2011年04月08日
産経新聞の「主張」は、怒りを通り越して、わらえる!!
ああ、ほんとうは別のことを書きたかったのだが、見つけてしまったものは無視できないタチである。
とくにこういう「犯罪的な記事」は。。。。
あのおバカな産経新聞が、他社の「社説」にあたる「主張」(本日4月8日付)欄において、けさわたしが批判を加えたばかりの、あの宮本記者の拙劣な「偏向取材報告」を下敷きにして、ヌケヌケと書きよった。
これである。
→http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110408/plc11040802380007-n2.htm
題して
「在日米軍 沖縄でも共感の輪広げた」
ですと。
もうこうなると、怒りもあきれも通り越して、わらう(嗤う、嘲笑う、哄笑う)しかない。
その低レベルな内容に、わらったわらった。
これで世論誘導できると思うなら、とんでもない間違いだ。
おそらくは、沖縄県民のほとんどが産経新聞など読まないことを想定して書いているのだろう。
だからこんなふうに無意識のうちに「沖縄差別」記事が書けてしまう。
これが沖縄県内で宅配される新聞だったら、抗議の電話は鳴りやまなくなるはずだ。
なぜなら、沖縄県民の多くが共有している心情を、代表的な声を、まるで取材もせず、反映もしていない記事の作り方だから。そのことについては、今朝書いたので繰り返さない。ひとつ前のブログ記事http://watanatsu.ti-da.net/e3369577.htmlを読んでいただきたい。
産経新聞が、那覇支局からの「偏向取材による偏向報告」に基づいて、社の「主張」を書くこと自体は勝手である。
われわれ読者は、嫌なら産経新聞を読まなければよいだけの話。
だが、沖縄の基地問題に関して、さしたる予備知識もない全国の読者が、たまたまこれを目にしたらどうだろう。
へえそんなもんなのか、あんなに一所懸命働いてくれる米軍に対して沖縄の人は感謝もしないのか、と思い込まされかねない。
クリーンで安全な、地元を潤す原発を造ってくれた電力会社に、地元の人たちも日本人全体も感謝して当然だろう、という論理と非常に似ていて、危険なことである。
しかも、この産経新聞の「主張」は、那覇支局の宮本雅史氏の記事に輪をかけて、拙劣で姑息である。
宮本氏は少なくとも、沖縄の地元紙を名指しでクサした。
だが本日(4月8日)付の「主張」は、正面から沖縄の新聞を批判する、ということすらできず、及び腰だ。
沖縄の新聞にケンカを売りたくても、負けるのがわかっているから、名指しで文句が言えないのか。
《沖縄の一部に「トモダチ作戦」の実情をきちんと伝えないばかりか、米軍普天間飛行場移設問題に「政治利用されかねず、不謹慎」などの見方があるのは首をかしげる対応だ。》
などという、わけのわからんボカし方で逃げている。沖縄の一部、などといきなり読まされた読者には、なんのことかさっぱり伝わらない。
だから、わらえる。この「主張」は、二重三重の意味で「犯罪的」なのだが、とにかくわらえる。
さすがに「普天間基地を辺野古に移設せよ」と堂々とおバカな主張を繰り広げていたときの威勢の良さはない。
《災害対応は国家安全保障の有事対応とも重なる部分が多い。普天間問題の速やかな解決がいかに大事かを示したというべきだ。》と、これまた、ごまかしの表現になっている。
しかし、産経の意図は、過去の報道や「主張」をみれば明らか。
「つべこべ言わず、普天間基地は沖縄県内に移設せよ」と、沖縄県民を恫喝しているだけなのだ。
賢明なる読者の皆さんには、こんなおバカな新聞も世の中にはある、という認識だけはしておいていただきたい。
追伸:
きょうはお釈迦さんの誕生日にあたる「花祭り」。わたし自身の宗教は? と問われれば、幼いころから慣れ親しんだ「仏教(禅宗)」と沖縄では当然の「祖先崇拝」とが、胸のうちの半々を占めている、というべきか。いずれにしても、きょうは、本来とてもありがたい日であり、被災地の犠牲者の皆さんへの祈りを捧げ、己に繋がるすべての命に感謝を捧げたい日だった。しかし、とんだおバカな新聞記事に付き合うはめになった。これも、何かの御縁なのかなぁ。おバカな記事に付き合うことによって、己の進むべき道がより鮮明に見えてきたことも確かだ。だから、やっぱり感謝だな。産経新聞の反面教師諸君、ありがとう!!
とくにこういう「犯罪的な記事」は。。。。
あのおバカな産経新聞が、他社の「社説」にあたる「主張」(本日4月8日付)欄において、けさわたしが批判を加えたばかりの、あの宮本記者の拙劣な「偏向取材報告」を下敷きにして、ヌケヌケと書きよった。
これである。
→http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110408/plc11040802380007-n2.htm
題して
「在日米軍 沖縄でも共感の輪広げた」
ですと。
もうこうなると、怒りもあきれも通り越して、わらう(嗤う、嘲笑う、哄笑う)しかない。
その低レベルな内容に、わらったわらった。
これで世論誘導できると思うなら、とんでもない間違いだ。
おそらくは、沖縄県民のほとんどが産経新聞など読まないことを想定して書いているのだろう。
だからこんなふうに無意識のうちに「沖縄差別」記事が書けてしまう。
これが沖縄県内で宅配される新聞だったら、抗議の電話は鳴りやまなくなるはずだ。
なぜなら、沖縄県民の多くが共有している心情を、代表的な声を、まるで取材もせず、反映もしていない記事の作り方だから。そのことについては、今朝書いたので繰り返さない。ひとつ前のブログ記事http://watanatsu.ti-da.net/e3369577.htmlを読んでいただきたい。
産経新聞が、那覇支局からの「偏向取材による偏向報告」に基づいて、社の「主張」を書くこと自体は勝手である。
われわれ読者は、嫌なら産経新聞を読まなければよいだけの話。
だが、沖縄の基地問題に関して、さしたる予備知識もない全国の読者が、たまたまこれを目にしたらどうだろう。
へえそんなもんなのか、あんなに一所懸命働いてくれる米軍に対して沖縄の人は感謝もしないのか、と思い込まされかねない。
クリーンで安全な、地元を潤す原発を造ってくれた電力会社に、地元の人たちも日本人全体も感謝して当然だろう、という論理と非常に似ていて、危険なことである。
しかも、この産経新聞の「主張」は、那覇支局の宮本雅史氏の記事に輪をかけて、拙劣で姑息である。
宮本氏は少なくとも、沖縄の地元紙を名指しでクサした。
だが本日(4月8日)付の「主張」は、正面から沖縄の新聞を批判する、ということすらできず、及び腰だ。
沖縄の新聞にケンカを売りたくても、負けるのがわかっているから、名指しで文句が言えないのか。
《沖縄の一部に「トモダチ作戦」の実情をきちんと伝えないばかりか、米軍普天間飛行場移設問題に「政治利用されかねず、不謹慎」などの見方があるのは首をかしげる対応だ。》
などという、わけのわからんボカし方で逃げている。沖縄の一部、などといきなり読まされた読者には、なんのことかさっぱり伝わらない。
だから、わらえる。この「主張」は、二重三重の意味で「犯罪的」なのだが、とにかくわらえる。
さすがに「普天間基地を辺野古に移設せよ」と堂々とおバカな主張を繰り広げていたときの威勢の良さはない。
《災害対応は国家安全保障の有事対応とも重なる部分が多い。普天間問題の速やかな解決がいかに大事かを示したというべきだ。》と、これまた、ごまかしの表現になっている。
しかし、産経の意図は、過去の報道や「主張」をみれば明らか。
「つべこべ言わず、普天間基地は沖縄県内に移設せよ」と、沖縄県民を恫喝しているだけなのだ。
賢明なる読者の皆さんには、こんなおバカな新聞も世の中にはある、という認識だけはしておいていただきたい。
追伸:
きょうはお釈迦さんの誕生日にあたる「花祭り」。わたし自身の宗教は? と問われれば、幼いころから慣れ親しんだ「仏教(禅宗)」と沖縄では当然の「祖先崇拝」とが、胸のうちの半々を占めている、というべきか。いずれにしても、きょうは、本来とてもありがたい日であり、被災地の犠牲者の皆さんへの祈りを捧げ、己に繋がるすべての命に感謝を捧げたい日だった。しかし、とんだおバカな新聞記事に付き合うはめになった。これも、何かの御縁なのかなぁ。おバカな記事に付き合うことによって、己の進むべき道がより鮮明に見えてきたことも確かだ。だから、やっぱり感謝だな。産経新聞の反面教師諸君、ありがとう!!
Posted by watanatsu at 17:01
│時事問題