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Posted by TI-DA at

2009年05月31日

石川真生さんのこと・2

 「辺野古新基地建設問題」の取材が一段落したあと、しばらく真生さんをお見かけすることもなかったのだが、その後の沖縄通
いの日々のなかで、ポツリポツリお会いしている。

 正確な時期は忘れてしまったが、国際通りをぶらぶら歩いていて真生さんの写真展の看板を偶然目撃し、会場に飛び込んで再会したこともあるし、沖縄へ引越してくる直前の2006年3月、宜野湾海浜公園で行われた普天間基地移設の「辺野古沿岸案」に反対する県民集会でお会いしたときには、「4月に沖縄へ引越ししてくるので、『真生さんの取材』を、いつかぜひさせて下さい」とその場でお願いもしている。真生さんに拒否された記憶はないから、この「交渉成立」は今も有効だと勝手に思っている。もっとも、真生さん自身、文章も書く表現者なので、赤裸々な自伝的フォト&エッセイ『沖縄ソウル』はじめ、著書・写真集は何冊も世に出ている。だがしかし、真生さん自身の表現とは別に、ひとりの物書きが「石川真生」をじっくり描く意味は、じつは大いにあるのではなかろうか。「沖縄」を想えば想うほど、真生さんへの「ひそかな思い」も、わが胸に膨らんできたのである。

 さてつい最近、5月半ば、そんな真生さんの写真展が那覇市民ギャラリー(パレット久茂地6F)で開かれた。
 タイトルは『フェンス OKINAWA』。・・・文字通り、沖縄の至るところにある米軍基地のフェンスを、このところの真生さんは撮りつづけていたのである。そのフェンスと周辺の光景をじっくり撮り続けた成果を、ついに写真展というかたちで世に示したのであった。わたしは、すぐさま言葉にならないような、深い感慨を覚えた。文章では太刀打ちできない、写真という表現手段のつよさを、うらやましく感じたりもした。

 基地を抱えている沖縄の現状を、こんなふうに表現することも可能なのだな! 「私が関心のあるのは人間。私は人間しか撮らない!」と宣言していた真生さんが、ひたすらフェンスを取り続けた。だから逆に、妙な説得力が生まれた。真生さんならではの仕事だと思った。

 わたしは写真展の会場に入るとき、ひと言「ごぶさたしました」と挨拶し、出るときに「来て、よかったです」と告げた。こちらの胸は言葉にならない感慨で満たされていたから、それ以外の感想を無理に告げる必要はないと感じたのだ。真生さんも、「ありがとうねー、元気でね」という短い言葉とともに、すこぶる優しい笑顔で応えてくれたものだった。これじゃ、なんだか永遠の別れの挨拶みたいだな、と内心思った。

 そんなわたしが、琉球キングスのbjリーグファイナルの試合の取材のために上京し、その延長で、1週間ほど東京に滞在したときのこと。ふとネットカフェに入って、目に飛び込んできたひとつの情報・・・。あれは忘れもしない、5月22日の夜。千葉マリンスタジアムで、ロッテ対中日の試合(大嶺祐太先発登板)を観戦した夜。普通にネット検索をしていて、真生さんの東京での写真展が、あした(5月23日)から始まる、と知ったのだ。
(この項つづく)

 追伸!!

 話の展開を待てないという方に、先にお知らせしときます。
 真生さんの東京での写真展は、まだやってます。関東方面の方、ぜひご覧下さいませ。6月12日までです。
 詳しくは、真生さんのプログでご確認を→ http://blog.livedoor.jp/ishikawamao/
  


Posted by watanatsu at 22:33人物論

2009年05月30日

招待野球

 いわゆる梅雨の中休み。沖縄は晴天に恵まれている。朝から、高校野球の「第38回招待試合」の取材に出かけた。海の隣の宜野湾市立野球場には、さわやかな風が吹き抜けていた。

 沖縄県の高校野球関係者は、県全体のレベルアップのために、これまでたくさんの地道な努力を重ねてきているわけだが、招待野球も、その一環。例年この時期に県外の実力校を招き、県内トップクラスの高校と試合をしてもらう、というわけだ。

 今年招待されたのは、中京大中京高校である(昨年は横浜高校、一昨年は報徳学園、その前は早稲田実業といった具合)。迎えうつ沖縄県勢は、今年センバツ出場校の興南高校、春季県大会優勝の中部商業高校と準優勝の沖縄水産高校。きょうは2試合が行われ、興南が7対4で勝ち、中部商が3対5で敗れる、という結果になった。

 これをもって単純な戦力比較はできない。各チームとも、夏の大会に向けて、投手起用をはじめ、さまざまに試行錯誤を繰り返している最中なのだ。たとえばきょうの興南は、一年生の川満昂弥投手を先発させた。試合後、我喜屋優監督と立ち話をさせてもらったが、夏の大会のためのテスト登板という意味合いがあったようだ。春の甲子園で1ゲーム19三振を奪ったエースの島袋洋奨に次ぐ2番手ピッチャーの養成が喫緊の課題のようである。

 いずれにしても、沖縄では、全国一早い「夏の大会」が6月20日に開幕する。県民が皆(といっても過言ではないだろう)、チムワサワサ、チムドンドン(心うきうき、胸どきどき)する季節がやってくる。

 一方、今沖縄では、県高校総体開催中で、野球以外のスポーツも大いに盛り上がっている。わたしは、あしたは奥武山の弓道の大会を観に行く。昨年一度観て、いまどきの高校生たちの真剣な眼差しと、まさに「息を呑む」さまに、こころ惹かれるものがあった。ファミリーといってよいほど親しい一家の長女がこの競技の選手で、だからもちろん応援の意味合いもあるわけだが、楽しみである。この時期、各競技の日程が重なってしまっていて、いろんなスポーツを観ることができないのが惜しい。ただでさえ、土日はイベントが重なりすぎだ。からだが二つも三つもほしい! と心底思うこのごろなのであった。

   


Posted by watanatsu at 17:18スポーツ

2009年05月30日

石川真生さんのこと

 ご本人が覚えておられるかわからんのだが、わたしが写真家の石川真生さんと出会ったのは12年ぐらい前のことだ。場所は、名護市の東海岸の集落。

 1997年の暮れ、名護市で市民投票が行われたのをご記憶の方も多いだろう。96年に普天間基地の移設先として、キャンプシュワブのある「辺野古」地区の名が突然浮上し、当然反対運動が起こったわけである。当時のわたしの立場は「東京在住の沖縄ファン」のライター。この移設話、そもそも道理がとおらぬ話だった。普天間の危険除去という正義の名を借りた、「米軍基地の県内たらい回し」であり、かつジュゴンが回遊するような豊かな海にダメージを与える「新基地建設」にほかならなかった。これは沖縄ファンとしても、黙って見過ごすわけにはいかない「事件」だった。だから、わたしは現地へ取材に赴いた。

 名護市東海岸、辺野古からやや北に位置する瀬嵩(せだけ)という集落の民宿を拠点に定め、わたしは数ヶ月滞在して取材をつづけた。市民投票では「基地移設反対」の意思が明確に示され、しかしその数日後に当時の市長が民意を無視して「基地受け入れ」を表明して辞任し、年明けの出直し市長選挙では、「賛成派」の後継市長が誕生した。わたしは、この訳のわからん事態に関して、朝日新聞社の月刊誌『論座』にルポを掲載し、講談社の週刊誌『フライデー』にも、2度ほど署名記事を寄せた。『論座』は昨年休刊となり、『フライデー』は今や硬派のルポやスポーツドキュメントなどがほとんど載ることのない雑誌になってしまった。それはさておき・・・。そんなてんやわんやの時期に、わたしは石川真生さんの姿を、行動を、横から眺めていたのである。

 ひと言でいえば、「凄い人」だった。何が凄いかというと、眼の前にいる人と向き合い、交流する、その姿勢がまず素晴らしかった。真似できないと思った。

 真生さんは、基地反対の意思を明確に打ち出している人である。わたしの生半可なそれとは違って、筋金入りである。
 真生さんは、辺野古住民だけでなく、周辺の二見以北10区といわれる地域の人びと、やむにやまれず住民運動に立ち上がった普通の人びとを、徹底的に支援しつつ、取材に走り回っていた。しかし、である。そうでありながら、基地賛成派、誘致派の土建屋の社長さんたち、従業員たちにも、とても好かれていたのである。

 なぜか。簡単な話である。真生さんは、決して人を差別しないのだ。眼の前にいる人の存在そのものを、まずありのままに受け止めようとする。それからカメラのレンズをその人に向ける。それが真生さんの取材のスタイルだった。

 多少考え方が違う程度で、うちなーんちゅ同士がいがみ合うこと自体が嫌だ、という意味のことを、本人は言っていた。
「敵は別のところにいるのよ」。つまり、沖縄人同士を争わせるように仕向けたやつらを憎むべきである。・・・真生さんのその考えは、いつでもぶれることがなかった。
(この項つづく)
 
  


Posted by watanatsu at 00:56人物論

2009年05月29日

一念発起

 はじめまして。ライターの渡瀬夏彦と申します。
 思うところあって、06年から沖縄県民となり、思うところあって(追い追い明らかになるでしょう)、09年の今日、一念発起、プログを始めました。

 しかし、大変なことになってます。さっき、一所懸命書き上げた記事が、あっさりすっかりごっそり消え去ってしまったのでした。 どこでどうなったのか、今もわからず、ただただ書き直している次第です。それほどの超初心者。先が思いやられなくもないのですが、気を取り直して進みましょう。そのうち慣れることでしょう。読者の皆さん、多少の不備については、なにとぞ大目に見つつ覗きにきてください。

 5月16日から25日まで、取材や打ち合わせやプライベートの用事をこなすために、東京へ行ってきた。
 まずは、プロバスケットボールbjリーグの「ファイナル4」の取材のため、有明コロシアムへ。結果については、ご存知の方も多いはず。昨年最下位だったチーム「琉球ゴールデンキングス」がわずか2年目にして、大阪エヴェッサ、東京アパッチという大都会の強豪チームを撃破して、見事に日本一の座を勝ち取ったのだ。これはもうほんとに凄いことなのである。沖縄から大挙駆けつけたブースター(ファン)の後押しも半端ではなかった。陳腐な表現だが、コロシアムは熱く熱く燃えていた。試合が終わった瞬間、わたしも沖縄のメディア関係者たちと思わずハイタッチ、そして握手握手。シャンパンファイトの会場にも押しかけて、やはりチームのみんなと握手握手。いつも取材で世話になっているスタッフには、頭からビールをかけてあげた!
 この琉球キングス快挙達成の記事は、約1ヶ月後のタブロイド版スポーツ紙『Team47 press』(6月27日の琉球新報に折り込まれます)に詳しく書くので、乞うご期待!

 その他にも、今回の東京滞在は、良いことの連続だった。若き日の芝居仲間(そのなかには、現役バリバリ、テレビ・映画・舞台の第一線で活躍中の俳優もいたりする)が集い、年齢も忘れて始発電車が出るまで渋谷で飲み明かした。20数年ぶりに会ったやつもいるのだけれど、みんななーんにも変わっていないではないか。「いや、あんたがいちばん変わってない」と誰かに言われた気もするが、これでもちょっとは進歩しとるはずだぞ・・・。それにしても、時間なんぞというものは一気に易々と遡ることができるものなのだと悟り、不思議な気分になった。

 わたしの著書を最初に世に送り出してくれた恩人の編集者・講談社K氏とも、何年ぶりかで会って、中野の小さなもつ焼き屋でホッピー飲みつつ語り合うことができた。改めて忌憚のない真摯なアドバイスをもらえて、ありがたかった(アドバイスのひとつは、早くプログを始めなさい、ということだった!)。

 あるいは偶然タイミングが合って、千葉マリンスタジアムでロッテ大嶺祐太(八重山商工卒・06年ドラフト1位)のピッチングを見つめることができた。つい奮発して、めったに買わないネット裏席チケットを買ってしまった。大嶺は負け投手になってしまったのだが、7回を投げてホームランの2失点のみ。かつてないほどの粘り強さを見せてくれたので、そこそこの満足感は味わうことができた。祐太君ありがとう。遅くなったけど、伊志嶺監督や君たちを描く本『さあ、魂の野球をしよう』、この夏、書き上げるからね。そういえば、紆余曲折あって頓挫しかけたこの本の刊行、講談社A氏が今回の打ち合わせで力強いGOサインを出してくれて、これまたありがたい限りであった。がんばります。

 それから、一時期深い付き合いの合った安藤勝己騎手のビックレースでの勝利(オークスです、ブエナビスタの強さにアンカツが助けられたレース)を、競馬場で見届けることができた。ささやかな買い方ながら、馬券も的中。48歳、同世代の彼の活躍は、やはり大いに刺激になる。アンカツありがとう!

 すべて万々歳というわけではなかった。「悔しいドロー」にも立ち会った。以前から観戦を約束していた、沖縄出身プロボクサー・翁長吾央君(沖尚高→東洋大→沖縄ワールドリングジム→大橋ジム。高校時代はインターハイ、全国選抜、国体の三冠王に輝いている)の試合が後楽園ホールで行われたのだが、世界ランク入りしているフィリピンの実力者相手に苦戦。これをステップにのし上がっていくはずだった。しかし人生、すっきり勝てる日ばかりではない。これだって、彼の貴重な人生のひとコマなのだ。立ち会えたことに感謝しよう。ゆっくり休んで、またチバリヨー、吾央君。
 
 さて、特筆すべきことのひとつは、沖縄が誇るべき女傑写真家・石川真生さんとの東京での再会!! それがどういうことかは、次回ゆっくり書きましょう。まずは、第1回目のご訪問、にふぇーでーびる。再見。  


Posted by watanatsu at 00:45はじめまして