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Posted by TI-DA at

2014年05月25日

琉球キングス@有明コロシアム 極私的リポート・第2~第3日。

これを書いているのは、bjリーグ・ファイナル「琉球ゴールデンキングスvs.秋田ノーザンハピネッツ」の開始1時間10分前である。

今回の有明コロシアムにおけるキングスの詳しいリポートは、明日以降になりそうだが、やはり試合前に何か書いておきたいという気持ちになった。

昨日の秋田の戦いぶりを見て強く思ったのは、ポイントガード富樫を自由に振る舞わせてはいけないということ。
キングスのディフェンスが、彼をしっかり「止める」ことができるかどうか。素人目にも、その点はとても重要な見どころだと言える。

また秋田の中村和雄ヘッドコーチは、今シーズン限りで勇退とも伝えられている。
花道を飾らせるために、秋田はブースターを含めて総力をあげてキングスに向かってくるだろう。

だが、琉球キングスにとっても、今年は特別なシーズンだ。
勝利をお譲りするわけにはいかない。

今季のキングスにはウチナーンチュ初の伊佐勉ヘッドコーチが誕生し、リーグの最多勝記録を塗り替え、レギュラーシーズンをぶっちぎりの強さで終えた。

しかし、守りに入ってはいない。
有明に滞在する今現在も、伊佐ヘッドコーチをはじめ、チャレンジャーとして「団結の力」を重視して「てっぺん」を目指している。

淡々と自然体で平常心で、最後の一試合に挑む!!

特別なシーズンを最高の形で締めくくるはずのキングスの戦いの一部始終を、しっかりと見届けたいと思う。

Go Kings!!


  

Posted by watanatsu at 16:11スポーツ

2014年05月23日

速報!? 琉球キングス@有明コロシアム 極私的リポート・第1日。



本日は、ファイナルズ出場4チームのヘッドコーチ記者会見に出席し、キングスの練習を見学し、そしてアンソニー・マクヘンリー選手と岸本隆一選手のぶら下がり記者会見にもちょこっと加わらせてもらった。

結論から言うと、伊佐勉ヘッドコーチも、選手たちも、チームスタッフ・フロントスタッフも、皆平常心を保っていて良い感じである。

リラックスしつつ、ほどよい緊張感を保っているという印象は、ホームゲームのカンファレンス・セミファイナルで浜松・東三河フェニックスを倒したときの直前のそれと変わらない。

伊佐勉ヘッドコーチは、記者会見でこのチームの誇れるところはどこかと問われて、
「チーム皆が一つの方向を向いて、目標達成のために一つになっているところ」
と淡々と答えていた。
日頃のユーモアのセンスも失わず、とても落ち着いていた。


優勝への思いを問われても、
「キングスは、去年はこの有明に来ていません。(今年)やっとの思いでここに辿り着きましたので、チャレンジャーです。当たってくだけないように(微笑)、頑張りたいと思います」

隣の京都・浜口炎ヘッドコーチを苦笑させていたが、経験豊富な他チームのヘッドコーチたちと並んでも、貫録の上でも少しも負けていなかった。頼もしかった。

有明コロシアム初体験の岸本隆一は、練習を終えて、試合会場への感想をこう述べた。
「思ったより小さく感じたので、変な安心感がありました」
やっぱり大物かもしれない(笑)。

当方が有明に向けてコンディションをピークに持ってこれたかと問うと、
「肘のケガで一度調子が下がったところから、立て直しはうまくいきましたね」
との返答。
本当に、あそこから、よく大活躍できるレベルに戻してきたと思う。楽しみである。

いつも優等生発言のマック先生ことアンソニー・マクヘンリーだが、わたしはあえて、チームリーダーとして、チーム状態を有明でピークにもってこれた実感があるかどうか、訊ねた。
やはり優等生発言が返ってきた(笑)。
「この一年間通して積み重ねてきたことを、目の前の(2つの)試合に勝利するために注ぎ込みたいと思います。キングスはいま、常勝の伝統を作り上げてきているチームです。万全の態勢で試合に臨みますよ」
じつに落ち着き払って答えてくれた。彼とは結構長い付き合いになるが、そのキャリアのなかでも非常に頼もしい印象を与えてくれた。

明日、明後日の試合、心から、楽しみでしかたがない、と言える。



Go Kings!!











  

Posted by watanatsu at 17:56スポーツ

2014年05月16日

毎日新聞・西部本社版「オキナワ2014.5」シリーズ。第4回、照屋義実さん(沖縄県商工会連合会長)


第4回は、建設会社・照正組社長で県商工会連合会長も務める照屋義実さん。

                      *

オキナワ2014.5◇4 
建設会社社長・照屋義実さん 基地返還で経済振興

毎日新聞 2014年05月08日 西部朝刊

 ◇「オール沖縄」団結を
 「それまでの知事の発言を考えれば『まさか承認ではないだろう』と予想していたんですけどね」。沖縄本島南部の与那原(よなばる)町で創業64年の建設会社「照正(てるまさ)組」を経営する照屋義実(てるやよしみ)さん(66)は慎重な口ぶりで振り返った。
 米軍普天間飛行場(宜野湾市)の移設を巡り、沖縄県の仲井真弘多(なかいまひろかず)知事は昨年末、名護市辺野古沿岸部の埋め立てを承認した。多くの県民が県内移設に反対する中での判断に、今も賛否が渦巻く。
 県商工会連合会長も務める照屋さんは「会長としての発言はできない」と断りながらも「個人として」「知事の判断も理解はできる」とした上でこう言う。「自分も県内移設反対を訴えてきたが、埋めがたいギャップができてしまった。そのギャップをどう埋めたらいいのか。そんな苦渋の中にある、今も」
 2010年から2年間、県建設業協会長を務めていた時から県内移設反対を訴えてきた。経済界トップが基地問題で反対を明言するのは異例だ。「沖縄経済の基地依存率は今や5%。那覇市の新都心地区など米軍基地の跡地はいずれも発展している。基地を早く返還してもらい、新しいまちづくりをした方が県民の幸せにつながる」
 その思いは「沖縄経済は米軍基地で成り立っている」との誤ったイメージがある本土への強い憤りでもある。
 経済的な理由だけではない。「沖縄戦で多くの命が失われ、不平等な日米地位協定のため痛ましい事故が毎年のように起きる。一人の沖縄県民として何が正しいかを考えると、命の上に経済合理性を置くべきではない」
 自身を「宮森世代」と呼ぶ。1959年、うるま市(旧石川市)の宮森小学校に米軍機が墜落、住民17人が死亡した戦後沖縄最大の米軍機事故。犠牲者の中に、同じ学年の児童がいた。「同世代の思いを伝える義務がある」からこそ、米軍輸送機オスプレイの配備に反対し、2012年9月の県民大会では実行委員会の共同代表に就いた。
 普天間の県内移設断念やオスプレイ配備撤回などを政府に直談判した昨年1月の「東京行動」でも先頭に立った。安倍晋三首相に手渡した「建白書」は沖縄の全市町村長らが署名した「オール沖縄」の決意だったが、自民党県連が公約を撤回して辺野古容認に転じ、知事の埋め立て承認で「オール沖縄」は崩れた。
 だが、照屋さんはあきらめていない。「沖縄が党派を超えてスクラムを組み、相当な覚悟で臨まないと日米両政府を動かすことはできない。オール沖縄への思いは変わらない」【佐藤敬一】=つづく
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 ■人物略歴
 ◇てるや・よしみ
 米国統治下の沖縄から本土に渡り、福島大を卒業。商社勤務を経て本土復帰後の1974年に照正組入社。沖縄県教育委員長などを歴任し、2012年から沖縄県商工会連合会長。


◇渡瀬の感想◇

照屋さんの発言はわたしも以前から注目している。
利潤を追求することが最大の使命である沖縄経済界トップの立場にありつつ、「基地が沖縄経済を阻害している」という厳然たる事実について、きちんと指摘し続けている人だ。

ちなみにこれを書いたのも、第3回に続いて佐藤敬一・那覇支局長である。

財界人にもいろいろいる。暴走する安倍政権の尻馬に乗って、とっくに根拠の破綻している「新基地建設」や「埋め立て利権」で目先の利益を確保しようと躍起になっている愚かな人びともいる。経済界の誰の声を取り上げるかは、重要だ。
つまり、この西部本社版朝刊の5回連載のなかで、照屋義実さんが登場した意義は大きいはずだが、しかし東京夕刊では(上)(中)(下)の3回連載になってしまったので、第3回のももココロさん、第4回の照屋義実さんが割愛され、せっかくの(那覇支局による)沖縄での取材が紙面に生かされていない。
これには疑問を感じざるを得ない。関係者の皆さんに、沖縄県民からの苦言として伝われば幸いである。

ちなみに照屋義実さんの地元紙での発言は、わたしも2012年9月の当ブログで紹介したことがあった。ぜひご一読を。
http://watanatsu.ti-da.net/e5280499.html

また、沖縄タイムスでは、福島民報との合同企画『二つの故郷~国策のはざまで~』の連載が続いているが、5月13日から15日までの3回にわたって、若き日福島大学で学んだ照屋義実さんをクローズアップしている。まだ読んでいない方は、ぜひチェックされたし(当方でも、追ってなんらかの形で紹介したいと思っている)。

それから、照屋さんも佐藤記者も使った「オール沖縄」という言葉についてだが、普通に考えれば、自民県連・沖縄の自民党国会議員5人・仲井真知事が「県外移設」の公約を破り捨てた時点で「オール沖縄」は崩れた、という物言いは正しいのかもしれない。しかし、ところがどっこい、沖縄は死なず、というところをはっきりと示すために、心ある沖縄県民は再結集しようとしている。裏切り者の罪は深いが、しかし、その罪を糾弾しているだけでは、「沖縄の民意の分断工作」を企図した安倍暴走政権、自民党本部の思うツボということになってしまう。

これからの「オール沖縄」の民意の再構築を思うとき、この記事で示されたような、財界人としての照屋さんの苦悩を軽んじてはいけないと思う。
  


Posted by watanatsu at 09:42人物論時事問題

2014年05月15日

毎日新聞・西部本社版「オキナワ 2014.5」シリーズ5回連載。第3回=ももココロさん(漫画家)。


第3回は、琉球新報で4コマ漫画を担当し続けている、ももココロさんである。

                     *


オキナワ2014.5◇第3回
漫画家・ももココロさん 4コマに平和込め

毎日新聞 2014年05月06日 西部朝刊

 ◇「命」真ん中に描く
 中学生の「チブル」が手紙で問いかける。
 <拝啓、日本のみなさん、みなさんが見上げる空は…… 青いですか? 拝啓、日本のみなさん、みなさんが見上げる空は…… 平和ですか?>
 2012年7月2日、沖縄の地元紙・琉球新報に掲載された4コマ漫画「がじゅまるファミリー」。作者はももココロ=本名・桃原毅(とうばるつよし)=さん(46)。
 この2日前の6月30日、米軍輸送機オスプレイの沖縄配備を説明するため防衛相が沖縄に来ていた。1959年、うるま市(旧石川市)の宮森小学校に米軍機が墜落し児童ら17人が犠牲になって丸53年の日でもあった。そんな日に新たな米軍機配備を伝えに来た政府の姿勢に、沖縄では怒りが渦巻いていた。
 「『なんでこんな日に説明に来るのか』というウチナーンチュ(沖縄の人)の思い。国の対応に疑問を投げ掛ける作品として描いた」。声高ではなく、優しいタッチの漫画に「沖縄の心を伝えたい」との思いを込めた。
 琉球新報で4コマ漫画の連載をスタートさせたのは04年。新人漫画家に担当者は一つだけ注文を付けた。「6月は皆が思いを巡らせることができるような作品を考えてくださいね」。住民を巻き込んだ凄惨(せいさん)な沖縄戦の組織的戦闘が終結したのが45年6月23日。沖縄にとって6月は「慰霊の月」だ。
 戦後生まれで沖縄戦をあまり知らなかった。調べれば調べるほど「4コマ漫画で表現するのは無理だ」と思った。締め切りが近づく中、ウチナーグチ(沖縄の言葉)の本にあった言葉「命(ぬち)どぅ宝」(命こそ宝)が飛び込んできた。「これだ」。泣きながら仕上げた。
 「基地の問題は利害も絡んでいて、賛成する人もいれば反対する人もいるので難しい。でも『命』を基本に考えれば、そこから前に進むチャンスがある。だからどんなに難しい問題でも『命』を真ん中に置いて描くようにしています」
 沖縄の民意を無視するように、オスプレイは沖縄の空を飛び、政府は米軍普天間飛行場(宜野湾市)を名護市辺野古に移設しようとする。それでも、多くの沖縄の人たちと同じように「がじゅまるファミリー」の登場人物は、時に底抜けに明るい。
 「沖縄の人たちのやることなすことが4コマ漫画のよう。そんな暮らしの中にこそ、沖縄の『チムグクル(真心)』がある。ウチナー漫画家としてこれからも沖縄に寄り添って描いていきたい」【佐藤敬一】=つづく


◇渡瀬の感想◇

過酷な状況に置かれてもポジティブなパワーを失わないウチナーンチュのたくましさを、ももココロさん自身が信じているのだということが、しっかり伝わってきて、勇気づけられた記事である。

この連載の第3回を書いたのは、4月から那覇支局長を務めている佐藤敬一記者。
西部報道部時代から沖縄に通って取材を続けている人だ。縁あって、先月ある場所で名刺交換をさせていただくことになった。
聞けば、以前、佐藤記者の書いた「記者の目」という毎日新聞のコラムを、当ブログで紹介したことがあったようだ。
ブログ内で検索してみたら、それは2012年9月、県民がオスプレイの強行配備に「オール沖縄」で結束して反対していた時期のことだった。
http://watanatsu.ti-da.net/e4082343.html
だが、その「記者の目」は残念ながらWebでの閲覧期限は切れてしまっているようだ。

それはともかく、安倍暴走政権の応援団としての産経や読売による、沖縄に基地負担を押し付けて恥じない露骨な「辺野古新基地推進」キャンペーンが目立つ現在、毎日新聞那覇支局には、ネトウヨ君たちの口汚い野次にひるむことなく、今後も頑張っていただきたい。そう心から願っている。


もうひとつ付け加えると、本日5月15日付で、佐藤記者は次の記事も書いている。
↓↓↓
<沖縄>復帰、15日で42年 沖縄と本土の溝は深く
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140515-00000005-mai-pol

ますます頑張れ~っ、である。
  


Posted by watanatsu at 19:42人物論時事問題

2014年05月14日

毎日新聞・西部本社版「オキナワ2014.5」シリーズ。第2回=いっこく堂さん(腹話術師)


さて、第2回。いっこく堂さんである。

                 *

オキナワ2014.5◇第2回
腹話術師・いっこく堂さん 原点は「基地の街」
毎日新聞 2014年05月05日 西部朝刊

 ◇戦争のない世界、追求を
 神奈川県生まれだが、プロフィルには必ず「沖縄県出身」と書く。「人を笑わせる喜び、優しい心を持つ大切さを教えてくれたのは沖縄だから」。腹話術師、いっこく堂=本名・玉城一石(たまきいっこく)=さん(50)の原点は「基地の街」にある。
 5歳の時、沖縄出身の両親に連れられて復帰前の沖縄に移り、高校卒業までコザ市(現・沖縄市)で暮らした。自宅は米軍嘉手納基地のすぐそば。たくさんの米兵が身近に暮らしていた。「みんなフレンドリーで、チョコレートやキャンディーもくれて優しかった」。両親が営む食堂も米兵でにぎわった。
 だが、島の反米感情が暮らしを変える。1970年12月、米兵の交通事故処理を巡って起こった「コザ騒動」。怒号を上げ、嘉手納基地に向かって石や空き瓶を投げつける大人たち。次々に米軍車両をひっくり返し、火を放った。当時小学校1年生。「わけが分からないまま、見よう見まねで石を投げた」
 騒動後、米兵の外出禁止令で食堂は客が減り、閉店に追い込まれた。借金を返すため両親は必死で働いたが、生活は苦しかった。
 1年半後、沖縄は本土に復帰した。学校で復帰祝いの文房具をもらったが、方言は使わないよう指導された。通貨がドルから円に切り替わり、基地が残るままの復帰に反対するデモもあちこちで目にした。「復帰がいいことなのかどうか、よく分からなかった」
 仲間外れにされ、死を意識するほど悩んだ中学時代、テレビで初めて腹話術を見た。「僕も人を笑わせたい。人形を通してなら、友達に言えなかったことも言えるような気がする」と思った。
 高校卒業後、俳優を目指して上京。芽が出ず、28歳の時、腹話術師になろうと決めた。独学で習得し、30代半ばで人気者になった。
 古里への疑問も生まれていた。「なんで沖縄にはあんなに基地があるんだろう」。基地問題のニュースが気になるようになった。米軍輸送機オスプレイの強行配備でむしろ沖縄の負担が増えているようにみえる。普天間飛行場の移設先、名護市には両親が住んでいる。人ごとではない。
 基地はない方がいい。だが、沖縄の基地がなくなったら、周辺国はどう出るか。基地で働く友人らの生活はどうなるのか。自分でも答えが出せない。「世界中で戦争がなくならない限り、沖縄の基地はなくならないだろう」。一方で「戦争のない理想の世界を本気で追い求めない限り、沖縄の負の歴史は終わらない。理想を忘れてはいけない」とも思う。【福永方人、写真・内藤絵美】=つづく
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 ■人物略歴
 ◇いっこくどう
 これまで海外約20カ国で公演。2012年、子ども向けに腹話術師になるまでの半生をつづった初の著書「ぼくは、いつでもぼくだった。」(くもん出版)を出版。


                     *

◇渡瀬の感想◇

第1回のゴリさんにつづいて、いっこく堂さんも率直に語っている。もっとたくさん語ったのであろうインタビューを紙面の都合で割愛されたには違いないが、記者も大事なエッセンスをうまくすくい上げてまとめたのだと察せられる。

いっこく堂さんの腹話術は、若くして「名人芸」の域に達しているが、「沖縄出身」の彼が、「二つの声を持ちつつ生きるということ」は、とても象徴的に感ぜられる。果たしてそう感じるのはわたしだけだろうか。

ご両親が名護に住んでいることは、この記事で初めて知った。

戦争のない理想の世界を忘れまいとする、いっこく堂さんの姿勢・思いに強く共感を覚えた。

  


Posted by watanatsu at 23:56人物論芸能・芸術時事問題

2014年05月13日

毎日新聞・西部本社版「オキナワ 2014.5」シリーズ5回連載。第1回=ゴリさん(お笑いコンビ「ガレッジセール」)

このシリーズの連載をWebサイトでまず目にしたのは、このゴリさんの回。5月10日毎日新聞・東京夕刊で(上)(中)(下)の(中)だった。
気になってさっき調べてみたら、オリジナルは、西部本社版(九州地区)朝刊での5回連載で、ゴリさんはその第1回だった。
わたしは5回すべてを読んで、それぞれ興味深かったので、ここに5回とも全文引用紹介してみたい。

毎日新聞は、西部版の一部を東京本社や大阪本社でもつまみぐいした形のようだが、ただでさえ全国メディアにおいては、安倍政権の暴政に迎合しつつ「沖縄の問題」を矮小化して、「沖縄」にのみ押し付けようという力が働いている。産経や読売が、おぞましいキャンペーンを繰り広げている昨今、毎日へのエールの気持ちを込めての紹介である。

まずは、第1回、ゴリさん。

                     *

オキナワ2014.5◇第1回
お笑いコンビ「ガレッジセール」ゴリさん 映画監督で基地の街描く
毎日新聞 2014年05月04日 西部朝刊

 ◇「復帰」の歩み、自分と重ね
 1972年5月22日、沖縄本土復帰の1週間後に那覇市で生まれた。お笑いコンビ「ガレッジセール」のゴリ=本名・照屋年之=さん(41)は、72年生まれのいわゆる「復帰っ子」だ。復帰40年の2012年には、復帰っ子たちが米軍基地問題などをテーマに討論する地元テレビ番組の司会を務めた。「米国の占領から解放された沖縄の歴史と自分の歩みが重なるからこそ、沖縄のために何かしたいと強く思うのかもしれない」と言う。
 高校卒業後に上京するまで、沖縄の歴史や文化に全く興味がなかった。「エイサーよりブレークダンス、民謡よりマイケル・ジャクソンを求めていた」。だが、東京で沖縄のことを聞かれ、答えられない自分が恥ずかしくなった。少しずつ古里について学んだ。
 基地問題にも向き合った。「基地の近くに住む人は、(米軍基地が少ない)那覇とはレベルが違う苦しみや怒りがあるんだろうなと想像するようになった」。結婚し、子どもが生まれると、基地だけでなく戦争にまつわる沖縄の歴史をきちんと伝えたいとも思った。沖縄の戦没者の名を刻む「平和の礎(いしじ)」に、子どもを連れて行った。
 01年、NHKの連続テレビ小説「ちゅらさん」に出演し、沖縄ブームに火を付けた。地元に帰ると歓迎された。「家族や友だちが喜ぶ顔を見て、沖縄に貢献できる仕事がしたいという意識が強くなった」
 近年は映画監督も務める。メガホンを取った3作品のうち2作は米空軍嘉手納基地があるコザ市(現・沖縄市)が舞台だ。「コザの人たちは激しくてたくましくて、でも基地があることで苦しみも味わってきたからこそ、優しさも持っている。他の街にはない独特の魅力がある」。最新作「ロクな人生」では、米兵の交通事故を発端に市民の大規模な抗議行動に発展した70年のコザ騒動や、日米地位協定にも触れた。「映画を楽しみながら、沖縄の歴史や実情も知ってほしい」との思いからだ。
 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の「県外移設」を訴えながら、名護市辺野古移設に向けた政府の埋め立て申請を承認した仲井真弘多(なかいまひろかず)知事の判断には疑問を隠さない。「知事はなぜ急に態度が変わったのか。説明を聞いても納得できない」
戦後70年近く、本土復帰から40年以上たった今も、沖縄本島の18・3%は米軍基地だ。「そもそも外国の基地があるのはおかしな状況だけど『なくなったら他国が襲ってくる』なんて言われたら怖くなる。今すぐ基地がなくなるのがいいことなのか、分からない」。揺れる気持ちもまた、率直に語った。
      ◇
 普天間飛行場の「県外移設」を公約に掲げた仲井真知事が、名護市辺野古への県内移設に向けた政府の埋め立て申請を承認して4カ月。安倍晋三首相は4月24日のオバマ米大統領との首脳会談で辺野古移設を「強い意志で早期かつ着実に進める」と語った。知事批判が今も渦巻く沖縄は11月に予定される天王山、知事選に向け、政治の季節を迎えている。【福永方人、写真・長谷川直亮】=つづく
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 ■人物略歴
 ◇ゴリ
 1995年、中学校の同級生の川田広樹さんとお笑いコンビ「ガレッジセール」を結成。3月に発足した沖縄出身のお笑い芸人らによる舞台「おきなわ新喜劇」の座長を務める。

                  
                       *

◇渡瀬の感想◇

原発の問題もそうだが、芸能人が「基地問題」をタブー視することなく語ることは、とても大切だと思う。
その意味では、テレビで人気者のゴリさんが、こうして率直な思いを語ったことは意義深いことである。

最後にゴリさんが、「(沖縄の米軍基地が)なくなったら他国が襲ってくる」なんて言われたら怖くなる、と語っているが、わたしはこれを無視できなかった。いや、これこそ、基地問題に関する誤解の最たるもので、いわゆるネット右翼諸君がなんとかのひとつ覚えて繰り返す「中国脅威論」の悪影響が感じられるのだ。

一方では、昨年の暮れに辺野古埋め立て承認をしてしまった仲井真知事に対して、ゴリさんはストレートに疑問をぶつけている。
「知事はなぜ急に態度が変わったのか。説明を聞いても納得できない」。

ゴールデンウィークに琉球新報社が発表した最新の世論調査でも、沖縄県民は知事の「埋め立て承認」を支持していないことが明確になっている。
普天間基地は、無条件閉鎖・返還、県外移設、国外移設すべきだという人の合計が、73.6%に上っているのだ。つまりそれだけの人が今も、普天間基地の県内移設に、はっきりと反対しているのである。

ゴリさんの声は、その沖縄の民意の最大公約数的な思いに通じるものだ。

全国の皆さん、沖縄県民は、間違った日米合意に基づく辺野古新基地建設など、決して認めないのです。


(つづく)  


Posted by watanatsu at 23:53人物論時事問題

2014年05月10日

元FC琉球GM・田部和良さん、逝く。

日付変わって昨日(5月9日)のことだ。
田部和良さん(2010年から12年までFC琉球GM)の訃報が飛び込んできて、言葉を失った。
http://web.gekisaka.jp/news/detail/?138535-138535-fl

写真は、桜坂劇場の市民大学講座で講師を務めた田部さんの10回連続講義の最終日(2011年3月24日)のスナップ。つまりわたしも受講生の一人だった。


この日は、沖縄の大切な友人=平仲信敏(プロボクシング元日本フェザー級チャンピオン)の命日であり、東京に住むわが父の誕生日でもあった。わたしが田部さんを写した写真は、後にも先にも、いわゆるガラケーカメラで撮ったこのスナップ1枚のみ。今思えば、なんだか不思議な一日であった
その日のことを書いた翌日のブログはこれだ。→http://watanatsu.ti-da.net/e3351454.html

さきほど気になって当方のブログ内で検索したら、やはり田部さんのことを何度か書かせてもらっていた。沖縄への置き土産のように残した彼のブログは今も閲覧することができる。http://watanatsu.ti-da.net/e3361363.html → 「琉球のサッカー」http://tanabekazuyoshi.ti-da.net/

いま田部さんの人生を無理やり端折って解説しようとすることは不遜であるという気がしているが、3年ほどの沖縄生活のなかで、田部さんが沖縄の人と風土と文化に対して、日に日に理解と愛情を深めていったことを、わたしも少しは知っている。田部さんが、もっと長く沖縄に住んでいたらどうだったろうか、とないものねだりを承知でふと思う。

わたしより若い52歳だった。

わたしの身の上にだって、いつ何が起こるかわからない。
ならば、いまここに生かされていることに感謝して、大好きな沖縄に少しは恩返しできるように、遠慮なんか一切せず、与えられたこの命を使って、あれもこれも、やりたいことをひとつずつ一所懸命やらせてもらおう。そう思う。

田部さん、お疲れさまでした。
ご縁に感謝します。
安らかにお休みください。

合掌。
  


Posted by watanatsu at 01:35哀悼