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Posted by TI-DA at

2010年12月31日

大晦日のご挨拶。


寒風!!!吹きすさぶ!!!!!沖縄です!!!!!!!

きのうはある理由から一日ダウンして、一部関係者の皆さん、お騒がせしました。
きょうは、すっかり元気です。
そして2010年も暮れていきます。
本年もたくさんの方にいろいろとお世話になりました。
当ブログにもたくさんの方がご訪問くださいました。
ありがとうございます。

さて、この場を借りて恐縮ですが、すなわち本来はお一人おひとりにご連絡すべきところなのですが、以下のご挨拶、どうかご寛容ください。

本年9月、大阪の祖母が百歳で永眠いたしましたので、喪中につき新年のご挨拶は失礼させていただきます。

来る2011年が、皆様にとって良き年となりますように、お祈りいたします。

それから、もう一つ、連絡事項あり、です。
11月ごろ、わたしは迷惑メール対策のつもりで、いろんなアドレスを受信拒否扱いにしたのですが、その際、誤って旧知の間柄のアドレスをいくつか受信拒否にしてしまった可能性があります。この2ヵ月ぐらいの間に「そうか、返事がないから、変だと思った」といったお心当たりの方は、恐縮ですが、ご連絡ください。よろしくお願いいたします。



思い起こせば、昨年の今頃は、極私的経済危機のため那覇の部屋を引き払って、東京に一時避難していたわたくしめであります。
しかし大恩人の写真家・石川真生さんが救いの手を差し伸べ、仕事場兼住居を提供してくださったおかけで、2010年2月から沖縄に舞い戻って生活を続けることができたわたくしめです。感謝感謝感謝、です。

それから複数の奇特な方々が仕事を与えてくださったおかげで、ありがたいことに「再出発的1年」とすることができました。感謝感謝感謝です。

おかげさまで来年も、正月明けから仕事の予定が複数入っておりまして、「形を残していく1年」を迎えることになりそうです。感謝感謝感謝です。頑張ります。

なんだかんだで、書くべきこと、書きたいことを、年を跨いで持ち越してしまう当ブログではありますが、今後ともよろしくお願いいたします。

さてっ、部屋の大掃除の続きじゃーっ(汗、汗、、、)。













(※写真《上》は、12月25日の夜、金武のキャンプ・ハンセン前の「新開地」へ出かけた際、自販機のあかりを頼りに、携帯カシャリ。中央が石川真生さん、右が真生さんをずっと追っかけている(映像を撮り続けている)ビデオ・ジャーナリスト(?)の樋口貴之氏。わたしの顔が異常にデカイのは遠近法のせいですので、誤解なきように。。。苦笑。写真《下》は、行きつけの焼き鳥屋のお母さんに丁寧に挨拶する真生さんと、その姿を撮影する樋口氏)


  


Posted by watanatsu at 13:52身辺雑記

2010年12月29日

大恩人の四十九日。






やはり後回しにすることなく、書いておきたい。

12月27日(月)の午後、大恩人・金城清子さん(沖縄尚学高校ボクシング部監督・金城眞吉氏夫人)の四十九日の法要が、首里石嶺の金城家で営まれた。

家族・親戚・教え子・友人の集うその場に、わたしも同席させていただいた。

若い僧侶だが、しっかりした読経だった。誠意をこめて故人を偲ぶ、ごく真っ当な法話だった。

そしてしみじみ思った。

教え子たちからも「奥さん」と呼ばれ、信頼され、慕われていた故人の愛情を、わたしもこの18年間にわたって、いかにたくさん享受してきたことか、と。

幾度となく頂いた手料理の数々。その腕前は、プロ級だった。もてなしの「心」とはこのことを言うのだ、と感じ入る料理だった。金城家にお邪魔するたびに、本物のウチナー家庭料理の数々を頂き、お世辞でも大げさな物言いでもなく、本当に繰り返し感動を覚えたものである。

また、その語りは、いつでも真っすぐで曇りがなく、聞く者を励ます力があった。
わたしの取材に対して、いつでも真摯に答えて下さったことはもちろんだが、時にはある取材対象の出来事に関して頭を抱えてこぼすわたしのグチをも、じつに大らかに、当方に共感の姿勢を示しつつ受け止めてくださったものである。それだけでこちらは安堵し、心強い思いがした。

ありがとうございます、奥さん。
ご恩は、決して忘れません。

七日ごとにお線香をあげさせていただきながら、胸のうちで最も多く、最も強く繰り返した言葉は「ありがとうございます」、だった気がする。

今、改めて申し上げたいのは、どうぞあちらで、ゆっくりと安心してお休みください、ということである。

さらに、この四十九日間、別の思いもしみじみと抱いた。

沖縄流の「別れの儀式」の丁寧さ、である。
死者と向き合う生者の、心構えの見事さ、である。
いまどきのヤマトでは、葬儀の日に初七日も済ませ、あとは四十九日へと飛んでしまうのが普通である。

しかし沖縄では、七日ごとに家族が客人を迎える準備をしっかり整え、7週間、きっちりとおつとめを果たす。わたしはありがたいことに、四十九日まで七日ごとに必ずお線香をあげさせていただくことができた。本当にお線香をあげさせていただくのみで、すぐにおいとましてしまう日も何度かあり、金城監督はじめご家族には、かえって失礼かと思いつつも、わたしはわがままを通させていただいた。そうして沖縄流の「お見送り」の仕方を体験させていただきながら、故人への感謝の思いが深まっていくのを実感できた。

わたしの身近な人には、「毎週行くというのは、よほど親しく感じている人のところだね」と言われた。わたしの気持ちとしては、ただ親しく感じる、というのとは違った。くどいようだが、大恩人なのだ。

沖縄へ取材で通い始めた18年前から、様々な意味で大きな力を与えつづけてくださった方なのである。

もっともっとたくさんお会いしていろいろとお話を伺いたかった、という思いを今も強く抱いている。

けれど、そればかり思っていても仕方がない。これからは、故人がわたしに、あるいは世の人びとに対して、本当に伝えたかったことはいったいなんなのか、振り返り、かみ締める作業をさせていただきたいと思う。

それは、わたしが今この島に住まわせてもらっている意味を本当に知る、そのことに通じる、大切な作業なのだと思う。

ありがとうございます、奥さん。


合掌。

  


Posted by watanatsu at 18:07哀悼

2010年12月28日

そうだ、『母たちの神 比嘉康雄展』、また行こう。






比嘉康雄展「母たちの神」http://www.museums.pref.okinawa.jp/art/topics/detail.jsp?id=572
へ、石川真生さんhttp://blog.livedoor.jp/ishikawamao/と一緒に出かけたところまでは、前回書いた。

当初の1月5日までの開催期間が1月10日まで延長されたようなので(きっと好評につき!!)、わたしは年明けにでも、もう一度出かけたいと思っている。

じつは、沖縄に引っ越す前年の05年に、ある場とそこに集う人たちの取材が目的でわたしは久高島に頻繁に通っている。その折、島の人たちから、比嘉康雄さんの評判を聞いていた。ある人は、言った。

「あの人は特別だった。ノロ(祭祀を司るカミンチュの頂点に位置する老女)からも、康雄さんだけは、神聖な場所でのまつりごとに立ち会うことが許されていたんだよ」

全身全霊をかけて、聖なる場所で写真を撮り、そうしてその御本人が、聖なる場所へ早すぎる招きを受けて、この世とオサラバしてしまった。


「比嘉康雄」への関心が、また急速に膨らんできた。


一流の写真家には、「これ」という被写体がある。





ほんの一例を挙げれば、石川真生にとっての「日の丸を使って自己表現する人」。

あるいは、平敷兼七にとっての「娼婦」。

たとえば、、、、、。
たとえば、、、、、。

たとえば、比嘉康雄にとっての「島々の祭祀」。

視る者に思索を促す作品をこれだけ残した写真家も珍しい。
観て感ずるだけで、それたけでよい作品ももちろんあるけれど、やはりテーマがテーマだけに比嘉の作品たちはおのずとこちらに、思索せよ、と迫ってくる。
逆にいえば、「沖縄の真実」とは何か、というテーマで思索を続けるとき、比嘉康雄の写真たちが強い味方となっていくれることは、間違いないのである。

お勧めの写真展です。
おもろまちの県立美術館で、来年1月10日まで、です。


石川真生さんからやや遅れて写真展会場を出ると、ロビーにはすでに、若きビデオジャーナリスト・樋口貴之さんが真生さんと話しているところだった。予定どおりの待ち合わせである。これから3人で、やんばるへと北上することになっていた。

(この項、さらに続く)
  


Posted by watanatsu at 20:13芸能・芸術

2010年12月27日

比嘉康雄写真展へ石川真生さんと出かける、の巻。

このところ、なんでもかんでも、じっくり書きたいという思いが湧いて、当ブログをどういう位置づけにしたらよいか、しばし考えていた。

いわゆる「普天間問題」を通して見えてくる沖縄の真実、本土との関係など、については、あるWEBマガジンの総責任編集者であり、もの書きの大先輩でもある方が、こっちで書かないかと声をかけて下さったので、お言葉に甘えて、近々そちらへシフトさせていただこうかと考えている。具現化したときには、もちろんすみやかに読者の皆さんにご報告したい。

改めて書きたいと思うことがたまる一方なので(?)きょうは直近の「備忘録」。

12月25日は、ほとんど丸一日、写真家であり、プライベートでは大恩人であるところの石川真生さんhttp://blog.livedoor.jp/ishikawamao/と行動をともにさせていただいた。じつに久しぶりのことである。

「ほどよく狭い」サイズのこの沖縄島に住んでいる「表現者」ならば、あるいは「生活者」としても、興味関心が多くの場面で他者のそれとリンクしていて不思議はない。その日も、そういう出来事の連続だった。

まず、数日前に真生さんから、「こんどの土曜日は、ピース・キャンドルに行く?」と訊かれた。わたしの場合、琉球キングスのホームゲームがない土曜の夜は、基本的に辺野古まで出かけて「ピース・キャンドル」に参加したいと思っている。行きたいと思っていたと答えた。真生さんも、「今年最後の土曜だし、行こうと思う」とのこと。帰りには、金武町のキャンプ・ハンセンのゲート前に広がる「新開地」のバーへ寄ろうと思っているとのこと。わたしもそうできたらいいと考えていた。

金武の街との付き合いが長い真生さんには馴染みの店が何軒もあるが、わたしが金武の街で寄る店はもっぱらある一軒のバーである。もともと真生さんの紹介で知った店。わたしも店のママの気風の良さ、米軍と共存していることの意味を説明するその語り方も、気に入っている(ママは海兵隊を相手に商売をしているが、普天間基地の辺野古移設は絶対反対、と明言している人だ)。そんなママの人柄にひかれて(?)海兵隊員も地元のウチナーンチュも集まって和気藹々と過ごす、雰囲気のよい店(常連客のうちの海兵隊員の割合は7割ぐらいだろうか)。今年、わたしは名護の帰りにぶらりとひとりで寄る機会が増えて、海兵隊の若い兵士たちとカタコト英語で喋るチャンスを幾度も得てきた。クリスマスの夜の兵隊たちの様子も知りたかったので、真生さんに付き合うのは、つまり大歓迎なのだった。

その12月25日の直前になって、真生さんから、こう言われた。
「比嘉康雄写真展のシンポジウムがあるんだけど、それを聴いてからピース・キャンドルに向かうということでいい?」

これまた、望むところだった。わたしもまったく同じことを考えていたのだ(笑)。
しかも真生さん、「写真展の招待券が2枚あるのよ」ですと。ありがたや。当日入場券1000円分がこれで浮きます(笑)。

比嘉康雄写真展「母たちの神」が、おもろまちの県立美術館で長期(約2ヵ月間)開催されていることは、もちろん知っていた。そして、その土曜日にシンポジウムの最終回が開かれることも知っていた。過去2回のシンポは、都合がつかず行けなかった。3回目の最終回ぐらいは駆けつけたかった。

というわけで、真生さんを助手席に乗せて「マイカー」(笑)で出発。
先にシンポジウムのトークを聴き、そして写真展を観た。

真生さんもブログで書いているが、比嘉康雄の写真は、いつ観ても本当に素晴らしい。世界に誇るべき沖縄の写真家のひとりである。

作品の大半は、わたしがすでに全12巻の写真集『神々の古層』シリーズ(ニライ社刊)などで知っているものだった気がするが、その作品たちと向き合うときの厳かな緊張感は、その日もすこぶる新鮮なものだった。

そうして作品たちと向き合いながら、シンポジウムでパネリストによって明らかにされた比嘉康雄の生前(没後10年になる)の目論見に想いを馳せた。

12巻の写真集は、30巻ぐらいまで続ける予定だったというし、久高島や宮古島を中心にたくさんの島々で撮影した作品たちを、彼はさらに再構築して1冊の写真集にまとめたかった、とのこと。

ああ、もっと長生きしてほしかった、というのが、一ファンとして改めて抱いた率直な心情である。


ここまで書いたところで、大恩人・金城清子さんの四十九日の法要に出かける時間となった。

では、また。

(この項、つづく)
  


Posted by watanatsu at 13:23芸能・芸術

2010年12月25日

ポンの脱走。石川真生写真集発売!!




きのうは、イレギュラーな一日だった。

まず午前中の散歩の途中で、ポンが脱走した。
といっても、彼が悪いわけではない。いつもの公園で小休止中、リードを繋いでいた針金が、錆のせいで(ポンが激しく動いたときに)ポキンと折れたのだろう。ポンは、おとなしいクロエと対照的で、子供や猫や鳩や、近くで動く生き物を発見するや、すぐにそちらへ突撃しようとして激しく動く。雑種だが、きっと狩猟犬の血が入っているのに違いないのだ。

わたしが公園のトイレで用を足して、それから、アカバナー(ハイビスカス)の蕾の美しさに気づいてトホホ携帯撮影し、ふと空を見上げるとトンビだかタカだかが気持ちよさそうに旋回しているので、またカシャリ(写真ではさっぱりわからない、、、苦笑)。で、すっきりした気分で犬たちの元へ戻ったときのこと。クロエが寂しそうな顔してポツンと一匹。そしてすぐに、冒頭に書いた状況を把握することとなったのだ。











近くにいた子供に尋ねると、「あっちへ走っていきました」と教えてくれた。

そっちへ向かうが、呼べど反応はなし。ジョギングコース脇の雑草を円盤型除草機で刈るオジサンに尋ねると、「見なかったねー」。ああこれで、ウーマクー(わんぱく坊主)のポンともおさらばか、短い付き合いであったなぁ、と、ややしんみり。

しかし、ふと気になって、ある場所へ。いつも散歩の途中に、ポンがしばしば降りていきたい、というような素振りを見せる急勾配の長い階段の降り口へ。

さて、そこから見下ろすと。

発っっ見ーっっ!!

階段を降りきった場所で、ポンはくんくん地面の匂いを嗅ぐのに没頭しておるではないか。
「ポーンッ」と何度か呼ぶと、気づいてこちらを見上げて、どうしようかなー、と迷い顔。一瞬、走り去ろうかという素振りも見せた。しかしわたしはあえて動じぬ態度で、確信をもって「ポンッ、おいでっ」。すると次の瞬間、後ろ脚を引きずりつつ前足の力に頼る走法で、長く急勾配の階段を、必死で駆け上がってくるではないか。

よーし、よーし。いい子だ。わたしは思いっきり撫でてやった。逃げたのは、ポンのせいではない。絶対に叱ってはいけないのである。

ポンを連れてクロエのところへ帰ると、彼女はもうシッポをぐるんぐるん回してお尻フリフリ、時々ジャンプしてぐるりと回って、大喜び。

やれやれ。それからしばらく愛を語り合う「ふたり」だったとさ。




帰り道、たまたま石川真生さんから電話があって、報告すると、「ポンはクロエがいないと生きていけないから、遠くへは逃げないんだよ」とのこと。当方も妙に納得。「ポンが帰ってきてクロエも大喜びだったし」と当方が述べると、「そういうふたりなんだよ」と笑い声。そして、「これからわたしは出かけるけど、写真集を玄関のところに置いといたから視てね」とのこと。金欠病復活傾向のわたしを気遣って「本代はあとでいいから。早く視てほしかったから」とも。ありがたや。写真集を手に取ると、しっかり12月24日付のサイン入り。嬉しいことである。

というわけで、石川真生さんhttp://blog.livedoor.jp/ishikawamao/の写真集『FENCES, OKINAWA』(未来社)が発売中なのである。未来社の沖縄写真家シリーズ「琉球烈像」の第5巻(全9巻)である。




感想は、改めて書きたい。


夕方には、平仲ジムへ向かった。
来年1月8日に、日本ライト級タイトルマッチに挑むプロボクサー中森宏の公開練習が行われたのだ。
犬たちとの散歩と前後して、琉球新報F記者から連絡があり、そのことを知らせてくれた。わたしは事前に知らなかったのだが、せっかくだからと、喜んで出かけた。これについても、改めて。

では本日も良き一日になりますように。


  


Posted by watanatsu at 10:54身辺雑記

2010年12月24日

桜坂劇場で『死刑台のエレベーター』を観る。





頭のなかで、いくつかのテーマがせめぎ合っている。

きのうは、犬とのウォーキング(陽射しも風も穏やかで、気持ちよかったぁ)を挟んで、いくつか用事をこなしていたら、あっという間に一日が終わってしまった。

年内にやらねばならないことは、まだかなり残っている。気もせくこの頃である。
そういうときに限って、まったく別のことがしたくなる。

夜、桜坂劇場で映画を観た。会員なので1600円の映画がいつでも1000円で観られる。本当は800円で観られる月曜日がよいのだが、なかなかタイミングが合わない。

で、観たのは、あまりにも懐かしすぎて、この小屋(劇場)にかかっていることを知っただけで、涙が出そうになった作品。ルイ・マル監督の『死刑台のエレベーター』。いわゆるフランス・ヌーヴェルバーグのさきがけとなった傑作である。ヌーヴェルバーグの監督のなかで、若き日のわたしが惚れ込んでしまったのは、文句なしにジャン・リュック・ゴダールであったが、とにかく昨夜は、懐かしさに惹かれて桜坂へ向かった次第。

学校をサボってジャズ喫茶や名画座に入り浸っていた高校時代の、想い出の一本である。音楽を担当したのが、あのマイルス・デイビスだということも、想い出の一本になるに充分な理由であった。

あれ以来、観るのは2度目。じつに30数年ぶりだ。

素晴らしかった。
新鮮だった。
完成度の高さに感服した。

若き日にはわからなかった男女の機微も、今は少々、わかる(笑)。味わいも増すというものだ。ジャンヌ・モローって、こんなにいい女だったか!! という発見(?)もあって、なおよろしかった。

チラシを読んで知ったのだが、公開はわたしが生まれる前年で、ルイ・マル監督は、撮影当時まだ25歳。なんと早熟な才能であったことか。ずいぶん前に他界したことは知っていたが、亡くなったのは1997年(63歳)であったらしい。わたしが、基地受け入れの是非を問う名護市民投票(結果は、反対票が過半数!!)の取材で、名護市東海岸での長期取材に乗り出した年。ただの偶然にせよ、想いは深まった。

※『死刑台のエレベーター』は、12月31日まで。毎日夜1回のみ上映。

映画や本やアートから刺激を受けると、それがどんなに重いテーマの作品であっても、わたしは元気になる。なるべく頻繁に(といっても限度はあるが)桜坂劇場へ通いたい、と久々にしみじみ思う夜だった。

発売中の「週刊現代」新年合併号の読書欄では、ノンフィクション作家の大先輩・後藤正治さんが書いた『清冽 詩人茨木のり子の肖像』(中央公論新社)を紹介させてもらっている。「400字で簡潔に批評せよ」という無理のある(笑)コーナーなのだが、この本と出会えたことの意義と幸運を、一所懸命400字に込めさせてもらったつもりである。皆さんも、ぜひ、『清冽』を手にとってみてください。

きょうは、今年最後の雑誌原稿を書く日。短い原稿ではあるが、命を張って戦っているボクサーたちに向ける批評なので、これを書くときはいつでも、おのずと身の引き締まる思いになる。

それからきょうは、リアルタイムで見られなかった録画映像をネットで観よう。フォーラム「沖縄は、どこへ向かうのか」を沖縄オルタナティブメディアのサイトで、それからこのところの琉球キングスのアウェー・ゲームの戦いぶりをbj-tvで、しっかり観たい。


というわけで、クリスマスイヴなる名称の夜は、いつもながらわたしにはあんまり関係ない慌しい年の瀬である。

でも、この夜が大好きな皆さんのために、ちょこっと呟いておきましょう。
メリー・クリスマス。

  


Posted by watanatsu at 09:51芸能・芸術

2010年12月22日

全国民必読!!  菅首相沖縄訪問に関する「核心評論」。





全国民必読!! なんぞと凄いタイトルをつけてしまったが、要するに、ごく普通のことをまともに自然に書いてくれる人が、東京のマスメディア内にも存在している、と強調したいのだ。エールを送りたいわけである。

昨日12月21日、地元紙の沖縄タイムスと琉球新報に、まったく同じ記事が載った。
と書いてすぐわかった人は、メディア通である。これは共同通信配信の記事を、両紙が同時に採用した、ということを意味している。

菅首相の沖縄訪問に関して、共同通信の石山永一郎編集委員(過去にも、普天間問題に関して、ごくまともな記事をちゃんと書いている人なので、名前はよく覚えている)の【核心評論】である。

しかし、その記事をネットで一所懸命探すが見当たらない。さらに、わたしの所持するプリンタには、スキャンしてどうたら、という機能もなければ、仮にあったとしても機械オンチのわたしがその機能を使いこなせるか怪しい。

沖縄以外の地方紙でどれだけ掲載されたかわからない。けれども、多くの人に読んでほしい。

というわけで、いちばん手っ取り早いのが書き写すこと、と思ったので、以下、全文紹介する。

                   *
2010年12月21日、沖縄タイムス、琉球新報掲載(両紙とも総合面=3面)
【核心評論】菅首相の沖縄訪問 「ベター」で不信感上塗り

18日まで2日間、沖縄を訪問した菅直人首相は仲井真弘多知事との会談で「辺野古はベストではないが、実現可能性を考えるとベターな選択だ」と言った。これはいったい誰にとって「ベター」なのか。明確にせずして沖縄県民の理解が得られるはずはない。

首相も内心ではわかっていたはずだ。普天間飛行場の名護市辺野古への移設は、一部の政治家や外務・防衛官僚にとっては米国喜ぶ「ベターな選択」であったとしても、沖縄にとってはなおワーストの一つでしかないことを。

自らも信じていない底の割れた言葉しか使わずして「コミュニケーションを深める大きな一歩になった」(18日の記者会見)と言われても、聞かされる方は鼻白む。首相の訪問は不信の上塗りをしただけだった。

本土の人々の中には「沖縄経済は政府の振興策も含めた『基地経済』で成り立っている」との誤解がいまだにある。しかし、基地労働者所得、軍用地料など沖縄の県民総所得に占める米軍基地関連収入の割合は、本土復帰の1972年の15・5%が、2008年には5・3%にまで低下。多額の政府振興策も、名護市の海洋センターのようなハコモノをつくればつくるほど維持費がかさみ、自治体財政を圧迫しているのが現状だ。

基地経済とは実は「不経済」なのだ。

巨大なショッピングモールが立ち並ぶ「おもろまち」など那覇の新都心は、かつて米軍住宅地だった時代、100人以下の雇用しかなかった。それが今や1万人を超える雇用を生み、税収にも大きく貢献している。

沖縄県の面積に占める米軍基地の比率は10・2%。日本全体に置き換えれば、九州が丸ごと米軍基地のような状況だ。しかも交通の要所や1級の観光資源がある場所に陣取っている。

基地の存在が沖縄経済の可能性を摘み取っているとの認識を人々は近年深めている。かつてのような「アメとムチ」は通じなくなっていることを首相は知るべきだ。

尖閣諸島をめぐる日中間の摩擦や韓国・延坪島(ヨンビョンド)への北朝鮮の砲撃などで在日米軍基地の重みが増したとの指摘もあるが、最近の東アジアで緊張が高まったことと、普天間問題で顕著に見られた日本の「対米追随外交」が無縁とも思えない。

菅政権になってほとんど聞かれなくなった東アジア共同体構想など善隣友好、対米自立の政策に日本が大きくかじを切っていれば、ここまで緊張は高まっただろうか。

朝鮮半島でも、緊張緩和へ日本が積極的な役割を担うこともできたのではないか。

普天間問題は沖縄だけの問題ではなかったことが、鮮明になりつつあるようにも思える。

(共同通信編集委員 石山永一郎)

                   *

最後の遠慮がちな結び方がやや気になるけれど、随所に重要な事実と問題提起を含んだ、貴重な評論だと評価できる(当たり前のことを、当たり前にかけるマスコミ人がいかに少なくなっているか、とも換言できる)。

皆さん、ぜひも一度、じっくり読み返してみてください。

わたくしめ流に申せば、この国のおバカな官僚・政治家たちによる「外交の死」によって、これまで散々酷い目にあってきた沖縄県民が、ますます迷惑を被ろうとしているのである。大問題なのである。、、、、という記事であります。

全国の皆さん、あなたもぜひ、わがこととして、「普天間問題」に目を向けていただきたい。


きょうは東京で、全国知事会が開かれる。
ちばりよーっ、仲井真さんっ、と少し照れつつ叫んでおく。

(写真は、昨日のウォーキング中に撮ったアカバナー=ハイビスカス。見よ、この生命力の強さ!!)


  


Posted by watanatsu at 10:05時事問題

2010年12月21日

我那覇和樹、FC琉球へ移籍決定!!(はい、驚きました。。。)

沖縄のサッカー・ファンにとって、とても大きなニュースが、本日夕方、飛び込んできました。

Jリーグ・ヴィッセル神戸の我那覇和樹選手が、FC琉球に完全移籍することが発表されたのです。

FC琉球公式サイト→http://www.fcryukyu.com/information/event.php?id=1292916574

当ブログでは、じつはFC琉球について、あえて取り上げてきませんでした。
わたしがサッカー嫌いだから!? 
いえ、そんなことはありません。サッカーの盛んな埼玉県の大宮市生まれ、浦和市育ちです(両市とも、現在はさいたま市)。とくに小学生のころ、暇さえあればボールを蹴っていたサッカー少年です。学校代表のクラブチームでは、いわゆる右のウイング・フォワード(今思えば、もっぱら右サイドバック的な動きをしていました。走るのだけは自信があったので)。気分は完全に、「釜本をアシストする杉山」でした(たとえが古くてすんません)。

それじゃあ、なぜFC琉球についてブログで書いてこなかったか。
選手やコーチ陣やサポーターの皆さんに罪はありません(???)。要するに「このチームのフロントの考え方がさっぱりわからん。フロントの姿勢に共感できん!!」という状況が長らく続いたわけなのです。

しかし、ここにきてフロントは、ウチナーンチュ選手を増やして、もっともっと県民に愛されるチームにしていこう、という意欲を見せはじめた。そんなふうに、風の便りに聞いてはおりました。

そのひとつの形が、我那覇獲得だったわけですね。納得です。
また、それ以前にいろんな人を巻き込んで、J昇格の条件となるスタジアムとするための「県総合運動公園競技場改修・署名運動」も成功させましたよね。

それでも、わたしはまだ当分、「静観」の構えを続けるつもりです。「フロントの姿勢」「経営責任者の姿勢」を、もう少し見極めさせてもらおうと思います。

一方、我那覇和樹は、いわずと知れたウチナーンチュとして初めて日本代表として活躍した選手。
わたし自身、J2→J1時代を通じて、川崎フロンターレの彼を応援していた一人です。
沖縄初のスポーツ・フリーマガジン編集長兼ライター時代には、なんとかインタビューに応じてもらえないかと、彼や所属事務所マネジャーと連絡をとったこともありました(あれは、神戸への移籍直前の季節でした)。

今現在の彼がどんなコンディションにあるかは少しも把握できていませんが、ともかく心機一転、地元沖縄のチームのために頑張ってほしいと、心から願います。

「我那覇選手、おめでとう!!」「FC琉球・サポーターの皆さん、おめでとう!!」

あのとき、そう言ってよかったのだよな、という結果が近いうちに出ることを願ってやみません。
  


Posted by watanatsu at 21:56スポーツ

2010年12月21日

オバマ大統領の妹マヤさん、どうかひとつ、よろしく!!

きょうは午後から雲が増え、夕刻には雨も降ったが、ついさっき外へ出てみたら、夜空の天辺で、十五夜の月が煌々と輝いていた。

40年前の本日は、米軍政下の米軍の横暴な振る舞いの蓄積に対して、沖縄の民の怒りが爆発した日である。それは「コザ騒動」とも「コザ暴動」とも呼ばれ、今も生々しく語り継がれている。

広大な米軍基地が沖縄の一等地を占拠し、フェンスが張り巡らされている状況は、当時とほとんど変わっていない(普天間基地は、そのうちのほんの一部である!!)。

菅直人首相が帰京した翌日19日、奇(く)しくも、バラク・オバマ米大統領の妹マヤさんが、那覇市内で講演を行った。

この事実も、東京ではまるで報じられないのであろうなぁ、、、、。

フルネームを書かなかったのは、それを報じた本日12月20日の沖縄タイムスと琉球新報で、ラストネームのカタカナ表記が違うからである。どちらかの揚げ足を取っても意味はなさそうなので、先へ進もう。

ともかくオバマ氏の実妹でハワイ在住のマヤさん(名前の由来は、もしかしてマヤ文明のマヤだったりするのかな)が、沖縄へ招かれ、「沖縄の基地問題」「ウチナーンチュの平和への思い」の重さを、しっかり実感してくれたようなのだ。そして、大統領の兄に、近々このことを伝える意思を表明したのだ。

わたしはマヤさんに、こう懇願したい。

どうかお兄さんに、沖縄に押し付けられている過重な基地負担の悲惨な状況を、ぜひとも正確に伝えてください。沖縄の普天間基地は、撤去してもらうしか道はありません。辺野古の美しい、生物多様性に富む海をつぶして、新基地建設するなど、もってのほか。許されるはずのない、不可能な話なのです。

遺憾な話ではありますが、わが国の責任ある立場の政治家は、あなたのお兄さんに対して、ごく普通に正確に、沖縄の状況、沖縄の真実の声を伝えようとしてくれません。ですから、申し訳ないのですが、マヤさん、あなたにお願いしたいのです。ゆたしくゆたしく、うにげーさびら。

、、、、、、。(ト、筆者、複雑な表情で、しばし沈黙)


マヤさんの講演の様子を伝える記事はこちら↓↓↓。

沖縄タイムス12月20日付 ひと・まち面(25面)
http://www.okinawatimes.co.jp/article/2010-12-20_13007/




琉球新報12月20日付 社会面(29面)
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-171367-storytopic-1.html




おっと、日付が変わって21日になっていた。「本日」「きょうは」は、もちろん昨日のこと。あしからず。

ひとまず、おやすみなさい。

スポーツ談義は、また改めてにいたしましょう。

  


Posted by watanatsu at 00:09時事問題

2010年12月20日

菅直人沖縄訪問と「佐藤優のウチナー評論」

週末は、わたしが事前告知した以外にも、ビックイベント花盛り。
それらに触れる前に、やはり避けては通れないことがある。


菅直人首相のおバカな沖縄訪問が、金曜、土曜、わずかな時間で終了した。
そのことを、やはりしかと記憶にとどめておきたいのだ。

沖縄県民の総意を無視した日米合意による「辺野古新基地建設計画」の押し付け。
沖縄振興予算(アメ玉)を目の前にちらつかせた自民党政権以来続く、おぞましい「アメとムチ」政策の続行の意思表明。
普天間や辺野古の上空を自衛隊機で飛んで視察終了。
鳩山前首相が行った対話集会どころか、ただ一人の一般市民とも会わず、現場で苦しむ人の意見を露ほども聞かず、沖縄を去る際に残した言葉は「意見の違いはあるが、丁寧に議論を積み重ね進めていくことができる訪問になった。今後、コミュニケーションを深める大きな一歩になった」



全国の皆さん、沖縄訪問のおバカな実態は、琉球新報、沖縄タイムス、両紙の公式サイトや、「地元紙で識るオキナワブログ」→http://michisan.ti-da.net/ などを見ていただきたい。

昨日の沖縄タイムスの社説は必読。
[菅首相来県]辺野古推進の地固めか
http://www.okinawatimes.co.jp/article/2010-12-19_12975/

一方、沖縄で連日、大きく報じられている「普天間問題」を、「全国民共通の話題であるはずの沖縄の基地問題」を、東京発の大手メディアがおざなりなかたちで、あるいは誤解を生むかたちで、もしくは「確信犯的世論誘導」を狙うかたちでしか伝えないことには、とっくに怒りを通り越して、あきれ果てている。

けれども、いや、だからこそ、わたしたちは語り続けることをやめるわけにはいかない。
ささやかでも、粘り強く、発信し続けるしかない。

「沖縄にこれ以上の新基地建設は、絶対に不可能」
「普天間基地の辺野古への移設は、実現可能性ゼロ」

本来ならば、その「真実」を踏まえてアメリカ側と交渉し直すのが、首相としての最低限の務めである(当然、前首相の鳩山氏はそのために一歩踏み出さねばならなかったのに、途中で務めを投げ出した)。

そうしてはじめて「普天間問題」は「全国民の問題」として改めて注目され、真の問題解決を目指した議論をやり直すことができるのだ。

ああそれなのに。。。。地域主権や政治主導どころか、民意そのもの(民主主義の根本)を踏みにじって恥じない政治家たちが、政党内の実力者を追い落とすことで内閣支持率を回復しようとたくらみ、権力抗争に明け暮れている。笑止千万だ。

あえて今、「小沢一郎元代表が首相になっていたなら、、、、」と、考えてみよう。
実現不可能であることが判明した「日米合意」を見直すための話し合いの作業を、両国間で、今頃はもう始めていたはずである。わたしは、小沢氏の政治手法、政治姿勢のすべてを支持するものでは決してないが、それでも、少なくとも「普天間問題」に関しては、菅氏よりは遥かにまともな、すなわち「普通の感覚」の「普通の論理」を、代表選の際にわれわれに呈示してみせていた。いわく「沖縄の人の大半が反対しているんだから、(日米合意の)実現は難しいでしょう。もう一度、アメリカと話し合うことが必要」。

だから、去る民主党代表選の際には、沖縄県内の地方議員、民主党員、サポーター票の大半が、小沢氏に投じられた。そのことを忘れてもらっては困る。沖縄選出民主党国会議員が二人とも、小沢氏を支持したことも言うまでもないだろう。

沖縄の民意を踏みにじって平然としている菅直人氏が、支持を集めるはずがないのである。

12月18日(土)の琉球新報に掲載された連載コラム「佐藤優のウチナー評論」において、佐藤優氏(作家・元外務省主任分析官)は、その書き出しをこう始めている。
《17日から菅直人首相が沖縄を訪問している。今朝の琉球新報と沖縄タイムスに菅首相が直接目を通す可能性があると思いながらこのコラムを書いている》

そのコラムの全文は、こちらで紹介してくれている。
http://michisan.ti-da.net/e3281435.html






               *

(突然、ここから私信風になりますが)

佐藤さん、沖縄の血をひく人として、また中央官庁で働いた経験のある人として、あなたがその双方(「沖縄」と「霞が関・永田町」)に軸足を置きつつ書かれるこの連載コラムをわたしはいつも注目しています。

一方、佐藤さんの言われる「国家統合」の重要性については、いまだに理解できていないわたしです。
極論すれば、このまま日本政府が酷い仕打ちを続けて、沖縄人の間に「独立」の気運が高まるのなら、わたしは素直に同意したい、と思うような人間なのです。

しかし現実には「沖縄県民」は「日本国民」としての立場をまだ選び続ける可能性が強い、と肌で感じていますから、現時点では、佐藤さんの問題提起の仕方は大いに意味がある、と考えます。

それにしても、菅直人氏を洗脳した外務・防衛官僚、それに連なる政治家の力はあなどれませんね。いえ、その人たちを見事に洗脳し尽くしているいわゆる「ジャパン・ハンドラー」(=日本を操れると考えているアメリカの知日派エリート官僚・政治家)たちの実力こそは恐るべし、というべきなのでしょうか。こういう人たちの天敵の代表が、小沢一郎氏ですよね。

いずれにしても、佐藤さんの18日のコラムを読んだかもしれない菅首相の「洗脳された頭」が覚醒する時は、まだまだやって来そうにありませんね。じつに腹立たしい限りです。

それでも、わたしは地道に「沖縄からの発信」を続けたいと思っています。
正義はあちら側にはありませんので、普天間移設ではなく、「普天間全面返還」が達成される日を信じることができるからです。

ここ数日冷え込んでいた沖縄も、きのうきょうは、穏やかな晴天に恵まれています。
この年の終わりに向けて、そろそろわたしも、様々な出来事を少し整理して考える作業に入りたいと思います。

「普天間問題」を中心に据えた「沖縄からの発信」の方法について、今あらためて考えているところでもあります。

では、また。
  


Posted by watanatsu at 12:27時事問題

2010年12月19日

沖縄は、負けない!!


きのうは、昼前後1時間ほど、沖縄県高校ボクシング選手権(於・奥武山ボクシング会館)の準決勝を観戦。

駆けつけたとき、軽量級は終了してしまっていたが、中量級に見所のある試合があり、観戦の甲斐があった。本日の決勝戦は、10時半から。昼ぐらいには終わるはずなので、全試合観戦したあと、南城市知念体育館のプロボクシング大会へと移動しても、充分間に合いそうである。

きのうは高校ボクシングの後、沖縄大学へ移動して、「COP10名古屋 報告会」に参加。

誰か顔見知りに会うだろうな、と思っていたが、予想どおり、旧知の「ヘリ基地いらない二見以北10区の会」の共同代表・浦島悦子さんら何名かの方と挨拶。10月の「ちゃーすがうちなー“選択2010”」の実行委員でもあった沖縄キリスト教学院大学NGO「ONE LOVE」の面々も、沖縄・生物多様性市民ネットワーク(沖縄BD)のユース部門の代表として、名古屋の報告を行っていた(わたしが顔を覚えていたのは、「奈々さん」だけでしたが。。。苦笑。写真は、「奈々さん」が意見を述べているところ)。




次の用事が一件あったので、市民ネット共同代表の高里鈴代さんの閉会の挨拶までは聴けず、閉会後にいろんな人に自己紹介の挨拶をできずじまいで、引き上げてしまったが、そうか、こういう皆さんが、あらゆるところで「芋づる式」に繋がっているのが「沖縄の市民運動の強み」なのだなぁ、と再認識。

慌てずとも、皆さんとお話させていただく機会は、また巡ってくることだろう。

そもそも「生物多様性とは何ぞや」という初歩的お勉強も兼ねて参加したつもりだったが、やはり「案ずるより出かけてみるべし」の典型で、収穫は大。だが、主催者にひとつ注文をつけるとすれば、この問題に詳しい人同士の確認の場なのか、それとももっとたくさんの人に関心をもってもらえるようにする場なのか、も少し考えていただきたい、という点。

わたしはちょいと奮発して、受付に並べてあった各種資料も、いろいろ購入した次第。
ああ、お勉強の材料を自分でまた増やしてしまった(笑)。



そういえば、沖縄オルタナティブメディアの西脇尚人代表やスタッフの皆さんが、ユーストリーム中継を試みつつ、なかなかうまくいかない様子だったが、「録画したものを追って配信はできます」という説明があったので、本日19日のフォーラム『沖縄は、どこへ向かうのか』(ジャパン・フォーカス、沖縄大学地域研究所共催。沖縄・生物多様性市民ネットワーク協力)も、録画配信を見られることを信じて、一日ボクシングの取材に専念したいと思う。

念のため、改めての告知。

◆フォーラム『沖縄は、どこへ向かうのか』
12月19日(日)10時~17時
 沖縄大学3号館101教室
 入場無料
 
パネリスト・1部◇桜井国俊(沖縄大)、河村雅美(沖縄BD)、吉川秀樹(沖縄BD)
2部◇新崎盛暉(沖縄大)、ガバン・マコーマック(オーストラリア国立大学)、若林千代(沖縄大)
      3部◇佐藤学(沖縄大)、島袋純(琉球大)、宮城康博(元名護市議)

◆プロボクシング「琉球拳闘伝」
 12月19日(日)15時試合開始
南城市知念体育館(知念岬公園)
 入場料5000円

 出場選手、池原龍次、屋富祖裕信、知念勇樹ら、沖縄ボクシング界のホープ多数。

ゆたしくうにげーさびら。

ちなみに、きのうの琉球キングスは、アウェーで高松ファイブアローズに84対69で完勝!!
連勝を信じてるよ、きょうも、ちばりよーっ、キングス!!

そこで思いついた、本日のキャッチコピー。


「沖縄は、負けない!!」


われながら、良い出来だと思う。
もちろん、日本国総理大臣菅直人君に贈る言葉でもある。

最後におまけ。十三夜の月。


  


Posted by watanatsu at 08:51お知らせ

2010年12月18日

週末の沖縄は、またしても貴重なイベント目白押し!!

菅直人という名のおバカな首相のおバカな発言(それはもちろん、沖縄の立場を軽んじて恥じない日米官僚の意向そのものであったりするわけだが)に、振り回される必要はない。

仲井真弘多知事には、「県外移設」の公約を守り抜いて、頑張ってもらうしかない。

救いは、首相の「辺野古への移設は、沖縄の皆さんにとって、ベストではないがベターな選択」などという寝ぼけた発言に対して、会談後の会見で知事が、「それは勘違い。県内移設は、沖縄県民にとってバッドでしかない」とクギを刺したこと。

本当は、社民党党首・福島瑞穂参議院議員が述べたように「辺野古はワースト」という表現が正しいとは思うのだが、それでも、首相側に「県内は駄目だ」と伝えたことには意味がある。県内移設容認の立場をとり続けていた知事に、ここまで180度方針転換させたのは、「沖縄の民意の勝利」といってよい出来事である。

知事選挙直後、仲井真知事を支持する友人から、「選挙も終わったので、これからは仲井真さんを応援してほしい」という意味のメールをもらった。たしかに、選挙結果を尊重するのは、民主主義の基本である。わたしはこういう意味のことを返信した。

「『県外移設の公約をしっかり守ってよ』と監視するのも応援だと思っている。だから一所懸命応援したい」


さて、「勝手に告知」シリーズである。

といっても、琉球キングスのホームゲームはない(高松ファイブアローズとのアウェーでの戦いだ。ちばりよーっ、キングス!!)から、別のイベントのお知らせである。


本日12月18日、明日19日の両日、
沖縄大学の教室で、注目のイベントがある。

土曜日は、沖縄・生物多様性市民ネットワークによる、名古屋COP10の報告会。

日曜日は、沖縄県知事選挙後の、今後の沖縄を占う貴重なシンポジウム。

詳しくは、こちらのブログで→http://okinawabd.ti-da.net/e3169847.html

皆様、お誘い合わせの上、ご参加を!!

わたし個人としては、日曜日は、「ボクシングマガジン」沖縄地区担当記者としての仕事が以前から決まっていたので、興味津々のシンポジウムに駆けつけることはできない。つくづく体が二つほしいと思う。本日、土曜日も、少し顔を出せるかどうか。

用事があって外出さえできないという方、あるいは他県在住だが気になるという方は、「沖縄オルタナティブメディア」(OAM)が、ユーストリーム中継をする(録画をあとで視聴も可)との朗報が入ってきたので、ユタシクです!!
http://oam0.blog75.fc2.com/

とくに、日曜日のシンポジウムはぜひ聴きたかったので、わたしも安堵した次第。

「普天間問題」に始まる基地の整理縮小と、生物多様性、あるいは環境について考えること、これは沖縄の未来にとって、最も重要な作業。観光産業にとっても大切なことだし、「自然回復型・土建業」の確立も、「沖縄の自立」に向けて非常に重要だと思うこのごろである。そのヒントが詰まった二日間になってほしいと、密かに期待していた。


一方、ボクシング・ファンの皆さんには、日曜日の午後、南城市知念体育館(景色のすばらしい知念岬公園内!!)へぜひお運びください、と申し上げたい。

最近非常に活気のある琉球ボクシングジム主催のプロボクシングの大会である。

12月19日(日) 会場14時、試合開始は15時。

同ジムには、何人もの逸材が揃っているのだが、あした10回戦のメインを張るのは、池原龍次。同じく10回戦の屋富祖裕信とともに、それぞれフィリピン、インドネシアから招いた東洋太平洋ランカーの強豪に挑む。

また昨年の今頃、全日本新人王に輝いた知念勇樹もインドネシアのホープと8回戦を戦う。
昨年来、近い将来に「世界」を狙える才能、と評価の高まっている有望株だ。どんなボクシングを披露するのか、興味は尽きない。





(写真、白いパンツの後姿が、サンドバッグと向き合う知念勇樹)
さらに6回戦や4回戦も、興味深いカードが目白押し。
東京や大阪でのボクシングの観戦料を知っている人には、この大会が地元沖縄で5千円で観戦できるという事実、いかにお得かおわかりいただけるはずである。(チケット問い合わせ・098-893-6670)

また、くしくも明日19日には、全日本新人王決定戦が東京・後楽園ホールで行われる。
沖縄からただ一人トーナメントに勝ち残っている知念翔太(沖縄ワールドリングジム)が、フェザー級の決勝戦を戦う。今からエールを送っておこう。
全日本新人王獲得へ、ちばりよーっ。


というわけで、これから犬たちと散歩して、その後、高校ボクシングの沖縄県選手権大会を観に、奥武山ボクシング会館へ行こうと思うわたくしめである。

ああ、ほんとに体が三つぐらいほしい!!
  


Posted by watanatsu at 09:34お知らせ

2010年12月17日

菅直人が沖縄へ来ることの無意味。【追記】あり。





きょう、「元・市民派政治家」菅直人首相が沖縄へやってくる。
沖縄に来て何を語るのか、これっぽっちも期待はしていない。

彼の「日米共同声明通りに、普天間基地を辺野古に移設したい」という考えが変わらないのなら、何度沖縄に来ても無駄である。

何をお勉強しようとも無駄である。



とはいえ、じつはわたしは、菅直人首相の来沖に抗議する人びとが、県庁前に集合する、その様子も気になってはいる(仕事があるので、駆けつけることはできないが)。

何度、同じことを繰り返せばいいのだろう。
沖縄県民は、いったい何度「県内移設」は許さん、という民意を示さなければならないのか。

今年5月には、当時の鳩山由紀夫首相が二度も沖縄に来て、二度とも「怒」の民意を突きつけられて帰っていった。

菅直人のやってきたことは、鳩山由紀夫の何倍もひどい。
いや、鳩山前首相は、功労者の側面を持っている。
「普天間問題」を多くの国民に意識させた点だけは、高く評価されるべきなのだ。
その鳩山首相が、少なくとも「県外移設」を模索していたとき、知らんぷりを決め込み、外務・防衛官僚の思うままにさせていた副総理である。
首相になってからも、意図的「思考停止」のまま、実現可能性ゼロの「日米合意」にしがみつき、徹底的に沖縄を差別しつづけている張本人である。

決して許すことのできない政治家の一人である。

以上。


【追記】
けさ、あまりのワジワジー状態で、「以上。」で終わってしまったのだが、全国の皆さんに改めてお願いしたいのは、「普天間問題」は、間違いなく「全国民の問題」であり続けており、現実を正確に把握していただきたい、ということ。皆が見て見ぬふりをしている間に、沖縄県民が結局「甘受」してくれるだろう、というような感覚を持っているのであれば、それはとんでもなく罪深いことであるし、大きな間違いである。

何度でも繰り返すが、普天間基地の辺野古移設を前提とする日米合意など、実現不可能。

しかし、東京発の大手メディアは、あまりにも「断片的」かつ「世論誘導的」な報道を繰り返す。
沖縄の真実は、やはり沖縄のメディアから、読み取っていただきたい。

たとえば、琉球新報の昨日の社説はこう書いている。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-171236-storytopic-11.html

わたしも同感である。




  


Posted by watanatsu at 09:32時事問題

2010年12月15日

菅政権よ、顔洗って百年後に出直して来い!!




「普天間問題」ウォッチャーを自任している者としては、沖縄選出の国会議員が日々何を言っているかは、できるだけチェックしているつもりだ。

その中で、常に簡潔な記述で説得力を感じさせるのが、社民党の照屋寛徳衆議院議員(沖縄2区選出)のブログである。
http://terukan.blog44.fc2.com/

ここはひとつ支持政党の枠を超えて、照屋氏のブログを、最新記事のみならず、遡っていろいろチェックされたい(くどいようだが、わたしは「支持政党なし・無党派層」というカテゴリーに分類される有権者だ。けれども、照屋寛徳氏の真摯かつ誠実な、ブレない政治姿勢には、常に一目置いている)。

「全国民の問題であるはずの沖縄の基地問題」が、いかに東京の人びと、全国の人びとに伝わっていないか、気づいていただけるだろう。そして、照屋氏が多くの沖縄県民から支持されている理由も理解していただけるはずである。

関連して、ぜひとも全国の皆さんに読んでいただきたいのが、本日の沖縄タイムス、琉球新報の社説。
仙谷由人官房長官の、沖縄に対する「甘受」発言について、厳しく批判している。
もちろんわたしは、両紙の社説に全面的に同意する。

沖縄タイムス→http://www.okinawatimes.co.jp/article/2010-12-15_12833/

琉球新報→http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-171206-storytopic-11.html

全国の皆さん、「普天間問題」の解決は、まず最低限、沖縄側のこの声をあなた自身が共有すること。そこからしか始まりません。それ以前の論議は、論外です。

繰り返し申し上げますが、沖縄の総意を無視して勝手につくりあげた「日米合意」など、なんの意味も持ちません。普天間基地の辺野古への移設など、実現可能性ゼロであると、いま改めて断言しておきます。

それがわからない政治家、官僚、大手マスメディアの幹部や記者諸君は、本当のおバカさんであると断じざるを得ません。

いつどこから、自分たちが対米追従の「思考停止」に陥ってしまったのか。本当に、よくよく胸に手を当てて考えてみるべきです。尖閣周辺事態緊迫説(大きくいえば中国脅威論)、北朝鮮脅威論、このふたつは普天間問題となんら関係のないことを、少しは勉強して出直してほしいものです。




  


Posted by watanatsu at 16:59時事問題

2010年12月14日

本日は気分転換の自己満足。


きょうは1本原稿書きを終えてから、夕方に近い午後に犬たちとウォーキング。

それがかえってよかった。

朝はどんより雲が垂れ込め、降ったりやんだりであったのに、午後には青空も広がって、陽の光のまぶしいこと。風もさわやかだった。

気持ちがよいので、なんとはなしに、犬や猫の写真をトホホ携帯カメラでカシャカシャ撮った。

このところ設定変更などは何もしていないはずだが、いつものピンボケ具合が、日曜日の琉球キングスの試合会場でシャッター切ったあたりから、なんだかマシになっている気がするのである。超キカイオンチのわたしには、さーっぱり理由はわからんのだが。。。。あ、ときどき画像サイズの変更ぐらいはするので、そのときどこかを触ったか。。。。

というわけで、考えても意味がなさそうなので、日曜日のと、本日火曜日のと、写真を並べてみます。
説明は抜き。あしからず。

あしたの朝までの約束の原稿があるもので。

本日は、完全に、気分転換のためのブログ更新であります。お許しを!!

あしたは少しブログの中身も頑張ってみたい、と思うこのごろです。。。






















  


Posted by watanatsu at 22:57身辺雑記

2010年12月13日

講談社MOOK「g2」(ジーツー)の記事は、WEBでも読めます!!

週が明けて、めずらしく複数の締め切りを同時にこなそうとしている渡瀬です。
ただいまコーヒーブレイクにつき、編集者の皆さん、ご寛容を。

琉球キングス・ファンの皆さんには、「狼少年的ブログ」と化してしまっていて、恐縮です。

きょうは、「お知らせ」後の改めての「お知らせ」です。

先日、興南・我喜屋優監督のことを、講談社MOOK『G2(g2・ジーツー)』に書いたとお知らせしました。→http://watanatsu.ti-da.net/e3188521.html

きょう、そのわたしの文章がWEBでも読めるのだということが、ようやくなんとなく理解できました(ちゃんと理解できてないのか? はい、その仕組みについて説明する自信はありません。すんません)。

まずは、講談社の次のアドレスを訪ねてみてください。
http://g2.kodansha.co.jp/1771/1899/1900/1901.html

無料の会員登録をするだけで、読めるのです。

先週からWEBでの公開が始まっていて、いま第2回まで進んでいることが確認できました。
http://g2.kodansha.co.jp/1771/1899/2185/2186.html

やはり、自分が書いた作品は、ひとりでも多くの方に読んでいただきたい。
それが物書きの本音であります。

たぶん、当ブログ読者の皆さんは、「わたしよりはWEBオンチでない方」がほとんどだと思うので、身近な方にもお知らせくだされば幸いです。

ゆたしくうにげーさびら。

追伸:
手元の「G2(g2)」の表紙を今眺め直していたら、小さい文字ですが、

「月刊現代後継
ノンフィクション
新機軸メディア」

と銘打たれているではありませんか。




「月刊現代」は、講談社が数年前に休刊にしてしまった良き雑誌でした。
多彩な執筆陣が、ノンフィクション作品を発表する場でした。
わたしも過去に、何度か執筆させてもらっています。

その「後継」にして、「新機軸メディア」の意味も、なんとなくわかった気がしました(おいおい、まだちゃんとわからんのかい? はい、すんません)。gがgendaiの頭文字らしいことだけは、かなりはっきり理解できました(笑)。

というわけで、時代は、紙の出版物から「新機軸メディア」へと移行しているらしいのでありました。

「我喜屋優 野球バカをつくらない指導哲学」、ぜひご一読を。

もちろんわたし以外の執筆者の興味深い作品も、WEBで読めます。

ではでは。
  


Posted by watanatsu at 17:18お知らせ

2010年12月13日

沖縄ハリケーンズ、日本選手権優勝、おめでとう!!

琉球キングス・ファンの皆さん、急遽、記事更新内容の変更です。ご寛容ください。

今夜、沖縄タイムスのホームページで、この記事を読んでしまったのです。
http://www.okinawatimes.co.jp/article/2010-12-12_12789/
キングスファンの皆さんならば、車椅子バスケ(沖縄では、シーサーズ、頑張ってますね!!)には、馴染みがあるかもしれません。

では、ウィルチェアーラグビー(車いすラグビー) http://www17.ocn.ne.jp/~jwrugby/については、いかがでしょうか。

ラグビーとはいうものの、バスケットボール、アメリカンフットボール、アイスホッケーなど人気スポーツの要素をふんだんに取り入れ融合させた、豪快にしてスリリングな、楽しい車いす競技です。

その第12回日本選手権の決勝が、本日行われました。

そしてそして、なんとなんと、わが沖縄ハリケーンズが、6連覇を目指したブリッツ(関東)を、63対62、わずか1点差で下して優勝したのです(ちなみに今大会のハリケーンズ、準決勝もその前も、じつはどちらも1点差の勝利。とってもめずらしい結果です)。

北京パラリンピック(2008年)日本代表の仲里進選手http://www.okinawatimes.co.jp/article/2010-09-29_10640/はじめ、実力者揃いの沖縄ハリケーンズです。全日本準優勝経験も二度あるチームでしたが、でも、頂点は遠かったのです。ブリッツという名の横綱がいるために。。。。

それが!!本日!! 大目標を達成したわけです。

で、わたしは思わず、ひとりで缶ビールをプシュッとやって、祝杯をあげてしまっている次第です。

ハリケーンズのみんなーっ、おめでとうございますっ。

というわけで、キングス・リポートはまた改めて。。。。

ああ、それにしても今年は、嬉しいことが次々起こります。

思えば個人的にも、年明けは東京に滞在していて、国立リハビリセンター(埼玉・所沢市)での車いすラグビーの日本代表合宿の取材から始まった、わたしの2010年なのでありました。

感慨深い夜です。

琉球キングス敗北の試合のあとは、糸満米須あたりの海岸までクルマを飛ばして、美しい空に見とれ、波の音を聴き、心地よい風に身をゆだねていたわたくしめでした。





終わりよければすべてよし、の一日、、、かな。

あしたから、また頑張りましょう。

では、改めて。ひとまずおやすみなさい。

夜更かしできる方は、QABで午前1時半放送開始の「テレメンタリー」=「民主党沖縄県連」のドキュメンタリー、必見です。



  


Posted by watanatsu at 00:03スポーツ

2010年12月12日

琉球キングスの試合開始時間が迫ってきた!!

5日ほど前から、「寒くなりましたねー」という挨拶がかわされるようになった沖縄であるが、きょうは暖かい。

抜けるような青空のもと、犬とのウォーキングも、ヒジョーに気持ちがよかった。


あんまり気持ちがいいので、公園のベンチで新聞を広げて熟読していたら、時間が経ってしまった。

というわけで、

琉球ゴールデンキングスvs.滋賀レイクスターズ(まだ首位です!)の試合開始時刻の13時が迫ってきました。

出かけます。

「極私的キングスリポート」は、本日中に必ずアップしますので、ご了承ください。

では、那覇市民体育館へ行ってまいります。  


Posted by watanatsu at 12:12スポーツ

2010年12月12日

琉球コラソン、完敗だがしかし、希望あり!!

このところ「備忘録」的部分が山積する一方で、身辺雑記も政治的・社会的大問題に関しても、記事更新が全然追いつかないのであるが、昨日観戦した試合についてはすみやかに記しておきたなった。

まずは、コラソンから。
【琉球コラソンvs.大同特殊鋼】




(試合前には、相手チームのウチナーンチュ選手3人(棚原、山城、渡久川)に花束が贈呈されました)

結果は周知のとおり、昨年リーグ優勝を果たした強豪に24対32で完敗。
しかし、前半はなんと!! 13対14で折り返しているのだ。

象徴的だったのは、立ち上がりの得点。ゴールキーパー石田孝一のファインセーブで相手の攻撃を止め、カウンターの速攻へ。そこで一時期冴えが視られなかった点取り屋の村山裕次が、落ち着き払ってキーパーの動きを読み切り、ループ気味のシュートをしっかり決めた。

これで、きょうのコラソンはひと味違うぞ、というところを感じさせた。

チーム全体で、しっかりとしたディフェンスをしていた。集中力が感じられた。
試合後に東長濱秀吉監はこう語っていた。
「このところディフェンス中心に練習してきました。大型選手の揃ったチームに対して、あれだけ守れればいいと思います。みんな自信を持てたと思います。(監督としても)手応えを掴めました」

1点ビハインドで前半が終わったとき、わたしは思わず隣席の新聞記者さんに話しかけていた。「3点ぐらいリードしていてもおかしくなかったですよねぇ」。要するに、大事なところでパスミスが出るし、キーパーと1対1のシュートを決めきれない、という具合に、みずから試合の流れを相手に渡してしまっていたのである。キーパーのファインセーブが光っていただけに、もったいなかった。

しかし後半は、出だしからずるずると相手ペースにはまって、5点差、6点差と離されていった。終わってみれば、8点差の敗北。。。。




(試合開始15分前。行列がないのが、ちょいとさびしい)

東長濱監督はこうも言っていた。
「シュートを決め切れないというのは、メンタルの部分もあるかと思います。いい試合しても勝ちきれない、というのは、まだどこか甘いんですよね」

日本リーグの強豪チーム(企業チーム)との選手層の厚さの違い、チーム運営の不安定さを、決して言い訳にしないのは、いつものことである。前夜、アキレス腱断裂のケガを負ってベンチに座り、仲間にアドバイスを送っていた水野裕矢キャプテンも、決して言い訳をしないタイプである。「今シーズンは、フロントに専念しろ、営業がんばれ、っていうことなのかな」と笑っていた。

厳しい状況のなかでも、なんとか踏ん張って、「いい結果」を貪欲に求めてほしい。


昨日のように「見所のある試合」ならば、ファンは「また観に来よう」という気持ちになる。

そういえば昨日のハーフタイム、いつも太鼓を叩いて応援している池間弘章さん(那覇市牧志のフットボールカフェ「カンプノウ」店主)と名刺交換をさせてもらった。いわずと知れたFC琉球の強力サポーターでもある。とにかく地元のチームを、本気で応援したいのだ!! という思い、その強い「目力」から感じられた。池間さん、こんど店に寄らせてもらいますね。

というわけで、琉球コラソンの皆さん、12月22日からの東京での全日本総合選手権も、「いい結果」を求めて、、、、ちばりよーっ!!



※昨日の琉球キングスは延長戦の末103対100で滋賀レイクスターズに勝利しましたが、このところのキングスについての「極私的リポート」は、犬とのウォーキングのあと、書きましょうね。
  


Posted by watanatsu at 09:01スポーツ

2010年12月11日

琉球コラソン、琉球キングス、今年最後のホームゲーム!



まさに師走。この1週間、あっという間に過ぎたと感じているのは、わたしだけではないはず。

で、またしても、「勝手に告知協力」シリーズ。

タイトルどおりです。

◆日本ハンドボールリーグ
琉球コラソンvs.大同特殊鋼

沖縄県立武道館(奥武山運動公園内)にて。
本日12月11日、13時半試合開始。

コラソンが相手の胸を借りる試合です。が、キャプテン兼GMの水野裕矢選手が、昨日の練習で、アキレス腱を断裂し、今季出場は絶望的とのニュースが飛び込んできてしまいました。お大事に、としかいえませぬ。。。

ますます結束力を強めて、強豪チームに食らい付いてほしいものです。

◆bjリーグ
琉球ゴールデンキングスvs.滋賀レイクスターズ

那覇市民体育館にて。
本日12月11日、19時試合開始。
明日12月12日、13時試合開始。

先週、宮崎に連勝した直後の記者会見で、桶谷大ヘッドコーチは、「滋賀に連勝して首位から引きずり下ろし、(キングスは)2位に浮上したい!」という非常にストレートな表現の仕方で、闘志を燃やしていました。

桶さんの自信の根拠を、ぜひ滋賀とのゲームで確かめたい! 即座にそう思ったものでした。

非常に楽しみです!
  


Posted by watanatsu at 08:33スポーツ

2010年12月10日

名護市東海岸にて。我喜屋優監督講演会とわんさか大浦パーク。

当ブログでお伝えしたいことは、またまた山ほどたまっておりますが、きょうは急遽、興南・我喜屋優監督を追っかけて、名護市辺野古までやってきました。

意外な取り合わせ?

いえ、そんなことはないんです。

名護市立久辺中学校での講演会。ここは、興南野球部「春夏連覇キャプテン」我如古盛次君、そして5番・ライトで活躍した銘苅圭介君の母校なのです。ちなみに沖縄尚学高校・比嘉公也監督の母校でもあります。

108名の全校生徒や保護者、地域の関係者、久辺小学校の4〜6年生と一緒に、わたしも監督の話、堪能させてもらいました。

2ヵ月ほど前の、監督の故郷の玉城中学校での講演とも微妙に違う内容で、新鮮でありました。講演には慣れている監督ですが、時と場に応じた見事な話し方。やはり改めて「さすが!」と唸りました。

終わって、小腹がすいていることに気づいたわたしは、大浦湾へ足を伸ばしました。

少し前に来たとき、ブレオープンしたばかりだった「わんさか大浦パーク」。あのときは、野菜を買って帰ったのみだけれど、きょう来てみたら、食堂もオープンしていて、豆腐チャンプルーを注文。なかなか旨かったです。

基地再編交付金によって、「基地受け入れ」と引きかえに前市長が建てたクセモノのハコモノだけど、いまは、基地に頼らない地域活性化の拠点にしたいと、二見以北10区の住民たちが共同で運営に乗り出しているのです。

しかし、ここでサプライズ! この運営に関わりのある名護市議会議員・東恩納琢磨さんと、ばったり鉢合わせしたのです。

そうです。何度か当ブログでも紹介しましたが、この地域の活性化のために、真剣にがんばっている熱き男です。

きょうはたまたま国立公園関係者と、ジュゴン保護のための啓蒙活動がらみの話をしたみたい。その話し合いが終わってから、わざわざわたしがメシ食ってるテーブルまでやってきて、しばしゆんたく(おしゃべり)に付き合ってくれました。

約束したわけでもないのに、ありがとうねー、琢磨さん。「こんど那覇に行くときは、声かけますからね」なんて、嬉しいことも言ってくれて、感謝です。


約束したわけでもないのは、我喜屋監督もそうでした。昼間いきなり、わたしは興南学園理事長室に我喜屋監督兼理事長を訪ね、今後の取材に関するわがままなお願いを改めて聞き入れてもらい、その上、講演会にまでくっついて行ったのです。

われながら自分の図々しさには気づいているつもりだけど、監督の度量の大きさには、感謝あるのみ!

というわけで、感謝の念きわまり、珍しく携帯ピコパコ記事更新とあいなりました。  続きを読む


Posted by watanatsu at 19:55身辺雑記

2010年12月09日

やっぱり情報の共有は大切!!



お久しぶりです。

「毎日更新」を基本方針としている当ブログですが(苦笑)、三日ぶりの更新です。

公私ともにいろんなことがありまして、ここ数日の間に頂戴したメールやブログ宛てのメッセージにも、きちんと対応しきれておらず、恐縮です。

はい、嬉しい悲鳴をあげておりました。

このところ当ブログを複数の方が、ブログやツイッターで取り上げてくださっています。感謝しております。

大手マスメディアが、あまりにもおバカな状況に陥っている昨今、地方紙やローカル放送局、インターネットジャーナリズムの役割、そして、われわれ個人レベルでの情報共有こそは、ますます肝要になってきています。

互いに頑張ってまいりましょう。

(写真は、12月7日火曜夜の、琉球ボクシングジムの練習風景)  続きを読む

Posted by watanatsu at 15:03身辺雑記

2010年12月06日

我喜屋優監督のことを、講談社ムック『g2』に書きました。



土曜日12月4日の発売日に、この『g2』(ジーツー)が届いてました。

例によって、沖縄での発売は、少し遅れるはず。

わたしが書いたのは、『我喜屋優 野球バカをつくらない指導哲学』という一文。

原稿用紙にすると50枚近くは書きましたので、じっくりご堪能ください。

Amazonでも、購入できるようです。

ゆたしくうにげーさびら。  続きを読む


Posted by watanatsu at 16:47お知らせ

2010年12月05日

幸せな夜。



那覇マラソンに参加した皆さん、お疲れさまでした。
わたしは予定どおり、琉球キングスの応援・取材へ行きました。

      *

とっぷりと日も暮れたころ、わたしは南城市の知念岬公園にいた。

石のベンチの上に坐し、深い呼吸を繰り返していた。正面に、久高島の灯台の光が瞬いていた。

風に吹かれ、潮騒を聴きながら、全身に力が満ちてくるのを感じた。

やはり、ここは沖縄のなかでも有数の、「気」が満ちる場所だと思う。

リュウキュウオオコオモリが、でっかい翼を広げて飛び交い、頭上には満天の星。

なんと良き島に、わたしは住まわしてもらっていることだろう、と、感謝の念がおのずと腹の底から湧いてくる。


さて、周知のとおり、昨日の琉球コラソンは、残念ながら、トヨタ紡織九州に26対32で、完敗。

一方、琉球キングスは、宮崎シャイニングサンズに、土日、連勝。とくに本日は、101対77の大差の勝利。4連勝で西地区3位に浮上!!

明暗がわかれたが、ますます頑張ってほしい両チームである。

記者会見リポートは、改めて書きたいと思う。

きょうは、キングスの試合後、とても気分が良かったので、その足で、南城市玉城の百名の砂浜に行き、小一時間、あたりをのんびり散策した次第。靴を島ぞうりにはきかえて、膝から下を海水に浸けてみたけれど、さすがに水はもう冷たかった。

しかし、まさに英気を養う時間をもてて、幸せであった。  続きを読む


Posted by watanatsu at 20:28身辺雑記

2010年12月04日

琉球コラソン、琉球キングス、ちばりよーっ!!

 暑からず寒からず、すんごーく清々しい天気です。
 けさは、犬とのウォーキングも、とっても気持ちよかったです。






 犬たちも、こころなしか気分よさげな表情。

 最近ちょいと嬉しいことあり。
 後ろ脚の具合が悪いポンのその脚が、ここ何日も、散歩の道のりの大半でシャキンッと伸びていて、スタスタ歩いてくれること。



 ひっぱられる感じでこっちもいい運動になります。

 さて久々に、「勝手に告知協力」シリーズ。

◆日本ハンドボールリーグ(トップリーグ)公式戦
「琉球コラソンvs.トヨタ紡織九州」

本日12月4日(土) 13時半試合開始(はいっ、今から出かけましょう!!)。
東風平総合運動公園体育館にて。


◆bjリーグ公式戦
「琉球ゴールデンキングスvs.宮崎シャイニングサンズ」

本日12月4日(土) 19時試合開始
明日12月5日(日) 13時試合開始
宜野湾市立体育館にて。


楽しみです!!

皆さん、会場でお会いしましょうねー。
  


Posted by watanatsu at 12:31スポーツ

2010年12月03日

京都新聞・新里健記者、がんばれ!!

今夜は、琉球ボクシングジムでボクサーたちの練習を眺め、さっき帰ってきました。

で、次はスポーツの話題でいこう、と24時間ほど前に書いた気もしますが、急遽、
「沖縄県知事選挙を振り返って・3」
であります。スポーツファンの皆さんも、ぜひ読んでみてくださいね。

                *

かゆいところに手が届くブログがある。

けさ(12月3日朝)、深く頷きながら読んだ琉球新報の記事(社会面32面)があったのだが、それを、あの「地元紙で識るオキナワ」ブログが、さっそく紹介してくれている。
↓↓↓
http://michisan.ti-da.net/e3264648.html

12月1日付の京都新聞の記事を転載した琉球新報の慧眼と柔軟な姿勢にも敬意を表したいが、その記事に地元紙の熱心な読者であるところのブロガー「ミチさん」が、すばやく反応して、全国へ発信してくれた、そのことにも感謝したい(皆さん、この記事以外も、いろいろ読んでみてください。ミチさん、これからもがんばってください)。

京都新聞から転載されたのは、【本土の人々の覚悟問う】と題する、沖縄県知事選を受けての、新里健記者の記事。「取材ノートから」というコラムであるらしい。
新里記者は、西原町出身・京都大学卒のウチナーンチュ。「復帰後」生まれの記者である。

普天間基地問題が争点となった知事選を受けて、主に大阪大正区で暮らすウチナーンチュに取材し、学習会などを重ねてきた住民が、「本土の人々」へ向けて発する声を真摯に取り上げ、読む者に熟考をうながす。

上記リンク先で全文をしっかり読んでいただきたいが、新里記者は、コラム記事の最後を、意識的に京都新聞の読者に呼び掛ける筆致で、こう締めくくっている。

《人口が集中する洛中(京都市中心部)に基地が移設されたら。湖国(滋賀県)の住民が愛する琵琶湖を埋め立てて基地が造られたら。その時も「日米同盟は重要」と胸を張って言い切れるか―。沖縄人が長く過重な基地負担を強いられてきた主因は、京都、滋賀を含む本土の人々の無関心や「無視」にある。沖縄を直視するために必要なのは、ほんのわずかな想像力だ》

新里記者にとっては迷惑な物言いになろうが、この締めくくり方、この書き方、わたしは思わず、自分が書いた文章のような錯覚におちた。

京都新聞・新里健記者の名を、わたしはきょうしっかりと脳裡に刻んだ。

がんばれ、新里健!!


  


Posted by watanatsu at 23:53時事問題

2010年12月03日

沖縄式芋づる人脈の探求。

「11月30日の備忘録」の続きである。

写真展会場・ちゃたんニライセンターを出るときに、わたしの脳みそのなかで起こった連想ゲーム的発想は、きょうは「ふてんま結いちば」へ寄ってはどうか、というものだった。

そこで、上里エリカさんhttp://futima1.ti-da.net/が働いていることを、わたしは知っていた。

エリカさんは、10月31日の「ちゃーすがうちなー“選択2010”」で積極的に発言していた若者のひとりで、わたしはそのしっかりした語り方に関心と好感を抱いていた。

当日の会場では、知事候補の仲井真弘多氏と伊波洋一氏のトーク&質疑応答が目玉企画ではあったが、「ちゃーすが基地」「ちゃーすが経済」という二つのグループに分かれての討論も充実していた。
以前のブログに書いたとおり、当日のわたしは、実行委員のひとり友利真由美さんhttp://elephantlife.ti-da.net/から渡されたデジカメと、自分の取材ノートを両手に、なかば記録係的参加の仕方になっていたわけだが、このところ「普天間問題ウォッチャー」を自任しているわたしとしては、やはり「ちゃーすが基地」グループのトークに耳を傾ける時間が圧倒的に多いのだった。

すでに知り合いであるところの、名護市東海岸在住の渡具知武清さん智佳子さん夫妻や、浦島悦子さん(このお三方は、ヘリ基地いらない二見以北10区の会http://kichi-iranai.jp/の中心メンバー)、そして何年も基地従業員として生計を立てた経験者でありながら、基地は新たに造ってはいけない、むしろ基地はなくしていくべきだと主張する30代男性らの声は、わたしの胸の深いところにしっかりと刻まれた。

また、いま話題中心の普天間基地のある宜野湾市に生まれ育ち、現在、普天間の「まちおこし」に関わっている最中の若い女性の言葉にも、わたしは大いに共感を覚えていた。

当日の会場でいろんな初対面の人びと(討論参加者やメディア関係者)と名刺交換、または自己紹介をさせてもらったが、そのひとりが上里エリカさんなのであった。

エリカさんは、そのときわたしのことをすでに認識してくれていた。
なんでも石川真生さんの「師匠」に当たる東松照明さんのデジタル写真ワークショップの1期生だか2期生で(定かでなくて失礼)、わたしのことは真生さんのブログを通じて知ったというのである。またしても、真生さんサマサマである。

というわけで、早い話が再会を約した格好だった。

その日がこの日、11月30日となった次第。
「世間は狭い」というのは、ここ沖縄では当たり前すぎる言葉。
みーんながどこかで、芋づる式に繋がっているのが、沖縄だ。

ひょんな縁はとめどなく人を繋げてしまって、きりがない。
エリカさんがこんなこともしているのか、と知ってますます会いたくなったのは、じつはじつはそもそも前述の森口豁さんのせいでもある(笑)。

わたしは先月下旬、森口豁さんのブログを読みつつ、「あっ、森口さん、今夜、ネットメディアの生中継に出演するんだっ」と知った。そして、「オキナワ・オルタナティブ・メディア」(OAM)の20時開始予定の番組の放送をパソコン画面睨みつつ待っていた。しかし、なにかのトラブルで10分ぐらい番組開始が遅れた。

その間、アーカイブ(過去の番組)は視ることができた。
わたしは平良識子・那覇市議会議員(沖縄社会大衆党)出演の回を視た。
そこで、ゲストの平良さんを挟んで、メイン司会の西脇尚人さんとともに「放送席」に座っている上里エリカさんをわたしは発見したのだった。

少し眺めているうちに、森口豁さんの生トークが始まったので、そちらに集中した次第だが、まぁ、要するに、改めて世間の狭さと「縁」とを痛感したわけなのである。

実際、上里エリカさんと、彼女の職場であるところの宜野湾市「ふてんま結いちば」でお会いしたメインの目的は、「今後の取材」の相談であった。
エリカさんは、快く承諾してくれた。ありがたいことである。だから、今後の進展については、当ブログでも、いずれ報告できるはずである。


さて、そのあと向かったのは、同じ宜野湾市内にある琉球ボクシングジム。
12月19日、南城市知念体育館(わたしの大好きなパワースポット“知念岬公園”にある体育館)で、このジム主催のプロボクシングの大会「琉球拳闘伝」がある。

わたしが知っているここ10数年の範囲でも数度の引越しを経ている琉球ジムだが、よく考えてみたら現在の場所に移ってから、まだ一度も訪問していなかった(近くまで来て、道に迷って帰ったこともある。苦笑)。

で、エリカさんと別れたあと、よい機会だと思い、琉球ジムチーフトレーナー与那城信一さんの携帯を鳴らし、道順をしっかり聞き、なんとか琉球ジムにたどり着いた次第。試合が近づいた時期のジムの様子、雰囲気を見ておきたかった。

というわけで、次回更新は、久しぶりに、スポーツの話題でいこうと思う。

平和な環境があってこそのスポーツである。スポーツ振興である。平和な世界の構築とスポーツの繁栄は、クルマの両輪であるべきなのだ。沖縄に住んでいると、こんな当たり前のことにも、敏感になるのである。

不思議なもので、この11月30日、外出直前には、ハンドボールチームの琉球コラソンGM兼広報責任者兼主将を務める水野裕矢選手から電話をもらっていた。わたしのようなフリーランスの取材者にまで、こころを配ってくれるところは、プロバスケの琉球キングスの皆さん同様である。大変にうれしいことである。こちらも、心から応援したくなる。

12月4日・土曜日の午後1時半から、八重瀬町の東風平運動公園体育館に、強豪トヨタ紡織九州を迎えての、久々のホームゲーム。もちろんわたしは駆けつける。

その夜7時からは、宜野湾市立体育館で「琉球ゴールデンキングスvs.宮崎シャイニングサンズ(島根スサノオマジック同様、新規参入チームにして強豪チーム。沖縄に初登場!!)」の試合。キングスは、周知の通り、アウェー新潟で連勝して、ようやく勢いに乗り始めたところだ。どんな試合になるか、興味津々である。

久々に土曜日は、ハンドボールとバスケのはしごで、ハイテンションの一日になりそうだ。
友人のスポーツフォトグラファー黒田史夫氏も本日電話をくれたのだが、土曜日は彼も東風平から宜野湾へ「ハシゴ撮影」らしい。

スポーツ三昧の週末。思いっきり、楽しみたいものである。

ところで、きょうはたくさんの人から連絡のくる不思議な一日だった。
この数日、メール着信もたまる一方で、返信もなかなかできないままである。
皆さん、いましばしお待ちください。必ず返信しますので。

ではでは、また。

下の写真は、今回の文章とは直接関係ありません。
昨日の散歩のときのクロエ(黒いです)とポンの姿。
きのうもきょうも、沖縄は25度を超えて夏日でした。
わたしは二日とも、半そで半パンで過ごしました。
師走の沖縄、じつは、しょっちゅう蚊に刺されて、かゆーい日々。





おやすみなさい。  


Posted by watanatsu at 00:46身辺雑記

2010年12月02日

なぜだ!? 森口豁さんについて書いた部分が消えるミステリー。

※たびたび、すみません。こんどは画像抜きでアップしてみます。このトラブル、わたしにはまるで意味がわかりません。ご寛容ください。こんどは最後まで読めるでしょうか※(たぶん携帯で全部正常に読めている方は、余計に意味がわからんと思いますが。。。)


朝からパソコンの調子がいまひとつなので、久しぶりに携帯からの更新にするしかないかねー、と思ったら、なんとか直った。やれやれ。で、よくあることだが、「時間差あります備忘録」。

一昨日の11月30日、入手したばかりのクルマに関する任意保険の契約を済ませた。先だって、中古車購入のアドバイスもしてくれた自動車専門ファイナンシャルプランナーに、すべてお任せ!! 前日、見積書を見せてくれたときの説明の手際のよさにも感心したが、この日のサイン・捺印の折の仕事ぶりもテキパキとしていて、気持ちよく契約終了。これでひと安心。

契約を終えたその足で、わたしは北谷町のちゃたんニライセンターへ向かった。

ジャーナリスト森口豁さんの写真展「米軍政下の沖縄 アメリカ世(ゆー)の記憶」の最終日に、駆け込んだわけである。ご本人はおられなかったが、大きく焼き伸ばしをされた写真たちは、なかなかに迫力があった。

刺激を受けた。そして、深く深く考えさせられた。

森口さんとは、一度だけ酒席をともにさせていただいている。
一昨年の春先だったと思うのだが、「与那国島サトウキビ刈り援農隊」の世話人を30数年務めている藤野雅之さん(元共同通信取締役)が、与那国から東京への帰り道に那覇に寄られた際、「紹介したい人がいるので」と、飲み会に誘ってくださった。わたしは用事を済ませてから遅れてその場に駆けつけたのだが、そこにおられたのが、森口さんだった。もうお一人は、沖縄の出版社ニライ社の代表・島袋捷子さん(藤野さんの著書も担当されている)。人生の先輩方の語らいのなかにまぜてもらって、楽しいひと時を過ごさせていただいた。

もちろんその時点で、森口さんの存在は知っていた。復帰前の沖縄の琉球新報社に記者として就職し、その後も日本テレビ特派員として沖縄で働き、独立後も沖縄に関わる優れたドキュメンタリーをたくさん発表し、著作活動も続けている。当然、その時点で何冊かの著書は読んでいた。

およそ半世紀にわたって、沖縄の現実を、痛みを、本土の人びとに伝えようとし続けている、稀有なヤマトンチュの表現者である。

「志の確かな大先輩と知り合えて、ありがたい」という思いを強くした一夜だった。
森口さんは、東京と沖縄を行ったり来たりの生活のようだったが、別れ際、森口さんのほうからかけてくださった、「また時々会いましょう」という、うれしい言葉が、耳の奥にきっちり残っている。

で、例によってわたしは、そのまま時間と不義理を重ねてしまっているわけだ。

で、今回の写真展。タイトルは、最新刊の著書(高文研・刊)のそれと同名である。ご本人は、最終日にはもしかしたら東京へ移動されているのではないか、という情報も耳に入ってきてはいたが、ともかく観たかった写真展であり、いそいそと出かけた。

最新刊の本も買いそびれたままなので、会場で購入したいと思ったが、置いてはいなかった。
きょうあたり、最寄りの大型書店へ出かけて入手したいと思う。

写真展を観た感想。
端的に言えば、こうなるだろうか。
「まだまだ沖縄の歴史が、現実が、本土の人びとに伝わっていない。知られざる事実があまりにも多すぎる。それを伝える仕事を50年も地道に続けている森口さんは、やっぱり凄い。わたしもささやかながら、わたしなりのやり方で、伝えていきたい」

さて北谷の写真展会場をあとにするとき、わたしの脳みそのなかで、連想ゲームが起こった。
普天間基地を抱える地元・宜野湾市で働くある人のことが、頭に浮かんだのだ。


◇注※2012年の追記◇
じつは、その後、わたしは森口氏に対して、非常に批判的にならざるを得ない事実に遭遇した。ここで簡単には書けないほどの重大な過ちが、森口氏の行動に認められると判明したのである。怒りを通り越してあきれるしかない出来事である。もしも真実を書ける日が来るとすれば、それは森口豁氏が、遥か遠いところへ旅立ってからではないか、という気さえしている。
今は、封印しておく。



(つづく)

  


Posted by watanatsu at 14:25身辺雑記

2010年12月01日

「クローズアップ現代」でのNHK政治部記者の暴論、許せん!!

(沖縄県知事選挙を振り返って・2)


沖縄は、死者と生者の距離が近い土地である。
死者と真摯に親しく向き合う伝統がある。

大恩人・金城清子さん(金城眞吉沖縄尚学高校ボクシング部監督夫人)が他界されてから、はや3週間が過ぎた。故人の教え子や、親戚、友人知人にまじって、毎週月曜日、つまり「七日」ごとに、わたしもお線香だけはあげさせていただいている。

11月29日の月曜日、那覇市首里石嶺の金城家からの帰り道、豊見城市内に入ったところで、ふと気になって、信号待ちの間に携帯ワンセグのスイッチを入れた。

知事選翌日のNHKの夜7時のニュースぐらいは視ておこうかと思ったのだが、ニュースはほとんど終わろうとしている時間だった。しかし続いて、「クローズアップ現代」が始まった。この夜はたまたま、「沖縄の選択 普天間はどこへ」というテーマの、今回の知事選に絡んだ番組だった。

急いで最寄りのスーパーの駐車場にクルマを停めて、この番組を注視した。
最近滅多にテレビを視なくなっているわたくしめであるが、知事選の結果を受けて、NHKが何をどう報じるのか、知っておく意味はあると思った。

悪い意味で、予想通りの結末が待っていた。

番組の最後に、司会者の畠山智之キャスターから「日本(政府)はどうすればよいのか」と感想を求められた政治部の山口太一記者は、世論を間違った方向へ誘導しようとする者が発する、すなわち読売、産経、日経などの社説と同じ意味で低レベルの、典型的な意見を述べたのだ。

一字一句すべてメモしたわけではないが、その山口記者は、およそ次のような暴論で、番組を締めくくってみせたのだ。

「アメリカの態度(方針)は、はっきりしています。辺野古に普天間基地を移設するか、普天間をそのままにしておくか、です」
「民主党政権は、沖縄県民に期待を抱かせて約束を守らなかったわけですから、なぜ再び辺野古になったのか、誠意をもってお詫びするのが第一歩だと思います」

これでは、なんとかの一つ覚えで「日米合意を踏襲して、沖縄の軽減をはかる」と繰り返している思考停止状態の首相の発言と、まったく同じ主張である。

読売、産経、日経などの社説を読まされて、すでに暴論に驚かなくなってしまっている自分の感覚が、恨めしくもある。

だが、こんな暴論を許してはいけない、ということだけは、はっきりと述べておかねばならない。

偶然とはいえ、わたしはしっかりと視たし、聴いた。
NHK政治部記者の発したこの暴論を、わたしは許すわけにはいかない。

NHKという大きな報道機関が、しかも「クローズアップ現代」という、ひとつのテーマを通常のニュースよりも深く掘り下げるべき番組枠内で、「官房機密費」をもらったのではないかと疑われても仕方のないような、政府ベッタリの、「沖縄の民意」を軽んじる見解を視聴者に押し付けるとは。。。。

報道機関としての検証能力は皆無、批判精神もゼロ。
山口記者よ、なんの根拠も示さず、「辺野古移設」か「普天間固定化」の二者択一しか米国政府は考えていないと、よくぞ断言できたものですな。その無謀さ、恐れ入りましたぞ。

そして、米国の強行姿勢を無批判に受け入れて、沖縄県民に負担を押し付け続けようとするその「差別的態度」に、きっとあなたは、まるで無自覚なのでありましょうな。そうでなければ、やっぱり読売や産経の論説委員たちと同じように、「確信犯」ということになりますな。


日ごろから、NHK政治担当解説委員たちの「普天間問題」に関する説得力のなさと不勉強ぶりを、嗤いつづけているわたくしめではあるが、知事選直後のタイムリーさで、ここまで露骨な世論誘導番組を見せ付けられたのでは、黙っていろといわれても無理である。

ちなみにこの番組、当たり障りのない知事選ドキュメントを流した上で、知事に再選されたばかりの仲井真弘多氏も、沖縄からの中継というかたちで出演させていた。

仲井真氏の言葉には、やはり従来の「辺野古移設容認」を自己正当化する傾向がつよく、これまた批判に値する部分があったが、NHK政治部記者の暴論に比べたら可愛いものであった。

少なくとも、スタジオのその先に広がる全国の視聴者に向けて、仲井真氏は「日米安保(の恩恵)を享受している北海道から鹿児島までの全国民で、基地負担を考えてほしい」という要望を述べていた。

だがNHK側は、選挙で選ばれたばかりの沖縄の民意を代表する者のその声を、番組最後の締めくくりの部分で、バッサリと切り捨てたわけである。

つまりこれは、外務大臣時代の岡田克也幹事長が沖縄入りし、名護市民に対して「(新基地を)名護が受け入れなければ、普天間の危険はそのまま残るが、それでいいのか」と恫喝したのと、まったく同じ姿勢なのである。

大問題である。
この国のマスメディアは、本当に絶望的なまでに、おバカな状況に陥っている。

わたしたちは、こんなものに惑わされたり、誘導されたり、マインドコントロールされたりせぬように、よくよく気をつけなければならない。

くどいようだが、米国内でも、「在沖縄海兵隊不要論」が、民主・共和両党の有力国会議員や軍事・安全保障の専門家の間から沸き起こっているのだという事実を、申し添えておこう。

「抑止力」という言葉を使いたがる官僚・政治家、メディア業界従事者、さらにはネット右翼とよばれる人間たちは、東洋一の巨大なエアフォース・ベースである「嘉手納空軍基地」の持つ能力と、常に「休眠状態」とさえいわれる在沖米海兵隊の能力とを、ごっちゃにせずに語るべきである。

はっきり言おう。世界一危険な普天間基地を即刻撤去したって、本当は、アメリカさんは何も困らないのだよ。
普天間がなくなったら、「次善の策」を当然のように考えるだけなのである。
尖閣諸島付近の緊張状態や北朝鮮の脅威と、沖縄の海兵隊を結びつけて語ること自体、欺瞞に満ちた行為である。

では、普天間基地撤去を拒んでいるのは、いったい誰なのか。
胸に手を当てて考えたまえ。官僚、政治家、メディア関係者の諸君よ!!
沖縄差別主義者の「確信犯」たちよ。

(この項、つづく)

※お詫び※
12月1日19時ごろから、ただいま22時近くまでにご訪問くださった方、最後の文章が切れてしまっていて、ご迷惑をおかけしました。21時57分現在、思い出しつつ復元し、さらに若干加筆しました。

  


Posted by watanatsu at 11:58時事問題