【PR】

  

Posted by TI-DA at

2012年11月27日

大反響のドキュメンタリー『標的の村』が、1時間枠で拡充放送!!

これは5日ほど前に、Facebookに載せた一文ですが、『標的の村』拡充版・新編の放送日(12月1日)が迫ってきたので、ブログでも告知したいと思います。
ゆたさるぐとぅ うにげーさびら。よろしくお願いいたします。

                     *


沖縄には「磁場」のようなものが間違いなくある。
沖縄に魅せられ引き寄せられて住む人がいる。
その人は、沖縄のために働きたいと願ったり、決意したりする。
その人は、実際に必死に働いて、沖縄のために貢献していたりする。
その代表選手が、有能なTVキャスター&ディレクターの三上智恵だ。
直接の面識ができてからはまだ数年だが、現在のわたしにとって尊敬できる大切な友人のひとりである。

彼女が制作して高い評価を得ているドキュメンタリーは数々あるが、最近の『標的の村』も価値ある作品のひとつ。30分から60分枠に拡充された新編の放送が決まっている。
12月1日(土)午後4時。QAB琉球朝日放送『標的の村 国に訴えられた東村・高江の住民たち』
沖縄ローカルでの放送だというが、30分番組のほうは全国各局でのアンコール放送も決まったみたいである。
新編も、ぜひ全国放送してほしいものである。
http://www.qab.co.jp/village-of-target/






                     *
以上が当方のFacebookページに書きこんだ紹介文。
以下に、三上ディレクターの文章を、QAB琉球朝日放送ホームページより引用紹介します。
                     *


高江の子らの涙の上にある安堵を味わうのは誰なのか

琉球朝日放送 報道部 三上智恵


「本当にオスプレイ来ちゃった、やだよぉ〜!」10月1日、普天間基地のゲート前。湧き起るオスプレイ帰れの怒号の中、高江の子供たちが泣き叫んだ。

この6人兄弟の家は東村高江に建設中の米軍のヘリパッドから400Mしか離れていない。そこに事故が多いオスプレイが来ると聞き、父親の安次嶺現達さんらが座りこみを始めたのは5年前。

ところが間もなく国に「通行妨害」で訴えられてしまった。突然被告にされた15人には、妻と当時7才の娘まで含まれていた。国が、国の方針に従わない民に圧力をかける前代未聞の裁判。娘の海月ちゃんは「私も刑務所に入るの?」と怯えた。

反対運動などすれば、ひどい目に遭うぞという恫喝裁判の一方で、ヘリパッドの建設を進める国側は住民に「ここにオスプレイが来ると聞いてない」と言い続けたが、米軍の資料で高江には年間1200回飛来することが判明した。


沖縄は、一体どこまで欺かれ続けるのだろう?地上戦で焼かれた先祖の土地。いつしか自分の土地に入れば米軍に捕まり、今は日本国に罰せられるようになった。声を上げれば裁判にかけられる。この国の法と仕組みは一体誰のためなのか? 

95年の少女暴行事件の怒りを受け、政府は普天間飛行場の返還を約束したはずだ。ところがそれさえオスプレイの配備を睨んだ海上基地建設への方便だった。

しかも辺野古の基地建設が進まないことに業を煮やした政府は住宅密集地の普天間に強引にオスプレイを飛ばした。これはもはや機種の問題ではない。今回の配備強行は17年に及ぶ政府の欺瞞の象徴であり、復帰40年を経てなお、沖縄問題は軍事的植民地の棄民政策でしかないことを決定づけるものだ。

配備前夜、県民は始めて普天間基地を22時間封鎖に追い込んだ。台風17号の暴風の中、4つのゲートの前に身を投げ出した人々や、そこに襲いかかる警察の姿は全国ニュースからはほぼ黙殺されたが、始めて基地に出入り不可能になった米軍は動揺を隠せなかった。

コザ暴動以来の抵抗を目の当たりにした私も、積年の涙を止めることができなかった。そんな抵抗も空しく、オスプレイはやってきた。三日後にはついに高江上空に浮かび、5年余りの座りこみの日々を切り裂くように、縦横無尽に低空飛行をした。


絶望する大人の横で、11才になった海月ちゃんは言った。「お父さんとお母さんが頑張れなくなったら、私が引き継いでいく。私は高江をあきらめない」。オスプレイの存在に安堵する国民がいる。その安心は高江の子らの涙の上に成り立っている。


                       *

沖縄には良心を失っていないジャーナリストがたくさんいる。
思考停止のまま沖縄を踏みつけ続けている東京のメディア人よ、少しは沖縄のメディアの爪の垢でも煎じて飲んで、目を覚ましたほうがいい。

高江の状況については、「やんばる東村 高江の現状」をチェックされたし。
http://takae.ti-da.net/

  


Posted by watanatsu at 23:59お知らせ

2012年11月27日

森住卓さんの高江応援カレンダー。

チェルノブイリの報告や、あるいは福島原発被災地の精力的取材でも知られているフォトジャーナリストの森住卓さんは、じつは、オスプレイ用ヘリパッド建設の強行工事が問題になっている沖縄県東村高江の集落に通い続けている人でもある。

わたしと森住さんとの接点はというと、1997年暮れの基地建設の是非を問う名護市民投票から年明けの名護市長選にかけての時期、写真週刊誌『FRIDAY』で仕事をご一緒させていただいたところへ遡る。もちろん記事は、辺野古に(普天間の移設と称して)海兵隊基地を造るなんて許されない、という趣旨で編まれた。写真が森住さん、文章はわたしだった。もう15年も前の話である。名護東海岸瀬嵩の集落の『海と風の宿』に同宿したことは良き思い出である。

それからというもの、森住さんの活躍は遠くから眺め、心から応援させてもらっていたが、去る9月9日、「オスプレイ配備に反対する沖縄県民大会」の会場の宜野湾海浜公園で再会することができた。当方が声をかけさせてもらってから、しばらくして、森住さんにも、なんとかわたしのことを思い出してもらえたようであった。

これを偶然とは呼ばない。僭越な物言いかもしれぬが、繋がるべき人とは常に繋がっている、という話だと思っている。

その森住さんからメールが送られてきたので、転載します。

                   *


高江の人々のくらしと闘いを撮影始めて6年が過ぎました。
2013高江応援カレンダー近日発売されます。
写真森住卓「ヤンバルで生きる」A4版(1000円 発行(株)たびせん つなぐ)
売り上げは高江の住民の会にカンパします。
申し込み 311311@morizumiphoto.sakura.ne.jp
沖縄県東村高江。ヤンバルの森。ヤンバルクイナやノグチゲラなどたくさんの貴重種が生息する東洋のガラパゴス。
この森の中に米軍の北部訓練場がある。ゲリラ戦やサバイバル訓練など連日激しい人殺しの訓練が行われている。
この基地に取り囲まれて人口160人の小さな集落がある。ここにヘリパットの建設が日本政府によって工事が強行されている。
住民は緑豊かなヤンバルの自然の中で子育てしたいと願っている。だが、当たり前の願いが踏みにじられようとしている。
最近、普天間基地に配備されたオスプレイも連日低空飛行している。墜落事故の危険がさらに増した。
住民は身体を張ってヘリパット建設に反対を続けている。
ブログでもたびたびそのレポートをしています。http://mphoto.sblo.jp/





                   *

カレンダーの売り上げは、「ヘリパッドいらない高江住民の会」へのカンパになるということです。
じつはフェイスブックでは、このカレンダーの情報を、すでに勝手にシェアさせてもらっているのだが、改めてブログでも、ささやかながらの告知協力である。

全国の皆さん、わたしからも、ぜひよろしくお願いします、と申し上げます。
  


Posted by watanatsu at 13:40お知らせ

2012年11月25日

「満月まつり」に酔いしれて。

この月末で、ブログを始めて3年半になることに、さっき気づいた。
いわゆる「ブログ管理画面」を見て、アクセス総数が36万回を超えていることにも気づいた。大雑把にいえば、年に10万アクセスを超えるペースである。もっとも日に二度、三度と覗いてくれる方もあるらしく、正味の訪問者数は、アクセスの半分ぐらいの数字である。
この数字が驚くほどのものではないことは知っている。世の人気ブログにはこの何十倍、何百倍ものアクセスがある。しかし、わたしにとっては、やっぱり凄い数字だ。親しき編集者の勧めがあって、機会オンチ・WEBオンチのわたしが、見様見真似で始めた3年半前、正直なところ、友達10人ぐらいは読んでくれるかなぁ、という心境だった。それが、沖縄と東京のみならず、全国の方々が読んでくださっている。ありがたい。

で、この機会に(?)ブログ開設当初の記事を読んで、顔から火が出る思いをした。
口先男もいいところだった。時間は嘘偽りのない「証人」である。
有言不実行を自分で暴露しているようなもんだが、事実なので仕方がない。反省あるのみ。

たまには自分で自分にヤキを入れにゃならんと思う。
敬愛する表現者にして私生活では大恩人の写真家・石川真生さんhttp://blog.livedoor.jp/ishikawamao/の名言の数々に日々叱咤激励されているわたしだが、ほんの二言、紹介しておこう。

「女に二言はない。やると決めたらやるっ」
「人間、正直が一番よぉ。嘘はどうせバレるんだから」

三言も四言もある男は誰ぞ。深く肝に銘じる本日のわたくしめである。
当ブログに奇特な読者がおられる限り、これからは初心に帰って、偉そうなことは言わず、身辺雑記でも告知なんでもかんでも、Facebookとの重複なども気にせず、まとまった文章でなくとも気にせず、前後の記事との整合性なども気にせず、徒然なるまま綴っていこう。実際、Facebookなんかさわったことないという読者が複数おられることが判明しているのだ。あるいは時間があいてしまってからの「続編」は、その都度、そうわかるように書けばよいさぁね。というわけで、どこまでも己に甘いわたくしめである。

                     *

さっそくですが、ツイッターやフェイスブックで昨晩お知らせしたこと、朝のうちにまとめて書いておきまする。

昨日の午後、携帯(スマホ)を落としたわたくしめであります。それを発見して保管してわたしに連絡する、という連係プレーをハンドボールの琉球コラソン関係者及び友人がしてくれました。本当に助かりました。本当に本当にありがたいことでした。

しかし、本日、琉球コラソンの試合前後の時刻までは、携帯は通じないと思います。昨日携帯へ連絡を下さった方へのお詫びをこめてのお知らせでした。どうかご寛容ください。

                     *

以下に、今朝フェイスブックに載せた「つぶやき」と写真を転載します。(一部補足修正あり)

                     *






昨日は午前1時に目覚めたが、本日は午前1時就寝で午前4時起床。うーん、二度寝が怖い朝である。
昨日の「満月まつり」(一年に一度のこのお祭り、14回目にしてようやく初参加!! 月は十一日のそれだったが、豪華メンバーのライブが進むにつれて天空高くへ上っていき、美しかった)のおかげで、脳ミソがまだ火照っているのかもしれない。クルマの運転があるので完全ノンアルコールで音楽やフラダンス、エイサーを楽しませてもらったのだが、懐かしい人たちとの再会、海外在住のFacebookお友達との意外な初対面などなどいろいろあって、見事に酔った。酔いしれた!!!(^^)。珍しく土曜夜の琉球キングス・ホームゲームをあきらめて行っただけの甲斐があった(スマホ紛失事件のため駆けつけるのが遅れて、お目当てのミュージシャンのステージが一部聴けなくて残念ではあったが・・・)。→満月まつりブログ→http://mangetsumatsuri.ti-da.net/

写真は、UAのステージ。良かった!!

きょうも、ワンコたちとウォーキング→午前中は浦添市某所での会合→宜野湾市立体育館でbjリーグ「琉球ゴールデンキングスvs.ライジング福岡」(13時試合開始)→浦添市民体育館で日本ハンドボールリーグ「琉球コラソンvs.大同特殊鋼」(16時試合開始)。

すべて集中力が必要なので結構体力も使いそうである。
本日も今週も、ありがたいことにいろんな催しへのお誘いを頂戴しているのだが、個人的な理由でほとんど失礼させていただくことになりそうである。今書きたい・今こそ書いておかねば、と思える仕事が眼前にあるのと、ブログ更新も重ねたいのと、極貧状態が続いているのと、・・・理由はいろいろあるが、これがただ今現在の己の必然の運命として受け止めている次第。皆さま、付き合い悪くてすみません、ご寛容ください。またほんの少し断酒期間に入ります(己に言い聞かせるがごとく・・苦笑・・迷いを振り切り・・再苦笑・・キッパリ♪)。

                   *

では、良き日曜日をお過ごしください。
  


Posted by watanatsu at 08:46身辺雑記

2012年11月23日

ボクサー翁長吾央の「再スタート」の試合に立ち会えた喜び。


11月21日(水)にフェイスブック上https://www.facebook.com/natsuhiko.wataseで3回に分けてアップした記事です。嬉しい出来事なのでブログにも載せます。
フェイスブックでご覧いただいた方も、このほうが読みやすいかと思います。

                         *




11月18日。沖縄コンベンションセンターで、太平洋拳闘列伝・沖縄対決と銘打たれたプロボクシング大会が行われた。わたしが観たのは8試合中6試合だが、そのすべてを書こうとすると大変なことになるので、ここでは、二つの試合、というか、二人のボクサーに焦点を絞って記したい。日曜の夜につぶやいた「何が嬉しかったか」の部分について書こう。

まずは、翁長吾央(沖縄尚学→東洋大→沖縄ワールドリングジム→大橋ジム)である。

彼は高校時代全国優勝(しかも、インターハイ、国体、全国選抜の三冠)を果たし、大学時代も世界ジュニア選手権の日本代表に選ばれたり、2部リーグから1部への昇格への原動力となったり、4年時には主将も務めている。そのまま職員として大学に残りオリンピックを目指す道も用意されていたが、翁長はプロの道を選んだ。

わたしが彼と出会ったのは、そんな大学卒業間際の時期。那覇市内のとあるビジネスホテルの大浴場で一緒になったのだ。そこには東京のある大手ジムのトレーナーもいて、「翁長の今後が楽しみ」談義になったのをよく覚えている。彼はいま32歳だから、10年前ほど前の出来事になる。彼は様々な選択肢の中から、地元沖縄のジムに所属することを選んだ。(つづく)




(→つづき)翁長吾央の試合は、プロデビュー戦(2003年6月、沖縄県立武道館)から観ている。センスを見せつけ相手を圧倒しての1ラウンドKO勝利。そこから彼のプロキャリア22戦のうち半分は生で観戦しているはずだ。沖縄のジムにいる間は、多くの時間を彼と過ごしている。横浜の大橋ジムへ移籍する経緯も、とてもひと口に言い表せないものがある。

2006年地元沖縄にニカラグアからバリバリの世界ランカーを呼び、結果的に世界ランキング入りを果たすことに成功した試合も、忘れられない。当日の開始予定時刻直前になっても試合が実現できるかどうか、どちらに転ぶかわからないというギリギリの危うい局面を知ってしまったわたしは、僭越ながら取材者としての境界線を踏み越えて、試合成立のために思わず関与したほどである。本当にいろんなことがあった。その後なかなか試合に恵まれず苦悩する姿も、リアルタイムで目の当たりにしてきた。

そんな彼が、大橋ジムに移籍したと聞いたとき、チャンスに恵まれることが想像できて、素直に喜んだものである。しかし、である。このところの彼は、東京のボクシングの聖地・後楽園ホールで結果を残せていなかった。

2010年に日本スーパーフライ級タイトルマッチでは、佐藤洋太に敗れた。




(→つづき)翁長がTKO(負傷ドクターストップ)負けを喫した相手の佐藤洋太(協栄ジム)は、その後世界王座に就いている。
翁長は今年3月にも日本タイトル決定戦に臨んだが、これも相手のラフファイト気味の攻撃をさばききれず、僅差判定負けで王座獲得はならなかった。

本来なら、とっくに世界タイトルマッチをやっていなくてはならない選手である。けれども彼は、いわゆるスランプに陥った。わたしはファン心理ゆえに、厳しいメッセージメールを、彼の携帯へ送ったこともある。もちろん、本領発揮できぬ彼の現状に歯がゆさを覚えていたからだった。君はそんなボクシングをしていて満足なのか、という思いがあった。
そして去る日曜日は、3月の日本タイトルマッチの敗北から数えて、じつに8ヵ月ぶりの再起戦のリングだったのだ。

2ヵ月間、彼は主に琉球ジムで汗を流した。療養中の父親の看病を兼ねての地元での長期滞在だった。このところのわたしはなかなかジム見学に足を運ぶことができず、久しぶりに翁長と会ったのは、ジュンク堂書店那覇店での新垣譲さんの著書『勝利のうたを歌おう  沖縄人ボクサーは何のために闘うのか』(ボーダーインク刊)の刊行記念トークイベント会場でのことだった(翁長は、新垣さんが描いた6人のボクサーのうちの一人である)。

その数日後には練習も見学できたが、動き自体がうんぬんより、かつての自信に満ちた表情に出会うことができて、ホッとしたものである。
そうして迎えた久しぶりの、大切な試合。地元放送局のカメラが一社も来ていないのが残念だった。彼のボクシング人生のなかで、とても重要な試合である。前日、とあるスポーツ取材の現場で複数のテレビ局関係者(スポーツ担当者)に訊ねたところ、試合があることすら知らなかった。「早めに働きかけてくれたら対応できたのに」という人もいたので、とても残念に思った。これは、主催者側への批判になってしまうかもしれないが、事実なので、あえて苦言を呈させていただいた。次回、考慮していただきたい。

試合内容が良かったゆえに、ここまで言いたくなったのかもしれない。

フィリピンの国内ランカー相手に、カウンター気味の左ストレートを連発して、2ラウンド1分15秒TKO勝利。玄人ファンの間からは、サウスポーの翁長特有の速い右ジャブ、右フックをもっと観たかったという声もあがるかもしれないが、本人は左ストレートの感触に手応えを得て、自信が持てたに違いない。
わたしは試合後本人に話を聞く前に所属ジムの大橋秀行会長(日本プロボクシング協会長でもある)に駆け寄り、感想を求めた。すると。
「大橋ジムに来てから、一番いい出来でした。自分のボクシングがきょうはできていました。このところの試合では、バタバタ空回りしていましたが、これなら日本チャンピオンぐらいすぐなれます」
わたしは問うた。
――では、またチャンスを与えられると?
「日本タイトルか東洋太平洋タイトルか、もちろんチャンスをつくりたいと思います。地元の沖縄で心機一転、いい流れがつくれてよかったと思います」
笑顔だった。

大橋ジムの松本好二トレーナーは、「こっちで落ち着いて練習できたのが良かったんじゃないでしょうか。きっとこちらの指導が良かったと思います」と、傍らに立つ琉球ジムの仲井真重春トレーナーを立てていた。仲井真重春トレーナーは、この2ヵ月間、翁長の強いパンチをミットで受け続けた男である。翁長より年下だが、言うべきことは言いつつ、良い練習を積み上げてきたはずである。

サポートを惜しまない人たちに、彼は囲まれている。
そう思えて嬉しかった。

最後に翁長本人の弁。
「相手は意外にパンチ力があって、頭に一発右フックもらってびっくりしましたけど、相手のパンチ自体は見えてました。最初はガードを固めていたけど、途中から甘くなったので、ワンツーがきれいに入りましたね。久々に手応えがあって、KOできたので安心しました」

大橋会長も翁長にこう告げていた。
「あれでいいんですよ、あのストレートですよ」

翁長吾央の「再スタート」の瞬間に立ち会えた。
そう思えて嬉しかった。

(この項、了。次は、中真光石選手について書きます)

(文中一部敬称略)
  


Posted by watanatsu at 09:45スポーツ

2012年11月22日

国境の島・与那国島の現状に目を向けてください!!

当初考えていた予定を変更して、与那国島の自衛隊配備問題についてアップします。
(※当ブログ記事の最後に、「与那国島の明るい未来を願うイソバの会」 http://isobanokai.ti-da.net/ による「公開質問状」を全文引用紹介)

                         *

哀しい現実が、自然豊かな平和な島に住む人びとの心を乱しつづけている。

いまだに、与那国町議会の与党議員(与那国防衛協会幹部を含む)の皆さんは、この重要な問題について、冷静かつ活発な議論をするつもりがないのだろうか。

わたしは自称「与那国ファン」の一人だが、あまりにも情けない状態が続いていると指摘せざるを得ない。

現状での自衛隊配備は、百害あって一利なし、と断言できるのだが、与党議員の中にもそのことに気づいている人がいて、それで議論を避けているのかとさえ、勘繰りたくなる。

当たり前のことを書くようだが、軍国主義者が平和をつくるなんてことは不可能な話である。
石原慎太郎という名の暴走知事(当時)が、尖閣諸島を都有地にしたいと狂った叫びをあげて中国を刺激し始めてから、沖縄県民を含め、どれだけ多くの人が迷惑していることか。
しかも、その狂った意思表明したのが、日本を巧妙に操りたいと思っている米国右派シンクタンク、ヘリテージ財団の主催シンポジウムなのだから、笑っちゃいかんが失笑は禁じえない。この無責任老人が、こんどは国政へ、しかもあの橋下市長と手を組んで頑張るぞというんだから、世も末である。いや、厭世気分に苛まれている場合ではない。こんな輩をのさばらせてはいけないと強く思う。

この問題で瑞慶覧長敏衆議院議員(当時は民主党、後に離党)と意見交換させていただいたとき、瑞慶覧氏はこう嘆きつつ語っていたものである。
「普天間問題に関心を持つ人は民主党内にもかなりいますが、与那国の自衛隊配備となると、国の防衛は大事だよ、のひと言で終わらせてしまう人が多いのが現実です。わたしはもちろん、与那国の民意と同じで、配備には反対です」

国の防衛、国防を叫んでいる者が、平気で他国民を虐殺することは、このところのイスラエル軍の蛮行を見れば明らかである。大日本帝国が起こした戦争、ベトナム戦争における米国による大虐殺・・・、いちいちあげればキリのない歴史上の戦争は、それぞれの国のそれぞれの「正義」の名のもとに、「国を守る」という大義名分のもとに、繰り広げられた蛮行でしかない。

愛国心などという言葉にも惑わされたくない。どこでどう頭の回路を故障させれば、愛国心=軍備増強、となるのか。
本当に国を愛する者ならば、戦争の準備をする前に、徹底的に外交努力によって、あるいは国民間の交流を深めて、平和を構築しようとするだろう。

少し話を広げてしまったが、与那国島の周辺に「中国の脅威」があるなどと騒ぎ立てるのは、頭の回路が故障してしまった者たちが、ある意味ではそのように洗脳されて思考停止の状態の者たちが、無理矢理つくりあげようとしているフィクションにすぎない。

断言するが、与那国島に自衛隊配備なんかしなくても平和は保たれる。
いや、配備しない方が、平和の構築に結びつく。
周辺海域の警戒は、海上保安庁の機能強化で対応すべきである。

与那国島の心ある住民たちが望んでいるのは、自衛隊誘致(外間守吉町長の主張は、過疎を食い止め、島の活性化のために必要だということ)などに頼らない、自然豊かな平和な環境を生かしながらの、本物の自立を目指した島おこしである。

目先の利権(それも微々たるものだ)に目がくらんだ人たちと真性右翼軍国主義者とが手をにぎって与那国町のかじ取りをするとしたら、これは大変なことである。国(防衛省)と防衛族議員は、すでに巧妙に彼らを手なずけているフシがある。

与那国の住民を孤立させてはいけないと強く思う。
今年、『世界』(岩波書店)の2月号と4月号で与那国の自衛隊配備問題をリポートしてから、じつは与那国へ通えていない。
「極貧暇なし」の状況が続いているからだが、内心忸怩たるものがある。しかしわたしは「自衛隊配備などで心を痛めつけられることなく心豊かに普通の生活を送りたい」、そう思っている与那国の人たちを、心の底から応援したい。

最後になったが、自衛隊誘致に反対する住民のグループ「与那国島の明るい未来を願うイソバの会」による、誘致推進派の町議会与党議員に対する公開質問状を、以下に全文引用したい。イソバの会のブログのURL(アドレス)を張り付けただけでは、読むことができない読者もおられると知っているので、長くはなるが、そうさせていただく。URLをクリックできる方は、ぜひ直接、イソバの会のブログをご訪問ください。→http://isobanokai.ti-da.net/e3605468.html

                       *


2012年11月21日
公開質問状を送付

  久しぶりの更新になりました。
 
  イソバの会のメンバーそれぞれ忙しくしていまして、なかなか記事が書けませんでした。

  11月20日自衛隊基地誘致に賛成しておられる町議会議員4名に、公開質問状を送りました。

  「住民投票は,議会制民主主義の崩壊につながる。」と条例制定案を否決された議員さん方に、

  町民の代表者として、しっかり自分の言葉で(防衛省の言葉でなく)基地誘致のメリット、デメリット

  を説明していただきたいものです。

  はたして全議員さんの回答がもらえますでしょうか!

  期日は27日としております。回答も掲載いたしますので、みなさんも楽しみにしていてください。




                                       2012年11月20日

 与那国町議会議員
   前 西 原 武 三 様
   崎 原 孫 吉   様
   糸 数 健 一   様
   嵩 西 茂 則   様

                        与那国島の明るい未来を願うイソバの会
                                  共同代表 稲 川 宏 二
                                         狩 野 史 江
                                         山 口 京 子


      自衛隊基地配備についての公開質問状

 9月24日の与那国町臨時議会において、議案「自衛隊基地建設の民意を問う住民投票条例案」が審議され、採決の結果、反対議員3、賛成議員2で否決されました。本議会では、採決に先立ち二人の議員による賛成討論と三人の議員による反対討論がおこなわれました。
しかし、賛成・反対討論に引き続き質疑応答がおこなわれるものとおもっていましたら、質疑応答なしですぐに採決されました。私たちは、質疑応答で問題点が明らかになると思っていましたので、非常に残念でなりません。
また、外間守吉町長が住民投票を実施の方向で考えてほしいと意見をつけて提案されたのは、544人の署名の重さを物語っていました。ところが、議会では「住民投票は議会制民主主義の破壊」などというあらぬ言いがかりをつけて否決されました。与那国町議会は、賛成・反対討論だけで、十分な審議を尽くさず議決されたことこそが、議会制民主主義を蹂躙する暴挙に他なりません。
つきましては、自衛隊基地配備を進めようとされている議員の皆さんに質問させていただきます。
この質問については、11月27日までに文書でご回答いただきますようお願いいたします。ご回答のない場合は、私たちの質問に答えをもたれていないと考えさせていただきます。
なお、この質問及び回答は公開させていただきます。
町民から選挙で選ばれた議員として、真摯な回答をいただけることを信じています。


質問1 住民投票条例案が否決されたことにより、自衛隊基地配備の賛否で町民を二分する激しい対立が解消されず、地域の分断と混乱が生まれています。今後のまちづくりへ町民のまとまりがどうなるか心配と不安が広がっています。こうした対立と混乱は町民同士にとどまらず郷友会、観光客など与那国島を愛する人々の間にも生じています。この状況をどう受け止めますか。また、対処策を持っておられるでしょうか。見解をお示しください。
さらに、復帰後40年間、与那国町に配備計画されている沿岸監視部隊を含む自衛隊基地がないことで与那国町の発展にとって不都合があったでしょうか。もしあるとするならば、具体的に示してください。


質問2 誘致派の議員の反対討論の中で「与那国に配備される沿岸監視部隊というものは、人の体にたとえると目や耳の部分に当たるものである。ドンパチするわけではないので心配は要らない」という発言がありました。万が一紛争が起こると目と耳の部分は最初に攻撃目標になるのではないでしょうか。そんな危険な部隊を誘致しようとする見解をお聞かせください。


質問3 基地を配備することによる与那国町への経済効果があると主張されていますが、どのような経済効果があるのでしょうか。経済効果の内容と、金額を具体的に示してください。
2011年10月25日の衆議院安全保障委員会で、「沿岸監視部隊に対する調整交付金はない。過去には北海道羅臼町で道路改修工事1件(3/4補助、1/4町負担)があっただけ。」と防衛省が答弁しています。これでは与那国町は基地に関連する公共工事などは期待できません。かりにいくらかの工事が発注されるとしても、島内の業者は防衛省の事業を請け負うことはできないと聞いています。解決策があるなら公に島内事業者に示してあげてください。


質問4 「人口減少の歯止め策として基地を誘致する」といわれていますが、全国的に基地のある地域は人口が減少傾向にあります。与那国町はその例外なのでしょうか。また、人口増加への施策は自衛隊基地誘致以外にないのかも含めて、その理由と根拠をお示しください。


質問5 誘致派の皆さんは、異口同音に「住民投票は議会制民主主義の破壊だ」と発言されていました。民主主義とは徹底的な議論をしつくした上で、賛否を問うことです。なかでも全住民による住民投票での解決は、民主主義の最高の手法といわれています。
    与那国町では、住民説明会はしない。町議会では賛否の討論はあっても、質疑応答がされない。こういう多数の横暴こそ議会制民主主義の破壊の根源です。真の議会制民主主義についての見解をお聞きします。


質問6 戦後60年を経ていまだに全国に米軍基地が置かれ続けています。現在、日本には、133件の米軍基地があります。その中でもひときわ米軍基地が集中しているのが沖縄です。日米地位協定のもとで日本の自衛隊基地を日米共同で使用することが義務付けられています。また、県民の総意を踏みにじり、強行配備されたオスプレイはその訓練飛行で日米合意違反を繰り返しています。今月4日からは日米共同統合訓練が実施されていますが、米軍に対する所見、及び米軍の八重山諸島への進出の可能性について見解を示されたい。

          
                                
                                   以上





沖縄県民のみならず、全国の皆さんのご理解を願い、心あるメディア関係者の皆さんの、事の本質に迫る報道を、僭越ながら、強く望みます。わたしもささやかながら努力していきたいと思います。与那国島の住民を孤立させることがあってはいけないと思います。与那国島を本土の、そして沖縄の、「捨て石」にするようなことは、絶対にあってはならないと思います。

  


Posted by watanatsu at 09:29時事問題

2012年11月18日

スポーツ礼賛。琉球キングス、琉球コラソン、ボクサーたち!!

昨夜は、スポーツの恩恵にあずかった。
ダウン気味だったテンションも見事に回復した。
やっぱりスポーツ観戦は、己の元気の源である。
きょうも、様々なイベントが集中する日曜日。躰がいくつあっても足りないけれど、おかげさまで、また一日頑張れそうである。

わたしが注目している本日のスポーツイベントは、

◇琉球ゴールデンキングスvs.大分ヒートデビルズ第2戦。18時試合開始、沖縄市体育館(コザ運動公園)。
◇プロボクシング大会(旧知の翁長吾央選手ら出場)。14時半開始、沖縄コンベンションセンター(宜野湾)。
◇FC琉球・今季最終戦(vs.MIOびわこ滋賀)。13時試合開始、沖縄市陸上競技場(コザ運動公園)。
◇琉球コラソンvs.トヨタ紡織九州。13時試合開始、山梨県甲州市塩山体育館。
◇沖縄県高校野球新人中央大会準決勝(雨で順延の1試合)・小録vs.糸満。10時開始。宜野座球場。

といったところ。

熱烈応援しているハンドボールの琉球コラソンは、第2のホームタウンと呼ぶべき山梨県(水野裕矢代表と水野裕紀主将の出身地)でのゲーム。飛んで行って応援したいところだが、そうもいかない。健闘を祈る!!

日本ハンドボールリーグは、このところミスジャッジが目立つ。先週アウェイで強豪トヨタ車体と戦った琉球コラソンは、試合終了間際のゴールで同点として勝ち点1をあげたかに見えた(審判は2度もゴールを認めるジェスチャーをした)のだが、なんと相手チーム(ホーム)の抗議に従って、マッチバイザーが最後のゴールを取り消すという奇怪な判断。それに対してコラソン側が激しく抗議したのも当然だが、この結果はついに覆ることはなかった。

かつての「中東の笛」など笑えぬ、日本リーグの大失態だと思った。ああこれでは、ハンドボールはメジャーにならんわい、と内心では悪態をついたほどである。

けれども、わたしは選手たちに気持ちを切り替えてほしい一心であった。次の試合(本日のトヨタ紡織九州戦)を勝って、見返してやろうよ、という思いが強かったのだ。(よって、何人かのチーム関係者に対して、判定への不服に同意し、「励まし」の反応をしたのみである。)

日本ハンドボールリーグ自体は、まだまだ改革の余地だらけの組織だと思う。選手たちに罪はない。関係者の意識変革と具体的なシステム改革を強く望みたい。

というわけで、山梨まで飛ぶことはできないが、精一杯、「気」を送ろう。ちばりよーっ、コラソン!!

さて、昨夜のわたしを元気にしてくれたのは、、琉球ゴールデンキングスのゲームだった。
であるからして、感謝の意を込め、キングス絡みで昨日フェイスブック(ツイッターからの連動含む)に掲示した走り書きと写真をここにも載せます。身辺雑記的近況報告の意味も含めて。

                          *


じつはきょうは思ったように作業がはかどらず凹んでいる。雨降りで寒いし、体調が芳しくないのは不規則な生活が祟っているのか、それとも貧乏のせいか(苦笑)。いやこれは単に気圧のせいに違いないと思うことにして、せめて一日の締めくくりに、琉球ゴールデンキングスに元気をもらってくることにする。今季負けなしのキングス。今日勝てば、球団史上タイ記録の9連勝。あした勝てば球団新記録の10連勝。スポーツの世界、ただ勝てばよいというもんではないが、観ればが元気がもらえるとわかっているので、わたしは
できる限りこのチームのゲームに立ち会いたいと思うのである。沖縄市体育館にて、今季好調を維持している大分ヒートデビルズ(08-09シーズン優勝時の功労者・澤岻直人選手がポイントガードとして活躍中)との一戦。19時開始。さて、はかどらなかった作業をいさぎよく(?)すべて放り出して、出かけてしまうのである。ごめんなすって!!

(写真は、10月27日キングスのホーム開幕戦、入場セレモニー時の沖縄市体育館の様子)






早めに出たはずが、途中渋滞でギリギリセーフ。小菅の3ポイントで始まった。並里も決めて、大分に5対0なう。




‎1Q終わって琉球キングス21対22大分ヒートデビルズ。激しい攻防。さすが首位争いのゲーム。



‎3Q終わって、琉球キングス60対64大分ヒートデビルズ。一時9点ビハインドだったが、キングス追い上げ中!



‎82対82の試合終了間際、並里成が3ポイントを決めて、琉球キングス勝利!これで開幕9連勝。




優れた演劇やコンサートを堪能したときのような、カタルシス(浄化作用)を得た。

これだから、キングス・ファンはやめられない。もちろん琉球ゴールデンキングスだけが凄かったのではない。大分ヒートデビルズの強さが、良きゲームを成立させてくれたのだ。みんなに感謝だ!

予期していた以上に、元気をもらって帰ることができる。体調不良も吹っ飛んだ。あしたも頑張れそうだ。





さて本日のわたしの行動は、これからワンコたちとウォーキングをして、プロボクシング大会(宜野湾)から琉球キングス・ホームゲーム(コザ)へのハシゴ。FC琉球の最終戦も大いに気になるが、あきらめよう。途中、9人の写真家の連続写真展「沖縄で/写真は」(沖縄市のM&Aギャラリー)も本日が最終日なので、ぜひ寄りたいと思っているのだが、はてさてどうなりますか。

ボクシングでは、メインのWBCユース・バンタム級タイトルマッチなどもさることながら、個人的には、このところ良い結果を残せていなかった翁長吾央選手の久々の試合に注目している。他のウチナーボクサーたちの健闘も、もちろん祈っている。
残念なのは、主催者側の広報努力が足りないことだ。昨日知り合いの放送局スポーツ担当者(複数)に訊ねたら、ボクシングの大会が開催されることすら知らなかった。どないなっとんねん、である。命を張って戦っているボクサーに罪はないのに・・・。

琉球キングスは、昨日の借りを返そうと気を引き締めて臨んでくる大分ヒートデビルズ相手に、一層厳しい戦いを余儀なくされるのではないだろうか。それでもこの一番を乗り越えて、10連勝の球団新記録を達成でもすれば、チームはますます自信を得ることになるだろう。遠山向人ヘッドコーチは、昨夜の会見で「ファンの皆さんのおかけで勝てました。あしたはもっと皆さんに喜んでもらいたいと思います」と語っていた。



大分の澤岻直人について訊かれた並里成は「先輩、凄いですね。行くとこは行く、行かないとこは行かないとか、ゲームコントロールの仕方が勉強になります」と先輩(実際、コザ中学の先輩後輩なのだ)を立てていた。(写真、ピンぼけで失礼)



きょうも二人のマッチアップ、激しいつば競り合いは見どころのひとつである。











本日も心ゆくまでスポーツ観戦を楽しみ(取材ではあるのだけれど)、元気をもらってきます。
皆さまも、良き日曜日をおすごしください。
  


Posted by watanatsu at 11:28スポーツ

2012年11月17日

橋下市政の大阪で起きた「脱原発運動」弾圧の異常。

予定変更で恐縮ですが、Facebookに走り書きをしつつ情報共有を図った事柄についても、時々は、ブログにアップしたいと思います。
けさはこのことを書きました。映像も貼り付けます。

                      *


この国の権力者は、恐ろしい道へ国民を連れて行こうとしている。
権力側にとって都合の悪い活動をする人間を、狙い撃ちして、警察がしょっぴく。
基本的人権も言論の自由もあったもんじゃない。
こんなことが許されてよいはずがない。
治安維持法で国民を戦争へと総動員していった時代とどこが違うのか。
石原や橋下のおぞましさは、まだわかりやすいが、いまや日本中で、国民を弾圧する横暴が、既成事実化されてまかり通っている。
沖縄でいえば、権力の座に居つづけたいがために県民の意思に平気で背く、下地幹郎(オスプレイ配備にも辺野古新基地建設にも賛成だと、衆院予算委員会での照屋寛徳議員の質問に対し、大臣答弁で堂々と言ってのけている)などは、かなり危ない。
本当に危ない国だ。
わたしたちは、民を切り捨てる為政者(大阪の場合は、もちろん橋下徹)を絶対に選ばぬようにしたい。

http://www.youtube.com/watch?v=AO7quBHXMsk&feature=share



  


Posted by watanatsu at 11:45時事問題

2012年11月16日

あっという間に1週間。「戦争の準備」には絶対に同意しません。

前回からあっという間に、1週間の時間が流れ去り、茫然としております。

ちょくちょく覗いてくださる方に対して、恐縮しております。

本日中には、前回記事の続きを書きたいと思っています。

「ツイッターやフェイスブックと無縁の人もかなりいるはずだから、こういう言い訳でもなんでもいいから、せめて3日にいっぺんぐらいは書きなさい」と、助言してくれる方もありました。

その助言に従いました。がんばります。

ここ数日(いやもっと前からですが、ここ数日は酷いです)毎朝わが豊見城の空には、那覇空港(=自衛隊那覇基地)を飛び立つ自衛隊戦闘機(F15?)のエンジン爆音が轟き、そうして一日が始まります。

戦闘機の離着陸が激しくなっているのは、日米合同訓練が大々的に繰り広げられているせいです(とある情報によると、きょうまではうるさいはずだとか)。

自室の屋根のすぐ上を、陸上自衛隊のヘリが低空で行き来するのはいつものことですが(どうやら完全に既定の飛行コースになってしまっています。部屋が揺れます、心臓に悪い音です)、このところは海上自衛隊のヘリも頻繁に近所の住宅街の上を飛んでいます。

さらに、昨日の朝のウォーキングの折、いつもの公園でワンコたちと休憩しているときなど、見慣れない軍用機(自衛隊ののものと思われる)が、付近の住宅地上空を低空で、何度も旋回しておりました。米軍を見倣って、県民をバカにしておるのかと腹が立ちました。

こういう現実に「絶対に飼い馴らされてたまるか」と、毎日、怒りを新たにしております。

米軍機の凄まじい騒音に悩まされている嘉手納爆音訴訟団、普天間爆音訴訟団の人たちの気持ちが、皮肉にも、最近の自衛隊の活発な動きによって、ますます理解できるようになったわたくしめです。

沖縄は、戦後67年経っても、ヤマトの犠牲になり続けています。米軍はやりたい放題です。
決して平和な島ではありません。

戦争の準備の前に、外交努力をしろ!! 政府のバカモノどもっ。です。

そろそろあの爆音がわが豊見城の空を占領する時間が近づいてまいりました。

きょうも怒りを胸に秘めつつ、少しでも前向きに、おおらかな心持ちを失わず、頑張りたいと思います。

では、ひとまず失礼いたします。

皆さま、良き一日をお過ごしください。


  


Posted by watanatsu at 08:21身辺雑記

2012年11月09日

朗読劇『私の村から戦争が始まる』に刺激受けて。【追記】あり。

ご無沙汰しました。じつに13日ぶりのブログ更新です。
言い訳から始めます。
頭と心を整理するためのブログ記事を日曜日に書きはじめて、そこではたと気づいたわけです。

普天間基地へのオスプレイ配備強行、米兵による強姦致傷事件、住居侵入傷害事件と蛮行が繰り広げられる沖縄の日々の中でわたしが感じ、考えたことを文字に定着させるには、最低でも原稿用紙何十枚分かのスペースを要する。沖縄で起きてしまっていることは、それほどまでに、とんでもないこと。重大かつ深刻な話。慌てて書けばよいというものでもない。場所を改めることも含めて、まとまった文章を書くことを考えよう。と、思っているうちに、嗚呼、また数日経ってしまった。

その間、まったくありがたいことなのだが、複数の読者から叱咤激励・催促のメッセージを頂戴したり、一昨日などはついにわが老親から「10日以上ブログが更新されていないが、元気か」というメールが来てしまった。若いころならこの「親心」に対しては根拠不明にして照れくささ半分の反発心も首をもたげたかもしれないが、この歳になると、ただただ感謝あるのみである。

わたしとしては毎日フェイスブックhttps://www.facebook.com/#!/natsuhiko.watase (もし友達リクエストを下さる場合は、ひと言メッセージも送って下さると幸いです。メッセージがないと僭越ながら「承認のハードル」は高くなります)やツイッターhttps://twitter.com/natsuhikowataseを利用していて、ささやかながら何かしら発信したり情報共有を試みたりしているものだから、ブログをサボっていることに無頓着になるきらいもある。しかし、ツイッターともフェイスブックとも無縁にして、ブログのみを読んでくださっている読者が一定数おられることも、このたびの励ましによって再認識できたので(当方最初=かれこれ3年半も前に始めたのがブログなのだから、これは当然と言えば当然のことなのですよね。恐縮です!!)、これからはフェイスブック等との重複などもあまり気にせず、大上段に構えず、更新していこうと思う(・・・それでもまたサボってしまったら、また謝ります・・・)。

以上で、「本日の言い訳」は終了です。


                      *


このところ感じ考えてきたことを整理してじっくり書きたくなってきた、という意味のことを、前々回と前回の更新時にも記し、日曜日にそのための作業を始めたわけだが・・・、結局書きなおすことにした。

一昨日の夜、朗読劇『私(わん)の村から戦争が始まる』(於・北谷町ニライセンター)を観ることによって、わたしなりの心と頭の整理の作業が、一歩前進したと感じられたからである。

元もとは「非戦を選ぶ演劇人の会」が本土で行った公演である。
米軍海兵隊のヘリパッド建設(オスプレイ配備を明確に想定した建設)の工事強行に反対し、説明を求め、5年間も座り込むことになった、沖縄北部東村高江区の住民たち。住民の意思も基本的人権も無視し、住民を脅し萎縮させることを狙って「通行妨害」裁判まで起こした防衛省沖縄防衛局。その高江の住民(実在の人物たち)や支援者をモデルにし、高江の村から見えてくる沖縄の状況を描いたいわば「ノンフィクション・ドラマ」である。

ちょいとルポ風にまとめてみる。

この『私の村から戦争が始まる』が、さる11月6日(火)、北谷町の実行委員会主催で、同町ニライセンターのカナイホールにおいて再演されたわけである。台本は最新情報も盛り込んで練り直されたようなので、新作上演に近いかもしれない。

当日のホールは超満員で立ち見客も大勢いた。ギリギリに駆けつけたわたしが悪いのだが、同センターの駐車場はすでに満車状態であった。なんとかズルをして無理をすれば停められなくはないスペースを確保して、開演時刻から数分遅刻で受付にたどり着くと、当日券はありませんという。これは入場お断りという意味ではなくて、「券」という名の紙切れ自体がなくなってしまったという意味と判明してホッとする。チラシすらなくなってしまったとのことで、なーんにももらえず、入場料のみ支払ってホールへ入った。盛況なのだから、何よりである。

というわけで、チラシの写真もなく、おまけに帰り際に挨拶に出てきてくれた出演者たちの姿をスマホで撮りそびれて出てきてしまったので、1ヵ月前の10月7日の沖縄タイムス社会面に載った藤木勇人さんの写真(当日のうちにFacebookで紹介した)を使わせてもらおう。




藤木勇人さんは、わたしにとって沖縄における大恩人の一人である。
住んで7年目の沖縄にはたくさんの恩人がいるけれど、「大」がつく人は、そうそう多くはない。十数年前、まだ沖縄県民でなかったころのわたしは長期間にわたって藤木さんの行くところ行くところ、くっついて歩き、たくさんのことを吸収させてもらったものである(雪の信州の「ひとり芝居」の公演にくっついてったこともある)。「沖縄」について、奄美にルーツを持ち、米軍の「門前町」コザで生まれ育った藤木さんを通して、たくさんのことを学ばせてもらった。そういう時期が間違いなくあるのだ。そのことを、きちっとした形で文章に残せていないのは、当方の不徳のいたすところである。まだ、あきらめてはいない。

その藤木さんが、上掲の地元紙の記事のように、高江の問題に積極的に関わってくれていると知ったとき、おこがましい言い方にはなるが、嬉しかった。
直後、この演劇に藤木さんが関わること自体を揶揄する大バカ者の文筆家(彼の文章をほとんど読んだことはないが、沖縄の文化に関わっていることを自負しているタチの悪い輩である)がいることにわたしは気づいた。しかしいったい彼は何を逆恨みしているのだろう。わたしはそんなヤツは放っておけばいいと思ったのみ。藤木さんも気にする必要はないのである。藤木さんは藤木さんのやり方で、表現者として、こういう大問題にも関わり続けていってほしいと願うのみである。藤木さんが、この朗読劇の演出まで手がけていることを知ったのは、いよいよ上演が一週間ほど後にせまってきたころの報道を通じてであった。
http://takae.ti-da.net/e4214139.html

藤木さんは、芝居の中では、高江の「ヘリパッドいらない住民の会」の安次嶺現達さん役を演じていた。QAB琉球朝日放送制作のドキュメンタリー『標的の村』でも、安次嶺さん家族がクローズアップされているのだが、わたしも安次嶺さんとは高江やその他の場所でも何度も会っている。6人の子供たちのうちの現在6歳(5歳だったかな)の息子J君はわたしを「友達」と認定してくれたりもしているので、普通の親しみ以上のものを感じてしまっている。だからなんだか不思議な気分になったものである。で、今回の藤木さんの演技自体に対しては、わたしはやや辛口の評価。実在の安次嶺さん本人は、淡々とした語り口の中にも、言葉に情感を込めて語る人なので、藤木さんのしゃべり方が少々「急ぎすぎ」に感じられた。

総じての評価でいえば、朗読劇の内容は素晴らしかった。
重いテーマの朗読劇の中で笑いを誘う場面も何カ所かあり、台本と演出の工夫が感じられて微笑ましかった。
わたしは数分遅れで入場し、演劇の「命」とも呼ぶべき冒頭部分を見逃したのは悔やまれるが(厳密に言えば批評する資格はないのだ)、致命的ではなかったように思えた。
演劇人(この朗読劇の関係者)が、高江を訪ねるに至った経緯、そこで見聞したことを観客に伝えたいという姿勢を示す導入部は、社会的大問題を扱う重みのみでなく、語弊をおそれずに言えば軽やかな印象を与え、問題意識の程度も様々であるはずの不特定多数の観客が、この芝居に入り込みやすい空気を醸し出すことに成功していた。

自然豊かな高江に住み、理不尽な力と闘わなければならなくなった住民の思いを軸にして展開される芝居なのだが、沖縄の大問題を俯瞰で眺め渡そうとする配慮も素晴らしかった。

オスプレイ強行配備(10月1日)、米兵による集団強姦致傷事件(10月16日)、米兵による住居侵入殴打事件(11月2日)といった最近の許しがたい蛮行も台本には練りこまれていた。それだけではない。戦後、辺野古の住民がキャンプ・シュワブを受け入れてしまった経緯や、しかし住民と支援者が力を合わせて辺野古新基地建設を「海上の坐り込み」という非暴力直接行動によって完全に阻止した事実(この基地建設計画自体は、おぞましい話だが日米政府が未だに撤回していない)、沖縄戦時の激しい地上戦の最中に日本兵によってガマ(洞窟=天然の防空壕)から住民が追い出された惨い事実、あるいは、1959年の宮森小学校・米軍ジェット機墜落事故の悲惨な被害現場の証言・・・。

わたしは宮森小の米軍機事故には、かねてより個人的な因縁を感じている。
1959年6月30日の午前中、石川市(現うるま市)の宮森小学校に米軍機が墜落した。

(この項、つづく)
※長くなるので、いったん区切ります。

【追記】
琉球朝日放送のドキュメンタリー『標的の村 国に訴えられた沖縄・高江の住民たち』も必見です。
幸いこちらで視られます。↓↓↓
http://www.dailymotion.com/video/xvvikn_iiii-iiiiiiiii-iiiiiii-2012-12-10_people?search_algo=2
※同番組ディレクター兼ナレーターの三上智恵さんによると、現在1時間番組に拡充編集作業中で、沖縄ローカルで11月27日(火)夜7時放送とのことです。
【さらに追記】
1時間番組(正確には47分バージョン)はこちらです。↓↓↓
http://www.dailymotion.com/video/xvjmcv_iiii_shortfilms
  


Posted by watanatsu at 07:36時事問題