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2010年12月24日

桜坂劇場で『死刑台のエレベーター』を観る。

桜坂劇場で『死刑台のエレベーター』を観る。



頭のなかで、いくつかのテーマがせめぎ合っている。

きのうは、犬とのウォーキング(陽射しも風も穏やかで、気持ちよかったぁ)を挟んで、いくつか用事をこなしていたら、あっという間に一日が終わってしまった。

年内にやらねばならないことは、まだかなり残っている。気もせくこの頃である。
そういうときに限って、まったく別のことがしたくなる。

夜、桜坂劇場で映画を観た。会員なので1600円の映画がいつでも1000円で観られる。本当は800円で観られる月曜日がよいのだが、なかなかタイミングが合わない。

で、観たのは、あまりにも懐かしすぎて、この小屋(劇場)にかかっていることを知っただけで、涙が出そうになった作品。ルイ・マル監督の『死刑台のエレベーター』。いわゆるフランス・ヌーヴェルバーグのさきがけとなった傑作である。ヌーヴェルバーグの監督のなかで、若き日のわたしが惚れ込んでしまったのは、文句なしにジャン・リュック・ゴダールであったが、とにかく昨夜は、懐かしさに惹かれて桜坂へ向かった次第。

学校をサボってジャズ喫茶や名画座に入り浸っていた高校時代の、想い出の一本である。音楽を担当したのが、あのマイルス・デイビスだということも、想い出の一本になるに充分な理由であった。

あれ以来、観るのは2度目。じつに30数年ぶりだ。

素晴らしかった。
新鮮だった。
完成度の高さに感服した。

若き日にはわからなかった男女の機微も、今は少々、わかる(笑)。味わいも増すというものだ。ジャンヌ・モローって、こんなにいい女だったか!! という発見(?)もあって、なおよろしかった。

チラシを読んで知ったのだが、公開はわたしが生まれる前年で、ルイ・マル監督は、撮影当時まだ25歳。なんと早熟な才能であったことか。ずいぶん前に他界したことは知っていたが、亡くなったのは1997年(63歳)であったらしい。わたしが、基地受け入れの是非を問う名護市民投票(結果は、反対票が過半数!!)の取材で、名護市東海岸での長期取材に乗り出した年。ただの偶然にせよ、想いは深まった。

※『死刑台のエレベーター』は、12月31日まで。毎日夜1回のみ上映。

映画や本やアートから刺激を受けると、それがどんなに重いテーマの作品であっても、わたしは元気になる。なるべく頻繁に(といっても限度はあるが)桜坂劇場へ通いたい、と久々にしみじみ思う夜だった。

発売中の「週刊現代」新年合併号の読書欄では、ノンフィクション作家の大先輩・後藤正治さんが書いた『清冽 詩人茨木のり子の肖像』(中央公論新社)を紹介させてもらっている。「400字で簡潔に批評せよ」という無理のある(笑)コーナーなのだが、この本と出会えたことの意義と幸運を、一所懸命400字に込めさせてもらったつもりである。皆さんも、ぜひ、『清冽』を手にとってみてください。

きょうは、今年最後の雑誌原稿を書く日。短い原稿ではあるが、命を張って戦っているボクサーたちに向ける批評なので、これを書くときはいつでも、おのずと身の引き締まる思いになる。

それからきょうは、リアルタイムで見られなかった録画映像をネットで観よう。フォーラム「沖縄は、どこへ向かうのか」を沖縄オルタナティブメディアのサイトで、それからこのところの琉球キングスのアウェー・ゲームの戦いぶりをbj-tvで、しっかり観たい。


というわけで、クリスマスイヴなる名称の夜は、いつもながらわたしにはあんまり関係ない慌しい年の瀬である。

でも、この夜が大好きな皆さんのために、ちょこっと呟いておきましょう。
メリー・クリスマス。




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Posted by watanatsu at 09:51 │芸能・芸術