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2016年04月02日

【71年の時を飛びこえた、4月1日の悪夢】

※注※
刑事特別法違反容疑で、米軍警備員によって不当拘束⇒海上保安庁によって不当逮捕された「被害者」Mさんに関して、すでに個人名を明らかにする報道がなされています。
しかし、わたしは昨夜、ご本人が取り調べに対して黙秘を貫いているという信頼できる情報に接して、思うところがありました。
この「人権侵害事件」をめぐっての事実の詳細とオピニオンは、不当逮捕から解放された暁に、Mさん自身が告発する文章を書かれるはず。それまでわたしは、お名前を書かないことに決めました。あしからずご了承ください。

以下の文章は、本日4月2日、日付が変わったばかりの深夜に、Facebookに投稿したものです。
午前11時、沖縄市の中城海上保安部前で、緊急抗議集会が開かれます。わたしも参加&取材します。

【71年の時を飛びこえた、4月1日の悪夢】

4月1日をもって、沖縄県民としての小生の暮らしも11年目に突入した。

一方、多くのうちなーんちゅにとって、4月1日は、(71年前に)米軍が沖縄島に上陸した日として記憶されている。

沖縄戦自体はその直前の3月26日に始まっている。米軍は慶良間諸島に上陸し、それから数日の間に複数の島で、悲惨な集団自決(強制的集団死)が起きてしまっている。

さらに4月1日から数ヵ月にわたり、沖縄島で繰り広げられた地獄絵図は、いまも多くの人の心に深い傷を残している。

地獄絵図の始まりの日にわたしがヤマトゥから住民票を移したことは、もちろん単なる偶然ではないと思ってくださって間違いはないのだが、そんな71年後の4月1日に、辺野古新基地阻止行動のカヌーチームのリーダー的存在であるあのMさんが、辺野古崎付近で、キャンプシュワブの軍警(軍雇用民間人警備員)によって、不当拘束されたのは、やはり偶然ではすまされない衝撃的事件と言える。

その意味の重さは、不当拘束されたご本人が解放され、自らの表現力を駆使して事実を明らかにする過程で、きっと多くの人に共有されることになるだろうから、いまわたしが先走って思わせぶりに語ることは慎みたい。

一昨年の夏以来、辺野古・大浦湾では、新基地建設に対する抗議・阻止行動の船団やカヌーチームと、これを不当に規制し拘束する海上保安庁職員たちとの間で、厳しい衝突があった。いや、衝突というより、非暴力抵抗のカヌーチームメンバーや抗議船船長らが、一方的に海保の暴力にさらされ、傷つけられてきた、と言ったほうが正しい。
水に沈められたり、硬質のボートで激突されたり、あるいは首を絞められたりして、病院送りされたメンバーは数知れず、である。

こういう事実は、未だに多くの大手マスメディアが伝えることをサボッているので、知らぬ人も全国には少なくないはずだ。

だが、これまで、海上行動での逮捕者は、一人も出ていない。

わたしも臨時制限区域を示すフロートを超えて、海上保安官に拘束されたことが複数回ある。そのたびに、わたしは海保に問いただしたものだ。
これは米軍への提供区域に侵入したことによる刑事特別法違反容疑と関係があるのか、ないのか!?
海保の答えはいつでも、「安全確保」のためです、これ以上、作業現場に近付くと危険なので、あなたの安全を確保しているのです、というものだった。
決まってフロート内で海保の小型拘束艇(通称GB)に乗せられ、しばらくの時間拘束され、遠く離れた場所へ連れていかれて解放されたものである。

わたしは皮肉をこめて海保にこう語りかけたこともある。
「安全確保なんてごまかさずに、いっそ刑特法違反で逮捕してくれたほうがわかりやすいんだけどね!」

しかし彼らは、この1年8ヵ月の間、わたしたちの仲間を、たった一人も、刑特法違反容疑で逮捕することはなかった。

3月4日の国と県の「和解」「工事中止」以降には、海保はわたしたちの抗議行動に対して、まったく手出しをしなくなっていた。

当然だ。
翁長知事による「埋め立て承認取り消し」の効力が完全に復活したのであり、埋め立て工事を前提に張り巡らされたフロートも、いまだに大浦湾に浮かぶ作業台船も、すべてが違法な物体であり、本来すみやかに撤去されるべきものなのだ。

フロートを越えて、カヌーが自由に航行するのも、フロートを撤去せよと抗議することも、正当な営みだ。

そうであるのに、米軍雇用民間人警備員が、4月1日、突然カヌーメンバーに襲いかかってきた。
目撃者の証言によると、「軍警」は、最初別のカヌーメンバーを拘束しようとし、それを止めにかかったMさんを標的に切り換えて、一気に連れ去ったという。

しかも、Mさんが弁護士との面会を要求したのに、米軍側は一切無視し、海保に身柄を引き渡すまでに、なんと8時間以上も海兵隊キャンプシュワブ内で監禁し続けた。非暴力行動を貫くMさんを、である。

現場の警備員の判断のみで、こんな異常な暴挙に出るだろうか。
米軍の、新基地建設阻止・抗議行動に対する不遜かつ異常な姿勢と、日本政府の迎合ぶりが、徹底追及されるべき人権侵害事件だとわたしは思う。

制限区域を越えたのだから逮捕されて当然、というのであれば、このわたしを含めて、一昨年の夏からすでに何百人も逮捕されていなければおかしい。
浅はかなネトウヨ諸君の不勉強ぶり思考停止ぶりは許し難いものがある。

エイプリルフールの洒落には到底ならぬ、2016年4月1日の不当逮捕。当分忘れられそうにない。

沖縄平和運動センター議長・山城博治さんの呼びかけで、本日4月2日午前11時から中城海上保安部前にて、Mさんを奪還するための抗議集会が開かれる。
もちろんわたしも駆けつけたい。

写真は、心落ち着けるために首里城の南、雨乞嶽の展望台から眺めた海と空と慶良間諸島の島影。おまけは、ライトアップされた深夜0時前の首里城。
【71年の時を飛びこえた、4月1日の悪夢】


【71年の時を飛びこえた、4月1日の悪夢】


【71年の時を飛びこえた、4月1日の悪夢】



2016年4月1日の注目記事は、琉球新報1面トップのこれである。↓↓↓
【71年の時を飛びこえた、4月1日の悪夢】





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Posted by watanatsu at 09:50 │時事問題