へ向かう郷土の人々に励ましを送らんとして、「みちのく魂」を胸に、世界初挑戦で見事に、栄光のベルトを掴んだのは3月27日。
当日、同じ後楽園ホールでは、佐藤が返上した日本タイトルの王座決定戦が行われ、翁長はこのタイトルに再チャレンジし、しかし、結果的に判定負けを喫してしまっている。大きく明暗の別れた一夜だったわけである。

わたしは、翁長吾央を2003年のプロデビュー戦から見ている。
この男は、世界の舞台で戦うに相応しい器とセンスをもっている。そう確信したのが、つい昨日のことのようである。
2005年、仲里繁(現ボクシングクラブ・ナカザト会長)が仏・マルセイユで3度目の世界タイトルマッチに臨み、惜しくも敗れ、そして引退を決意したとき、仲里は同行取材していたわたしに向かってポツリとこう呟いたものだ。「世界(タイトル)は、吾央が獲りますから」。

しかしプロ生活10年になろうとするのに、翁長吾央はまだ、一度も世界タイトルマッチのリングに立っていない。

彼が沖縄県内のジムに所属していたころ、ジム関係者のゴタゴタに巻き込まれ、その影響でマッチメイクに恵まれず、気の毒なブランクが生じてしまったことも事実である。つまり、同情の余地がある。
けれどもしかし、あえて厳しいことを言わせてもらえれば、いつまでも「人のせい」にしていてはいけないのではなかろうか。

現在の翁長からは、与えられたチャンスを必死で掴み取ろうとするような気迫が伝わってこない。
これは、物書きの端くれとしての己に対しての自戒をも込めて書いている。

いつの間にか、翁長はボクサーとしてベテラン、当方は物書きとしてベテランの域に入ってしまっている。

チャンスは、無限に与えられるものではない。

もう一度、己を真剣に見つめ直す時期が、翁長吾央君あなたにも、そしてわたしにも到来しているという気がする。


さて、いつものように、今号の『Standard』も、注目記事満載である。
センバツ甲子園で期待されつつ、優勝校の大阪桐蔭と初戦で当たってしまった花巻東野球部の物語。

あるいは「ハンドボール王国」特集では、岩手で開かれた全国高校選抜大会の準々決勝で不来方高校が沖縄代表の興南高校を34対30で下した試合もクローズアップされている(ああ、ハンドボール王国とは、沖縄の代名詞ではなかったのか・・・)。

あるいは、「2012 注目のアスリート」特集のページでは、「全国から注目を集める北のスラッガー」と紹介されている選手の見覚えのある顔に、思わずクギ付け!! そして、クスッとしてしまった。なんといおうかその選手は、要するにいわゆるウチナージラー(沖縄顔)なのである(笑)。



その男は、沖縄県立中部商業高校出身、岩手の富士大学で活躍している山川穂高だった。
記事は、大学2年からオールジャパンに選ばれ、クリンアップを任されてますます成長している彼が、2013年のドラフトで指名を受ける可能性は極めて高い、としている。

また、わが琉球ゴールデンキングスと同じくbjリーグで戦う岩手ビッグブルズ(今季新規参入)の話題も、この雑誌には欠かせなくなっている。
フォワードの寒竹隼人をクローズアップしつつ、3月11日に強豪・大阪エヴェッサに劇的な逆転を果たしたホームゲームを描いている。

というわけで、何やら沖縄との因縁も深い岩手スポーツマガジンなのである。

沖縄で本格ローカル・スポーツマガジンを立ち上げる日が来るときには、間違いなく参考にさせてもらえる雑誌であろう。
「そのノウハウを伝授しに沖縄へ遊びに来て」と林編集長にはずいぶん前から告げているのだが、まだ実現していない。

林君、ほんとによろしくね!!

というわけで、この雑誌を読んだことも、風邪を吹き飛ばすカンフル剤の役割を果たしてくれたに違いない。
今こう書きながら、当方「完全復活」を宣言したい気分になってきた。
昨日休んだワンコたちとのウォーキングも、朝一番で行こうと思う。

きょうは、高校野球九州大会の準決勝。昨日降雨ノーゲームとなった「沖縄尚学vs.神村学園(鹿児島)」が仕切り直し。
結果を知るのが、楽しみである。

沖縄尚学は、エース山田義貴を中心に投打バランスよくまとまった好チーム。



沖尚の活躍は、県内他校にも大いなる刺激を与えるに違いない。

この世に、スポーツがある。そのことで当方なども間違いなく救われている。

大問題だらけの沖縄にあって、その救いの力は、音楽・芸能・アートなどと並んで、非常に大切なものである。

その救いの灯をこれからもともしつづけたいものだよなぁ、と、真夜中にしみじみ思うわたくしめなのだった。

  

Posted by natsuhiko watase at 03:53TrackBack(0)スポーツ

2012年04月21日

東都大学野球の監督さん、どうか「沖縄の宝」を大事に育てて!!

この週末は、久々にスポーツの話題で連続記事更新する予定(あくまで予定なので、もし違っても怒らないでください)。

今回は、東都大学野球リーグについての雑感。
このリーグについて書くのは、ただ漫然とした興味からではない。お察しの通り、馴染みの選手が複数活躍しているからである。

その筆頭は、島袋洋奨(興南→中大)。
いわずと知れた甲子園春夏連覇投手だが、しかし昨年は1年坊主なのにエース格の期待をされて、芳しい結果は残せなかった。わかりやすい例は、入学直後、開幕投手を任され、自責点1で敗戦投手になった試合。その後も、好投すれど打線の援護なし、という試合も目立ち、勝ち星には恵まれなかった。

昨年10月上京中に、幸運にも甲子園優勝投手の先輩、東浜巨(沖縄尚学→亜大)と島袋洋奨の投げ合いを神宮球場で観戦することができた。島袋はこれに勝利して、東浜に劣らず「持ってる男」だなぁと再認識させられたものである。ちなみに1勝1敗で迎えたこのカードの3戦目は、やはり東浜と島袋が先発。こんどは東浜が貫録を示す投球で、リベンジ。

二人がそれぞれ勝利したのだからめでたし、という話ではない。
ここで言いたいのは、「エース格投手の酷使」の問題である。

象徴的な出来事が、この春季リーグ戦の開幕日、4月1日に起きた。
中央大vs東洋大。中大の島袋洋奨は延長15回完投し、226球、被安打7、奪三振21、自責点2の快投を見せたのだ。
わたしは結果を知ったその日の夜、勝利を喜ぶ以上に肩や肘が心配になってしまって、思わず本人に「からだのケアをよろしく」とメールしてしまったほどである。

翌日は、たまたま沖縄県高校野球の決勝戦だった。
沖縄尚学が興南に完勝して、九州大会への切符を掴んだのであるが(春の九州大会は甲子園出場には直接結びつかないが、各県代表の強豪と戦える、貴重な実戦の機会である)、その決勝戦前の昼メシ時、興南の我喜屋監督と少し会話を交わす機会があったのだが、やはり島袋のことを案じていた。甲子園で事実上島袋洋奨に「頼った」経験のある我喜屋監督だが、しかし教え子が大学へ行ってまで15回完投の頑張りを見せている、その事実を知った思いを、あえてわたしが代弁すれば、こうなるだろうか。
「大学の監督さん、前途ある洋奨を、どうか大事に使ってくださいよ!!」

4月2日の2戦目は東洋大学が勝ち、1勝1敗。すると、どういうことが起こるか。
エース格の投手が、中1日で投げる確率がグンと高まるのである。予測は当たった。
4月3日の先発は、島袋洋奨だった。7回92球を投げて11奪三振。試合は、中大が東洋大を5対1で下して勝ち点をあげた。
けれども、中1日で合計318球はやっぱり多すぎるのではなかろうか。

東都大学リーグでは(東京6大学でもそうだが)、どちらかが2勝して勝ち点をあげるまで試合をする(1勝1敗とか1勝1分なら、3戦目をやる)。すると島袋や東浜のようなエースの負担が増えるわけである。

これを防ぐには、打線が爆発して2連勝するのが一番(笑)。しかしなかなかそうもいかないのが野球である。またしかし、昨年の春秋のリーグを少しずつ観戦した実感でいっても、東都リーグは貧打戦が多い。点の取り方にも工夫がない。よって、投手の出来次第で決まる、という試合が多いように思えるのだ。これでは結果的に投手が気の毒な状況に追いやられる。

話を戻すと、島袋や東浜といった逸材が、酷使されることを、わたしは最も恐れている。
両投手とも、すこぶる賢い男なので、自分の躰のことは自分がよくわかっていて、疲労回復や肩や肘のケアには余念がないと思う。それでも、どこかに少しは故障を抱えている、というのが、高校野球から活躍してきた投手に共通の悩みではなかろうか。そうだとしても、彼らが賢明であればあるほど、ハートが強ければ強いほど、酷使されることに不平をもらすことなど決してない。だからこそ、大学野球のベンチ首脳陣には、最大の配慮を常に心がけてほしいと思う。

今朝(21日)の沖縄タイムス、琉球新報の地元紙2紙は、スポーツ面で、昨日の東浜巨(亜大)の完投勝利(対日大戦)をそろって伝えている。決して本調子でなくても、責任感だけで踏ん張って投げている。行間から、人一倍の負けず嫌いの頑張り屋・東浜巨の心根が伝わってくるような気がする。今年は1年のときから担っているエースの役目に、キャプテンの重責も加わっているのでなおさらだ。

ふと思い出した。今だから書けるエピソード(入学が決まるまでは遠慮しておりました)だが、八重山高校のエースだった花城直(プロスカウト注目の逸材)が今年亜大に入ったのは、野球部の仲里真澄監督の希望もあった。
「東浜君のそばで過ごせるのは1年間だけですが、直には、彼から、普段の姿勢、メンタル面など、いろんなことを学んでほしいと思っているんです」
監督からそう聞いたのは、昨秋、花城直がプロ志望届を出さぬと決めたころ、石垣島へ取材に訪れたときだった。


東浜が今年のプロ野球ドラフトの1位指名候補であることは衆目の一致するところだが、どうか無事に、大事に、この1年を過ごしてほしい。

くどいかもしれないが、沖縄の宝を、大事に育ててほしい。もし酷使して潰したら、本気で怒るよ、と大学野球部首脳陣にはプレッシャーかけておきたい今日この頃、なのである。

写真は、さる3月11日、東日本復興チャリティー試合として、沖縄セルラースタジアム那覇で行われた「亜大vs.中央大」に登板した(上から順に)島袋洋奨、東浜巨、花城直の3投手である。みんなプロで活躍できる可能性をたっぷりと持っている。責任感以前に、自分を大事にして成長してほしい。

































野手陣も活躍している。
たまたま3.11当日、写真に収めることがツーショットは、中央大4年内野手でキャプテンの西銘生悟(写真左・08年沖縄尚学センバツ優勝時キャプテンでもあった)と同3年内野手・山元弘太(写真右・09年興南春夏甲子園出場時副主将)。




写真はないが、中大に糸満高校から入学したばかりでさっそく春季スタメン出場中の外野手・神里和毅にも要注目だ。
背中の写真だが、このバッターは、亜大3年の捕手・嶺井博希。沖縄尚学時代と同様、1年先輩の東浜の球を今もミットで受けている。




5月の上京時に、彼らが神宮球場で活躍している姿を見るのも今から楽しみだ。

ちなみに、東京六大学でも、甲子園春夏連覇の興南OBの活躍が期待されている。

立教大では、1年目からベンチ入りしている我如古盛次(春夏連覇キャプテン。下の写真は、昨秋やはり筆者が上京中に撮影したもの)につづいて、1年後輩、今年大城滉二も入った。甲子園同様、神宮でもこの三遊間が観たい!! 







興南春夏連覇の4番打者・眞榮平大輝は明治大2年。今年はベンチに入っている。


沖縄の若者たちは、どこへ行っても本物の実力を発揮している。素敵なことである。
書ききれなかった選手たちも含めて、みんなみんな、ちばりよーっ、である。

  

Posted by natsuhiko watase at 13:26TrackBack(0)スポーツ

2012年04月20日

琉球キングスのレギュラーシーズンも、いよいよホーム最終戦!!

「怒涛の週末」が来るたびに、躰が三つぐらいはほしいぞ、と嘆いている。
今週の土日も、例によって非常に気になるイベントが見事に、たくさんかち合って悲鳴をあげている。

琉球ゴールデンキングスにとっては、bjリーグ・レギュラーシーズンの戦いが、いよいよ大詰め。今週末、ホームゲームの最終戦(2連戦)が、今季参入した千葉ジェッツを宜野湾市立体育館に迎えて行われる。わたしは、ある映画試写会のせっかくのお誘いをお断りまでして(!!)、予定通りキングスのホーム最終戦を、しっかり見届けたいと思っている。

不動の西地区首位固めに入っていたキングスではあるが、このところの戦いぶりには不安を感じさせられたのも事実。
戦績も直近4試合では、アウェイで京都に2連敗したあとホームで富山に1勝1敗(都合1勝3敗)とスローダウンしている。

そんなとき、また故障者が!! 金城茂之が膝のケガのため長期休養リハビリ中であるのは周知の事実だが、なんとチームのムードメーカーの山城吉超までが16日の練習中に膝を故障してしまった。全治8ヵ月という。→http://www.okinawa-basketball.jp/2012/04/post_908.html
思わず本人のフェイズックのウォールに書きこんでしまって恐縮ではあったが、そこに書かせてもらったとおり、こうなったら急がないことが肝心である。開き直ってじっくり治してコートに戻ってきてほしい。

昨日のチーム練習を取材した沖縄地元紙の報道を見ると、そのような状況にもみんな沈むことなく、前向きに気持ちを奮い立たせているようである。

明日勝てば、西地区2位以上が確定し、プレイオフは地区準決勝からの参戦が決まる。
さらに日曜日も勝つと、西地区1位を決めることになる。

ということは、5月19日、20日、東京・有明コロシアムでの「プレイオフ・ファイナルズ」進出をかけての、5月12日、13日のセミファイナルもホーム開催で直接応援できる、という喜びがファンの側に生まれるわけだが、レギュラーシーズン・ホームゲームにおいても有終の美を飾ってほしい、というのがじつはファン共通の願いだ。

写真は、4月7日(土)、球団史上最多観客数3384名を記録した沖縄市体育館での「琉球キングスvs.富山グラウジーズ」戦のスナップである。





























それまで、3連敗を喫していたキングスを、心からブースト(後押し)しようとする人々が体育館に詰めかけ、キングスのコーチ・選手も気合が入っていた。桶谷大ヘッドコーチの「五厘刈り」にも、気合いが表れていた。

そうして、81対72で富山に勝利し、実際に連敗を脱出。けれども、手放しで喜べぬ週末だった。日曜日には、富山にリベンジを許してしまうのだ。
土曜日の記者会見では、富山の下地一明ヘッドコーチから、ある種鬼気迫る、といってよいような「言葉の勢い」に、わたしは感じ入っていた。難病と闘いながらチームの指揮をとっている人である。死線を越えてきた者の「ハートの強さ」を感じさせられていたのかもしれない。

しかし、わがキングスの桶谷大ヘッドコーチも、「死にかけた経験」がある人だ。少年時代にやはり大病を患い、その危機から脱して生き延びた人なのだ。08-09シーズン、優勝へ向けてまっしぐらの時期に桶谷氏にインタビューしたとき、「だから、僕は、生きることに対する執着は強いですよ」と笑顔で前を向いていたものだ。

私よりはるかに若いのに、老成した雰囲気を漂わせ、しかし熱い情熱をほとばしらせる部分はしっかりと持っている。
敗北のあとの記者会見では、必ず選手を批判する前に自分の責任に言及する人である。わたしはその一貫した姿勢に好感を抱いている。その桶谷氏が、レギュラーシーズン最後のホームゲームでどんな指揮をとり、チームに自信を植え付けるのか。
また、選手たちがそれぞれの持ち味をどのように発揮して勝利に貢献するのか。
プレイオフを占う意味でも、重要なゲームといえるだろう。

いつになく、チムワサワサ~、チムドンドンのわたくしめである。

土曜日の宜野湾海浜公園では、試合後、花火大会が観られるはずである。祝砲、祝花となりますように。

Go Kings!!
  

Posted by natsuhiko watase at 19:06TrackBack(0)スポーツ

2012年04月15日

「与那国フェスタ2012」は本日開催です。@南風原文化センター

この「与那国フェスタ」について、フェイスブックでは、2度ほどお知らせをしたのですが、ブログに載せていないことに気づきました。

情報共有の手段を手軽なフェイスブックに頼りがちな今日この頃のわたくしめです。しかし、ブログも不特定多数の方がひょんなことから目にする可能性のあるツールなので、ちゃんとアップしなければいかんなー、と痛感してもいます。

わたしがフェイスブックに掲載したのは、この写真。




そして、最近名刺交換をさせていただいた「与那国応援団」のお一人、芸術家の久貝清次さんが、ご自身のホームページで、しかも1ヵ月以上も前に「与那国フェスタ」のチラシをPDFでアップしてくださっていました。※チラシには表と裏がありますので、ぜひお目通しください。
http://www.kugaiseiji.com/infomation.html#news


以下は、わたくし渡瀬からのメッセージです。

防衛省は、つい先日、北朝鮮の「ミサイル」迎撃のためと称して、与那国・石垣を含む八重山諸島、宮古島、沖縄本島など、南西諸島を自衛隊の訓練の舞台に使いました。周知の通り、茶番といってよい騒動でした。

防衛省は、「ミサイル騒動」をこれ幸いと利用し、与那国島への自衛隊配備を、さも当然のことのように進めたいみたいです。

これには「ちょっと待った!!」の声をあげねばなりません。

与那国町長は、自衛隊配備について、「島の活性化策は自衛隊誘致しかない」と語っているのですが、わたしはその弊害について充分に認識し、議論しなければならないと思っています。そして、「自衛隊配備」のリスクはあまりにも大きいと判断しています。

自衛隊が来たらどのような弊害があるかではなく、この「誘致問題」が島に起こって以来、すでに弊害がはっきりと表れています。島内のコミュニケーションがギスギスしたものになり、大きな負の作用が生じてしまっているのです。
※このことについての詳細は、『世界』(岩波書店)2月号と4月号に掲載された拙文「与那国島に自衛隊は必要か」をご参照くだされば幸いです。

いわゆる「南西諸島シフト」の防衛大綱、中期防衛力整備計画等を国の官僚たちがつくりあげたからと言って、町長と議会が誘致の動きに出たからと言って、民意が対立したままのこの島に(反対署名は賛成署名を上回っています!!)強制的な基地建設など許されるはずがありません。

まだ、遅くありません。「誘致には反対。島おこしのアイディアはいくらでもある!!」と、声をあげた島の人びとがいます。島外から支える島出身者や与那国ファンも増えています。

というわけで、まずは与那国島に関心を寄せていただきたいと思います。

わたしも、本日午後、南風原文化センターで、ジャン・ユンカーマン監督の「老人と海」、島洋一監督の「与那国カウボーイズ」の2本の映画を観るのが非常に楽しみです。会場には、与那国の特産品がいろいろと並ぶようです。これも楽しみです。

沖縄島(沖縄本島)にお住まいの皆さん、本日午後ですからねー。間に合いますよー(笑)。

ゆたさるぐとぅ うにげーさびら。

  

Posted by natsuhiko watase at 08:12TrackBack(0)お知らせ

2012年04月12日

「抑止力」は、やっぱり嘘だった。


久しぶりに「普天間問題」。くしくも本日、「普天間返還合意」から16年。

4月10日の沖縄地元紙2紙、沖縄タイムス第3面と琉球新報第6面に、まったく同じ記事が掲載された。
在日米軍再編見直し協議に関連するワシントン発共同通信配信の記事。





それぞれの大見出しのつけ方は、
沖縄タイムス(右)が→「抑止力」どう説明? 在日米軍移転で日米苦慮
琉球新報(左)が→「抑止力」めぐり苦慮 在沖海兵隊移転
と、微妙に異なっているが、もちろん記事の中身は同一である。

一面トップ記事ほど目立たないのは当然だが、これはとても重要な内容であるとわたしは思った。

両紙のwebサイトでは発見できなかったので、ここに全文引用紹介したい。

                      *

【ワシントン共同】在日米軍再編見直し協議をめぐり、日米両政府が「抑止力」の扱いに苦慮している。在沖縄海兵隊の地上戦闘部隊駐留により、長距離ミサイル発射や核実験を繰り返す北朝鮮などへの抑止力が維持されると説明してきたのに、部隊の大半がグアムなどに移転する見通しとなり、整合性が取れなくなったためだ。
 地上戦闘部隊が移転すれば、部隊を輸送するヘリコプターが配備されている米軍普天間飛行場だけでなく、部隊が使用していた訓練場の一部も必要なくなるとの声も沖縄側から上がるとみられ、日米双方の頭痛の種となっている。
 両政府は2006年の在日米軍再編ロードマップの策定を受け、在沖縄海兵隊の司令部要員はグアムに移転するが、地上戦闘部隊は残留させ「抑止力」を維持すると説明。日本の防衛省も、海兵隊が沖縄に存在することが北朝鮮や中国への備えに重要と強調してきた。
 しかし今回の見直し協議では、沖縄からグアムへ4200人、オーストラリアやハワイなどに3500人の海兵隊を移転させ、この中に地上戦闘部隊の大半が含まれることがほぼ固まった。日米関係筋は「抑止力をめぐる過去の説明と相いれなくなる」と頭を抱える。
 両政府内で浮かんでいるのは「(米軍が分散配置された)太平洋全体で日本への脅威に対応できる」という説明案。米国防総省筋は、アジア太平洋地域の海兵隊を分散させ、戦略的に配置することによって「北東アジアの安全保障体制を強化できる」と指摘した。
 別の米関係者は「海兵隊はグアムから沖縄へ迅速に駆けつける機動力がある」として、日本への抑止力は揺るがないと主張。東日本大震災のような大規模災害への対応をめぐり「沖縄に集中するより、分散配置した方が迅速に対応できる」と強調する関係者もいる。
 

                      *

なぜこの記事を重要と思ったか。
一つには、共同通信のワシントン特派員の送ってくる記事を、あまり信用していなかったわたしにとって、以前のワシントン発の記事とは違う「新鮮さ」があったからである。
【ワシントン共同】記事はほとんどの場合、他の全国紙やテレビ局と同様に、在米日本大使館や米国務省、ホワイトハウスなどの意向・思惑を垂れ流すことがほとんどで、沖縄の現実とはあまりにかけ離れた報道が多く、むしろ沖縄に実害をもたらすおそれのある「世論誘導」に加担していた。それを苦々しく思うことのほうが多かった。つまり、沖縄差別を助長し、沖縄に過重な基地負担を押し付けたままの状況を恥じない「この国の世論」の形成に、少なからず加担してきたわけなのだ。

沖縄の新聞はこれに対抗するために、地方紙としては異例のことだが、自前でワシントンに特派員を送ったり、あるいは米国特約記者の力を借りたりしながら、独自の取材によって「在沖縄海兵隊の抑止力」がいかにあやふやなものか、信用ならないものかを明らかにしなければならなかった。そうした沖縄メディアの努力の積み重ねによって、現在では多くの沖縄県民が「在沖縄海兵隊不要論」を堂々と口にできるところまで来ている。沖縄のメディアや学識者による権力監視機能や米国内の軍事戦略関連の動向に関する分析力は、これまで見事に発揮されてきた。そのことをわたしなとぞは日頃から誇りに思っている。もっと頑張れ、と胸のうちでエールを送り続けている。多くの在京大手メディアの諸君は、少なくとも沖縄のメディアの姿勢を見習った方がいい、と常々思っている。

さて、そのような視点からみても、この【ワシントン共同】の記事は、沖縄の足を引っ張るようなものにはなっていない。
だからこそ、地元2大紙がそろって迷わず、これを掲載したはずである。

個人的には、一読して思わず笑いが込み上げるのを禁じ得なかった。
日米政府が垂れ流してきた、とくに「最低でも県外移設」の公約を民主党政権が反故にするときに臆面もなく主張し、今も引きずっている「在沖縄海兵隊=抑止力」論が、いかにインチキであったか、よくわかる内容だったからである。

ついに共同通信ワシントン特派員まで、こう書くようになったか、という妙な感慨を抱いた。

【追記】→※マスメディアの鳩山バッシングの嵐のなかでも、例外的に「辺野古移設論」に異を唱えた石山永一郎編集委員のような存在もあったわけだが、しかしワシントン特派員はといえば、やはり他の在京全国メディアと横並びであったことは指摘しておかなくてはならない※(4月12日22時32分の追記)

もしかしたら、単にワシントン特派員が交代して、その結果この記事が生まれたのか。
突然、共同通信社が沖縄思いの姿勢に転じたのか。
というのは、共同通信の内情に疎い一読者の半ば冗談ではあるが、いずれにしてもここにきて、沖縄を取り巻く状況が大きく変わりつつあることは確かのようである。

もはや「沖縄の地理的優位性、地政学的な要素」を理由にして、だから米海兵隊は沖縄に駐留すべきだ、などといった稚拙な詭弁は通用しないのだ。

「沖縄はゆすりの名人」という差別発言で更迭されたケビン・メア元国務省日本部長(沖縄総領事経験者)が、昨年『決断できない日本』などというおバカな本を出して、「辺野古移設こそ最善」と臆面もなく主張し、その「元・利権官僚」ぶりを丸出しにしたことが懐かしく思えてくる。

未だに辺野古新基地建設が正しいなどと思う人間は、沖縄県民の中には、相当におバカな少数の人たちしかいない。

ところが、ケビン・メア氏の本は昨年の刊行直後に10万部を超えるベストセラーとなり、「東京の政治エリート(官僚・国会議員)らにかなり影響を与えている」と、昨夏、佐藤優氏が沖縄での講演会で説明していたことがある。だがそのかりそめの「影響力」も、ここにきてきれいに崩れ去る可能性が出てきたと言えるだろう。

なぜなら、辺野古利権を組み立ててきたメア氏をはじめとする米側の官僚・政治家や日本側の官僚・政治家も、在沖縄海兵隊の抑止力を疑問視する「アメリカの軍事専門家の声」を決して無視できなくなっているはずだからである。

米国議会も、危機的な財政赤字からの脱却のため軍事費の大幅削減を大前提にしている。
沖縄に駐留する海兵隊とて例外ではない。

さて、ここで書いておきたいポイントは、じつはただ一つ。

沖縄に米海兵隊を置いておきたいのは、日本政府そのものである、ということ。
「沖縄の負担軽減」が掛け声ばかりで一向に進まないのは、日本政府の官僚・政治家が「基地は沖縄に押し付けておくのが一番」という差別意識に基づく本音を抱えており、そこから少しも脱却できないから、なのである。

どうか、全国の皆さん、このような日本政府による沖縄差別に、これ以上加担しないでください。

沖縄に海兵隊を置き続けることをよしとする「思考停止」の罪については、項を改めたい。

  

Posted by natsuhiko watase at 10:01TrackBack(0)時事問題

2012年04月07日

琉球キングス、泡瀬干潟散策、ボクシング、映画&シンポジウム…

さて、この土日は、例によって躰がいくつあっても足りないのである。

わたしは本日、ワンコたちとウォーキングのあとのシャンプーと自分の洗濯物をやっつけるのに昼間の時間を使ってしまったので、沖縄大学での「ガレキ問題学習会」は欠席。でもユースト中継→http://www.ustream.tv/channel/iwj-okinawa1があったようなので、アーカイブでも観られるのであれば、大変ありがたいことである。

先週アウェイの京都で2連敗を喫してしまった琉球ゴールデンキングスは、この土日(7~8日)、沖縄市体育館に富山グラウジーズを迎えての2戦。ここで、チームをどんなふうに組み立て直したのか、という関心からも大注目である。
http://www.okinawa-basketball.jp/2012/04/post_899.html

FC琉球も先週はアウェイでカマタマーレ讃岐に完敗したあと、明日8日、北谷公園陸上競技場に、栃木ウーヴァを迎えての大事なホームゲーム。
http://fcryukyu.com/information/event.php?id=1333598403

普通なら、明日のわたしは北谷からコザへハシゴ観戦するはずだが、しかし、チャリティーボクシング大会の取材がかち合っている。14時30から中城村民体育館で、プロボクシングの新人王予選。全カード「沖縄勢vs九州勢」という異例の大会が行われるのだ。ボクサーにとっては、試合が組まれること自体が年に何回もない貴重なチャンス。わたしは「ボクシング・マガジン」沖縄地区担当という立場もあるので、決して見逃すわけにはいかないのである。
http://ryukyu-boxing.com/taikai9.html




ゆえに、サッカーとバスケは断念して、午前中からボクシング大会開始前の時間の許す限り、これまた貴重なイベントであるところの、泡瀬干潟での観察会「ウミエラとサンゴ見に行くツアー」に参加することにした。大潮の日に広がる泡瀬干潟をじっくり歩く。埋め立て事業なんて、けしからん!!と叫んでいる者の一人として、もっとはやく参加して当然だった観察会。ようやく念願かなって、初参加。非常に、とってもとっても、楽しみである。
http://umierakan.ti-da.net/e3788559.html




明日は他にいくつもイベントがあるが、ほんとに躰がもう一つはほしいぜ、と思ったのは、明日8日の映画『誰も知らない基地のこと』上映&シンポジウム。要するにわたしは仕事でいけないわけなのだが、時間のある方はぜひ行かれることをお勧めする。
http://henoko.ti-da.net/e3879786.html




スポーツも含めて、この小さな島国・沖縄は、非常に優れた文化発信力を有している。
だからこそ、防衛省や外務省などのおバカな政府官僚やあるいは国会議員たち、さらには軍産複合体やら、原子力ムラやらの、おバカな思惑通りには動かされない。

その沖縄の発信力の、頼もしい強者ぞろいの担い手たちとお付き合いできているわたしは、やはりある意味で、非常に幸せもんである。感謝。

全国の皆さん、今後ますます、「沖縄からの発信」にご注目を!!

さて、今宵は満月が観られるかな? 

では、琉球キングスの試合へ行ってまいります!!  Go Kings!!  

Posted by natsuhiko watase at 17:37TrackBack(0)身辺雑記

2012年04月05日

てるりん祭の夜。

10日ぶりのブログ更新となりました。この間、一部愛読者の皆さまには、ご心配をおかけしてしまったようで恐縮でした。

いつもご訪問ありがとうございます。とくに毎日覗いてくださった方、恐縮至極、多謝深謝でございます。

ツイッターやフェイスブックは毎日いじっておりますが、携帯でブログだけを読んでくださる読者が複数おられることに気づきました。ですから、ここで初心に帰って、あれこれ話題散乱してもよいから、ブログはもう少しまめに書いていこうと思った次第です。今後とも改めて、ゆたさるぐとぅうにげーさびら(よろしくお願いいたします)。

これだけ記事更新をサボってしまうと、書きたいことが山ほどたまるのは当たり前。何から書くか迷うとまた更新しそびれるので(苦笑)、そういうときには、昨日の出来事あたりを書くのが無難であろうかと思います。

昨日4月4日は、「てるりん」こと故・照屋林助師匠の誕生日。今年で4回を数える「てるりん祭」http://terurinsai.com/ですが、昨年は行けなくて、残念だったという思いが残っておりました。





照屋林助さんを知らない「沖縄ファン」がいたら、それはモグリというもんですが、わたしの場合、「てるりん」さんとの想い出は、90年代の終わり、とある夜、贅沢すぎるような良き出来事・・・。

コザはパークアベニューの一本裏の通りにある劇場(照屋楽器店二階)、その名も「てるりん館」で、なんと「全館貸切、観客はわたし一人のみ」という状況で、その味わい深い芸を拝見したという、良き思い出があるのです。

ね、贅沢でしょう? 凄いでしょう? でもねぇ、感激と緊張のせいで、その夜の漫談の中身をさっぱり記憶していないんだなぁこれが、というオチもついております。
 
当時持っていたコンパクトデジカメでその夜の舞台での写真を撮らせてもらったはずだけど、残念ながらどこかに埋もれてしまっています。

で、そのきっかけをつくってくれたのは、生まれも育ちもコザ(ご両親のルーツは奄美)の、うちなー噺家・藤木勇人さんhttp://www.fujikihayato.jp/でありました。
舞台・テレビ・ラジオ・映画と、大活躍されているのでご存知の方も多いはず。




当時のわたしは、藤木さんに密着取材をさせてもらっていました。あちこち追いかけまわして、雪の長野の公演にまで同行したことがありました。藤木さんは「僕なんか追いかけても記事になりにくいでしょう」と恐ろしく謙虚な物言いをされつつ、いつでも温かい対応をしてくれていました。その後、わたしは一時的に「ライター業」からリタイアしてしまい、藤木さんには大きな借りをつくったままです。

下の写真は2005年(わたしが沖縄に移住する前年)の秋、コザに藤木さんを訪ねて再会したとき、居酒屋で撮らせてもらったスナップです。思えば、てるりん師匠があの世へ旅立って半年ほどの時間が流れていたと思います。



とことん優しい人です。人の痛みのわかる人です。だからわたしは尊敬しています。「沖縄ファン」を自称して沖縄に通いつつ、思えば落ち込んだり途方にくれたりしたことも多々あったけれど、そんなときわたしは藤木さんに何度救われたかわかりません。

話を戻しますと、「一対一の貸切対面漫談」を堪能することになったのは、藤木さんの勧めがあったから。てるりん師匠にはたくさんのお弟子さんがいて、藤木さんもその一人ですが、弟子ゆえに、師匠の性格も見抜いていて、純粋に客として申し込めば気分の悪くない限り応じるはずだということでした。そのアドバイス通り、ただただごく普通に、「林助師匠の次の公演はいつでしょうか。旅の者ですが、しばらく沖縄に滞在するのでぜひとも拝見したいのです」と電話で問い合わせると、電話に出たマネジャーらしき方が、電話の向こうでてるりん師匠と相談の上、「今晩演ると言っています」と答えてくれたのでした。当時のわたしは、そりゃもう飛び上がって喜んだものです。

「これぞ沖縄、これぞコザ、これぞ、てるりん!!」

そんな恩義あるてるりん師匠なので、やっぱり「てるりん祭」の様子を観に行かないことには落ち着きません。
で、昨夜は、ほんとに、ほんの一瞬でもその場に居合わせたくて、クルマ飛ばして駆けつけました。
そしたら、市民駐車場から一番街の会場への途上で、トリの園田青年会のエイサーの太鼓の音が止みました。到着するとほぼ同時、お開き寸前のカチャーシー・タイムに突入です(笑)。
それがこの写真。↓↓↓






ステージ上、右端で、いかにもどこかから駆けつけたばかりという風情(ショルダーバッグかついでますからね)の藤木勇人さんも踊ってます。

お開きになったあと、ステージの裏へ挨拶に行くと、藤木さん、握手の手を差し伸べつつ、当方の顔をじっと見つめてひと言。
「元気そう、うん、元気そう!!」。笑顔で喜んでくれました。

その瞬間、なんかこみ上げるものがあったので、当方「ありがとうございますっ」と言い残して、立ち去り申した。
おいらが元気でないときも知っている藤木さんならではの、あったかーいお言葉でありました。

というわけで、感謝感謝感謝の一夜。
コザから地元豊見城市にたどり着いて見上げた旧暦十四日の月はこちら。




そして、きょうもまたいろんな出来事があり、走馬燈を眺むるがごとく過去の出来事を振り返り、感謝感謝感謝の思いに満たされています。

で、いまから、所用あって、宜野湾の琉球ボクシングジムへ行ってまいります。  

Posted by natsuhiko watase at 20:38TrackBack(0)芸能・芸術

2012年03月26日

金城繁師匠、逝く。出会ってくれて、ありがとうございました!!

本日の午後、名護市東海岸の瀬嵩(せだけ)の墓地で、金城繁さんの納骨が行われたという。病院で亡くなったのは、24日だったという。

残念ながらわたしは駆けつけることができなかった。その時刻、ちょうど普天間問題の解説記事を書いていた(これは、ある団体の定期刊行物のためにペンネームで続けさせてもらっている仕事だ)。

仕事も一段落し、今改めて北の空に向かって(地元豊見城から名護に向かってという意味である)、御冥福を祈りをしたところである。

金城繁さんのことをわたしは、出会った1997年当時から「師匠」と呼んでいた。
民謡研究所のお師匠さんだったからである。
出会ったときに交換した名刺がこれである。




当時のわたしは、辺野古新基地建設計画(当時は一般的に「海上ヘリ基地計画」と呼ばれていた)の是非を問う名護市民投票に向け、反対の意思を明確にする地域住民の長期取材を続けていた(取材の成果としての記事は『論座』(朝日新聞社)の98年3月号に書き、2010年7月刊の『誰が日本を支配するのか!? 沖縄と国家統合』(マガジンハウス)に再録。『論座』の前に写真週刊誌『FRIDAY』(講談社)にも写真家・森住卓氏とのコンビでルポを発表しているはずだが、掲載誌を紛失してしまっていて何を書いたか、やや記憶が曖昧になっている)。

その長期滞在の逗留先が、瀬嵩集落の「海と風の宿」だった。ここは車いすの移住者・成田正雄さんの経営する宿で、金城繁さんは、ちょくちょく宿に現れて、三線と唄を披露してくれたものである。若き日の労働で隻腕となったという金城師匠は、切断された右腕に特製のツメを装着して、工夫を凝らして三線をつま弾いていた。その様は、もちろん年季が入って絵になっていた。

この宿には、貧乏旅行の途上に何泊かするお客やら住民運動の支援者やら、結構若い女の子たちが泊まるので、その子たちに会いたくて師匠はこの宿にちょくちょく通っているのではなかろうか、と、ふと察せられる場面もあった。いやいや、まぁ早い話が、若い女の子たちが大好きな師匠であることは間違いないのだった(笑)。要するに、「すけべなこのオッサン、正直な人だなぁ、憎めないなぁ」という感想をわたしは抱いたものだった。

師匠はしかし、男のわたしに対しても、とても人懐っこい態度で寄ってきて、よく話しかけてくれた。たわいもない世間話を含めて、たくさんたくさん話をしたはずだが、ほとんど話の中身は忘れてしまった。

またある日には、瀬嵩の小学校の運動場で行われた地区の運動会に出場するランニングパンツ姿の師匠を当時持っていた小さなカメラで撮らせてもらった、という記憶もあるのだが、その写真は、まだ発見できていない。どこかからデータが出てきてほしいのだが、もしかしてもしかするとインスタントカメラで撮ったのかもしれない。これまた記憶が曖昧だ。

わたしの書いた記事には、97年当時もその後も、師匠は一行も登場していない。
いや正確には、昨年の7月に、徒然なるままに綴ったブログ記事に、ほんの少し登場している。
http://watanatsu.ti-da.net/e3523673.html

偶然、食堂でお会いしたことが書いてある。
思えばこのとき、何年振りかでお会いしたはずだった。以前の印象と比べて、その日の師匠は元気がなかった。
師匠は疲れていた。そして、その日も以前と変わらず、すこぶる正直に、身の上話を語り続けた。
もしかしたら、そんな師匠の溢れんばかりの率直さが、「またいつでもお会いできる人」という錯覚を私の胸に刻んでいたのかもしれない。

ただ、その日は、とても愚痴っぽかったのが気になってはいた。でもそれが、お会いできた最後の日になってしまった。
あれは、2011年7月22日。その翌日のブログを見ると、たわいもない文章のなかに、なぜか大切ないろんなことが詰め込まれている。師匠がまるで「あの日を思い出して」と語りかけているかのような気持ちになってくる。

わたしは、……もっとお話に耳を傾けるべきではなかったのか。

戻らぬ時間を嘆いても始まらないのだが、そんな思いをいかんともしがたい。その後、患っていたリウマチがどんな具合になったのか、いつごろ入院されたのか、まるで知らぬまま時が流れてしまった。

あの日撮らせていただいた金城師匠の写真が、もう少しあったので、ここに改めてアップしたい。





この拳の握り方、とても優しいけど、いろんな思いがこもっていたと思う。








金城繁さんがあちら側へ旅立った3月24日は、大切な友人の13回忌だった。
わたしはその法要にも駆けつけることができなかった。いや、無理をしてでも駆けつける気持ちがあれば、駆けつけることができたかもしれない。じつはそのような行動がとれなかった理由があり、複雑な思いで胸がいっぱいになるような日だった。その日に、師匠は逝ったのだ。

また3月24日は、わが父の83回目の誕生日でもあった。父の携帯へはメールを打った。

不思議な一日。
琉球キングスとFC琉球がホームゲームで快勝した日。
旧暦3月3日、「浜下り」の日。

今しばらくは、ただ、その「不思議」をかみしめたい。

師匠、おいらと出会ってくれて、ありがとうございました。

どうか安らかに。

合掌。


  

Posted by natsuhiko watase at 20:37TrackBack(0)哀悼