てぃーだブログ › 渡瀬夏彦の「沖縄 チムワサワサ~ 日記」

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Posted by TI-DA at

2020年09月02日

#noteでの執筆を始めました。

皆様、ご訪問ありがとうございます。
このてぃーだブログでの記事更新が長らくできずに開店休業状態になってしまいましたが、友人知人のアドバイスを受け諸事情を考慮し、2020年9月1日より #note へブログ機能を移行させることを決めました。
今後はお手数ですが、そちらをご訪問くだされば幸いです。よろしくお願いいたします。URLは、下記の通りです。

https://note.com/natsuhikowatase

なお、Twitter、Facebookでの発信は、毎日続けております。

もちろんこのてぃーだブログでの記事は、過去の記録としてこのまま残します。

2020年9月2日 渡瀬夏彦  

Posted by watanatsu at 11:11

2020年04月07日

【新型コロナ緊急事態】政府はすみやかな一律現金給付で個人の救済を!

【拡散希望】

以下は、ある学生が4月5日、友達限定の設定でFacebookに投稿した説得力ある声です。切実な訴えです。
行政関係者や政治家はもちろん、一人でも多くの人に読んでほしい内容なので、本人の許可を得て、ここに転載いたします。

⬇️ ⬇️ ⬇️

さきほど、バイト先の店長より緊急事態宣言が出されました。
飲食店です。

お客様が日に日に減り続け、
店長より「全員もう週一回ずつしか入れられない、申し訳ない」と。
(時給約900円/一回4時間前後)

先月後半からちょっとずつみんなの勤務時間が短くなることでなんとかやってきましたが、
学生バイト20名を抱えるこのお店ではそうしないともう、お店を守れないところまで来ているようです。

「だからみんな食べにきて!」
とは、私は言えない。。
お客さんが少ないとは言え、やはりいま接客するのは怖い。でも店長とお連れ合いにはできるだけ協力したい。来月の収入がなくなるのは困る。だけど、どこかでもらって大事な人に感染すのではないかと、やっぱりいつも怖い。

店長たちは、店開けなきゃやってけないけど、この状況で開けてていいものか、もう私には想像つかないたくさんのことを、めっちゃくちゃ悩んでる。
ここ最近、早くあがる度に「ごめんなぁ」と言われる。

月5万の収入が、1万になる。
家賃を自分で払ってる子はたくさんいる。
バイトいくつ掛け持ちしてても、いまはどこも苦しい。

学生は払えなくなったら親が出してくれていいね、じゃないんです。親とそんな関係性じゃない子もいるし、その親たちだってどんどん苦しくなっていくんです。みんなの財布がじわじわとゼロに近づいていくんです。普通の市民は、「銀行にお金が余って」たりしないんです。

だから国が助けてください。
経営者と労働者に、当面の経営維持費や生活費を給付してください。
この国に住む全ての人が、生きていけるようにしてください。コロナ禍をせっかく生き延びても、日本に居たために野垂れ死ぬということがないように、今のうちに策を打ってください。

私たちが納めた税金を
私たちのために使ってください。

誰を給付対象にするか、審査してる時間なんかない。
支援の境目に絶対取りこぼされる人がでる。
細かいことは後で考えればいい。
きっと今月死ぬ人が出てしまう。

今は苦しい。みんな超苦しい。
だからこそ、「みんなで我慢」はやめよう。
「欲しがりません。勝つまでは。」じゃないんだよ。そうやって黙らされていく。
声を上げる力が、術が、奪われてからでは遅い。
口に出すことが許されなくなってからでは遅い。

「国に黙って従う」のはどんなときでも、むしろ困難な時こそやってはいけない。私は原発事故を見てそれを知っている。
疲れるけど、私もよくサボるけど、自分で考えジャッジしないと。その権利は手放さない。
だってその「国に」切り捨てられたらあなたは終わり。

「ここに、こういう助けが必要です!」と言っていかないと。言える人が言える時にね。

金がなんとかなればみんな家に帰る。
街に出る人が減れば、仕事に出なきゃいけない人のリスクもちょっとはましになる。

この国に住んでいる全ての人間を対象に、
いますぐ【一律給付 】をしてください。  


Posted by watanatsu at 12:23時事問題

2019年08月07日

74年後の8月6日、普天間基地と向き合いてつぶやく。

2019.8.6.
【慰霊、怒り、誓い】

本日8月6日の朝8時台。
すなわち、74年前、米軍によってヒロシマに原爆が投下された時刻。
自分でも不思議なのだが、なぜか嘉数高台公園の展望台に上がり、普天間基地と向き合い、カメラのシャッターを切っていた。


普天間配備の22機のオスプレイのうち、駐機が目視できたのは、8機のみ。強襲揚陸艦に載っかってホルムズ海峡へ出張中との説が有力である。(※その後寄せられた情報では、現在東南アジア海域にも海兵隊の強襲揚陸艦はいるから、普天間のオスプレイはそれに載っかっている可能性も大とのこと。8月7日追記)

いずれにせよ、米軍が戦争のどさくさに紛れ、沖縄の民間人が避難したり収容所に入れられている間に奪い取った(ハーグ陸戦条約違反!)この土地を、戦後すみやかに無条件返還して当たり前であるのに、あろうことか、その土地を返してほしかったら、新しい土地をよこせ、という。
他の場所が思いつかないから、多様な生命の息づくあの辺野古の海を潰して滑走路を造るのだという。
盗っ人猛々しいとはこのことだ。政治の堕落だ。

そういう意味の正論を日米政府に、特に安倍政権に対して怒りをこめて突きつけたのは、じつは、1年前の8月8日に亡くなった前知事、翁長雄志さんだった。

いまも安倍政権は、建設不可能なデタラメな計画のまま、埋め立て可能な浅瀬だけには土砂をぶち込んで、利権配分だけは進めておけ!とばかりに、強硬な姿勢崩さず号令をかけ、恥知らずな違法脱法行為を繰り返し、工事をゴリ押ししている。

何年も前に尊敬するウチナーンチュから教わった言葉を、わたしはしばしば反芻する。
「沖縄戦の慰霊とは、基地をなくすこと」

合掌

  


Posted by watanatsu at 20:35身辺雑記時事問題

2019年03月30日

「県民の声」100人委員会に関する報道について 沖縄タイムス 大野亨恭記者に問う

【沖縄タイムス 大野亨恭記者に問う】

沖縄タイムス3月24日付2面、政経部・大野亨恭記者が書いた署名記事には、わが目を疑った。

官邸記者クラブの記者たちほどではないにしても、(県政与党側の)権力に寄り添い、市井の有権者のごく普通の感覚から遠く離れた地点に立つ記者がここにいる。そう認識させられ、絶望感に苛まれ、憤りを禁じ得ないのだった。
沖縄地元紙記者よ、おまえもか、という思いさえ生じ、6日後の今も、この思いを拭い去ることができないでいる。
筆者には他にやらねばならぬことは山ほどあるのだが、「県民の声」100人委員会の超短期間の署名活動が最後の大切な土曜、日曜の2日間を迎えた今、この劣悪記事とこれを書いた記者の姿勢を看過するわけにはいかない、という思いが再度首をもたげた。こんな記事内容で事の本質を矮小化されてはたまらない。よって、あえて今、貴重な時間を割き、厳しく批判をさせてもらう次第である。


初めにお断りしておくが、ここに書くのは、多様な思想信条・政治的主張立場を持つ個人の集まりである100人委の総意ではなく、渡瀬個人の見解である。
メンバーの一人ひとりがそれぞれに見解を述べるとき、やはり厳密にいえば、その見解が100人委を代表するものと定めることはできない。
ただ、このスタイルに対してのご意見も複数の方から頂戴している。一人の代表者でなくてよいから、複数の共同世話人ぐらいは定めて、対外的な責任の所在は明らかにしたほうがよい、との助言である。そしてこれを受けて100人委としても、近々共同世話人を定める方向で話し合っているところだ。

さて本題に入る。
まず第一に、この記事を書いた大野記者は「県民の声」100人委員会のまとめた「調整会議」関係各位宛ての「要望書」(3月15日発表)を読まずに書いているのではないか。筆者はそんな疑念を抱いた。
なぜなら、読んだ上で冒頭から《候補者擁立を巡り、社大党と一部市民の間で不況和音が生じている》《一部市民らはその手続きが不透明だとしての選考やり直しを求めている》と書いたのだとすれば、「県民の声」100人委員会の問題提起そのものを、最初から矮小化する意図をもった「確信犯」と断じざるを得ないからだ。

ずばり言うが、今回の100人委のアクションに対して「一部市民」が社大党に「選考のやり直し」を求めている、としか受け取ることができないのなら、それは明らかに事実誤認であり、そうして書かれた記事は「誤報」と断じざるを得ないものだ。

今回100人委が社大党への公開質問状の形を取らず、「調整会議」関係各位宛ての要望書公表へと踏み切ったのは、今夏の参院選に向けた候補者選考の「選考過程の不透明性、決定の強引さ」の問題点を、社大党ひとりの責任とせず、今後の重要選挙も視野に入れた「開かれた候補者選考方法」を見出すために、いわゆる「オール沖縄」を成り立たせている他の政党や団体の関係者の皆さんにも、わが事として受け止めてもらい、問題解決に身を乗り出していただきたい、という思いが働いているためだ。
しかし大野記者は、社大党執行部がまともな話し合いも経ずに現職の糸数慶子参議院議員に「引退勧告」を突き付けたまま、事態の改善に真剣に乗り出さままぬに時を過ごしてしまったことに対して、無批判である。いや、その姿勢を間接的に肯定する「与党関係者の思惑の追認記事」を書き続けている。

あるいは、本文冒頭で100人委メンバーの実名を一人だけさらしながら、その意見の一部をクローズアップしその人を矢面に立たせ、しかし一方では、「与党関係者」「与党幹部の一人」という匿名記述の仕方で、議員等公人の立場にあるであろう人々を守っている。
これは、じつは3月15日会見直後の16日付の琉球新報記事にも見られたおぞましい姿勢であり、大野記者のみならず沖縄地元2紙関係者の皆さんが共有すべき重大かつ深刻な問題だと筆者は考えている。

さて、大野記者の記述への具体的批判に戻る。
社大党・大城一馬委員長の今回の候補者選考が「準公募」に当たるという認識を無批判に紹介した直後、匿名の「党関係者」を登場させ、そのコメントをこう記している。
「世代交代を求める声は大きかった。本人に勇退を求めており、手続きに不備はない。不満を持っているのは糸数氏を慕う一部の市民だ」

もちろん事の発端は、今夏の参院選に向けて意欲を示していた現職の糸数慶子参議院議員が所属政党から引退勧告を受け、そして外部から高良鉄美琉大法科大学院教授(3月末で定年退職)が担ぎ出された過程があまりにもわかりにくいため、多くの市民の間に疑問や不安や不満が生じたことにある。そこには糸数氏支持層の人々も当然含まれる。
しかし、159名に上る100人委の呼びかけ人には、筆者が3月22日付沖縄タイムスに寄稿した「論壇」での指摘の通り、選挙で糸数氏に票を入れたことのない人、糸数氏ありきの活動ではないから参加した人、あるいは高良鉄美氏を応援したい人もいる。
つまりは、一党への批判というレベルを超えた、選挙のあり方自体を見つめ直すための、大きな問題提起なのである。

それから次の問題点は、大野記者のみ、沖縄タイムスのみに限定しての批判ではないのだが、当事者にバランスよく丁寧に取材することを欠いたまま、一方の言い分のみで記事を書き殴るのはいかがなものだろうか。胸に手を当て、取材者としての自らの姿勢を厳しく問うてほしい。
今回の参院選候補者報道のケースで言えば、沖縄タイムスも琉球新報も、圧倒的に社大党執行部の思惑やそれを支持する他党・団体幹部のリーク情報に頼って記事を書き続けている。

その弊害が、この3月24日付記事にも如実に表れている。
大野記者はこう書く。
《こうした不和は高良氏の立候補表明のスケジュールに影響も生じている。しこりを解消し、支援を求めたい高良氏は糸数氏へ面会を求めているがまだ実現しておらず、当初、15日に予定していた出馬受諾会見は延期となっている》

この書き方では、読者は、あたかも糸数氏が面会を拒んでいるかの印象を受ける。
しかしこれは、典型的な事実誤認に基づいた書き方である。あるいは取材不足を露呈した書き方だ。

わたしが間違いなく把握している事実をここに記そう。
状況はまったく違ったものとして見えてくるはずだ。

昨年12月に糸数慶子参議院議員が社大党執行部から引退勧告を受けた。当初は世代交代が目的と伝えられた。しかし、党内の若手にバトンタッチする気配が見えないまま、唐突に外部から高良鉄美琉大教授を招く形での擁立を発表。糸数氏は年が明けてからも出馬意欲を示していると伝えられたが、一転して1月10日には参院選不出馬会見に踏み切る。この会見の重みは否めない。党から理不尽なな引退勧告を受けて間もなく、なぜそんなに急いで会見をしなければいけないのか、と、不満を抱く支持者が多かったのも事実だ。党執行部からみれば、意外や思惑通りの展開と言えた。この会見を盾に取って、糸数氏に高良氏の選挙への全面協力を約束させることができる。
だがしかし、ここに至る経緯は単純なものではない。経緯のすべてを簡単にここに書き切ることができぬほどに、様々な状況があったのだと、いまこの時点では、そこまで記すにとどめておく。

ただ参考までに、糸数慶子後援会共同代表の池宮城紀夫弁護士が1月10日の記者会見で何を述べたか。新聞記者が伝えていないその内容を、ここに紹介しておこう。
「後援会としては、極めて不明瞭な選考過程であり、そういう社大党の今回の対応については納得できないというのが、後援会の全員の意見でした。もっときちんとした対応で段階を踏んだ上で慶子さんに引退を求めてきたというなら、まだ理解できるんですが、今回ご本人とわたくしに対して、すぐ引退してくれ、という突然の申し入れでしたから、後援会としては、それはおかしいんじゃないか、というのが、これまでの意見であります」
さらに池宮城弁護士は、そのような不明瞭な候補者選考が今後のいわゆる「オール沖縄」の選挙に与える影響についての問いには、このように答えていた。
「今後そういう形での選考がなされると、これまでオール沖縄に結集してきた大きな力が殺がれる危険性もあるんじゃないかと懸念しています」

この会見で、党に対する気持ちを問われた糸数氏は、あえて一切答えなかった。党に対する思いはいずれ語る機会も出てくるはずだから、と述べるにとどめた。いわゆる「オール沖縄」を分断して安倍政権を利するような事だけは回避しなければならない、というギリギリの「我慢」がむしろ色濃く感じられる記者会見だった。

さて、いまここに書いたのは、取材者として質問もした記者会見の内実である。
そのことと、わたしがこの度「県民の声」100人委員会の呼びかけ人メンバーの一人であることとは、しっかり区別して考えるべきだと思っている。

筆者のように、取材者であり知人でもあるという立場で糸数氏と直接語り合って心の動きを把握し続けてきた者は、そう多くないことはわかっている。一方では、年明けから3月半ばまで、同様の意味で、高良鉄美氏に繰り返しお会いし続け、同じくその揺れる思いを把握し続けてきた立場にもある。書けること書けないことを明確に峻別する責任があると思っている。

だがしかし、大野記者のように、一方の側の言い分だけを受け止めて、糸数氏が当事者間の関係修復を拒んでいるかのような誤解を生じさせる書き方は、厳しく批判したい。非常にきびしい書き方をすれば、高良氏は、これまで幾度となくチャンスがあったにもかかわらず、糸数氏の本当の気持ちを確かめることをしてこなかった。いや、高良氏がそうしようとしても、後ろでストップをかける人物さえいた。3月後半になって、高良氏は別の人物から強い助言を受けて糸数氏に頻繁に電話を入れるようにはなっているが、それだけをもって高良氏側が正しいとは言い切れない実情がある。
あるいは、社大党執行部側も、後援会でさえ納得しがたい「引退勧告」を糸数氏に突き付けたまま、平然と時を過ごしてきた。それで、選挙のときだけは協力しろ、などと言おうとしているなら、そんな理屈は常識はずれもよいところである。

大野記者の取材姿勢について総じていえば、これまで重要な当事者である糸数氏への取材が希薄であり、記事を書く裏付けは、社大執行部のリーク情報とその思惑を支持する「与党関係者」のコメントに頼っている。
だから、「県民の声」100人委員会の要望書公表と賛同署名活動についても、あらかじめ先入観を持ち、「既定路線」に抗議する「一部市民」としかとらえられないのである。

ここで強調しておきたいのは、この文章は大野記者への「個人攻撃」などでは断じてない、ということ。じつは筆者は、彼のこれまでの報道姿勢と15日の記者会見の捉え方への批判を直接伝えたくて、19日に那覇市内で1時間ほど面談している。

彼はそのとき、選挙に関する自身の取材姿勢について、従来の「政党政治」の枠組みでの動きを重んじて報道せざるを得ない立場を正直に表明していた。わたしは、彼のそのスタンスに干渉できるとは思っていないことも告げた。しかし、従来の枠組みと違う市民の動きが出てきたときには、もう少し温かい眼差しで取材してほしい、ということだけは強く伝えたつもりだ。彼は「また、書き方がおかしい、と思ったら言ってください」と言い残し、互いに笑顔で別れたものである。

筆者は3月22日付沖縄タイムス「論壇」の中で、こう指摘した。
《この100人委の主張は、「要望書」の内容がすべてだ。インターネットで《チェンジオルグ 「県民の声」100人委員会》と検索すれば、署名サイトで「要望書」と同内容の文面も、呼びかけ人リストも確認できる。多くの方にご覧いただきたい。
事の発端は、今夏の参院選に向けた社大党の候補者選考過程のわかりにくさにある。4期目に意欲を示す現職議員が出馬辞退を余儀なくされた事情の説明がないままでは、現職を支持してきた多くの一般有権者の間に不安感と不満が広がるのも無理はなかった。
本紙報道も、その不可解さを不問に付したまま候補者決定の既成事実化を手伝い、不安と不満を世間に広めた責任は否めない》

その2日後の大野記者の24日付の署名記事。これはもう、名指しで批判せよ、というに等しい「確信犯」ぶりである。だから、こうして批判記事を書くことになった。
最低限のことを書くだけで、5000字を費やしてしまった。最後までお付き合いくださった読者諸賢には感謝申し上げたい。誠にありがとうございます。
もちろん大野記者からの反論も大歓迎である。
繰り返しになるが、この文章は大野記者への「個人攻撃」などであるはずもなく、一人でも多くのメディア関係者や読者・視聴者に共有してほしい筆者なりのささなやかな「問題提起」である。
それは、「県民の声」100人委員会が「社大党攻撃」をしたいのではなく、多くの有権者や「オール沖縄」関係者が、候補者選考問題を広く議論するために「問題提起」をしたという事実と、根っこのところでしっかり通じている話なのだから。  


Posted by watanatsu at 07:49時事問題

2018年07月05日

沖縄県民もそうでない人も必読!ウーマンラッシュアワー村本大輔がわたしたちに突きつけたものとは!?

昨年暮れの「THE MANZAI」で、ウーマンラッシュアワー村本大輔が「沖縄の基地問題」を「全国の人びとの問題」として、ゴールデンタイムのお茶の間に叩きつけてから、はや半年が経つ。

彼から渡された「素朴な疑問」のバトンを、わたしなりに大切に抱えて走ってきた半年。

ようやく「極私的村本論」を発表することができた。
(注※写真はすべて筆者。村本さんの肖像は許可を得て撮影したもの。無断転載禁止です)






一人でも多くの方がご一読くだされば幸いである。下記URL、集英社新書プラスのサイトで、どうぞ!

〈前編〉
https://shinsho-plus.shueisha.co.jp/news/3573

〈後編〉
https://shinsho-plus.shueisha.co.jp/news/3587

そもそも、渡瀬の書く原稿ならきっと面白いはずだからどこに発表してくれてもいい、と言ってくれた村本さん、多大なる協力をいただいた大袈裟太郎さん、木村浩子さんはじめ、尊敬する友人知人の皆さん、そしてこの原稿を高く評価し、掲載担当者として名乗りをあげてくれた集英社のHさん、皆様方に厚く御礼申し上げます。

ありがとうございました。
これからわたしたちは、さらに、しなやかにしたたかに生きてまいりましょう。(^_^)v  

Posted by watanatsu at 23:23

2018年06月27日

瑞慶覧長方さん(元沖縄社会大衆党委員長)のことを「週刊女性」に書きました。

相変わらず毎日Facebookで発信し、ブログ更新滞りがちの渡瀬です。

遅ればせながら、緊急告知です。

週刊女性6月19日発売号(沖縄では6月23日発売!)の人間ドキュメントのページに、元沖縄社会大衆党委員長、元沖縄県議会議員、サボテン愛好家・農業者でもあり、瑞慶覧長敏・南城市長(元衆議院議員)の父としても知られる瑞慶覧長方さん(86歳)のことを書きました(56~61ページ)。

昨日(26日)の時点で東京などでは次の号が発売になりましたが、沖縄ではまだ掲載号発売中です(金曜日まで書店で入手可能なはず!)。

お陰さまで、この記事はご好評をいただいています。
ひとりでも多くの方に読んでいただきたく、ギリギリのご案内にはなりましたが、ブログでもお知らせすることにしました。

沖縄戦の地獄を生き延びた長方さんが、どんな思いで戦後を生き抜き、いま若い人たちに何を伝えたいと思っておられるか、微力ながら一所懸命書かせていただきました。
沖縄県民の皆様、ぜひ店頭で手に取ってみてください。

よろしくお願いいたします。






  

Posted by watanatsu at 23:05人物論時事問題

2018年05月12日

県職員の皆さんは、全力で「埋め立て承認撤回」の手続きを急ごう!

【「埋立承認撤回」のための個別的事由が出そろった今こそ、県職員の皆さんの、全力、必死の仕事が求められている。手続きを急ごう!】


2014年、わたしたちが翁長雄志さんを知事にしたとき、「イデオロギーではなくアイデンティティ」「誇りある豊かさ」「米軍基地は沖縄経済発展の最大の阻害要因」という言葉が、ある一定の説得力をもって、様々な層の多くの有権者や、あるいは選挙権のない人びとの間にまで広く浸透していたと思う。そうして、普天間基地を閉鎖し、辺野古新基地建設を断固阻止する、という共通認識が堅固に形成された。
民意を裏切った仲井真弘多前知事や自民党国会議員を決して許さない、という人びとの思いも燃え盛った。

あのときに共有された認識が、今崩壊しているわけではない。
あまりに横暴・狡猾・強引な政権による理不尽な新基地建設ゴリ押しの蛮行によって、良識ある県民の側の、横暴な政権への対抗手法に乱れが生じている、そう言うべき状況ではないだろうか。

保守、革新、その中間、といった線引きの仕方はわたしにはよくわからないが、自分とは違う考え方や政治的な立場を尊重することなくして、翁長知事の誕生も、理不尽な辺野古新基地建設の蛮行に待ったをかけることもできなかった、ということだけは事実だと思っている。

昨今、国政与党の傀儡候補ばかりが勝つ首長選挙を見せつけられ、県民投票で「辺野古NO」の民意を今一度明確にしたいという人たちの思いは十分すぎるほどわかる。

辺野古に通いたくても、実際には困難だという人。そういう自分でも、そういう自分だからこそ、ゲート前に座り込んだり、海でカヌーを漕ぐのとは別の形で明確な意思表示をしたいと思う人。
あるいは、辺野古に通いつつも、毎日多量の砕石が工事ゲートから運び入れられ、埋め立て用護岸が見る見る延ばされる悲惨な現実を目の当たりにし続け疲れ果て、それでもあきらめない人。日々、辺野古に通いながら、それにとどまらず新基地を止めるためにやれることはなんでもやっておきたい、と思う人。

いろんな人が、今真剣に沖縄の現在と未来に思いを致し、迷い悩んでいる。

原点に返ろう。

小異も中異も残しつつ(捨てなくていい!)、辺野古新基地を阻止するため、大同につく。
それが、島ぐるみ会議やオール沖縄会議の原点であったはず。
人が集団をつくるとき、多少の打算や妥協があったって当然。さらには集団から離脱する人が出るのも珍しいことではない。
完璧主義の聖人君子の集まりじゃ気味が悪い。
辺野古・大浦湾の、多種多様な生き物が育つ豊かな海と同じように、わたしたちのつくりだす大きな集団も、多様性の宝庫でありたい。

まずは辺野古新基地建設を絶対に止めるという大目標に向かおう。
名護市議会選挙と県知事選挙は、最重要の選挙だ。
負けるわけにはいかない。

民主主義を否定し、地方自治を破壊し、多様な生物をはぐくむ宝の海を破壊し、人権蹂躙を繰り返し正当化する、こんな「国家の犯罪」=辺野古新基地建設を、沖縄への差別的な振る舞いを、断じて許さない。

その先にこそ、本当に「誇りある豊かさ」のヴィジョンが描ける。

翁長知事が病気療養をすべき今こそ、県職員の皆さんの責任は重大だ。
知事の最大の公約。一丁目一番地の政策は、「辺野古新基地建設阻止」だ。県職員の本気度が厳しく問われている。
「埋立承認撤回」のために、どれだけ本気で働いているのか、という話になる。
「撤回のタイミングは、知事の判断」なんて呑気なことをいつまでも言っていてはいけない。
一刻も早く知事が決断できる状況を整えることに、全力を。

県民投票運動の行方をのんびり眺めている場合でもない。
裁判は、県民投票を根拠にした撤回をしたって勝てるとは限らない。横暴な政権が、露骨に司法に介入してくることは目に見えている。
いま急ぐべきことは、個別的事由による撤回の手続きである。
その作業こそが、大同団結を蘇らせる。それ抜きに県民投票の成功などあり得ないだろう。

くどいようだが、県職員の皆さんが、必死に、全力で、急ぐべき時。

ともに頑張りましょう。
まじゅん ちばらなやーさい。  

Posted by watanatsu at 02:15時事問題

2018年03月24日

3月23日、辺野古・大浦湾から、Facebookライブ動画配信をしました。

【久々に辺野古・大浦湾から動画リポート】

3月23日午後、久しぶりに抗議船に乗船させていただき、辺野古の新基地建設強行現場を取材してきました。

ふだんFacebookを使っていない方のために、ここに3本の動画リポート(録画配信)のURLを並べておきます。

抗議船上からのリポート1➡https://www.facebook.com/natsuhiko.watase/videos/1679508282130642/

抗議船上からのリポート2➡https://www.facebook.com/natsuhiko.watase/videos/1679544505460353/

定点観測ポイント=瀬嵩の丘からのリポート➡https://www.facebook.com/natsuhiko.watase/videos/1679648278783309/  


Posted by watanatsu at 08:59時事問題

2018年03月24日

琉球ゴールデンキングスに関する新連載、スタートしました。


【琉球ゴールデンキングスの熱く激しき日々】

Bリーグ2年目のシーズンも終盤に差し掛かっています。
われらがキングスは、すでにチャンピオンシップ出場(8チーム)をリーグ一番乗りで決めています。

沖縄タイムスwebサイトタイムス+プラス内「タイムス×クロス」で、キングス新連載をスタートさせました。
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/226922

ここから5月のレギュラーシーズン終了、そしてチャンピオンシップ(プレーオフ)へ向けて連載を続けますので、ぜひチェックしてください。

よろしくお願いします。


  


Posted by watanatsu at 08:04スポーツ

2018年02月28日

【稲嶺進さんからのリレーバトンを握りしめて、わたしたちは走る、走り続ける(上)】


【稲嶺進さんからのリレーバトンを握りしめて、わたしたちは走る、走り続ける(上)】

 

 名護市長選から早くも1ヵ月が経とうとしています。
 
 この間も、時事問題を中心に毎日FacebookやTwitter(Facebookへ連動中)で呟き続けている渡瀬です。たまには覗いてみてください。   
 https://www.facebook.com/natsuhiko.watase
 FB友達申請の際には必ず、ひと言でよいので自己紹介メッセージをお願いします。それのない方はスルーされてしまいます。悪しからず、です。

        * * *

「選挙イヤー2018」のいわゆる「オール沖縄」陣営は、65票の僅差で瑞慶覧チョービン新市長誕生の南城市長選の快挙を喜んだのも束の間、県知事選と並んで最重要と言われた名護市長選で、大変な事態に直面してしまった。

 辺野古新基地建設阻止の信念を貫き、政府から米軍再編交付金(新基地受け入れと引き換えの防衛省予算)をカットされても、2期8年で名護市の財政を好転させ、さぁ3期目で本物の「誇りある豊かさ」を築こうとしていた矢先の、われらが稲嶺進さんが、「オール沖縄」の精神的支柱ともいえた稲嶺進さんが、自公維の推す新人・渡具知武豊さんになんと3458票もの差をつけられて敗北を喫してしまった。

 能力・実績・人格、すべてにおいて申し分のないススムさんを、わたしたちは選挙で勝たせることができなかった。
 ショックをかみ締める日々が続いた。
 いや、ショックにうなだれているという意味ではない。新たな戦いが始まっていることを、ヒシヒシと感じている日々、なのである。

 その思いの一端を今、ブログに書き残しておきたい。まずは、投開票日(2月4日)前後のありのままのルポにお付き合いいただこう。
 (※以下のルポは、わたしが連載を持つ某団体定期刊行物に掲載した記事の一部に加筆修正したものである)


 2月3日の夕刻から、国道58号の交差点での稲嶺進候補陣営の最終の必勝演説会に立ち会った。
 市長候補(現職)の稲嶺進氏、市議補選候補(新人)の安次富浩氏(ヘリ基地反対協議会共同代表)、翁長雄志知事、城間幹子那覇市長、瑞慶覧長敏・新南城市長、「オール沖縄」の国会議員全員、名護市議会与党議員、県議会与党議員、市町村議員、勝手連的な稲嶺進サポーターの若者たち、さらには国政野党を代表して応援に来た国会議員らがずらりと街宣カーの上と前に並び、交差点の四角には、溢れんばかりの人の群れ。



 沖縄にしては厳寒と感じさせる10度前後まで気温が下がり、冷たい風も吹きつけていたが、わたしの尊敬する多くのウチナーンチュの先輩や友人とも会えて、温かい気持ちにさせられた時間だった。
 しかし、不安はぬぐえない。県内外の支援者がこの場にどれだけたくさん集まったとしても、実際の名護市内での集票活動がどの程度必死に行われているのか、気になって仕方がなかった。
 沖縄県民は、このところ辺野古新基地が最大の争点になったあらゆる選挙で、「新基地NO」の民意を明確に示し続けている。
 2014年の県知事選、2016年の参議院選、2017年の衆議院選などの国政・県政選挙のレベルではそうだ。その際には、空中戦と言われる戦い方も奏功してきた側面がある。演説集会の賑わいも、インターネット上での主張の拡散も相乗効果となる。最近の「オール沖縄」側の成功例で言えば、伊波洋一参議院議員や、辺野古や高江を抱える選挙区での玉城デニー衆議院議員、普天間基地を抱える選挙区での照屋寛徳衆議院議員の自公候補を寄せ付けなかった圧勝劇は記憶に新しい。
 だが、米軍基地のない市町村の首長選挙や、あるいは宜野湾市長選(2016年)などのように「辺野古新基地」が争点から外されてしまった場合には、自公協力の資金力・組織力・動員力が圧倒的な強さを見せつける。
 今回の名護市長選が、そのパターンにはまり込んでいないか、心配になっていた。

 必勝集会のあと、わたしは稲嶺進候補本人の乗る街宣カーを追いかけるつもりだったが、付近の道路は大渋滞。国道を走って追いかけることは断念して裏道へ入った。するとすぐ近くの十字路で、一人の若者がマイクを握っていた。音量は控えめで、素朴な語り口に好感が持てる。
 近づきながら、「聞き覚えのある声だぞ」と思った瞬間、よく知った顔と出くわしていた。
 名護市東海岸出身の大学生、渡具知武龍君だった。隣で父の武清さんが道行くドライバーに手を振り続けていた。
 知り合ったのは1997年の名護市民投票のときだから、渡具知ファミリーとは20年以上の付き合いになる。
 辻立ちスピーチは、武龍君自身が書いた原稿の朗読というスタイルだった。
 稲嶺市長の実績を語り、相手候補が事実上の辺野古新基地誘致派であること、米軍機の事故やトラブルについて伝え、未来ある子供たちが安心して暮らせる環境を作る市長を選びましょうと訴えていた。
 結局、渡具知父子の何ヵ所かでの辻立ちスピーチを追いかけ、稲嶺候補のクルマを追跡することはやめ、そうして夜8時の街宣終了時刻に選対本部事務所に到着。するとほぼ同時に稲嶺進市長のクルマが帰ってきた。事務所のボランティアスタッフや支持者支援者たちから拍手で迎えられ、候補者タスキを律子夫人から外してもらうところまでを見届けた。
 そしてそれから稲嶺氏に先回りする格好で、インターネット放送の生番組のスタジオへ。スタジオと言っても、早い話が後援会事務所の一角だ。
 じつは7日間の選挙戦の間、毎日夜8時半から、稲嶺氏は「未来へススムTV」という放送に生出演した。わたしも月曜から6日間連続で立ち会った。
 もちろんこの番組は、インターネットをよく利用する若い世代に政策と稲嶺氏の愛すべき人柄をアピールする狙いがあって設けられた番組だ。
 月曜日(1月29日)、番組を終えて帰路につく前の稲嶺市長に、わたしはスマホカメラを向けた。疲れも年齢も感じさせない若々しい笑顔が素敵だったので、わたしはそれからこの日土曜まで毎夜、スマホカメラで「お休み前のススムさん」の笑顔をFacebookに載せるのが日課になった。
 なかなかに評判がよかった。つくり笑いではない、本物の優しさのにじみ出ている顔だった。
 明日の投票日を残すのみとなったこの夜、わたしはシンプルに「本当にお疲れさまでした」と声をかけさせてもらった。
 稲嶺氏は、「感謝感謝です。ありがとう」と答えてくれた。役得で得た言葉を、わたしは彼を応援するすべての人に届けたくて、その夜の投稿にそのまま書いた。
 投開票日の朝は、辺野古漁港から、新基地建設ゴリ押し工事現場を眺め、座り込みテントにも顔を出した。
 いつもの日曜日と同じように、浜のテントにはたくさんの見学者が訪れ、いつものように、旧知のTさんやSさんが丁寧に説明役を買って出ていた。
 辺野古漁港から埋め立て用護岸工事の現場を眺めながら、ふと思った。この状況を撮影した写真が新聞に載り、ローカルテレビのニュースに流れるたびに、「もう手遅れだ」と感じてしまう人がいるのだろうか…。
 もしそうだとすれば、この現実の伝え方を、よほど注意深く研究しなければならない、と。
 名護市長選挙の投開票当日にそんなことに気付いたって遅すぎるかもしれない。しかし胸の内で、もう一人の自分がこう言った。
「遅すぎるということはないぞ。たしかに、そう気づいたからと言って、今日の選挙にはなんの影響もないかもしれない。でもお前は、危機感をますます抱くほどに、この選挙をしっかり取材した。だからこそ、真剣に考える気になった。だとすれば、立派な収穫じゃないか」
 それからわたしは辺野古をあとにして、プロボクシング世界タイトルマッチの試合会場、那覇の県立武道館へと向かった。
 なんと名護市長選の開票とWBC世界フライ級王者・比嘉大吾の沖縄での防衛戦が同じ夜に重なってしまったのである。
 比嘉大吾は、浦添市出身で高校時代は宮古島でボクシングの腕を磨き、卒業後は東京の白井・具志堅スポーツジムに所属し、プロデビューしてから一気に才能を開花させたボクサーだ。この日は、沖縄の先輩・浜田剛史氏らが持つ連続KOの日本記録15に並ぶチャンスでもあった。
 わたしは祈った。ぜひとも早いラウンドでのKO勝利を。そうなれば、開票中に、名護に戻ることができるかもしれない。
 するとどうだろう。比嘉大吾は本当に、1回2分32秒で挑戦者のモイセス・フェンテスをノックアウトしてしまったのである。
 わたしは幸先の良さを感じながら、記者会見にも出ずに名護へと向かった。
 しかし道中にクルマにややトラブルが生じ、予定より時間を食いながらのドライブとなってしまった。嫌な予感がした。
 すると、どうだ。
 名護に到着する直前で、相手候補・渡具知武豊氏に当確が出たことを、インターネット放送の音声で知ることになった。
 ハザードランプをつけ、路肩の安全な場所に一時クルマを停めて、画面に見入った。
 
 稲嶺進氏は、なんと正直な人なのだろうと思った。
 驚きと悔しさと憤りと悲しみが、すべてないまぜになって表情に出ていた。
 なんでこんなことになるのだ。
 稲嶺氏の心の叫びが聞こえたような気がして、しばし頭が真っ白になった。
 選対事務所にたどり着いたとき、すでに稲嶺進氏の姿はなかった。
わたしはその場に残っていた旧知の国会議員、県議会議員、市町村議会議員、ボランティアスタッフ、勝手連的応援団、報道関係者らと会話を交わして歩いた。
 沖縄通いを続けている全国放送在京キー局のあるキャスターは、こう述べていた。
「公明票2000、若年層1700、大体そのまんまの差が出た負けだと思う」
 わたしはそこまで断言する自信はないが、そんなに遠く外れている見立てでもないと感じた。
 渡具知候補は、記者クラブや地元大学生からの公開討論会・座談会出席の要請のみならず、身内ともいうべき青年会議所(JC)の公開討論会の求めさえ拒絶して逃げ回り、徹底的に争点を隠し、目先の経済振興策、生活向上策をアピールし続けた。
 取り巻き勢力のデマ攻撃も酷かった。
 明らかなデマによって稲嶺市政の実績を貶める中傷ビラ、怪文書、デマ攻撃の横断幕、さらにはいわゆるネトウヨを動員したインターネット上のデマ攻撃も激しかった。
 もちろん、政府与党によるあからさまなプレッシャーも目立った。
 暮れから1月にかけて、菅義偉官房長官、二階俊博自民幹事長はじめ、政府与党の幹部が次々に名護入りし圧力をかけ、公明支持母体の創価学会の原田稔会長が乗り込んでの恩納村での幹部集会では、金城勉公明沖縄県本部代表はが渡具知支援を強く訴えている。
 その結果、期日前投票への渡具知陣営の動員は爆発的に増えた。
 それに対して、わが稲嶺進陣営は、政府丸抱え候補陣営の圧力を撥ね返すだけの力はもちえなかった。
 例えば政府は、市民の間にあきらめムードを生じさせるため、とうに論理的に破綻をきたしている杜撰な計画であっても、連日無理やりにでも、辺野古側の浅瀬の「工事がやりやすいところだけ」でも、作業を続けた。砕石を海に落とし、コンクリートブロックで補強し、護岸を延ばし、その映像をメディアに撮らせた。
 でっち上げ、または軽微な容疑による不当逮捕も日常茶飯となり、警察発表情報として、これまた産経新聞をはじめとするメディアに垂れ流し報道をさせた。するといわゆるネトウヨは大喜び。
 民意無視の横暴な政府の新基地建設を止めるため、一分一秒でも工事を遅らせるために辺野古ゲート前に集う心ある市民を指して、「逮捕者続出の暴力集団」だとののしることになる。
 地元紙を読まずネットに情報源を頼っている若者は多い。名護市民の若者だってそうだ。
 政府と対立する市長じゃなくて、若者にとって楽しい街づくりをしてくれる市長がいい。映画館をつくろうとかスターバックスを出店させようとか、名護大通りに無料wifiを導入するとか、渡具知陣営からのそんな目先のプランのアピールが、意外にも若者たちには評判がよかったと聞く。
 辺野古新基地建設反対の民意は、マスコミ各社の出口調査でも軒並み6割を超えている。琉球放送の出口調査では、なんと75%にも達している。
 そうであるのに、新基地建設推進派としての爪と牙を隠しながら、ぬけぬけと「海兵隊の県外・国外移設を求める」と公約に掲げる市長が当選してしまった。公約を守らなければ許さないよ、と言い続けることは大切だが、彼が真っ向から矛盾する姿勢の表れとして、「米軍再編交付金」はもらうつもりだという言葉を発し続けてきたのも事実だ。
 
 稲嶺進さんはその夜、そうしたことも頭を駆け巡り、表層的な負け惜しみなんかではなく、本質的な悔しさで胸がいっぱいになってしまったのだと思う。潔い敗戦の弁の後、しばし絶句したものだ。
 その夜、稲嶺市長と会うことができなかったわたしは、翌朝、おそらくは彼が立っているはずの交差点へと向かった。
やはり、その人はいつも通り、そこにいて、黄色い「横断中」の旗を持ち、「交通む安全おじさん」として、子供たちを見守っていた。
 驚くほどいつも通りの、すこぶる自然体の笑顔だった。



 子供たちはいつも通りにススムさんとのハイタッチに力をこめ、ある母親は、「これからも応援します」と心を込めた声を強く発し、深くおじきをしていった。ドライバーたちも、礼をし手を振り、軽やかなクラクションで励まし通り過ぎる。稲嶺進氏は、その都度笑顔で応える。


地域の人びとにこんなに愛されている市長を、わたしたちは選挙で勝たせることができなかったのだ。
 せめて敗因をしっかりと分析し、明日のためにも、皆で語り合い、頑張るしかない。
 わたしはこう声をかけた。
「力になれなくてすみません。お役に立てなくてすみません」
 すると稲嶺市長は、これまた自然体のありがたい言葉を返してくれた。その言葉は宝物として、胸にしまわせてもらった。
 この期に及んで、こちらが励まされており、元気をいただいていた。
 次の瞬間、わたしはこう思えていた。
 戦いは何一つ終わっていない。むしろ今日から新たな戦いが始まっているのだ、と。

 ススムさん、2期8年、お疲れさまでした。本当にありがとうございました。
 わたしたちは、稲嶺進さんという有能にして誠実な一流の行政マン&政治家から、リレーのバトンをしっかり受け取ったのである。

 (つづく)

  


Posted by watanatsu at 06:12人物論時事問題

2018年01月27日

琉球新報26日付、「お話会」告知記事。

せっかくウミエラ館の屋良館長が、琉球新報・紙上で告知記事を書いてくださったので、再度お知らせいたします。



28日(日)は名護市長選挙の告示日。
わたしは稲嶺ススム市長の出発式を取材してから、沖縄市のウミエラ館へと駆けつけます。

「沖縄の選挙イヤー2018」をメインテーマにお話ししたいと思います。
質疑応答の時間も多めに取るつもりです。

お時間許す方は、ぜひお付き合いください。


  


Posted by watanatsu at 22:45時事問題

2018年01月26日

1月28日、名護市長選挙の告示日に、なぜかわたしは沖縄市でトークします。



※以下の記事は、泡瀬干潟博物館カフェ・屋良朝敏館長のブログから転載させていただきした。
http://umierakan.ti-da.net/e10230653.html

~今、危機にある沖縄から発信!~
渡瀬夏彦お話会


埼玉県出身のノンフィクションライター渡瀬さんは
高校3年生のときに「与那国島サトウキビ援農隊」に参加して以来、
約28年間の沖縄通いを経て、移住13年目を迎えています。
渡瀬さんは沖縄の自然、文化、スポーツ等に関して
取材活動を展開しています。スポーツ全般に精通する渡瀬さんは
これまで、
伝説の名馬を描いた「銀の夢 オグリキャップに賭けた人々」で
講談社ノンフィクション賞とJRA馬事文化賞を受賞。
しかし20年ほど前、沖縄の
米軍基地 の集 中から派生する諸問題に
関心を持たざるを得なくなり、
基地問題を日本全体の問題として発信し始めました。
月刊誌「世界」や「週刊プレイボーイ」「週刊金曜日」などに
沖縄の異常な基地問題を精力的に寄稿し続ける渡瀬さんに
沖縄の世相を語っていただきます。
多くの県民のみなさんの参加を呼びかけます。
1月28日(日) 14:00~ 16:30
 泡瀬干潟博物館カフェ ウミエラ館
駐車 アワセ第一医院さん(奥の方の駐車場)
料金は 大人1000円、子供500円(ケーキセット付き)
問い合わせ:  090-9783-2384 (屋良)
(※転載は、ここまで)

※1月28日は、大切な名護市長選挙告示日で、八重瀬町長選挙の投開票日。
皆さんお忙しい一日とお察ししますが、午後のひと時お付き合いくだされば幸いです。
わたしは朝、名護市で稲嶺ススム市長の出発式を取材してから、トーク会場のウミエラ館へ
駆け付ける予定です。
時節柄「沖縄の選挙イヤー2018」メインテーマにお話ししたいと思っています。
皆様のご意見もお聞かせください。(渡瀬)  


Posted by watanatsu at 06:27時事問題