てぃーだブログ › 渡瀬夏彦の「沖縄 チムワサワサ 日記」

2012年01月25日

『世界』掲載「与那国島に自衛隊は必要か(下)」は4月号へ変更。

お久しぶりです。またしても1週間のご無沙汰でした。今月は、ブログサボりすぎですね。すみません。

ツイッターでつぶやいたり、フェイスブックで情報共有を試みたりしているうちに、あっという間の1週間が過ぎてしまって。
更新されない間もご訪問くださっていた皆さん、恐縮です。ありがとうございます。

                      *

先週19日(木)には、OAM沖縄オルタナティブメディアのustream中継番組「オルタナクール」第27回のゲストとして招かれ、出演させていただきました。つたないトークではありますが、まだご覧になっていない方は、お時間のあるときに、アーカイブ映像を、ぜひ!! 
http://okinawa-am.net/ustream/ustarchive2012.html


OAMの西脇尚人代表を相手に、自称「与那国ファン」代表として、1時間ほどのトークを繰り広げています。
ゆたさるぐとぅうにげーさびら。

テーマは、もちろん「最西端の島、与那国島の自衛隊誘致問題」。言葉足らずで、「もっと違う語り方ができたはず」という反省点多きトークになってしまったけれど、肝心の与那国島の人たちから「出てくれてよかった」「ありがとう」の声が当方にも寄せられましたので、ひとまずはホッとしています。出演前は「友達何人視てくれるのかな」の心境でしたが、この数日間のアーカイブを含めて思っていたよりも多くの方が視て下さったようで、ありがたいことです。

本日は、友人が「何人視たとかじゃなくて、何百人という単位の人が視てるみたいだよ」と教えてくれたので、急に、間違ったこと言ってないかな、と気になりまして、自分でアーカイブ映像をチェックしてみた次第です。

そして、なんと自らある「間違い」に気づきました。
以下の点を訂正させていただきます。

                      *
映像の中で21分から22分経過したあたりで、琉球新報が昨年行った世論調査に触れています。
そこでわたしは「与那国の77.3パーセントの人が自衛隊誘致(配備)に反対している」と、二度もはっきりと数字を述べています。自分では、数字を正しく記憶しているつもりだったのですが、これは完全に勘違い。正しくは「73.3パーセント」です。
ここに訂正してお詫びする次第です。

※『世界』2月号の拙文「与那国島に自衛隊は必要か(上)」150ページには、琉球新報2011年9月7日付紙面からの正しい数字が引用されていますので、ぜひご確認ください。




その上で、トークの主旨にはまったく影響がないことを、付け加えさせていただきます。
肝心の与那国町で、70パーセントを超える人が、自衛隊配備に反対しているという数字が出たことは、やはり「民意」の現れとして重視すべきだとわたしは思います(世論調査が万能の正義などとは決して思いませんが、自衛隊誘致推進派の町長や町議会議長にとっては、反対署名の多さと同様、尊重すべき数字ではないか、という意味です)。

                      *

さて、もう一つ、訂正とお詫びを申し上げねばならない点があります。

それは、ust中継の中でも先だってのブログ記事でも、『世界』3月号に続きを書く、と断言している点です。

結論から申しますと、続きの記事すなわち「与那国島に自衛隊は必要か(下)」の掲載は、4月号に変更となりました(気を遣って「3月号」を宣伝してくれた西脇さん、すみません)。
これは特別な圧力がかかったからとか、トラブルがあったからとかいう話ではありません(笑)。

あえて、「楽屋話」的説明を少しさせていただきます。
書き手として、締切ギリギリまで熟慮を重ねた結果、もう一度じっくりと原稿を練り直したい、と思うようになったのです。

なぜ熟慮を重ねたかといえば、ust中継のトークの中でも述べているように、濃密な人間関係の島社会の中で、今まで住民運動などに関わったことのない人が政治的発言をすることの難しさについて、筆者として改めて痛感したからです。そう思う出来事が、この数日の間にあった、と考えていただければ間違いありません。

あるいは、勇気を出して取材に応じてくれた方々へ敬意を表しつつ、充分な配慮をすることは、書き手としての当然の責任であると感じた、といったほうが正しいかもしれません。

2月号の(上)の記事において、読者の皆さんには少なくとも、自衛隊誘致に反対する声は非常に大きいという事実を、わかっていただけたと思います。よって、次の号で書く内容は、どうしても急いで3月号に間に合わせなければいけない、という性格のものではなくなりました。この問題は、一、二か月で決着がつくような話ではありません。

だから、さらに時間をかけて配慮を重ね、島の人たちの胸のうちにある「発言することへの不安」を取り除き、その上で、ひとすじの明るい光の見える記事を書く。そのことこそが重要なのだ、と考えるに至りました。

そこで編集部の担当編集者ともコミュニケーションを取り、わたしのわがままを受け入れてもらい、4月号へと掲載を延すことが決まりました。

ここからは、お詫びです。
今回、与那国島の皆さんや友人知人を含む読者の方から、「2月号の記事はわかりやすかった。3月号が楽しみだ」という感想をお寄せいただきました。

こちらも、3月号をよろしくお願いしますと申しました。
しかし、掲載は4月号へと延びました。
そのことをお詫びします。

どうか、事情をご理解の上、ご寛容のほどお願いいたします。

4月号の発売は、3月上旬です。乞うご期待。なにとぞよろしくお願いします。
※適宜、岩波書店ホームページを参照ください→http://www.iwanami.co.jp/sekai/

以上、『世界』2月号の記事をお読みくださった方、そして、沖縄オルタナティブメディアの番組を視て下さった方へ、
さらに、これから読んでやろう、視てやろうと思ってくださっていた皆さんへ、
緊急のお詫び・訂正・お願いまで。
ひとまず失礼します。

1月25日   渡瀬夏彦





  

Posted by natsuhiko watase at 22:43TrackBack(0)お知らせ

2012年01月18日

1月19日、沖縄オルタナティブメディアのust中継に生出演。

なかなかブログ更新できなかった。

例によってツイッターで時々つぶやく程度の1週間だった。まぁ、ドタバダ続きで、早い話がブログを書くのをサボっていたわけである。

しかし2~3日前(正確には、日曜日15日の昼間だ)に、OAMこと沖縄オルタナティブメディア代表の西脇尚人さんから、19日のustream中継番組へのゲスト出演の依頼があり、これを引き受けたので、取り急ぎブログを更新せねばならぬ理由ができてしまった。

で、西脇さんたら、急な依頼をしてきた割には、いや、だからこそ、と言えるのだろうが、ブログやツイッターで宣伝しろ、とうるさいのである。

冗談はさておき(笑)、出演を引き受けた理由は、ずばりテーマが「与那国島」だったからである。

そこに目をつけた西脇さんはえらいのだが、依頼の時点では、与那国取材に出かけたわたしのツイッターのつぶやきしかチェックしてくれてなかったみたいだったなぁ(笑)。だって、「この取材はどの媒体に書くためのものか」と訊ねてこられたものな。おいらのブログには、『世界』2月号に書いたし、3月号にも書くよ、と、とっくに(1月9日付ブログで)記してあったのになぁ。ブログぐらいはチェックしておいてほしかったな、西脇さん……。

愚痴はさておき(笑)、引き受けた理由は、やっぱりテーマが「与那国島」だからである。

1月19日(木)21時から22時まで、ust中継に生出演します。
そして「自衛隊誘致に揺れる国境の島・与那国島の現状と近い将来」について語らせてもらいます。
http://oam0.blog75.fc2.com/blog-entry-1026.html

この問題に関する西脇さんの思い入れは、きっとおありだと思うのだけれど、わたしはわたしで、これだけはお伝えしたい、というところが当然ある。あえて少しばかり出演受諾の狙いを申せば、決して「自衛隊誘致問題」だけを語りたいのではなく、与那国島という名の国境に近い個性的な素晴らしい島に、ひとりでも多くの人が関心を寄せてくれるとありがたい、という「与那国ファン」としての思いを込めて、お話をさせていただければありがたいなぁと思うのだ。

既存のテレビ番組のような「しばり」はないはずだから、あまり肩ひじ張らずに、ざっくばらんにトークできればよいなぁ、とは思っているのだが。たとえば、おいらと西脇さんが、予定調和の世界を飛び越えて、激論になったりしたら、きっと面白いんではないだろか(笑)。果たしてどうなりますやら。

ust中継またはアーカイブをご覧になる際、もしできれば、『世界』(岩波書店)2月号の拙文「与那国島に自衛隊は必要か・上」を参考までに読んでから観て下されば、幸いです。そして2月上旬には、3月号が出るので、続けて「下」も、お読みくだされば幸甚です。

ではでは、ゆたさるぐとぅうにげーさびら(よろしくお願いいたします)。
  

Posted by natsuhiko watase at 02:15TrackBack(0)お知らせ

2012年01月09日

与那国島に自衛隊は必要か。『世界』2月号に書きました。


与那国島の天候はずっと芳しくない。今朝も、どんよりとした雲が垂れ込めている。
昨夜までは、宿泊地の祖納の集落をほとんど出ずに過ごしたが、本日から3日間は、島のあちこちを観てまわりたいと思っていた。しかしなんと、運転免許証を自宅に忘れたことにさっき気づいた(苦笑)。われながらドジだよなぁと思う……。

民宿の自転車を借りて移動するつもりだが、降らないことをひたすら祈ろう。

さて、わたしもまだ実物を手に取ることができていないのだが、『世界』2月号http://www.iwanami.co.jp/sekai/に与那国島のことを書いた。




東京では、1月7日に発売されたようである。沖縄では、数日遅れるはず。

この2月号に引き続き、今回の与那国滞在の成果を盛り込んで、3月号にも書く予定なので、皆さまよろしくお願いいたします。

昨日までに島で聞いた話をほんの少しだけご紹介しよう。
町長選で現職(自衛隊誘致推進の立場)に投票した人がこう力を込めて語っていた。
「それとこれとは別。町長選では自衛隊問題は、争点になっていなかった。住民投票をやれば、反対派が勝つと思う」
この人は、ふだんは反対運動に少しも参加していないという。狭い島社会で、表立って意思表示することへの躊躇は多くの人の胸のうちにあるという。けれども、心の中では「この島に自衛隊は要らない。島おこしの材料は、他にたくさんある」と強く思っているのである。

  

Posted by natsuhiko watase at 09:04TrackBack(0)お知らせ

2012年01月06日

正月備忘録・1。本年もよろしくお願いいたします。


明けましておめでとうございます。

本年最初のブログ更新です。

昨年から続いていて未完の記事もありますが、まずは年頭のご挨拶的「正月備忘録」を公開します。

                  *

1月1日。
沖縄防衛局による「環境影響インチキ評価書、12月28日未明、県庁へ搬入」事件のせいで、大晦日に酒を飲む気にもならず、午前1時半ごろクルマで出かける。家族同然に思っている受験生(中3女子)を乗せて那覇の波上宮へ初詣。まぁ早い話が、運転手をするために飲まなかったわけでもある。

何を隠そう彼女の姉(今は大学生)も中3のとき、正月にわたしと一緒に波上宮へ出かけて「サクラガサイタ」ので、縁起担ぎそのものとも言えるのだった(笑)。

で、彼女の引いたおみくじは「吉」。しかも大吉よりも断然素晴らしいことが書いてあって大喜び。何はともあれ、年の初めに彼女が安堵したような笑顔を見せてくれたことが、何よりであった。

そして、受験生を家に送り届けてから、ひとり南城市の知念岬へ。

日の出の時刻はずいぶん先だが、岬公園の駐車場にはすでにクルマがたくさん停まっていた。
その駐車場で仮眠。1時間半ほど眠っただろうか、ふと気づくと駐車場はぎっしり超満員。夜明けの1時間ぐらい前だというのに、初日の出を拝みにきた人びとが東の海に面した崖の上の柵沿いに、ずらーっと並んでいた。

雲が多い。結論から言うと、今年沖縄では、鮮やかなご来光を拝むことはできなかったのだが、しかし、久高島の上空にそこはかとなく射す淡い陽光は、なかなかに風情があった。

無理矢理解釈すれば「微かな希望の光を見出す一年を暗示」ということになろうか。

もともとここは大好きな場所なので、良き「気」の流れを感じつつ、日の出から小一時間は岬の公園で過ごした。

次に向かったのは、例によって同じく南城市(旧玉城村)の百名の浜。何度来てもあきない、エネルギーを充電させてもらえる場所である。

そこに着くなり、いわゆる「天使のはしご」と呼ばれる陽光の射し方を目の当たりにできた。
幾筋もの光が、海面をスポットライト状に照らしている。その光の筋が、天上への梯子に見えるわけである。
梯子かどうかはともかく、えもいわれぬ見事な光である。
ほんとうに、時の経つのも忘れて見とれた。

今年はちょいといいことがあるかもしれんなー、と独り悦に入りつつ浜を見やると、たぶん地元の集落の人たちなのだろう、久高島とヤハラヅカサを結んだ延長線上の浜に敷物を広げて20人ぐらいの老若男女が座し、皆で海に向かって祈りを捧げていた。

わたしが波打ち際に向かう途中で、祈りの儀式を終えたおばさんたちから「おめでとうございます」の声がかかった。ありがたく平和な気分にさせていただいた。

わたしもヤハラヅカサ越しに久高島を遥拝したことは言うまでもない。

百名の浜にいる間じゅう、陽光の変化にあきることがなかった。とにかく美しかった。
天から降り注ぐエナジーをからだ全体で浴びているような感覚を味わった。
これで一年頑張れるかもしれない、と本気で思ったものである。

浜川御嶽(ウタキ)に手を合わせ、さぁ帰ろうと思ったところで、すぐ目の前の保養施設の管理人さんらしきおばさんと目が合う。
互いに会釈し、おばさんはなぜか「今年も頑張りましょう」と、通りすがりの挨拶以上の言葉をかけてくださった。

そして、どうぞ中も散歩してください、と、門から導きいれてくれたのだった。

保養施設の敷地内から眺める景色は、また格別であった。
おばさんは、問わず語りに、この施設の保有者は外国人で、年に数回、本人や友人たちが使う程度で、管理人ご夫婦がここで生活しているとのことだった。

帰り際、旦那さんが現れて、小冊子を手渡された。それは聖書をわかりやすく解説したものだった。
おばさん(妻)は、みかんをひとつ差し出してくれた。ありがたく頂戴した。

おじさん(夫)は、自分たちは地元玉城村親慶原の出身であること、自分たちはクリスチャンでいつも毎週糸満の教会に通っていることを教えてくれた。あなたも教会に来たらいいですよ、というお誘いの言葉もあった。「わたしは琉球の神様に敬意を表して歩いているような人間です。この場所へもそういう気持ちをもって来ていますからねー」と答えると、おじさんは、「いいことだと思いますよー」と柔らかい笑みを浮かべていた。良き時間が流れていた。

「宗教対立って、この地球上の話だったかいな」と不思議に思えるぐらいの平和な時間だった。

神社に初詣をして、久高島にほのかに差す初日の光を拝み、百名の御嶽に手を合わせて、聖書の小冊子をいただく元旦。
わたし自身は、ゆるゆるな仏教徒(禅宗)だが、沖縄独自の祖先崇拝、自然崇拝の信仰心の深さには、非常に親近感を覚えている。はて、宗教って、なんだろね。

管理人ご夫婦に深く謝意を表して辞した。「なんだか、面白い正月だなー」と、クルマのなかで思わずひとりごちていた。

次に向かったのは、奥武島(おうじま)。名物の天ぷら屋さんが、元日なのに(元日だからこそ?)開いていた。

二軒ぶんのお土産を買った。
ひとつは南城市親慶原の「うみかぜホースファーム」。もう一軒は、この日、新年会にお呼ばれすることになっている写真家・石川真生さんち。

ヨナグニウマの「うみかぜホームファーム」は、元日は休業だったが、しかし、生き物相手の仕事である。どなたかスタッフがいるはずだった。先日アポなし取材をさせてもらったとき、昼ごはんまでご馳走になったのだが、そのとき料理をつくってくれたワクちゃんと、あの日不在だった中川さんという女性がいて、新年のご挨拶&そのときの御礼。やはり、代表のマークンこと久野マサテルさんは、与那国島の本家「ヨナグニウマふれあい広場」で正月を迎えているとのことだった。

「また寄らせてもらいます」「また来てください」の会話を和やかに交わしつつ、豊見城へと戻った。

(つづく)

※元日の備忘録も1回で終わらなかった(苦笑)。とりあえず、取材のため与那国島へ向かう時間が近づいてきました。
元旦は、いつものデジカメを家に忘れて出かけました。しかし、帰って、瞼に光景を焼き付けられて、良かったかな、とも思っています。トホホ携帯写真は撮ったのですが、あまりにも記憶のイメージと違うので、掲載は見合わせました。皆様も、知念、玉城あたりの元日の景色の美しさを想像してみてください。

ではでは、本年もよろしくお願いいたします。









  

Posted by natsuhiko watase at 13:16TrackBack(0)身辺雑記

2011年12月31日

2012年、日米政府が「辺野古新基地建設」断念する年に!!

まさにもうすぐ、2011年が終わろうとしている。

防衛省沖縄防衛局のせいで、つまりは、この国の政府のせいで、沖縄県民は気色の悪い年の瀬を過ごしている。

普天間基地移設とは名ばかりの「辺野古新基地建設」のための環境影響評価書の提出時期にについて、田中聡・前沖縄防衛局長が「犯す前にこれから犯すと言いますか」と暴言を吐き、更迭されたのは、たった約1ヵ月前の話である。

不可能な計画を無理やり可能だと思い込もうとしている防衛官僚、それをバックアップしている外務官僚のおバカさ加減が鮮明に印象付けられた一年だった。彼らの言いなりの政治家たちにもあきれ果てるしかなかった。沖縄を無理やり「犯す」対象としてしかみていないことが、はっきりとした。

田中氏の後任の真部朗局長は、なんのことはない田中局長の前任者。つまり異例の「出戻り人事」だった。

この真部局長、例えば東村高江集落周辺の米軍ヘリパッド建設計画に抗議して座り込む住民を、逆に通行妨害で訴えて脅しをかけるという裁判(いわゆるスラップ訴訟)を仕掛け、しかもその開廷日に、現地高江で工事を強行しようとするなど、「県民だまし討ち」の指揮を執ってきた人物だ。従来のヘリに代わる新型の危険な米軍輸送機「オスプレイ」の配備を知りつつ、沖縄側に隠し続け、だまし通そうとしてきた重要な当事者でもある。沖縄をなめきった行動をとり続けてきた人物である。

この人事異動を知ったとき、いやーな予感がした。こういう人物を沖縄防衛局の責任者として再び赴任させるということは、米国政府を喜ばせるために目に見える「成果」を今度こそあげてこい、という意思表示を、防衛省全体が示したに等しいわけだから。つまり「今度こそ、予告なしに犯してこい」と政府が沖縄防衛局をけしかけたに等しい人事異動なのだった。

案の定、防衛省沖縄防衛局の官僚諸君は、最悪の行動に出た。
平和運動を展開する市民たちの抗議行動がやっかいだから、と、まずは12月27日、沖縄県庁への「環境影響評価書」提出を、運送業者に託した。局長ら職員が堂々と持参するという気概すらないわけである。そりゃそうだ。辺野古新基地建設が、レイプ同然の犯罪的行為だとわかって計画を進めているわけだし、多くの専門家が指摘してきたように「インチキだらけの評価書」であることを、彼らは重々承知の上で、事に及ぼうとしているわけだから。

市民らの阻止行動を受けて、県庁の文書受付担当課長もこれ以上混乱を拡大させ危険な状況を作り出したくないという判断から、防衛省沖縄防衛局に対して、書類を積んだ車両に引き返させるよう説得し、結局防衛省側も引き下がらざるを得なかった。

その次に彼らがとった姑息な行動が、12月28日午前4時に、県庁の警備室に「評価書」入りダンボール箱をいくつも積み上げ置き去りにしていく、という行動だった。しかも、運んでいる途中で、徹夜で警戒していた平和運動のリーダーにどやしつけられ、真部局長以下、たくさんの防衛局職員が、こそこそと逃げ帰っている。つまり、警備員と手渡し確認の書面さえやりとりしていないわけである。わたし個人としては、よほど後ろめたい「紙ゴミ投棄」でもしたのか、という印象しか受けなかった。

これが、環境を保護するために広く合意を形成していくための書類を提出する態度とは、到底思われない。
くどいようだが、防衛官僚たちは、自分たちがいかに卑劣な行為をしているか、自分で認めているようなものなのだ。

ちなみに、環境影響評価書の提出手続きは、「就業時間中」「原則持参」という取り決めが、環境省のホームページに示されていることがわかっている。長い間辺野古新基地建設を許さないという立場で平和運動を続けている人物・平良夏芽さんのツイッターによる情報提供で、わたしも知ることができた。防衛官僚たちは、そのような基本的ルールさえ守れない人々なのだ。

さて、ここで注意しなくてはいけないのは、全国メディアによる「世論誘導」である。
次に注意しなくてはならないのは、沖縄県知事の誤解を招きやすい言動である。
さらに心がけるべきは、「知事対平和運動家」といった対立の構図を作り出そうとする輩の、姑息な思惑に振り回されないことである。

そのあたりの経緯については、全国紙や全国放送のテレビを見ているだけでは、きっと詳しくは理解できないはずである。

やはり、地元紙の報道をしっかりと読んでいただく必要がある。

その助けとなるブログがある。
「地元紙で識るオキナワ」ブログだ。→http://michisan.ti-da.net/

それから、このところの沖縄防衛局の姑息な行動と、知事や沖縄県職員の意思表明については、沖縄・生物多様性市民ネットワークのブログhttp://okinawabd.ti-da.net/ が、貴重なインタビュー動画をアップしてくれているので、必見である。
http://okinawabd.ti-da.net/e3735384.html

全国メディアの世論誘導とは、先の沖縄振興予算が沖縄側の要求額の3000億円に限りなく近づいたのは、仲井真知事が政府との取引に応じて「辺野古容認」の密約を交わしたからだ、というシナリオを仕上げようとしていることを意味する。

そのシナリオに沿えば、沖縄県が「評価書を受理」する方針を示しただけで、あたかも沖縄県が「辺野古容認」へと一歩踏み出したかのように書き立てることになる。

上記の動画を確認してもらえばわかることだが、仲井真知事は、県庁に集まった市民の前で、「県外へ」という選挙公約を貫いてしっかり対応していく、と約束しているのだ。「県外へ」を反故にした民主党政権を批判し続けてきた知事が、しかもかつては「県内移設容認派」だった知事が、今、この時点で、改めて「県外要求」の方針を明言したのだ。これは、非常に重い発言なのである。

昨今ネット上に増殖している、いわゆるネトウヨ諸君及び彼らが教科書にしている新聞などは、沖縄防衛局に対して「一部反対派の妨害」があるかのように言うのが常であるが、冗談も休み休み言いなさい、である。

一部反対派どころか、普天間の県外・国外移設要求も、今回の評価書提出中止要求も、沖縄県議会が全会一致で決議していることなのだ。

全国の皆さんには、くれぐれも事実を正確に把握して下さることを、切に願う。

例えば、県議会の全会一致を受けて、高嶺善伸県議会議長は27日の時点で、防衛局に対し、「郵送という姑息(こそく)な手段で県に提出することが判明し、県議会は怒りを持って抗議する」という声明を発表しているのである。「一部の反対派」などでは決してない。

沖縄をなめてはいけないよ、と、事実を捻じ曲げるメディアに対しては、強く警告しておこう。

今年は、東日本大震災という未曽有の災害、そして原発事故という重大な人災によって、多くの人の心がかき乱された年である。そのどさくさに紛れるようにして、日米官僚の沖縄に対する横暴さが目立った年である。

普通に物事の分別のつく大人なら、もはや「辺野古新基地建設」がいかに実現不可能なナンセンスな計画であるか、知っている。あるいは在沖縄海兵隊の「抑止力」どころか、存在意義自体がいかに希薄になっているか、米国議会の軍隊出身の有力議員や、米国シンクタンクの安全保障の専門家が、さかんに論文を発表していることをみれば、一目瞭然である。

けれども、東京発の全国メディアは、その事実さえまともに報じようとせず、おバカな防衛・外務官僚の手先と成り下がっている。

けれども、沖縄県民にも、沖縄のメディアにも、それらの欺瞞を暴き、検証する能力が備わっている。
だから、中央のおバカな官僚・政治家・メディアの企みに騙されることはない。

これからも、嘘の上塗りを重ねて、沖縄を差別し、迷惑施設としての米軍基地を押し付けようとするならば、彼らは、本当に痛い目にあうだろう。

今から断言しておく。
辺野古新基地建設のバカバカしさのみならず、在沖海兵隊不要論は、ますます世界に知れ渡るだろう。

既得権益を手放したくない者たち、従来の計画にしがみつきたいだけの者たちは、最後はうなだれることになるだろう。

そのような状況が現実のものとなる兆しが、非常にくっきりと表れる年。それが、2012年である。
外務・防衛官僚諸君、考えを改める準備を今からしておいたほうが良いと思う。
何度でも言う。沖縄をなめてはいけない。罰が当たるよ。

というところまで書いて、いよいよ年の変わり目に来てしまった。

ただお気楽に良いお年をとは言えない心境ではあるが、絶望しすぎない訓練は、ようやくできつつある今日この頃のわたくしめである。

旅立ちの日が来るまで、徹底的に正直に生きて、悔いのない人生にしたいと思ふ。

皆さん、いつもつたない当ブログにお付き合い下さって、本当にありがとうございます。
今、この瞬間から、新たな展望を見出すべく試行錯誤を始めたいと思います。

今後とも、よろしくお願いいたします。
ゆたさるぐとぅうにげーさびら。
  

Posted by natsuhiko watase at 23:58TrackBack(0)時事問題

2011年12月28日

石川真生さん、エンジン全開!! 横浜・東京で4つの写真展。

本日未明、沖縄防衛局が市民らの抗議を受けにくいと判断して、未明に、「辺野古アセス評価書」を県庁に運び込んだ。
運び込んだと言っても、県庁警備室に段ボール箱を積み上げていっただけの、「提出」とは程遠い行為である。

しかも徹夜で警戒していた平和運動のリーダーからどやしつけられて、すべての書類を運びこめずに、逃げ帰ったため、ただ段ボールに詰められた「大量の紙ゴミ」が県庁警備室に投棄されたに等しい状況なのである。

これが、政府のいう「誠心誠意、沖縄県民の皆さんに理解を求める」態度なのだ。

当ブログとしても、きょうは、書いておかねばならない重要なことがたくさんある。


しかしその前に、わたしが敬愛する写真家の石川真生さんからメールが届いたので、
勝手に告知協力シリーズ、である。


以下が、石川真生さんから送られてきたメールの文面。
↓↓↓


みなさん、お元気ですか?1月、2月に私の写真展とトークがあります。4カ所の会場でやるので、はしごです。トークは申し込み制です。みなさん、来てくださいね。宣伝もお願いします。  石川真生


横浜美術館(~3月18日) 「沖縄ソウル」
http://www.yaf.or.jp/yma/event_information/100/

新宿ニコンサロン(1月31日~2月13日) 「FENCES,OKINAWA」  
http://blog.livedoor.jp/ishikawamao/archives/66027467.html

photographers’ gallery(2月1日~2月17日) 「港町エレジー」
http://blog.livedoor.jp/ishikawamao/archives/66029028.html

Zen Foto Gallery(2月3日~2月26日) 「日の丸を視る目」
http://www.zen-foto.jp/web/html/exhibition-next.html


(引用終了)


さて、冒頭のニュースに関係するのだが、東京及び近郊の皆さんのなかで、「沖縄」のことを理解してくれている人は、まだまだ少ない状況が続いているとわたしは思う。

断片的なイメージを頭の中で勝手にふくらませているだけの人も多い。

青い海と青い空のリゾート地、米軍統治の影響あってアメリカ文化を身近に感じられる島、過重な基地負担にあらがう反基地闘争の島、構造的沖縄差別に苦しめられている島、優れたスポーツ選手や芸能人を続々輩出する島、三線やエイサーなど伝統芸能の豊かな島、根幹にある宗教文化の豊かな島、泡盛や沖縄料理など個性際立つ食文化の島、・・・・・等々、どれも本当の沖縄だと言えるわけだが、しかしどれか一面を切り取って、沖縄の真実を理解したつもりになるのは、危険である。

まずは実際に沖縄へ旅してほしい。それも、決まりきった観光コースでなく、せめて少しは地元の人たちと語り合うぐらいの時間と心のゆとりをもって旅をしてほしい。

一方、誰もが気軽に沖縄旅行へ出かけられるわけでもなかろうとは思う。

そんな人には、ぜひ石川真生さんの写真をご覧なさい、とアドバイスを申し上げたい。

なぜなら、そこには「本当の沖縄」が写っているから。

人一倍「沖縄」に執着しつつ生きている写真家が、それゆえに、逆に広く世界に向けて開かれていくような、普遍的な人間探究の力を持ち得ている。沖縄を視る眼差しにバリエーションが増えるだけでなく、もっと知りたいという欲求を刺激する作品たちでもあるはずだ。

さて、東京及び近郊の皆さんに、その作品の力を、エナジーを、直に感じ取れるチャンスが巡ってきたわけである。

それぞれ持ち味の違う作品展なので、四箇所すべてご覧になることをお勧めする。
写真家自身の「ぶっちゃけトーク」の企画もあるようなので、これもぜひ聴かれることをお勧めしたい。
人生を赤裸々に語ってエンターテインメントにしてしまう真生さん独特のトークは、間違いなく聴く価値あり、なのだ。
(トークショーに関しては、定員制のようなので、申し込みはお早めに)。

では皆さん、ゆたさるぐとぅうにげーさびら(よろしくお願いいたします)。

ひとまず失礼。
  

Posted by natsuhiko watase at 12:21TrackBack(0)お知らせ

2011年12月25日

国境の島・与那国島の現在と未来を想うクリスマス&正月【中】

その場所は一般的には、百名ビーチという呼び方で知られているかもないが、わたししにはしっくりこないので、百名海岸とか百名の浜とか呼んでいる。ともかく、大好きな浜である(ビーチというと観光化されたイメージがあるが、ここの雰囲気はとても素朴で、だから好きなのである)。

12月19日、日が傾いた時刻に訪れた際も、「拝み」に訪れている人が複数あった。
その人たちを写真におさめようとするとき、心のなかで必ず「失敬します」とつぶやいていた。己にとって、最低限の心構えのようなものだ。

アマミキヨが最初に降り立った位置とされているヤハラヅカサには、今では目印として石碑のようなものが建てられている(数十年前に建てられたものと聞いたことがある)。シンプルに「ヤハラヅカサ」という文字だけが刻まれている。満潮時には水没し、干潮時に姿を現す。その前の砂浜に座し、久高島を遥拝するかたちで祈りを捧げる二人の男性がいた。



                   ↑↑↑
写真中央やや左の海中、水面から顔を出している岩のようなものが、ヤハラヅカサの目印の石碑。右側の浜にぽつんと見えるのが、祈りをささげる二人の人影。望遠レンズで寄ると、こう視えた。




あるいは、いかにも日課の散歩の途中という風情の中年男性が、ヤハラヅカサに軽く手を合わせて、すたすたと波打ち際を歩いていく。もっと厳かな所作で丁寧に参拝の姿勢を取る初老の男性もいた。その人が、浜の一隅に立つわたしに近づいてくる。そして当方が肩からぶら下げているデジカメにピタリと目線を当てながら、話しかけてきた。

「いい写真撮れましたか。早い時間に来たら、いい朝日が撮れるはずですよー。どちらからですか」
と、矢継ぎ早に質問ぜめ。わたしは、埼玉生まれだが、沖縄に移住して6年目であること、この浜が好きでよく訪れること、ここが琉球の聖地と呼ぶべき重要な場所であると認識していることなどをお答えした。

すると初老の男性の語りが止まらなくなった。琉球開闢神話について。沖縄本島に四箇所ある重要な龍宮神について。あるいは辺野古の海を汚して基地建設などしたらアメリカに対して大きな罰が与えられるに違いないこと。それから琉球の神様は日本人全体の神様でもあるのだからこれを日本人は絶対にないがしろにしてはいけないということ……、等々。

問わず語りの熱弁の途中、自身の「霊感体質」についても触れていた。「さっき拝んでいる間に、後ろにいるあなた(わたしのことだ)の気配をずっと感じていましたよ」とも言われた。後頭部のあたりをさわりながら、このあたりでがビリビリ感じるとのことだった。沖縄には自分のような体質の人はたくさんいる、とも付け加えていた。

ああ、その指摘は、じつにその通りであった。わたしは「失敬します」と内心つぶやきつつ、しかもかなり距離をとった上で、望遠レンズを使って、後ろ姿の写真を撮らせてもらっていた。男性がわたしの気配をビリビリ感じていた瞬間の一枚が、これである。↓↓↓




内地で仕事をしていたが、還暦をすぎた今年、沖縄に呼ばれて帰ってきたというこの人の話には、興味深い点が多々あった。「あなたのように、沖縄に呼ばれて移り住む人も最近増えていますよ」とも告げられた。目に見えないものは一切信じない、という人には、おそらくは胡散臭い印象さえ与えてしまう人物かもしれない。しかし、わたしはそうではないので、半信半疑という思いはありつつも、ありがたく耳を傾けたのである。もちろんそういうわたしでなければ、この人は近づいてもこなかったであろうが。

この人は去り際に、空を仰ぎつつ、次のような意味のことを言い残していった。
「また、この場所に来たらいいですよ。あなたの心の状態がよければ、素晴らしい光が撮れますよ、見れますよ」

                         *

さて、それから3日後の、冬至の日(12月22日)のことである。

もうすぐ昼時という時刻。わたしはなぜか突然、南へ向かおう、という気持ちになっていた。
もちろん、与那国島のことは、頭を離れていない。
そしてこのところ、与那国島の住人で、できればお会いしたいなぁ、と気になっている人がいた。

30年ほど前に与那国へ移り住んだ長崎出身の久野マサテルさん。
「NPOヨナグニウマふれあい広場」の代表で、数年前から南城市玉城親慶原の地で、その支部ともいえる「うみかぜホースファーム」も運営している人だ。1997年に与那国島を休暇で訪れて何日か滞在したとき、ヨナグニウマ乗馬をわたしも体験させてもらった。

当時は、現在のように鞍をつけて乗るような本格的乗馬スタイルは取っていなかった。裸馬に跨り、手綱もたった一本の非常にラフなスタイルだった。それでも、充分だった。乗馬の素人のわたしの言うことをきちんと聞き入れて、ヨナグニウマたちは、すばらしく従順に疾駆し、立ち止まり、楽しませてくれるのだった。小学生の子供たちも、この馬たちを自由自在に扱っていた。

そのときわたしは、久野さんにじっくり話を聞いている。島の在来馬であるヨナグニウマ馬を守り育てる情熱、馬を通じて島の子供たちの教育に良き効果をもたらしたいという信念、それから馬をめぐるたくさんの話を聞かせてもらった。久野さんは、世界中の「馬と人」の文化に造詣が深く、話に広がりと深みがあったことをよく覚えている。だが、「非常に世話になったなぁ、ありがたかったなぁ」という印象が強く残ったまま、14年間もご無沙汰していたのである。

この日、久野さんが南城市にいるのか与那国に帰っているのかさえ確かめていなかったが、なぜかアポなし訪問をしてみたくなった。ただ、どうしてもこの日に取材させてもらわなければいけない、という気持ちはなかった。

いや取材意識が明確にあったかといえば、正直なところ、それさえ疑問である。電話一本入れていないわけだし、牧場の正確な位置も確かめずに出かけたのだから……。ずいぶん以前にネット上で大雑把な位置確認をしたことがあったが、琉球ゴルフ倶楽部の近くということぐらいしか、わが脳味噌にはインプットされていなかった。

そうして、玉城・親慶原付近をゆっくりと、道案内の看板がないか気を付けながら走ってみたが、さっぱり見当たらず、いつしか、百名の浜の近くへとたどり着いていた。

そのときである、この日どんよりと重く垂れこめていた雲の隙間から、かすかに明るい光が海面へと射しているのが見えたのである。

クルマを停めて浜へと向かう途中、シャッターを切ったのが、下の写真である。




なんだかありがたーい気持ちになっていた。きょうはいいことがあるぞ、と確信してしまっていた(笑)。
いつものように、浜川御嶽(居コ前出の初老の男性が手を合わせていた拝所である。ヤハラヅカサに降り立ったアマミキヨが、仮住まいをしたと伝えられている場所)に手を合わせ、浜への道を降りて行った。

三日前とは違って、あたりに人影はなかった。
ヤハラヅカサ越しに久高島を眺め、



そして西側に続く自然の海岸線を眺め渡した。




もうお気づきだろうか。砂浜に、くっきりとスジが刻まれている。人間が歩いたり走ったりした足跡ではない。オートバイなどでもない。そうなのだ、馬の蹄の跡が、ずーっと続いているのであった。




次の瞬間、間違いないっ、と内心で叫んでいた。この浜にヨナグニウマがいる!!

そうして遥か彼方を凝視する。視力の衰えた肉眼でも、人を背に乗せた馬以外の何ものでもない、動く影が確認できた。それから望遠レンズを覗いてみて、わたしは独り声をあげたはずである。…うぉーっ、凄いっ。






その方向へ歩みを進めていくと、やがて「馬と人」もこちらへ近づいてきてくれた。



やっぱり、そうだった!!! 
ありがたい。幸運である。嬉しい。なんと表現してよいかわからない。この巡りあわせの不思議。

つまり、先頭の馬に跨っているその人こそは、久野マサテルさんだったのだ。
アポなし取材の始まりであった。

「久野さんですよね!!」
「はい、そうです」
「じつは、17年前に与那国でお世話になりまして……」

久野さんは、馬の背からひょいと降り、スタッフに馬と乗馬のお客さんを任せて、わたしと並んで歩きつつ、こちらの話に耳を傾けてくれた。

島で世話になったこと、サトウキビ刈り援農隊に参加して以来、与那国とは縁を感じていること、最近の与那国の情勢が心配で仕方がないこと。与那国の現在と未来を想うにつけ、久野さんにもぜひお話を聞きたいという思いが強くなったこと……。「アポなし取材」というのは、もともと図々しさ丸出しの行為ではある。けれどもさすがに、いきなりきょう話を聞かせてくれとは言うのは気が引けるものである。

「きょうはこれから、お出かけの予定ありますか」
「2時ぐらいまでは牧場にいますから、大丈夫ですよ。(牧場に)ぜひ来てくださいよ」

あと1時間半ほど余裕がある。本当にありがたいことである。「馬と人」の乗り込んだトラックを見送ってから、御嶽を挟んで反対側の駐車スペースへ取って返し、久野さんに教えてもらった道順で、牧場への道を急いだのだった。

時事問題の記事のはずが、いつの間にか身辺雑記と化している。まぁしかし、これも自然の流れなので、もう少しお付き合いください。














(つづく)


  

Posted by natsuhiko watase at 14:01TrackBack(0)身辺雑記

2011年12月24日

国境の島・与那国島の現在と未来を想うクリスマス&正月【上】


あえて、タイトルを与那国島に絞り込んだ意味は、読んでくださればわかってもらえるはずなので、しばしお付き合いを。

いわゆる普天間基地の辺野古への移設(とは名ばかりで、明らかに大規模自然破壊を伴う新基地の建設である)を前提とした「辺野古環境アセス評価書」の、政府による県知事への提出は、日米政府による沖縄への「レイプ」に等しい許されざる行為である。その認識が、多くの沖縄県民の間で共有されつつある。それが年内であろうと年明けであろうと「レイプの罪」に変わりはないのである。

何度も書くのがバカらしくなるほどに、沖縄側は繰り返し明確に、「辺野古新基地建設反対」や「普天間基地の県外移設要求」という民意をはっきりと示し続けてきた。県議会の全会一致決議はじめ、沖縄県知事、名護市長、あるいは全41市町村長の意思表明をみれば明らかである。

それでも防衛省の官僚たち、防衛大臣はじめ関係する政治家たち、そして複数の全国メディアは、あたかも沖縄には「民意」が存在しないかのように、振る舞っている。
彼らに対し改めて、強い怒りをこめて、沖縄をなめてはいけないよ、と警告しておこう。

                           *

さて、目の前にこなすべき個人的課題は山積しているのだが、一方では毎日、与那国島のことを考えている。

18歳と19歳のときに「与那国島サトウキビ刈り援農隊」に参加して以来、何度も通い長期滞在した島である。
島の自然の恵みに抱かれ、島人の情けに助けられた青春の日々。今あらためて振り返ってみても、懐かしくありがたい思いにわが胸は満たされる。

恩義ある島である。

その恩義ある島が、今おかしなことになってしまっている。非常に心配である。
教科書採択問題と自衛隊誘致問題のことである。

石垣市教育委員会(玉津博克教育長)に歩調を合わせるかたちで、与那国町教育委員会(崎原用能教育長)が、問題の「つくる会系」育鵬社の中学公民教科書を選んでしまったのが今年の8月のこと。

教科用図書採択の八重山地区協議会会長を務める玉津博克氏による独善的で拙速な手続き変更を経て、育鵬社版が選ばれてしまったのは周知の通り。

玉津氏が問題の「つくる会系」教科書ありきのお粗末な議事進行をし、協議会の議事録まで改ざんしていたことは、地元紙等の報道で次々に明らかになっている。現場の教師たちの推薦を一切無視する決定をしたことも含めて(つまり、育鵬社版は協議会への推薦さえなかった教科書)、疑惑の多い協議会だったことを、わたしも指摘しておかねばならない。

竹富町教育委員会は、その横暴なやり口に屈せず、育鵬社版を拒否し、竹富町の子供たちのために東京書籍版を選んだ。

しかし、なんと文部科学省は、その竹富町に対して「有償化」を言い、圧力をかけている。

教科書の採択権は、各教育委員会にある、という地方教育行政法からみれば、竹富町の選択にはなんら瑕疵(かし)がないにもかかわらず、である。一方、教科書無償措置法というものもある。無償化のためには、同一採択地区の中で教科書を統一することが前提になっている。

この二つの法律の矛盾が表面に現れた、全国でも初めてのケースだ。

沖縄県の立場ははっきりしている。

八重山地区内の統一をはかるため、9月8日の八重山地区の全13人の教育委員が集まった会合に県の教育委員会はあえて立ち会い、その場で仕切り直した教科書採択を有効とする立場だ。

つまり、育鵬社版を退け、東京書籍版を採択し直した営為を、有効と認めているのだ。
これに対しても、文部科学省は否定する態度を取っている。地区内の統一をはかるよう沖縄県に求めたのは、文部科学省である。そのことを受けて努力した県の英断を否定し、横暴な手続きを進めた協議会の側の決定を支持するのみである。

防衛省の「人でなし」ぶりのみならず、このことを見ても、日本の官僚機構が、いかに劣化し、危険な状態に陥っているかがわかる。共通するのは、確信犯であるか無自覚であるかは別として、官僚・政治家たちの「思考停止」状態である。

わたしは11月初旬に、沖縄大学図書館へ赴いた。マスコミなどを通じて知らされていた一般公開期間は若干過ぎてしまっていたが、一般市民としての当方の閲覧要望に、図書館職員の方たちが丁寧に対応してくださり、問題の育鵬社版と、竹富町教育委員会が選んだ東京書籍版を手に取り、じっくりと読み比べることができた(※地域に開かれた大学を目指しているという沖縄大学のこのような努力に感謝と賛意を表したい)。

二つの教科書の内容は、大きく違っていた。

自衛隊の存在意義をひたすら強調し、沖縄の過重な基地負担など無視しているに等しく、改憲への誘導シュミレーションとすら呼べる記述を展開している育鵬社版(ちなみに表紙の日本列島の写真の中に、奄美や沖縄の島々や小笠原諸島は写っていない。意図的でなくても、編者たちのデリカシーのなさは、こういうところにもくっきり表れている)。

一方、東京書籍版では、「日本の平和主義」という章の中で、目立つ位置に「沖縄と基地」という囲み記事を設けている。決して十分とは言えないまでも、全国の米軍基地面積の74パーセントが沖縄に存在していることにも触れ、沖縄の基地縮小への道について真正面から取り上げられている。環境・人権・平和という、人が生きる上で意識する必要のある「三大要素」に関して、真摯に取り組もうとする姿勢のうかがえる教科書である。

授業で教科書をどう使うのか、一人ひとりの教師の力量が問われることは言うまでもないが、その前段階の採択の話だ。次代を担う中学生たちに、どちらの教科書を使ってほしいか、である。

育鵬社版は、出来が悪いだけではない。沖縄戦における日本軍の関与による集団自決を否定するような、歴史改ざん主義者たち(=新しい歴史教科書をつくる会)の関わっている教科書であることが、まずもって大問題なのである。

その教科書を採択する動きが、あろうことか沖縄県内で起こってしまった。このことに大きなショックと憤りを覚えた沖縄県民は、わたしの周囲だけでも非常に多くいる。

こんな教科書を、ろくな議論もせずに選ぶことをしてしまった八重山採択地区協議会のメンバーと、石垣市教育委員会と与那国町教育委員会の皆さんには、なんと恥ずかしいことをしてしまったのかと気づく日が来てほしいものである。「あの頃は、ある勢力に洗脳されてしまっていたので、何が正しいことか見失っていた」と自覚する日の来ることを願うばかりである。

                          *

同様の意味で、強引で拙速だと感じさせるのが、与那国島への「自衛隊誘致」「自衛隊配備計画」である。

わたしは町長と町議会による「誘致」の動きを知ったとき、「それは、ちょっと違うんじゃない?」という感想を抱いた。
その理由については、年明けに発売される月刊誌において、与那国の現状に関するルポで書いたので、発売日の前後には、改めてお知らせしたいと思う。

                          *

そんなふうに、毎日与那国島のことを考えているある日のこと、といってもつい一昨日(12月22日)なのだが、不思議な不思議な体験をすることとなった。

会いたいと思っていた人に、アポなしで会えた。
しかも、わたしがこの沖縄島(沖縄本島)の中で大好きな場所のひとつである海岸で!!
以前から当ブログを読んでくださっている方、あるいは、昨夜フェイスブック上で公開した写真をご覧いただいた方には、言わずもがなかもれしない。

その場所とは、南城市(旧玉城村)の百名(ひゃくな)の浜である。

琉球開闢神話が凝縮して今も息づいている土地。大規模リゾート開発や護岸工事の及んでいない土地。沖縄本島南部では、数少なくなってしまった自然の海岸線の残されている場所。平たく言えば、この一帯は、今も多くの人が「神がかりの場所」と考えているわけだが、そんな百名の浜がわたしも大好きで、ドライブがてら時々訪れる。

じつは5日前の12月19日(22日から数えればわずか3日前)にも、この浜に降りて、深呼吸をし、英気を養ったばかりであった。天気の良い日の夕暮れ時だった。



近所の畑では、サトウキビの花が風に揺れて美しく輝いていた(ススキではないので、念のため…(笑))。




ここまでで、いったんアップします。
(つづく)






  

Posted by natsuhiko watase at 10:11TrackBack(0)時事問題

2011年12月18日

琉球キングスvs仙台89ERS【志村雄彦へのオマージュ・下】

昨日(12月17日)の高松ファイブアローズとの一戦、完勝であったようだが、まだスタッツのみの確認で、bjtvの録画映像を視ることができていない。課題のフリースローの確率も大幅にアップしていて喜ばしい。それについては、キングス・ブースターさばにさんの【所感】も参照されたし。→http://kings.ti-da.net/e3717887.html

大阪エヴェッサが敗れ、京都ハンナリーズの試合がなかったため、琉球キングスはbjリーグ西地区1位に浮上した。しかし、西地区は1ゲーム差に4チーム(9チーム中)がひしめく混戦模様。一喜一憂するには、時期尚早のようである。

                 *

さて、昨日の続きである。








12月11日(日)、琉球キングスvs.仙台89ERSの第2戦は、57対60というロースコアで、仙台に軍配があがった。
仙台も60点だから、キングスのディフェンスが駄目だったわけではないが、それ以上に仙台のディフェンスにやられた、というのが、素人目の率直な印象である。数字の上でも、リバウンドがキングスの37に対し、仙台はじつに51。また2ポイントシュートの確率は、仙台が5割をキープしたのに対して、キングスが34.8パーセント。いかにインサイド攻撃を決められなかったかが表れていた。

この日の仙台のチームバスケットをうまく機能させていたのが、他ならぬキャプテンであり司令塔である志村雄彦だった。

なんとこの日の志村は、一度もベンチに下がることなく、両チームを通じてただ一人、40分間コートに立ち続けた。
ピアスHCの意思と志村の気迫がピタリと重なり、仙台のバスケットは集中力を切らすことがなかった。

ディフェンスでは相手に絡み付くような激しい動き。絶えず声を出し、仲間を鼓舞するキャプテンシーを発揮。司令塔としてゲーム全体をコントロールしつつ、ここという場面ではドリブルでインサイドを切り裂いて得点。40分間落ちなかった運動量、すなわちスタミナの素晴らしさ。どれをとっても光るものがあった。

非常に単純な言い方をすれば、試合全体を通して、志村のハッスルプレーを瞼に焼き付けた観客は多かったはずである。
わたしも自ずと志村の動きに注目し続けることになった一人である。













(※当方のトホホデジカメでは、早い動作を写すのは難しいものがありました。コンベンションセンターは、他会場よりも試合中の光量が少ないようで、なおさらでした)

まず、敗北直後のコート上で、キングスのキャプテン与那嶺翼が挨拶をした。
「こんなにたくさんの方に集まってもらったのに不甲斐ない試合をして残念に思っています。仙台89ERSは(観る人に)パワーを与えるプレーをしてくれたと思います。キングスも、沖縄の皆さん、日本の皆さんにパワーを贈れる試合をしたいと思います。年明けに試合がありますので、ぜひ応援よろしくお願いします。ありがとうございました」

じつに真っ当な挨拶だった。与那嶺翼の言葉には、いつも謙虚さと責任感がにじんでいる。良きキャプテンであると思う。
並里成という後輩のライバルが入ってプレータイムが短くなってしまっているが、彼が気迫を前面に出してゲームをコントロールする姿も、もっともっと観たいところではある。並里のプレーももちろん楽しみなので、ファンとしては辛いところだが・・・。

さて試合後の記者会見、仙台のロバート・ピアスHCは、気分が良さそうだった。
「チーム一丸の勝利です。得点力の高い沖縄を、60点以下に抑えたディフェンスの頑張りを評価したいと思います。キャプテンの志村が、よくチームをまとめて、40分間戦ってくれたおかげで、勝つことができました」
「志村はbjリーグで一番サイズの小さな選手だと思いますが、しかし彼は一番肝の据わった、ビック・ソウルの持ち主だと思います」

惜しみない志村讃歌だった。

「沖縄は、観客が素晴らしく、会場の雰囲気も非常にいいので、来るのが楽しみな場所です。仙台からもたくさんの方が応援にきてくれていたので、いいゲームを見せることができてよかったと思います」

いやはや、これはマズイ。沖縄に来るといつもコテンパンにやられるから来たくない場所だと言わせなければいかん(笑)。


つづいて、志村雄彦の会見。
試合後、キングス・ブースターからもハイタッチを求められたことに水を向けられて。
「最高ですね。沖縄のブースターは、本当に素晴らしいと思います。敵地でこんなに声援を受けることは他にありません。こんなに温かく迎えてくれて、ありがたかったです。熱い声援を送ってくれるブースターに、僕の成長した姿を見せたかったので、感謝をこめて、コートで走り続けることが恩返しだと思って戦いました。2日間、素晴らしい時間を過ごさせてもらって、ありがとうございました」
「今日は、あの3.11から9カ月の節目の日でした。仙台・宮城の人たちのためにも、絶対に負けるわけにはいかないと思っていました。今日は自分が倒れてもいいからやろう、という気持ちで戦いました。」
キングスと、有明コロシアムのファイナルで戦う可能性に問われた時には、非常に冷静にこう答えていた。
「沖縄さんとファイナルで戦えるとは、まだ言えないと思います」
もちろん、自分たちには、まだまだ向上させねばならない点が多々ある、という慢心を排する姿勢を示したのである。
そうなるといいですね、などという皆が期待しがちな甘い言葉は決して吐かなかった。
それゆえ、その言葉は逆説的に、「キングスは強いチームだけれど、もっと頑張らないと、ファイナルへ必ず出られるとは言えないのではないですか」という言葉にも聴こえるのだった。

その会見が終わって、キングスのミーティング終了を待つ間、廊下の椅子に腰かけている志村雄彦の姿が目に入った。テレビ局の顔見知りのキャスターが追加取材をしていた。それが終わったタイミングで、わたしも彼のもとへ駆け寄っていた。

彼に直接向けるべき質問を、しそびれた気がしていたからである。
この日、会場入りして彼と笑みを交わしたときの己のぎこちなさを払拭したい、という気分も手伝っていたに違いない。

「ひとつだけ質問していいですが?」
「どうぞ」
「3月の移籍記者会見のとき、沖縄の人に何をしてほしいか、と訊いた者ですが・・・」
「はい、覚えてますよ」
志村は、当方の顔をまっすぐに見据えて、真摯な態度でそう返してくれた。
「3月の会見で、沖縄の人たちにも忘れてほしくない、と言っていましたよね。さきほどの会見の言葉は、その沖縄の人たちに対して、今どう思っているか。その答えだと思っていいですか?」
「はい」
「沖縄の人たちは、忘れてない?」
「そうですね」
志村は、満足そうな微笑みを浮かべていた。
「どうもありがとう」
取材者と被取材者の関係においては、野暮を承知で、直接聴かねばならないこともあるのだ。


つづいて桶谷大HC。
「前半はアグレッシブに攻めたのに、後半はシュートを打ちにいかなくなって重い雰囲気にしてしまった。例えば、レジー(オコーサ)がアウトサイドに引いてしまったりしましたが、そういうところも含めて、自分に問題あり、だと思っています。いい素材がいるチームだけに、もっとシンプルに行こうと思います。いいバスケをしようとしすぎて、結果的に無理な1対1の形になってしまったりしていました。もっと、アグレッシブにアタックしていかないといけません」
桶谷HCは、選手に責任転嫁することのない人だ。欠点、修正点が見つかった場合、それをまず自身の反省点として捉えている。そういう人が開き直って弾けたときは、強い。わたしは、半ば願いをこめて、そう睨んでいる。今後の采配が楽しみである。
志村雄彦に対する感想を求められたときは、潔くシンプルに答えていた。
「ゲームをコントロールしていて、存在感がありました」

さて、その日の記者会見がすべて終了したところで、新聞社とテレビ局が、指名したキングス選手に若干追加取材をしていた。テレビカメラの前に立った並里成選手を発見。そこで、広報担当者に許可を得たうえで、わたしもほんの少し並里にも追加取材させてもらうことにした。

そして、並里成に志村雄彦の印象のみを訊ねた。
「隙のない選手でした。もしかして、40分間出てましたよね。それなのに、途中で休んでいる選手よりも、ずっとハッスルしていたし、集中していました。ゲームメイクの仕方、自分で打つ時の判断もいい。僕よりサイズが小さいのに2~3本レイアップも決めてましたよね。それから選手に声をかけるタイミング・・・、全部参考になりました」

なるほど、であった。

その志村雄彦率いる仙台89ERSだが、そして、キングスをロースコアに抑え込んだディフェンス力ある仙台だが、昨日のホームゲームでは、宮崎シャイニングサンズに98点という大量点を許して負けている。勝負はわからないものである。だから、スポーツは面白いのでもある。

きょう日曜日の戦いも要注目。
快勝の翌日だけに、キングスも気を引き締めてまいりましょう。


沖縄は、じつに久しぶりに、青空らしい青空が広がっている。良かった。
これから、やんばる東村高江へ「楽市楽座」の野外劇を観に行くのだ。

皆さんにとっても、良き日曜日となりますように。







  

Posted by natsuhiko watase at 10:56TrackBack(0)スポーツ

2011年12月17日

琉球キングスvs仙台89ERS【志村雄彦へのオマージュ・上】

お待たせいたしました。ちょくちょくブログをチェックしてくださっている皆さん、ありがとうございます。
なんだかんだと言い訳ツイートをしたりして、1週間ぶりのブログ更新になってしまいました。きょうからは、少し更新頻度をあげていきたいと思います。

                     *

琉球ゴールデンキングスのジャーフロー・ラーカイが左手親指を骨折したとの知らせを受けたのは、木曜日の夕刻だった。
http://www.okinawa-basketball.jp/2011/12/post_829.html
シーズン開幕直前に手術を受けた膝の調子も良くなってきて、さぁこれから、という時だったので、とても残念。アスリートに故障は付きものとはいえ、チームとしても痛い。2ヵ月後の復帰を目指すというのだから、かなり痛い。奇跡的な快復を祈りたい。だが一方では、これからしばらくの間、大黒柱ジェフ・ニュートンの役割はますます大きくなるだろうと睨んでいる。彼もケガに泣かされることの多い選手だが、「本当の復活」を、大いに期待したいところである。

この土日、キングスは、高松ファイブアローズとのアウェイでの戦い。今季まだ未勝利の最下位チームだが、油断は禁物。高松にとっては、今年のホームゲーム最終戦である。今年中に地元でなんとか1勝したい、という渇望に近い思いはきっとあるだろうから。

本日夕刻、わたしは名護市辺野古のキャンプ・シュワブゲート前での「ピース・キャンドル」に参加するし、明日も外出の予定があるので、リアルタイムでのbjtv観戦はできないが、録画映像はしっかり観たい。とりこぼしなく2連勝を、と願っている。


さて、本日の当ブログの主役は、タイトル通り、志村雄彦である。
仙台89ERSのキャプテンであり、3月下旬から5月まで、わったーキングスに所属した男である。

ちょうど1週間前の土曜日曜、沖縄コンベンションセンターで、琉球キングスは東地区2位の仙台と戦い、1勝1敗。
土曜日は、別件取材(沖縄対外問題研究会にて、島袋純・琉大教授の「与那国、沖縄、国境の島々の挑戦」のお話を聴いた)があったので、試合開始から30分ほど遅れて駆けつけたのだが、日曜日は、FC琉球今季最終戦(MIOびわこ草津に1対4で惨敗)観戦のあと移動しても、試合前のウォーミングアップの時間に充分間に合った。

でもって、プレス受付のある入口のドアを開けたとき、ちょうど、黄色いユニフォームの男たちがそこにいた。練習のための選手入場アナウンスを待つ仙台89ERSの選手たち。その中で、ひとりの選手とピタリ目が合った。その男は、わたしの顔を見るなり、ニコッと笑みを投げかけてくれた。

彼こそは、志村雄彦だった。

当方も笑みを返したつもりだが、ぎこちない反応を返してしまったようにも思われる。彼とわたしはすでにfacebook友達であったりはするけれども、日常親しいお付き合いをしているわけではない。今もわたしのことを覚えてくれているという自信は持てていなかった。前日の記者会見にはわたしも出ているが、会場施設の使用時間の関係で、土曜の夜の会見はいつも大急ぎ。個人的に挨拶する時間的余裕も、なかった。だから、彼と目と目を合わすのは、彼がキングスにいたころ以来。じつに半年ぶりのことなのだ。

話は3月に遡る。3.11大震災のあと、仙台89ERSは、活動休止を余儀なくされた(他に東京アパッチと埼玉ブロンコスも活動休止。東京は、そのままリーグに戻ってくることはなかった)。当然、そのままでは所属選手たちに、プレーする場はなくなる。そこで、bjリーグは、すみやかに休止チームの選手への救済措置に乗り出した。他チームへの期間限定移籍を可能としたのだ。

琉球キングスも名乗りをあげた。そうして獲得したのが、仙台のポイントガードの志村雄彦であった。

志村という選手について、その時点では、彼の輝かしい経歴を読んだことがあるという程度だったわたしだが、だから余計に、というべきか、3月29日に行われた移籍記者会見には、この選手にどうしても会って話を聞きたい、という気持ちで出席していた。

そして、会見が終わりに近づいたころに挙手をして、志村に対してひとつだけ質問をさせてもらった。
このことは、当時のブログにも書き、その後も何度か触れているので、ご記憶の方もおられるかもしれない。
http://watanatsu.ti-da.net/e3355924.html 志村雄彦「琉球キングスへの移籍記者会見」詳報。

そのときのわたしの質問と志村の答えのみ、以下にも書き写しておく。
↓↓↓

「沖縄には、被災地の皆さんに対して、何かをしたいと思っている人がたくさんいます。志村さんから、何をしてほしいか、遠慮なく言っていただけたら、と思います」

これに対して、志村選手は反応すばやく、こう返してきた。
「忘れないでほしいです」
「被災地の宮城から東京へ入ったとき、まるで別世界でした。東京では当たり前の生活が当たり前に続いていました。そのとき、悪い夢でも見ていたのだろうか、という気持ちになりました。いまでも、夢じゃないか、と思うことがあります。被災地の復興には、これから、時間も労力も、ずっとかかると思います。ですから、沖縄の皆さんにも、いまだけではなくて、ずっと忘れないでほしいと思います」

最初にズバッと発した言葉を、最後に念を押すように繰り返していた。
「忘れないでほしい」という言葉に、志村雄彦は万感の思いをこめていた。
 


わたしはこのことを、志村がキングスに在籍中も、そして仙台へ戻ってからも忘れたことはなかった。
そうこうするうち、先週末、志村が「沖縄のコートに帰ってプレーする日」が、ついに訪れたのである。

土曜日は、キングスが80対67で仙台を下した。

記者会見での志村雄彦は、もちろん悔しそうだった。



わたしは彼の言葉にじっと耳を傾けた。
「とごよりも温かく迎えてくれる沖縄の皆さんに対して、とてもありがたく思いました。沖縄は一番遠くて一番身近に感じられる所です。(試合前、キングスの選手と交わした会話を問われて)それは教えられません(笑)。彼らも仲間だと僕は思っています。(その仲間たちを)コテンパンにやっつけるつもりだったんですが、今日はダメでした。でも、僕らの力はこんなもんじゃないし、沖縄へは勝ちに来てるので、明日はそういうバスケットを見せます。沖縄のみんなに、ファイナルで当たりたくない、と思わせるバスケットをします」

敗北の直後に、この言葉。志村の「気持ちの強さ」は健在だった。彼は試合の感想を求められ、こうも語っていた。

「キングスは、相変わらず強いですね。前半50点取られて最悪だったので、ハーフタイムに「ディフェンスからやり直そう」と確認し合って、後半はそれができてよかったです(注※後半はキングスを30点のロースコアに抑えこんだ)。ただ勝つためには、100パーセントの力というか、もっともっと力を出さないとダメだな、と思いました」
「今シーズン、コーチが我慢して僕をよく使ってくれていると思います。シーズンが始まるころ『ステップアップするチャンスだから、頑張りなさい』と言ってくれて、我慢して使ってくれています」

そのコーチとは、ロバート・ピアスHC。



キングスが王者となった08−09シーズンで、新規参入の滋賀レイクスターズを率い、地区セミファイナルで、キングスと戦ってもいる。ある意味で沖縄通であり、日本語も堪能な人物である(彼は、記者会見で通訳を介さず完璧に日本語の質問を聞き取り、直後に英語で答えるというスタイルを取り続けている)。そのピアスHCは、土曜日の敗北後には、志村についてこう語っていた。

「先シーズン、プレーする機会を与えてくれた沖縄に志村が帰るということで、志村のためにもチーム一丸となって勝ちたかった。それができず、志村に申し訳ない」
そして続けた。
「でも、収穫はあった試合でした。後半は、いいチームディフェンスもできました。ラシャード・シングルトンが成功した5つのブロックショットなどの成果も出ています。敗因は、ターンオーバーの多さ、フリースローが決めきれないこと、シュートの成功率の低さ。でも、沖縄に来て勝たずに帰るわけにはいきません。明日こそ40分間しっかり戦って、結果を残したい」
最後に沖縄のファンにひと言、と水を向けられて。
「沖縄のブースターの方たちは、89ERS支援のために活動してくれました(募金への協力などを指す)。『ゴーゴー、ナイナーズ!!』の声も嬉しく感じました」
この日、試合開始直前、キングスブースター有志が声をそろえて、仙台へエールを送ったのだ。
わたしも日曜日には、その声を直接耳にすることができた。プレス席ゆえ、実際に声を発することは遠慮したが、心の中ではわたしも声を重ねた。

志村について、キングス側の感想はどうだったか。

桶谷大HC「今日の志村は、ちょっと気負っていたかな、と感じます。明日は、アジャスト(調整、調節)してくる選手だと思うので、気を付けたいと思います」



与那嶺翼「志村さんは、昨シーズン、一緒にチャンピオン目指して戦った選手。相手として戦えるのは嬉しいです。マッチアップすることで、いろんな意味で考えさせられるものがありました。志村さんは、今季、いいプレーをしているので、負けたくない、という気持ちでやりました」




このあと、並里成とアンソニー・マクヘンリーが会見に登場した。勝利のあとだけに、二人とも和やかな空気をその身にまとい、無難な質疑応答が続いた。マック先生のスキンヘッドは、やはり気分転換のためだったことも判明した(笑)。







が、その間、志村雄彦は少し不機嫌そうに見える真剣な表情で、会見スペース近くの廊下を、うろうろと歩いていた。それを眺めつつわたしは、ノートにこんなメモを残している。

《あしたは、本当にわからないと思う》

志村の姿には、明日どうやって勝つかそれだけを考え始めている男の気配が、色濃く感じられたのである。

(つづく)






  

Posted by natsuhiko watase at 12:10TrackBack(0)スポーツ

2011年12月10日

試合前日インタビュー。琉球キングス・桶谷大ヘッドコーチ。


バスケットボールだけでなく、わたしはあらゆるスポーツに関して、「素人ファン」であることを明言している。
専門的知識の乏しさに対する言い訳という側面は、正直に認めるべきかもしれないが(苦笑)、じつはスポーツに限らず、すべてに関して、アマチュア意識を持つのは悪いことではないと確信している。先入観にとらわれずに物事を眺めて、素直に感じたこと、そぼくな疑問を抱いた点を、むしろ大事にして、歩みを進める。

現在の琉球ゴールデンキングスに対する、わたしの素朴な関心は、このチームが今、どのような手応え・自信を得ながら、シーズンを戦っているか、という点である。

先週は、bjリーグ東地区1位の秋田ノーザンハピネッツとのアウェイの戦いを、1勝1敗でしのいできた。
わたしは土曜日は、ブースターのスワン大谷さんの店でパブリックビューイング。日曜は自室でbjtv観戦だった。

昨日、金曜日には、ホームゲーム前日練習を見学するために宜野湾勤労者体育センターへ赴き、練習後に桶谷大ヘッドコーチに話を聞いた。他のメディア関係者は一人もいなかったので(みんな仙台89ERSにあわせて、志村雄彦選手たちの取材へ走ったんだろか?)、期せずして独占インタビューとなった。



試合当日、まさにティップオフ直前のブログ更新であるからして、ブースター・ライター(公正中立な立場のジャーナリストだと思ったことは、じつは、ただの一度もありませぬ!!)のわたしとしては、書き方には注意したいと思う。

仙台89ERSの中心メンバー、志村雄彦選手とは、フェイスブック上のお友達でもあったりするので、うかつなことは書けませぬ(笑)。

そんなとき、わたしの「素人ファン」としての立場は、かえって有効かもしれぬ。桶谷さんに対して、戦術的に突っ込んだ質問は、まだまだ無理だからである。

こんな訊ね方をさせてもらった。

Q:秋田との2戦目をいい形で勝てて、チームの状態は上向いていますか。

桶谷「そうですね。2つ負けるのとは、大きな違いがありますからね。じつは負けた土曜日も、内容は悪くはなかったんです。最後まで攻めた分、攻め返されたところがあって、(ヘッドコーチとしての)僕がアクセル踏み過ぎたかな、と思ってます。選手は、守ったほうがいいと思っていたかもしれません。しかし、このところオフェンスリバウンドを取られる回数は昨シーズンより減っているのは、いい材料です。昨年のファイナル決勝で、浜松にめちゃくちゃオフェンスリバウンドを取られて負けたことを忘れてはいけないと思っていますからね。今年は、むしろターンオーバーが去年より多くなっているのがいけません」

Q:素人目にはやはり、フリースローがもう少し入っていれば勝てたのに、もったいないな、とも感じました。

桶谷「すぐには直らないかもしれないけど、本数を打たすしかないなと思ってます。これは、プレイオフでも間違いなく課題になりますから、今からしっかりやっていきましょう」

桶谷HCは、問わず語りに近い形で、こんな話もしてくれた。
「毎年選手が代わるごとにに、自分の考え方も変えないといけないな、そうしないと勝ち続けることはできないな、と感じますね。今年はとくにそれを感じます。過去に比べて、よりアグレッシブな選手(オコーサ、ラーカイ、並里ら)が入ったわけですが、(シーズンの出だしは)彼らをうまく生かし切れていなかった。それは、今までディフェンスのチームだったからだと思います。たとえば、オコーサやラーカイのディフェンスには少し『どうかな?』という面もあるでしょう。でも彼らが、ディフェンスをやらなきゃいけない、という意識を強く持ちすぎると、リズムが狂ってオフェンス面もうまく行かなくなるかもしれない」

Q:そういえば、最近の記者会見でも、「キングスの選手は、元々ディフェンスの意識を非常に強く持っているから、ディフェンス、ディフェンスと言いすぎないほうがいいかも」とおっしゃってましたね。

桶谷「サッカーのジーコさんが、日本代表の監督になったとき、そういう議論があった気がします。選手たちの考えと、ジーコ監督の考えていることが微妙に違って、オフェンスとディフェンスのバランスがかみ合わないことがありましたよね」

わたしはそんなこともあったかもしれないと思ったが、自信がもてず、曖昧な反応を返してしまった。

桶谷さんは、自分で話を前に進めてくれた。

「そのバランスが大事だと考えてます。今は、相手がディフェンスのアイデアをいろいろ練らないといけないような、つまり相手がいやがるオフェンスの組み合わせをいくつか持ちながら攻めたいですね。イケイケのオフェンスもありかもしれません。そこからディフェンスのリズムが掴める場合もありますからね」

素人なりに把握してきた「ディフェンスを頑張って、リバウンドを取って、そこから速攻」という、ここ数年のキングス得意のパターン以外の、種類の違うワクワク感が、今年はさらに膨らむシーズンなのかもしれない。

Q:あの志村雄彦選手が沖縄に「帰ってくる」ということもあって、この土日の仙台89ERSとの対戦は、非常に盛り上がりそうですね。意識はされますか。

桶谷「このところ、志村がチームとしての仙台を勝たせているように感じています。彼と、日下選手が、猛獣系のビッグマンをうまくコントロールできている。志村自身は、ディフェンスでハッスルして、ウチのビッグマンからボールを取ったりすると乗るタイプですから、それをさせないようにします。もちろん、そういうことをやられてしまった場合でも、乗せないようにする。沖縄のファンに姿を見せてくれることは大歓迎ですが、でも、好きにはさせません。勝たせません(笑)」

仙台の志村雄彦についての話題は、キングスブースター・さばにさんもブログで取り上げているので、ぜひご覧ください。
参考になると思います。http://kings.ti-da.net/e3707010.html

なんとか、試合前にブログ更新、間に合いました。桶谷さん、ご協力ありがとうございました。

さてわたしは、これから沖縄大学で某研究会の講座を聴講してから、沖縄コンベンションセンターへ向かいます。
よって、少し遅刻しそうです。

おそらく心優しきキングス・ブースターによる仙台復活へのエール、「ゴーゴー、ナイナーズ!!」の大合唱が、試合開始直前の会場に響くのでしょうね。きょうも、あしたも、めちゃくちゃ楽しみな、キングス・ホームゲームです。

では、皆さん、コンベンションセンターでお会いしましょう。


  

Posted by natsuhiko watase at 14:49TrackBack(0)スポーツ

2011年12月10日

琉球コラソンの会心の勝利に立ち会えた喜び!!

やっと書ける時がきた。誰のせいでもないけれど、遅くなってごめんなさい。

火曜日のブログの最後に記した「心から嬉しいと思えたスポーツの話題」。
勘の良い方はおわかりか。

ずばり、琉球コラソン。
日本ハンドボールリーグ(トップリーグ)に2008年から参戦しているこのチーム。
先週土曜日の会心の勝利に、わたしは立ち会うことができた。これを観られなかった人は、はっきり言ってアンラッキー。
昨季までまるで勝てなかった相手、トヨタ紡織九州に、26対21で快勝した。中身も良かった。

少しハンドボールに詳しい人ならわかってもらえるはずだが、強豪チームを21点に抑えることができたこと自体、素晴らしいのである。いかにディフェンスが機能し、ゴールキーパーがファインセーブを繰り返したか、想像いただけるのではなかろうか。

勝っただけでも十分嬉しいのだが、現在の戦力で考えられる最高に近い形の内容で勝てたことが、嬉しさを倍増させてくれた。試合後は、次の予定へと急いだので、東長濱秀吉監督の記者会見までは参加できなかったが、ほぼ全員の選手たちとハイタッチと握手をさせてもらった。思わずそうしたくなるほど、嬉しい勝利だった。帰り際、監督の記者会見の場にも割り込んで、握手だけはさせていただいた。沖縄タイムス、琉球新報、両紙の担当記者さん、わがままを許してくれてありがとうございます。

琉球コラソンに関しては、チーム設立当初から、ずっと取材させてもらっているわたくしめである。
そのわたしから見て、この日の勝利には、「紆余曲折を経て、よくぞここまでチーム力を上げてきたなぁ」と、胸を熱くさせられるものがあった。

設立当初の「日本の初のプロチームをハンドボール王国・沖縄の地に誕生させる」という大望・野望を顧みれば、現実の厳しい経済環境とのギャップの中で、過去3年、決して満足な戦いができたわけではなかった。チーム力、フロントの組織力、スポンサーのサポート力……、あらゆる点で厳しい戦いを余儀なくされた3年間だった。

けれども、彼らはあきらめなかった。だから、この日の勝利を手にすることができた。

男子ハンドボールのトップリーグは、現在8チームから成っている。
この3年、トップリーグを観てきて言えるのは、チームの実力が「5強」「3弱」にくっきりと分かれてしまっていること。
昨季の順位のまま並べると、大崎電気、湧永製薬、大同特殊鋼、トヨタ紡織九州、トヨタ車体が5強。
失礼を承知で記せば、琉球コラソン、豊田合成、北陸電力が3弱だった。

琉球コラソンは、初年度(08-09年)の10チーム中8位から、09-10シーズンの8チーム中7位、10-11シーズンの8チーム中6位へと一歩ずつ這い上がってきてはいる。

見てお気づきのように、他チームはすべて経営母体の安定した実業団チーム。
琉球コラソンのみが、史上初のクラブチームとして、異例のトップリーグ参戦を果たしているのである。

ということはつまり、コラソンのメンバーは、実業団社員選手と違って、ほとんどが仕事を持ち、限られた時間、限られた練習場でトレーニングを重ね、コンディションを整えてきているわけだ。ちなみに東長濱秀吉監督も、自営業の仕事をこなしながら指揮をとっている。

結論的感想から言うと、設立以来、GM交代なども含めた目まぐるしい環境の変化の中で、しかも厳しい環境の中で、コラソンの選手たち、監督・コーチ陣は皆、じつによく踏ん張り、頑張ってきていると思う。

現在、球団運営のトップの責任を果たしているのは水野裕矢選手兼GMだし、広報責任者は、ゴールキーパーの石田孝一選手だ。彼らを中心に互いに励まし合い、チームはここまでなんとか士気を保ってきた。そして次第にファン層を広げ、確実にスポンサーも獲得しつつある。

語弊を恐れずに言えば、「雑草集団」である。
たとえば大学チームで華々しい活躍をするウチナーンチュの選手は最近も多いのだが、彼らはほぼ間違いなく、他の有力チームがスカウトする。例えば興南高→日体大でともに日本一の原動力となって大活躍した「三羽ガラス」は、東長濱秀希と石川出が大崎電気へ、棚原良が大同特殊鋼へ入団している。各自が沖縄での仕事を確保しつつプレイしなければならないコラソンには、来ない。安定した生活をしながらハンドボールに打ち込める環境を蹴って、琉球コラソンへ来ることが正しい、などとは、たとえコラソンファンのわたしとて言うことはできない。

しかしじつは、4年前のチーム設立当初、琉球コラソンが日本初のプロチームとして成功する日も近いと感じさせるところがあった。そのときは、今挙げた3人を含めてトップレベルのウチナーンチュ選手たちがこぞって、近い将来にコラソンに所属できる環境が整うのではないか、と思わせるムードがあった。だが、設立時の田場裕也GMが病気でリタイアしてしまう不運もあり、あるいは長引く経済不況もあって、コラソンは球団運営そのものにおいて、苦境に立たされ続けてきた。いや、球団の存続が疑問視される時期もあった。メンバーの入れ替わりももちろんあったのだが、14人中8人が創立メンバー選手として、現在もしぶとく頑張っている。

雑草集団は、選手一人一人が営業マン的役割も黙々とこなし、ファンに対してサポートを訴え、そうして踏ん張ってきた。その結果、今、間違いなく、苦境を乗り越えたのである。

その「象徴的勝利」が、先週土曜日、12月3日だった。

今シーズン開幕後、アウェイで苦戦していたコラソンは、このところ、ホーム沖縄で集中的に4試合をこなした。
結果は、上々だった。

【11月23日 沖縄市体育館 琉球コラソン26対21北陸電力】
東長濱監督に久しぶりに話を聞いた。今季初勝利、しかもホームでの勝利に安堵の笑みが浮かんでいた。
「昨年よりは、得点能力は落ちています。でも、ディフェンスを頑張って、相手をロースコアに抑えればなんとかなる。今年はそういう戦いをするしかありませんね」
そのとき、目の前をゴールキーパーの石田孝一が通った。彼と話すのも久しぶりだ。
「きょうは駄目でしたね。次、何か考えます」
わたしの目にも、リズムをつかめず、ファインセーブが不発の日だった。

11月26日 浦添市民体育館 琉球コラソン26対24豊田合成
この日は別件の原稿書きで、試合をパスしてしまった。観戦した人に聞いたところ、終盤、石田孝一がファインセーブを連発し、場内は大いに沸いたとのことだった。大したものだ。きっちりと何かが修正できたのだろう。
もつれた試合を、最後はキャプテン水野裕紀の得点で突き放しての勝利。

下位チームに取りこぼすことなく、2試合を終えた。下馬評では豊田合成は昨年よりもかなり力をつけている、という意見が多かったが、なんとかこの試合を乗り切ってのホーム連勝であった。

【11月27日 浦添市民体育館 琉球コラソン28対33大崎電気】

大崎電気は、あの宮﨑大輔はじめ、日本代表選手を複数擁するトップチームである。どこまで勝負になるのか、興味津々で会場へ向かった。那覇で行われた「離島フェア2011」においての別件の用事が、当初の予定より長引いたため、浦添市民会館に到着したのは、前半が終わろうとする直前だった。
その時点で、13対15と大きなリードは許していなかった。

勝負になっているんだな!! これははもしかしたら…、と後半に期待を寄せて注視した。
後半中頃までは一進一退、まさに互角の展開だった。
が、結局、終盤の10分ほどで点差を広げられて試合終了。
しかし、見どころはかなりあった。「ここまで来たか」「本当にトップチームとも戦える力をつけているんだな」と、悔しさよりも嬉しさが先に立った。

キーパー石田のファインセーブも、ようやく目撃することができた。










水野裕矢GMは、試合後の挨拶で感極まり、次第にこみ上げてくるものを抑えきれなくなっていたが、「皆さんのおかげで、ここまで勝負できるチームになりました」と、コラソン・ファミリアと名付けられた応援団・観客たちに対する感謝の言葉を忘れなかった。このチームは、もっと強くなれる、と宣言してもいた。その通りだと、わたしも胸のうちで強く同意していた。

裕矢の弟、キャプテンの水野裕紀は、「悔しいっすね。石田が当たっていたので・・・」と本気で勝ちに行っての敗北の悔しさ
がその表情ににじんでいた。小柄な裕紀は、試合のたびに大きな相手選手の躰とぶち当たり、倒れるシーンが目立つ。満身創痍とはこのことか。以前、ケガについて問うたとき「これは、付き物ですから」とケロリとしていたが、要するに、泣き言をいわず、歯を食いしばって戦う背中をチームメイトに見せて引っ張っていくタイプのキャプテンである。




そうして、あの土曜日が巡ってきたのである。

【12月3日 沖縄県総合運動公園体育館 琉球コラソン26対21トヨタ紡織九州】

この日は、万難を排して試合前のウォーミングアップの時間から会場へ入った。
過去3年勝てなかった上位チームのひとつとの、ホームでの対戦。
大崎電気と好勝負をしたコラソンである。現在のコラソンなら、今度こそ……、と思わせてくれた。
じっくり見届けたい試合だった。

そして会心の勝利を見届けた嬉しさは、格別なものがあった。

しかし、そのように重要な試合だったにしては、観客は400人に満たなかった。少なかった。
もったいない、と思った。

ただし、ふと嬉しくなる光景もある。熱心なコラソン・ファミリアに混じって、琉球キングスの顔見知りのブースターの姿をしばしば見かけるからである。たとえば、毎試合、キングス同様の試合と同様に、プロはだしの写真を撮り続けているNさん。あるいはこの日は、琉球キングスのヘッドコーチ夫人も駆けつけていた。競技のジャンルを越えて、チーム「琉球」を応援しようという機運は、高まっている。

もちろん球団の集客力に、やや課題は残っている。またしかし、くどいようだが、宣伝広報活動も、すべて選手が中心となって動いているのがコラソンだ。今、すべてに完璧を期すのは困難である。

けれども、選手たちの顔には、すがすがしい笑みが広がっていた。

冒頭に書いた通り、ディフェンスが機能し、相手の得点能力を封じ込んでの勝利。
現在のコラソンが理想とする展開で勝てたのだ。自分たちのハンドボールに手応えを掴むことのできた、自信を持つことができた、記念すべき日なのだと思う。

琉球コラソンの皆さん、本当におめでとう。いい試合を見せてくれて、ありがとう。

さて、カメラの性能と撮影の腕はトホホだけれど、12月3日のスナップ写真をいくつか載せておきましょう。
もっとたくさん見たい方は、お時間があれば、当方のフェイスブックのページを覗いてやってください。















もう一人のゴールキーパー内田武志もいい。7mスローをしっかり止める!!



勝利して、感極まってうずくまっているのが、水野裕矢GM。



観客と喜びを分かち合う選手たち。



試合のあとは、気持ちよくサイン会。




さてさて、コラソンの選手諸君、あなたたちのハングリー精神は、どのチームよりもまさっていると思う。そしてどこよりも、チームとしての「伸びしろ」を感じさせる。だから、自信をもっていきまっしょい。

今週末は、土曜は福井で北陸電力と、日曜は富山でトヨタ車体と対戦ですね。
寒さにめげず、ちばりよーっ、とひと言叫んで、ひとまずこのブログをアップします。

このまままだ長くなりそうな気がするもので(笑)。ではでは。

お付き合い下さった読者の皆さん、ありがとうございます。

さて、もういっちょ、出かける前に、琉球キングスの前日練習風景、アップできるかっ!?(汗)。少しだけ乞うご期待。

【追記】
フェイスブックで琉球コラソンのページを訪ねると、そこに琉球キングスブースターとしても知られている名城淳哉さんが、プロ顔負けの素晴らしい写真を投稿されています。お勧めです。



  

Posted by natsuhiko watase at 10:25TrackBack(0)スポーツ